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ミニチュア街での遊び方

作者: 穂鈴 えい

「すごいね! お姉ちゃん!」

わたしは妹の海花とともに部屋の中に置いた模型を見つめた。100分の1サイズの小さな町。もちろん人は誰もいないし、作り物だけれど、その精巧さは本物と遜色はなかった。お店の中に置いてあるものまで本物そっくりだ。


海花は片手で摘み上げたコンビニを手のひらに置く。

「見て、お姉ちゃん! 中のものまで本物そっくりだよ!」

海花がお店の入り口よりも大きな瞳で店の中をぎょろりと覗き込んでいる。

「ほんとね。ホットフードまで完備されてるわ」

海花が雑に摘み上げたから店の中にものが散らばっている。散らばってもよくわかる小物のリアリティに驚いた。


さらに海花は自動ドアから無理やり人差し指を突っ込んで中の商品を出そうとしている。

「あんまりやったら壊れちゃうわよ」

「あ……」

海花がバツが悪そうに外れた自動ドアを指先に乗せた。自動ドアは子どもの小さな指で簡単に壊れてしまった。


「ほら、だから言ったじゃない」

「ごめんね」

「気を付けて触らないと、簡単に壊れちゃうんだからね」

わたしは小さくため息をついた。


「ねえ、お姉ちゃん。早く遊ぼうよ!」

海花はワクワクした瞳でわたしを見つめている。

「そうね。じゃあこれわたしに早く当ててもらえるかしら」

わたしは縮小模型の付属品になっていた小さなリモコンを渡した。


上を向いた三角と下を向いた三角の2つのボタンしかないそのリモコンを人に向けると、人のサイズが変わる。下向きの三角を押すと、この街で遊べるように100分の1サイズに小さくなるのだ。当然、使う時には慎重に使わなければならない。


海花はリモコンを受け取って大きく頷くと、ライトの光でわたしを照らす。すると、ほんの一瞬の目眩と共に、わたしの体に変化が起きる。わたしよりも小さかった海花と正面で目があった。そして、そのまま海花はどんどん大きくなっていく。


「お姉ちゃん、小さな子どもみたいになってるね」

クスクスと笑いながら、海花の腰の辺りの背丈になったわたしの頭をポンポンと触った。その間にも、海花のサイズはさらに大きくなっていく。


そうして縮小を終えたわたしは先ほどまで家々がくるぶしの辺りにすら満たなかった小さな町の住民として道路に立っていた。わたしが先ほどまで立っていた場所の道路やブロック塀、民家の庭に足の形に破壊された跡が残っていた。気付かないうちに、うっかり模型を壊してしまっていたらしい。100倍だからさっきまでのわたしの足は23.5mだった計算になる。そんな大きな足による破壊跡がくっきりと残っている。そして、その破壊跡からさらに数m離れた場所には海花の巨大な足が地面に接地していた。


「おっきい……」

ゆっくりと見上げると、先ほどまでわたしよりも小さかった海花が興味津々な様子でこちらを見下ろしていた。

「お姉ちゃん、すごいね! ちっさくなってる!」

勢いよくしゃがみ込むと、スカートが巻き起こした風圧がすごい勢いでわたしに襲い掛かってきた。


「ちょ、ちょっと! やめなさい!」

わたしは勢いよくゴロゴロと転がっていき、壁に激突した。

「痛たたた……」

一応怪我防止のため、本物よりも柔らかな材質にはなっているらしいけど、それでも衝撃は相当なものだった。


「気をつけてよ!」

キョトンとした目で見下ろす海花に向かって叫んだ。

「気をつけてって……。一体どうしたの? お姉ちゃん勝手に転がっていっちゃったけど?」

「あんたの体、今のわたしからしたらとっても大きいんだから、ちょっとした衝撃で危ない目に遭っちゃうのよ!」

思いっきり睨み上げたけど、海花にとっては指先サイズの小さな姉に怒られてもなにも怖くはないだろう。というよりそもそも睨み上げたことすら気づいていないかもしれない。


海花はあまり実感がなさそうな様子で首を傾げてから頷いた。わけがわかっていないみたいだ。まあ、後で街で遊ぶ順番を代わってあげたときに理解するだろうと思い、一旦は感情を飲み込んだ。とりあえず、今はこの街を楽しまなければならない。なんたって、わたし一人だけの街なのだから。どこに入っても、何を持っていっても怒られない。車だってここなら運転できるし、どこにだって立ち入っても良い。


わたしがさっそく楽しもうとしていると、上空から無邪気な声が降ってくる。

「海花もお姉ちゃんとおんなじサイズになるね!」

そう言って自分にリモコンを当てようとした海花に向かって、わたしは叫んだ。

「ダメに決まってるでしょ!」

「え……?」

海花が寂しそうな声を出した。


かわいそうだけど、当然だ。100分の1サイズの体なのだから、近くで誰かが見ていないといけない。小さくなっていることを知らない人間がうっかりこの街に足を踏み入れた瞬間、怪獣映画やパニック映画のような恐怖体験をしなければならないのだから。いや、人間どころか猫や虫だってこのサイズだと驚異なのだ。だから、誰か見張ってくれている通常サイズの人間が必要なのだ。


「後で変わってあげるから、今はおとなしくしておきなさい!」

わたしの注意を聞いて、海花は口を尖らせながら渋々納得する。

「わかったよぉ」

拗ねたようにそっぽを向いてしまった。少し不機嫌になってしまったみたいだけど、とりあえず納得してくれたみたいだから、わたしはのんびりと街を歩いた。


「このバッグ、高かったけど、買えなかったやつだわ!」

お店の中に入って、さっそく手に取った。小さいけれど、材質は本物に近い。自撮りのお供くらいにはなりそうだ。わたしがさっそくスマホで写真を撮っていると、突然地面が大きく揺れた。

そして、店が宙に浮く。


「ちょっと何ごとよ!」

高所に浮かんだ店の窓の外から巨大な瞳が覗き込んだ。

「きゃっ!」

わたしは恐怖で思わず尻餅をついて、お店の棚で頭を打った。


「わあ、お姉ちゃんが欲しがってたカバンだぁ。良かったね!」

無邪気に喜んでくれる海花に悪気はないのだろうけど、そういう問題ではない。わたしは急いで窓を開けて、海花に文句を言おうとした。その瞬間だった。店が大きく揺れた。棚に置いてあったバッグや小物が次々と落下していき、マネキンやレジカウンターが床を滑っていく。わたしは必死に身を屈めてこちらに向かってくる物から身をかわす。


「や、やめなさいよ!」

覗く瞳に向かって思い切り文句を言うけれど、海花は相変わらずピンと来ていない様子だった。

「わたしはお姉ちゃんが窓を開けてくれたから、中に指を入れようとしただけだよ?」

きっとそのときに海花の手のひらが大きく傾いて、店が傾いたのだろう。


「とにかくお店を降ろしなさい! 危ないから!」

わたしが怒ると、海花は「はあい」と気怠そうに返事をしてから店を下ろした。海花がめちゃくちゃにしてしまったせいで、これ以上このお店で楽しむのは難しそうだ。すっかり物が散乱してしまったお店を後にする。


「ちょっと心配だけど気を取り直して楽しまないと」

次はブティックショップに向かった。先ほどの感じから思うに、身につけるものが精巧だから自撮り用の場所に使えそうだ。普段買えない高そうな服をいっぱい着て遊ばなければ。さっそくお店に入ろうとすると、大きな揺れにわたしの体が跳ね上がった。突然体が自分の背丈くらい飛び上がってしまったから、叫んでしまいそうになった。頭上からは、また海花の声が聞こえた。


「わあ、このビルすごいなあ。ちっさいのに机とかもちゃんとある!」

すっぽりとこの周囲を覆う影ができている。真上には海花のTシャツ越しのお腹があった。楽しそうな様子から海花はビルを見ているのだろう。勢いよく四つん這いになったせいで異常な揺れが起きて、わたしの体が跳ね上がったということか。しかも、その振動のせいで無数の建物が崩れているし、何も考えずに膝や手をついた海花の下にあった建物は鉄板みたいにぺっちゃんこになっている。


「ちょっと海花! 街を壊さないでよ!」

大きな声を出したけれど、わたしは海花のお腹の辺りということは、耳のある位置までは相当遠いということ。数十メートル先にあるビルの屋上に向かって声をかけるくらいの作業をしないといけないわけで、わたしが大きな声を出しただけでは届かない。こちらには海花の呼吸音まで聞こえてきているというのに。


「ああ、もう! めんどくさいわね」

仕方がないから海花に声が届く範囲まで走ることにした。ようやく胸の下あたりまできて、声を出そうとした時に、海花が立ち上がるから、その揺れでまた尻餅をついた。


「そうだ、あっちの方も見てみよっと」

楽しそうにはしゃぐ海花が一歩を踏み出した真下にはわたしがいる。

「海花! やめて! 止まって! 踏み潰されちゃうちゃうから!」

数m頭上に海花の素足が降りてくる。足の裏には平たくなった屋根や室外機、電信柱などがへばりついていて、思わず息を呑んでしまう。


ドンっと大きな音を立てて、海花の足の裏でプレスされた車が降ってきた。ぶつかりそうになり、咄嗟に頭を庇う。なんとかわたしの上には落ちなかったけれど、きっとわたしの上に落ちてきていたら大怪我をしていたに違いない。そのくらいの重量のものが、海花にとっては無意識のうちに数台まとめて踏み潰せてしまうような取るに足りないものなのか。だめだ、思ったよりもこの大きさは怖い。早く戻らないと。少なくとも、元の大きさに戻って、海花に迂闊にこの街に足を踏み込ませないように言っておく必要がある。


「海花ー、聞こえるー?」

大きな声で海花を呼び止めてから、震える足を引き摺るようにしながら、恐怖心で硬直した体で無理やり海花の足元から離れるために動く。その直後くらいに、わたしの先ほどまでいた場所が、近くのポストや塀ごと海花の足の裏に潰されてしまい、また身震いしてしまった。


「どうしたの? お姉ちゃん?」

「そろそろ戻してもらえるかしらー?」

姉としてみっともないところを出さないようにするために平常心を保つように声を出したけど、内心震え上がっていた。サイズ差のせいで、普段はとても無邪気で可愛らしい海花のことが今はとても怖かった。戻してと頼んだわたしのことを海花がじっと見下ろす。そして、また勢いよくしゃがむから、わたしの体が吹き飛ばされる。


「だから、勢いよくしゃがまないでって!」

しゃがんだことで海花の視線が先ほどよりも近くなって表情が見えやすくなった。そして気づいた。あろうことか、海花は吹き飛ばされたわたしのことを見つめて口元を弛めたのだ。


「海花……?」

不敵な笑みを浮かべている海花を見て、わたしは思わず後退りをしてしまった。

「今のお姉ちゃんちっさくて可愛いね」

海花はゆっくりとわたしの近くにやってきて、口をすぼめた。嫌な予感と同時に体感したことのないような強烈な暴風がわたしを襲う。海花の吐息がわたしに直撃したのだ。


「や、やめなさいよ!!」

わたしの体が大きく浮き上がった。さらに浮き上がったところを海花が無邪気に吐息をぶつける。風船を落とさないように遊ぶときみたいに、わたしの体に息を吹きかけ続けて、どんどん上昇させている。


「海花! ほんとうにやめなさい! お姉ちゃん怒るわよ!!」

「やめていいの?」

「え?」


すでにわたしの体は何度も何度も海花に吹き付けられ浮上させらたせいで、立った状態の海花の顔の高さを超えていた。海花が突然吹き付けるのをやめたことで、重力にそって一気に落ちる。泣きそうになりながら落下していると、海花はスカートの裾を持って、地面と水平になるようにわたしの落下地点に構えた。巨大な布にわたしの体は受け止められてなんとか助かった。恐怖で乱れた息のまま、海花のことを睨み上げた。


「ねえ、どういうつもり? ほんとに許さないわよ?」

普段ならわたしが怒ったら素直に謝る海花がクスクスと笑っている。

「お姉ちゃんこそ、どういうつもりなの? 今の海花のこと許さないってどうするつもり?」

「どうするって……」

「今のお姉ちゃんわたしがスカートの裾を持つのをやめただけで大変なことになっちゃうけど?」

そう言って、海花はスカートの裾を大きく揺らした。海香のピンク色のスカートが、わたしにとっては地上数十mの高さに設置されたトランポリンと化した。


「あはは、海花特製トランポリンだよー」

楽しそうに海花は揺らすけれど、わたしはまったく楽しくない。何度も高所に浮き上がらされているから怖くて仕方がない。

「や、やめなさいってば!」

何度も叫んでようやく海花は降ろしてくれた。そのまましゃがみ込んだ海花はスカートを傾けて、地面につけて、滑り台のようにしてわたしを地面に転がした。


「うぅ……。気持ち悪い」

何度も宙に浮かべたり下ろされたりした挙句、海花のスカートという巨大滑り台から転がされた。遊園地の絶叫系アトラクションに何十回も乗せられたような気分だ。とにかく一度休ませてもらいたいのに、海花はそうはさせてくれない。

「怖かった?」

海花が少し心配そうに聞いてくる。なんだかんだで姉のことを気遣ってくれるあたりは優しい子なのだろう。


別に大丈夫よ、と答えようとしたけど、それより先に、また海花が口元を緩めた。

「……でも、お姉ちゃんが悪いんだよ?」

「え?」

「今のお姉ちゃんは、海花に絶対に勝てないんだから、ちゃんと海花のことを大切に扱わないと」

「どういう意味よ……」

不安そうに見上げていたわたしの頭上にまた海花の素足が降ってくる。先ほどとは違って、今度は明確にわたしが下にいることを知った上で勢いよく振り下ろした。


「や、やめて……」

無駄な抵抗とわかりつつも必死に頭だけ両手でガードする。ダメかと思ったけど、幸い海花の足はわたしの上には降ってこなかった。ズシンと大きな音と揺れを伴って振り下ろされた足はわたしのすぐ真横。ちょうど足の小指がすぐ横にあった。代謝の良い子どもの足からかなり強く汗の臭いが漂ってくる。

「海花の足の小指よりもお姉ちゃんの方がちっちゃいね。海花、学校では背の順前の方なのに」

海花がクスクスと笑っている。


海花の足が再び持ち上がった。今度は正確にわたしの上へと降りてくる。わたしの体は完全に海花の足の影に隠れてしまっている。

「や、やめなさいよ……」

声は完全に震えていた。巨大な妹の足から逃げる術なんてない。海花の足に踏み潰されてしまうのだろうかと思って泣きそうになっていると、いよいよ海花の足の親指がわたしに触れた。

「ほらほらー、お姉ちゃん、はやく海花の足どけないと踏み潰されちゃうよー」


楽しそうに笑う海花とは対照的に、わたしはひたすら取り乱していた。なんとかして逃げないと、海花の足に踏まれてしまう。先ほど海花の足の裏にへばりついていたぺしゃんこにされた車の映像がフラッシュバックした。わたしはあの車よりもずっと脆い。必死に海花の足の親指を押し返そうとするけれど、何も変わらない。じわじわと充満していく代謝の良い汗の臭い。ついにはわたしは海花の足の親指によって地面に寝かされてしまった。一応踏み潰さないように加減はしてくれているみたいだけど、充分重たい。


「おねーちゃん、本気で退けてくれないと海花踏み潰しちゃうよ?」

本気で抵抗はしているのだ。でも、海花のほうが圧倒的に強いのだから、わたしにはどうしようもない。

「やめなさいってば! 本当に潰れちゃうから!」

ケホケホと咳き込みながら必死に叫んだ。海花は冗談で踏み潰すなんて言っているのだろうけど、わたしにとって、それはシャレにならない。

「しょうがないなあ。お姉ちゃんが弱くて可哀想だからやめてあげる」

ゆっくりと足が退けられて、ようやく新鮮な空気が吸えた。


「ねえ、わたしが先にこの街で遊んだこと謝るから、はやく元のサイズに戻してよ!」

「やだなあ、海花別に怒ってなんかないよ? だから謝らないでよ」

「なら早く元に戻してよ……」

「うーん、それは嫌かな」

わたしのことを見下ろす顔は冗談を言っている顔ではなかった。あくまでも本気で戻さないつもりのようだ。


「な、なんでよ……」

「海花この小さな街好きだもん。この街の中だとどんなにおっきなビルだって海花の身長よりもちっちゃくてよわよわなんだもん。なんだかすっごい気持ち良いんだよね」

海花はうっとりとした表情を浮かべて街全体を見渡した。今のわたしからみれば見上げるような高い建物もたくさんあるこの街だけど、海花の視界の高さに何もないのだろう。一番高い建物だってせいぜい海花のお腹の辺りにあるだけだ。


「この街で遊ぶのは好きにしたら良いけど、まずはわたしを戻してからにしてよ! 戻してさえくれればどうやって遊んだっていいわ」

わたしの必死の主張を聞いて、海花はクスッと笑ってから地面にしゃがんだ。その風圧でわたしはまた吹き飛ばされそうになり、慌てて近くの道路標識の棒に捕まる。この棒も、海花の風圧を受けて今にも折れそうで怖かった。だけど、風圧よりも先に、乾麺を折るみたいに簡単に海花が標識を2本の指でへし折ってしまい、わたしごと持ち上げた。


「ねえ、お姉ちゃん。海花がこの指を開いたらお姉ちゃんはどうなっちゃうと思う?」

「い、いきなりなによ!」

わたしが必死に捕まっているこの道路標識の棒は海花の気分次第で簡単に落下してしまう非常に危うい状態にある。


「お姉ちゃん、海花の質問に答えてよ。じゃないとこのまま力入れすぎてお姉ちゃんごと摘み潰しちゃうかも」

海花が脅してくるから、わたしはモゴモゴと答えた。

「落ちて大怪我する……」

「そうだよね。もしかしたら大怪我じゃなすまないかもしれないよ。今のお姉ちゃんは、海花の気分次第で簡単にどうにでもできちゃうとってもよわよわな存在なんだよ?」

「何が言いたいのよ!」

イマイチ的を得ない受け答えにわたしはムッとした。


「今のお姉ちゃんはすっごく小さくて、とっても可愛いんだ。だから、この小さな街で小さなお姉ちゃんの面倒をずっと見てあげたいから戻したくないの」

海花はまたわたしのことを地面においた。さっきから持ち上げられたり下ろされたりを繰り返させられている。上空から下を見るのはもちろん怖いから嫌だ。けれど、地上から巨大な海花を見上げるのも怖かった。今のわたしは絶対にこの巨大な妹に逆らえないのだということを嫌でもわからされてしまうから……。


「ねえ、お姉ちゃん。怪獣さんごっこしようよ」

「怪獣さんごっこ?」

「そう、お姉ちゃんは正義の味方としておっきな海花怪獣を倒すの!」

「はぁ? 何言ってーー」

「それ! ズシーン」

わたしが言い終わるよりも先に、海花が自分で足音の効果音を口にした。


右足を持ち上げて、適当に住宅街に力一杯振り下ろす。ズシィィィィンという先ほど可愛らしく口頭で喋った声とは比にならないくらい重厚な音が辺りに響いた。それと同時にたくさんの建物が潰れる音がする。わたしはとてもじゃないけど、立っていられない。


「がおー。早くお姉ちゃんが海花怪獣のこと倒しちゃわないと、街がどんどんめちゃくちゃになっちゃうよ?」

そんなことを言っているうちにも、「それっ」という可愛らしい掛け声と共にビルに勢いよく座る。だけど、小さなビルは海花の体重を支えることはできずに、あっさりと崩れ落ちてしまった。

「もうっ、このビル海花のことも支えられないの?」

海花は可愛らしく頬を膨らませて文句を言っているけれど、海花の体重に負けてしまったビルは海花の膝くらいの高さしかなかった。


「ほら、お姉ちゃん。頑張ってよ」

「む、無理に決まってるでしょ!」

「あれ? お姉ちゃんどこ行くの?」


わたしは必死に逃げた。海花はさすがにわたしのことを意図的に潰しちゃうことはないけれど、踏み下ろした足で崩れた建物にうっかり押し潰されちゃうかもしれない。海花にとってはおもちゃ同然のなんの危険もない街だけれど、わたしにとっては普通サイズの街並みなのだ。建物の破片にぶつかっただけで大変なことになってしまう。


わたしはとにかく全力で海花から逃げる。

「ねえ、お姉ちゃんどこ行くの? 海花怪獣倒さないといけないのに」

必死に走るわたしの後ろを海花はのんびりと歩いていた。わたしが息を切らせながら必死に走っても、すぐに真後ろに海花の足がやってくる。


「お姉ちゃん、もしかして鬼ごっこがしたかった? わかった、目を瞑って10秒待ってあげるから逃げて! そうだな、ずっと小さいままだったらさすがに可哀想だし、5分間逃げ切られたらお姉ちゃんのこと元に戻してあげる」

10秒なんて海花の一歩分も逃げられるかわからなかった。どこにいっても海花から逃げる術はない。そして、海花は目を瞑っているから一時的にわたしのことを見失うことになる。一番恐ろしいのは知らない間に住宅や小さな建物と一緒に海花にうっかり踏み潰されてしまうこと。それだけは避けたかった。


わたしは偶然近くにあった、この街で一番大きなビルに入った。大きな、といっても所詮は海花のお腹の辺りまでしかない建物だけど、ここならうっかり壊されたりはしないはず。このビルの中でなんとか5分しのごう。まずは少しでもうっかり踏み潰されるリスクを減らすためにエレベーターで上に向かうことに決めた。上の方が海花の動作もわかりやすいからきっと有利になる。


「……9、10! さ、お姉ちゃんを探すぞー!」

海花が数え終わると同時に地面が大きく揺れる。エレベーターを待っていたわたしは慌ててて壁に体を預ける。わたしの体を支えてくれるこの丈夫な壁も、海花からするとウエハースよりも脆いのかと思うと、不安になる。いつ海花に潰されてしまうのかわからない恐怖心の中、5分間も逃げるなんて本当にできるのだろうか。


「おねーちゃーん、どこにいるのー? 出てこないとこの辺のお家全部踏み潰しちゃうよー」

言い終わるよりも先に海花は無人の住宅街に足を乗せて、数軒まとめて踏み潰していた。

「あの子、普通に踏んでるけどもしわたしがあそこに隠れてたらどうなってたか……」

考えると背筋が冷たくなる。


海花の大きな足音を聞きながら、エレベーターに大急ぎで乗り込む。屋上には出られないらしいから、屋上以外の最上階である23階のボタンを押した。

「とりあえず、上の階に行けば海花に気が付かれないうちに踏み潰されることはないはず」

もっとも、海花がこのビルに座りでもしたらすぐに崩れてしまうだろうから、ここが安全な場所とは言い切れないのだけど……。


乗り込んでから気がついたけど、ここのエレベーターは外側が透明になっていて、外の様子がよく見えるらしい。ちょうどすぐそばに海花の裸足があった。近くで見ると、その大きさに圧倒されてしまう。そのままくるぶし、ふくらはぎと上がって行っているときに、海花が独り言みたいに、ビルよりずっと高い場所から呟いた。


「ねえ、お姉ちゃん、良いこと教えてあげるね」

わたしは不安になりながら耳を傾けた。

「お姉ちゃんは地面からだから、たっくさんあるお家やビルが邪魔になって海花が探すのが大変だって思ってるかもしれないけど、それはあくまでもちっちゃなお姉ちゃんからの視点の話なんだよ」

「どういうことよ……」

エレベーターの中から呟いた。


ほっそりとした、太ももの辺りを通過したあたりで、海花はしゃがみ込んだ。そして、しゃがみこんだまま下を見つめるその視線がわたしを運ぶエレベーターの方に向けれらているのがわかった。海花がわたしのことをジッと見ている。


「お姉ちゃんはバレないように逃げているつもりなんだろうけど、お姉ちゃんの行動は海花には全部お見通しなんだよ。ちょっとだけ目を開けて上から見てたらお姉ちゃんがこのビルに入って行ったのがすぐにわかったんだから。海花から必死で逃げるお姉ちゃんがとっても可愛かったよ。どうせ10秒で一生懸命走ったって、海花の一歩分も逃げられないのに」

そう言って、海花は人差し指を近づけてエレベーターの外側のガラス面に人差し指をぴたりとくっつけて、エレベーターの動きに合わせてゆっくりと人差し指も動かす。


「お姉ちゃん、みーつけた」

あはっ、と笑いながら楽しそうに指でわたしを追っている。海花はもういつでもわたしのことを仕留められるのだ。このままエレベーターを突き破られたらすぐに捕まってしまうだろう。エレベーターの階数表示が18にあることを確認して、急いで20階のボタンを押した。


「あれ? お姉ちゃん降りちゃうの? 海花捕まえられなくなっちゃう」

海花は呑気そうな声で、人差し指をそっとガラスに押し付けている。軽い力だけど、ガラスに一気にヒビが入った。早くドアが開いてくれないと、このまま捕まってしまう。わたしはエレベーターの扉に体を押し付けるようにして開くのを待った。


20階でエレベーターの扉が開くのと、海花の人差し指がエレベーターの強化ガラスを突き破って中に入ってくるのはほとんど同時だった。海花の指がエレベーター内に入ってきて、エレベーターを止めてしまったせいで緊急停止をしたけれど、なんとかドアは開いてから止まってくれた。転がるようにして20階で降りて、なんとか人差し指の追撃を振り払った。


「と、とにかく外から見えない場所でやりすごすしか……」

すでに20階で降りたことも、エレベーターホールのすぐそばにいることもバレているけれど、外から見えない場所にいれば、海花はわたしの姿を見つけることができない。鬼ごっこなら触れられなければわたしの勝ちなのだから、見つけられさえしなければいいのだ。だけど、そんな考えが甘いことだと数秒後に知る。相手の姿が見えなくて恐怖を覚えるのはわたしのほうなのだと海花にわからされてしまう。


ズドォォォォォン、と大きな音ともに、海花の人差し指が壁から突き出てきた。

「きゃあああ」

わたしの悲鳴は小さすぎてきっと海花には聞こえていない。海花の指が一度外に出て、再び別の壁を突き破る。そのまま、何度も壁を突き破ってくる。どんどん壁の穴は増えていく。

「人差し指に触れたらお姉ちゃんの負けだからね」


海花は壁から指を出しては挿してを繰り返す。このままだったら10秒もしないうちにわたしは海花の人差し指にタッチされてしまう。(もっとも、大木のように丈夫で、自動車みたいに速いスピードで動く海花の人差し指に触れられることがタッチなんて可愛らしい言葉で表現できるとは思えないが……)


人差し指の動きが読めなくてその場にペタリと座り込んでしまった。

「無理……怖い……」

毎日見る海花の可愛らしい姿が伴っている時とは違い、人差し指という部位単体を巨大なものとして見なければならない。それは思っていたよりもずっと怖かった。もう諦めて降参しようとしたときに、海花の攻勢は止んだ。

「いないなあ。もしかして、もうエレベーターのとこから逃げたのかなぁ?」

海花の疑問に満ちた声と同時に、遠くの方からガラスが割れる大きな音が聞こえた。


「なにかしら……」

不安の声を漏らしていると、連続して割れるガラスの音が聞こえてくる。それがどんどん近づいてくる。

「まさか……」

海花が人差し指をフロアの端っこからなぞるようにしてこちらに近づけてきていた。ガラスも壁も巨大な海花からしたらお菓子のように脆い。きっとサクサクとした小気味の良い音にしか聞こえていないのだろう。バリバリと大きくて嫌な音の聞こえてくるわたしと違って。


「無理無理無理! 逃げられないわよ!!」

泣きそうな声で叫んだけれど、近づいてくる音は変わらない。怖いけど、なんとか辺りを見回した時にすぐ近くに階段があることに気がついた。


「と、とにかくこの階からでるわ……」

なんとか自分を奮い立たせて階段のところへとふらつきながら歩いていく。近づいてくる音に怯えながら、非常階段のドアを開けて数段降りた瞬間だった。壁をあっさりと壊していく耳をつん裂く轟音と共に、海花の巨大な人差し指がわたしのすぐ真上、髪の毛に触れてしまいそうなところを走っていく。


「や、やめて……」

わたしは声を震わせ、慌ててしゃがんで身を低くした。そのまま階段の途中でうずくまった。息が荒れているし、脈拍も速くなっている。これ以上動けるのかどうか怪しい。だけど、とにかく下に降りなければ。海花はきっと人差し指で20階をまるごと削り取ってしまうに違いない。そうなると、それより上の階はもういつ崩れ落ちてもおかしくない。わたしはとにかく下に降りようと震える足で手すりにもたれかかりながら階段を降りて行き、なんとか17階にまでたどり着く。


「あれー、おねーちゃんこの階にいなかったのかな?」

20階を全て人差し指で確認し終わったのだろう。海花の呑気そうな声が聞こえてきた。わたしは恐る恐る17階に降り立ってから、今の状況を確認するために外が見られる場所へと移動した。17階を歩くとすぐにオフィスのような場所へ出た。50人くらい働けるような広いオフィススペースがある。もちろん人はわたし以外には誰もいない。そこから外を確認しようと、恐る恐る窓に一歩ずつ近づいている時に、わたしの背丈よりも大きな巨大な瞳が窓の外からギョロリと覗いた。

「きゃあああああああ!!!」

海花がしっかりとわたしを見ている。


「あ、お姉ちゃんこんなところにいたんだ!」

わたしと海花の温度差は全く違う。わたしが恐ろしい怪物に出会った時のような悲鳴をあげたのに、海花は旅行先で少しの時間別行動をとっていた姉と合流したときのような、無邪気で、可愛らしい声をだした。ギョロリと瞳が覗いていた窓には今度は海花のぷっくりとした唇が現れた。

「がおー。海花怪獣だぞー。お姉ちゃんのこと食べちゃうぞー」

海花はゆっくりと舌で唇を舐めてから、わたしのことを簡単に飲み込んでしまえそうな巨大な口を開ける。


「や、やめて……、食べないで……」

わたしは情けなく妹に懇願していた。ビルの外から覗いているのは本来ならば小さくて可愛らしい海花であるはずなのに、口元だけが覗いているからとても怖い。もはや腰が抜けてまとに立てなかった。


「おねーちゃん、早く逃げないと海花の口の中に入れちゃうよー」

そう言いながら、海花は右手全体でガラスを突き破り、5本の指をフロアに入れる。もはや海花の大きな手は1フロアだけでは収まりきらなかった。上下の階も壊しながら、巨大な手がわたしの方に向かってくる。わたしは泣きながら頭を抱えて身を小さくしていた。


もちろん、そんなことで海花の手から逃れることはできない。海花がわたしをギュッと掴んで、手を握った。ソッと握ってくれてはいるけれど、強大な力から逃げる手段なんてない。

「あはっ、おねーちゃん、捕まえたー」

楽しそうに笑う海花の真っ暗な手の平の中で、わたしは泣いていた。


「じゃあ、捕まった罰ゲームで、おねーちゃんは今から海花に食べられちゃいまーす」

指の隙間から見えるのは、唾液が糸を引いている海花の巨大な口の中。わたしの身長とほとんど同じくらいの歯がズラリと並ぶ。


「いただきまーす」

ゆっくりと海花の手が開かれた。立ち上がった海花のさらに上空からわたしは真っ逆さまに落ちていく。空気が次第に生暖かくなり、次の瞬間にはわたしは海花の口内に着地する。海花は舌でわたしのことを味わうように舐めまわした。


「おねーちゃん、すっごく美味しいなぁ」

ベタベタした唾液を体に浴びせられる。海花の口内でどんどん体を打ち付けていく。いつ飲み込まれてしまうのだろうか。わたしは海花の栄養になってしまうのだろうか……。そんなことを考えているうちに、いつの間にか気を失ってしまっていたようだった。


「……ちゃん、おねーちゃん」

わたしは目を覚ますと、横になっていた。目の前では普通サイズの海花が心配そうにわたしのことを覗き込んでいた。

「ひっ……!」

わたしは反射的に怯えた声を出す。今の海花に恐怖を抱く必要なんてまったくないのに。


慌てて飛び起きて、正座をして目の前の海花を見ると、わたしよりも小さい姿であることがわかる。

「ごめんね、お姉ちゃん。海花、本当にお姉ちゃんと遊びたかっただけなの……」

海花が心の底からしょんぼりしたような声を出している。

「泣いちゃうくらい怖がってたなんて思わなくて」

海花が立ち上がりわたしのことを上から見下ろすと、やっぱり恐怖心が芽生えた。


「ごめんね……」

海花がわたしのことを胸元に抱き寄せて、ゆっくりと頭を撫でる。

「い、いいわよ……。悪気はなかったんでしょ……」

震えた声でなんとか返事をした。

「すっごく怖かったんだよね? 泣いちゃうくらい」

「そ、そんなわけないでしょ。演技よ、演技。楽しんでくれたんならよかったわ」

さすがに妹に怖がらせられて泣いてしまったなんていうのは恥ずかしいから、必死に虚勢を張った。


「本当に怖くなかったの?」

「当たり前でしょ?」

その答えを聞いて、海花がクスッと笑う。わたしを撫でている手を止めて、中腰になって顔を近づけた。

「な、なによ……」

なんだか不安になって、思わず問いかけた。すると次の瞬間、海花は口を大きく開けた。


「がおー」

小柄な海花がただ口を大きく開いて声を出しただけなのに、思わずその場でギュッと目を瞑ってしまった。先ほどの海花に食べられそうになったショックがフラッシュバックしてしまった。

「やっぱり怖かったんだね。でも、わたしのために強がってくれてたんだね。お姉ちゃんは優しいね」

海花が微笑む。


そして、また手のひらをわたしの上に乗せてゆっくりと頭を撫でた。

「お姉ちゃんは良い子だね。よしよし」

クスクスと笑いながら、わたしのことを甘やかせた。これではどっちが姉でどっちが妹なのかわからない。海花はすっかりわたしを可愛がることを楽しむようになってしまったようだった……。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 面白い作品なのです。 相対的に怪獣サイズになった妹さんの無邪気な恐ろしさがひしひしと感じられるのです。 またどこかでこの姉妹のサイズ差ありの戯れを見てみたいです。
[良い点] 面白かったです。 いつも小さくて可愛かった妹は迫力ある巨人になっちゃって恐ろしい一面を見ませてすごい。 意外と意地悪でやばい子だけど、結局ほのぼので姉のことを心配してくれてよかった。 …
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