第百一話 女神の代理人
「私も魔人も、神が定められたものだと言うのですか?」
リールさんの口調は、驚きと言うよりも確認しているもののようだった。
「それは……確かにそうなのだろうが。いや、魔人は違う! そうではないのか?」
一方のカロラインさんは混乱していた。
神の遣わされた勇者に敵対する魔人をも神が創り出したなんて、この世界の人には信じ難いことに違いない。
「この世界はすべてモントリフィト様がお創りになられたもの。一切の例外はありません。ならば魔人も神が定められたからこそ存在しているのです。その程度のことも分からないのですか?」
いつにもない皮肉な調子で、プレセイラさんは宣言するように言う。
彼女のその姿は、この世界の真実を告げる預言者のように俺には見えた。
「分からない! 私たちエルフにも分からないわ。いったい神様は何を考えておられるの?」
ロフィさんも混乱しているようだ。
魔人に対する恐れは、あの族長を引き合いに出すまでもなくエルフにも共通のものらしいから、プレセイラさんの言葉には納得できないのだろう。
「モントリフィト様のお考えはこの世界を完全なものとして保つこと。そのために魔人は存在し、そして勇者も存在するのです」
そこまで言われると俺にも理解できない。
魔人と勇者がこの世界を完全に保つシステムの一部なのだとしても、どうしてそんなものが必要なのだろう?
俺は以前もこの世界で魔人だけは異質だと考えたことがある。
この世界に暮らす人は皆、美しく善良で、飢えや渇きとも無縁だし、病もほとんどがマナを取り込んだり癒しの魔法によって治すことができる。
それどころか老いることなくいつまでも若々しい姿を保ち、ほんの一部の例外を除いて死の恐怖さえ存在しないのだ。
「死と破壊を振り撒く魔人が存在するのに、それのどこが完全な世界なんだ?」
俺の問いは、この世界を完全なものだと主張する神に対して挑発的なものだろう。
だが、俺は初めてこの世界の天界へ連れ去られた時のことを思い出していた。
今のプレセイラさんはあの女神の代理人に相応しい傲岸な態度をまとっているように見えたからだ。
「魔人が存在しなければ、この世界はおかしな方向へ進んで行ってしまいます。あなたたちは本当に、魔人が死と破壊を振り撒くだけの者だと思っているのですか?」
彼女の答えは俺の想像の上を行くものだった。
俺はこの世界の不完全性を魔人の存在によって示し得ると思って尋ねたのだが、どうもそうではないらしい。
やはり彼女の言うとおり、魔人が存在するからこそ、この世界は全き状態を保つことができているのだろう。
いや、できていたというべきなのかもしれないが。
「魔人が存在するのは、この世界が不完全だからではなく、あなたたち人間が不完全だからです。姿形こそ神に似せて創られたものの、あなたたちは不完全。それはそうです。神とまったく同じ完全な者など、その存在が許されるはずもありませんからね」
何となく矛盾しているような気がするが、人間が完全であれば、その姿と相まって、その存在は神に匹敵するものとなってしまうらしい。
それが許されないが故に、神は人間を不完全な者として創造したようだった。
「この世界が不完全なのは、私たち人間のせいだと言うのか? 私たちが不完全だから、この世界も不完全だと」
カロラインさんが叫ぶように言ったのは、プレセイラさんの様子に恐怖に近いものを感じていたからかもしれない。
彼女の様子はどう見ても尋常ではなかった。
「この世界は完全です。人が神のご意思に従って動く限りにおいて完全性が保たれるのです。それさえもできないとあらば、もう世界に存在意義はありません」
「世界の存在意義?」
俺は聞き捨てならないなと思って、彼女が口にした言葉を繰り返した。
彼女が言うには、この世界には存在するための意義があるらしい。
「そうです。この世界は神の創造の完全性を表し、神の無謬を示し、神を讃えるためにこそ存在するもの。それが果たされないというのであれば、そもそも存在する価値はありません。神は慈悲深い方ですが、価値のないものを存在させ続けることまではされないのです」
どうもこの世界はあの女神の完全性や無謬性を示すために存在するらしい。
不完全な人間を使って完全な世界を形作ることで、神の完全性が証明されるってことなのかもしれない。
俺の頭では到底、理解できるとも思えないから、それで合っているのか甚だ心許ない気がするが。
「神殿では、そこまでのことを言い切るのか? 以前、私が訪れた時には、そんなことは言っていなかったと思うぞ。私の知らないうちに、教義が変わったと言うのか?」
カロラインさんがプレセイラさんに尋ねるが、確かに今の彼女はこれまでにも増して過激だ。
これまでも神官らしく神のご意思に関しては譲れないと言った態度を取ってはいたが、ここまでの意見を表明することはなかったと思う。
「教義は変わってなどいません。ただ、これまで人間の理解が、神の意思への接触の程度が浅過ぎただけ。きちんと神の意思に触れれば、この世界の成り立ちなど当然に理解できていたはずです」
これもこれまでの優しいプレセイラさんからは、かけ離れた物言いだ。
彼女は確かにクリィマさんに厳しい態度を取ったり、勇者であるリールさんにも容赦しない面を見せたことはあるが、俺もいるのにここまで厳しい言い方なんてしなかったはずだ。
「魔人も神のご意思……」
リールさんが呟くように、そう口にした。
「では、イリアが魔人となったのも、神のご意思だと言うのか? あの人は魔人などになるべき人ではなかった。優しく聡明で、美しいあの人が何故?」
続けてプレセイラさんにそう問い掛ける。
今のプレセイラさんなら、その疑問にも明確な答えを与えてくれそうだ。
俺もそう感じていた。
「もちろんです。あなたは自分に与えられた役割が分かっていない。だからそんな疑問を持つのです」
そう言ったプレセイラさんは嘆息するような態度を見せた。
「まあ、仕方ありませんね。歴代の勇者もそうでした。自分に与えられた役割を曲解し、それによって惹き起こされた事態に苦悩する。あなたたちはどこまで愚かなのです?」
俺にももう、目の前にいるのがプレセイラさんだとはとても思えなかった。
彼女は三百年の間、神に仕えた敬虔な神官ではあるが、歴代の勇者の事績には、そこまで詳しくはなかったはずだ。
「歴代の勇者? どうしてあなたがそんなことを知っているんだ?」
カロラインさんも同じ疑問を抱いたようで、プレセイラさんにそう尋ねていた。
リールさんも歴代の勇者が自死していることは、秘匿されていると言っていた。
当然、カロラインさんはそのことを知らないはずだ。
(そうか。プレセイラさんは俺と一緒にリールさんからそのことを聞いたから……)
俺は一瞬、そう考えた。
俺たちがリールさんから勇者が短命である理由を聞いたのは、ニヴィウ大陸でのことだ。
でも、プレセイラさんはその時は驚いていたはずなのに、今の彼女はもうずっと前からそれを知っていたように話している。
それにあの時はそこまで詳しい話を聞けたわけではなかったはずだ。
「あなたは以前、神が勇者に魔人を殺すことを求めていると言っていましたね。それは根本的に間違っています。目的と手段を取り違えているのです」
プレセイラさんはカロラインさんの質問に答えることなく、リールさんに話し掛ける。
そのことも俺は覚えていた。
それはリールさんに出会ってすぐの時だ。
森の中の住まいに彼女を訪ねた俺たちに、彼女は尋ねたのだ。
神は勇者に何を求めているのかと。
「目的と手段? では何が目的なのですか?」
リールさんは苦しげにそう問い掛けた。
これまで彼女が苦しみ抜いてたどり着いたであろう結論を、プレセイラさんは一蹴していた。
それなら何が目的だと言うのだろう?
それを知りたいと思うのは当然だし、今のプレセイラさんなら、それに答えてくれそうだった。
俺のそんな予想のとおり、彼女は昂然と答えた。
正に愚かな人間に信じ難い真実を与えるかのように。
「神の創り給うた完全な世界を乱さんとする兆候を除くこと。それが勇者であるあなたに与えられた役割です。あなたは維持と調和、秩序と伝統の守護者。あなたが存在することで、この世界は完全なまま変わることなく続いていくのです」
突然の宣告にリールさんも呆然としていたが、俺も俄には理解できなかった。
勇者が「維持と調和、秩序と伝統の守護者」って、考えようにもよるけれど、守旧的で酷い言われようだって思うのは、俺が別の世界から来たからなのだろうか?
「では、魔人は何なのだ? 魔人はどんな役割を与えられていると言うのだ?」
言葉もないリールさんに代わって、カロラインさんがそう問い掛けた。
プレセイラさんは彼女に一瞥を与えることもなく答える。
「勇者の反対に決まっているではありませんか。変化と進歩、促進と改革を司る破壊者です。いえ。勇者とともにある者は、その影響を受けて徐々にそうなって行くのです」
薄っすらと笑みを浮かべる彼女の視線が俺に注がれた気がして、俺は背中に冷たいものを感じた。
それに勇者とともにある者って……、
俺の視線がリールさんと交わり、彼女も同じことを考えているようだった。
俺が彼女とともにいることで、魔人と化す可能性があるってことをだ。