事件編(2)
夜の6時になった。しかし、何も起きる気配はない。
「うーん……。どうやら、何にも起こらないみたいですね……」
「やっぱり、大黒寺さんのいうように、イタズラだったのかな?」
応接間から居間へと移動した二人は、顔を見合わせて呟く。
居間の構造はドアをあけた横に照明のスイッチがあり、正面に壁一面を覆う窓、片側の壁には暖炉があって、中央にはドアと窓に背を向ける形で大きなソファーが並んでいる。
どれも高級品だというのが、素人目にも分かった。
ソファーに座り、腹違いの兄妹たちと談笑しているソフィーを見て、川口君が言う。
「ソフィーさんも、母親が違うとはいえ、他の兄妹たちと仲良くやっているようですし。継母の愛純さんとも、これといって問題があるわけではなさそうだ。問題は……」
川口君の視線が、部屋の端と端で睨み合っている大黒寺の元妻……寿美香とエリスに向かう。
彼女たちは、子供たちが談笑している間も、始終睨み合っていた。
「あの二人、怪しいな、うん」
「いやいや、決めつけるのは良くないですよ。かつて同じ人を愛した者同士ということで複雑な感情はあるのかもしれませんが、それでも、彼女たちと『Mr.T』との関連性は、ないわけですし」
「うーん……でもなぁ……」
山田は頭を抱える。
そのとき、愛純や優愛達と談笑していた執事の阿部が、急に立ち上がるのが目の端に見えた。
彼は、女主人たちの方に背中を向け、ひとりドアの方に向かって行く。
「あれ? どこか行くんですか?」
「6時も回りましたし、そろそろお夕食の準備をと。よかったら、山田さんと川口君も食べて行ってくださいね。僕が腕振るっておいしい料理つくりますから!きっと、旦那様も奥様もお喜びになると思います」
既に、阿部の一人称は「私」から「僕」になっていた。これも、すっかり打ち解けた証拠だろう。
まあ、山田の性格上、彼らにもあまり堅苦しい口調は抜きで、とお願いしたのもあるのだが……。
「アベの料理、おいしいんだよ! ね、折角来てくれたんだし、食べてってもらおうよ、パパ」
「ああ。優愛も阿部もそう言ってるし、食べて行ったらどうだ?」
「それじゃあ…お言葉に甘えて…」
どの道、事件が起こると予告されたのは夜8時だから、だいぶ時間がある。
「あ、食べさせてもらうだけっていうのも何ですし、ご飯つくるの手伝いましょうか?」
「いいよ、いいよ。川口君たちはお客さんなんだし、そこまでしてもらっちゃ悪いよ」
そう言って彼はキッチンの方へ消えて行き、夕食までの間、居間は再び賑わいを見せた。
**
数十分後…。
晩餐を終え、山田達はソフィーや愛純、寿美香、優愛、エリスと共に、ふたたび居間に戻ってきていた。
他の面々は、食事が終わるとともに各々の部屋へと向かったので、今、ここにはいない。
寿美香と優愛が母娘水入らずの会話をしているようだったので、それを邪魔しないように、山田達は向かいのソファーに座り数分間を過ごした。
エリスはまた窓辺に座ってさっきからずっと外を眺めているし、問題はなさそうだ。
愛純に至っては、暖炉のそばのロッキングチェアに座り、もうすやすやと寝息を立てている。
隣では川口君とソフィーが英語で話していたので、その間、山田は暇で仕方がなかった。
「あまりきょろきょろ見るのも失礼ですよ。これでも読んでたらどうです?」
「えっ、コレ……?」
それは、川口君が事務所から持ってきた、推理小説の一つだった。
これでも読んで推理力を鍛えてください、とでも言うのだろう。
だが他にすることもなかったので、仕方なく、彼はその推理小説を読むことにした。
――カチ、カチ、カチ……。
静かな部屋に、時計の鳴る音だけが響く。
何も起こらないし、起こる気配もない。
もしかしたら、脅迫状というのは当主の言う通りイタズラで、ソフィーの思い過ごしだったのかもしれない。
「ねえソフィーさん。やっぱり、思い過ごしだったんじゃないですか?」
痺れを切らした山田は頭を上げて、ソフィーに聞く。それを見た川口君が、呆れたように言った。
「なんで、そこでソフィーさんに聞くんですか。彼女、幼少期をアメリカで過ごしたから、日本語は話せないんですよ」
「え? そうなの?」
どうやら、長いこと二人が英語で話していたのはそのためだったらしい。
そういえば、事務所に来たときも、彼女は英語で訊ねたときしか答えなかった気がする……。
また川口君が通訳し、ソフィーが何か言おうとしたそのときだった。
――カチリ。
時刻が午後8時を指した。
その瞬間、居間の照明がパッと消えて、辺りは真っ暗闇に包まれる。
「何や?停電か?」
1分もしなかったと思う。やがて明かりがつくと同時に、部屋の中に大黒寺の愉快な声が飛んだ。
「オラァ!! どうだ、びっくりしたろう?」
全員が振り向き、そこには付け鼻をつけた大黒寺が、いかにも愉快そうに高笑いしながら立っていた。
だが彼らの関心は、それよりも、もっと別のところにある。
暖炉の前。
はっとしたように口元を押さえ立ちすくんでいるエリスがいた。
そしてその視線の先には……腰掛けてうたたねしていたはずの愛純が、頭から血を流し、椅子ごと倒れていたのだ。
直ちに救急車がかけつけ、付き添う大黒寺とともに、愛純は病院へ運ばれていった。
二人が去った居間の部屋には、嫌な空気だけが漂う。
「Oh! la la!」
(あら、まあ!)
山田たちが来てから初めて発したエリスのその言葉が、ほんの僅か、その場を和ませた。
「なんやねん! なんでうちが来てるときに、なんでこんなことが起こるん?」
「ママ、落ち着いて……。何もママが来たから起こったわけじゃないよ」
「そんなん分かってるわ!! けど……けど……」
穏やかに寝ていたはずの愛純が、気づいたときには倒れていたのだ。
妻と元妻同士であるとはいえ、ショックだったのだろう。
「見たところ、傷は浅かったようですから、たぶん大事には至ってないでしょう。しかし……血を流しているというのに、凶器も見当たらない。これはおかしいですね」
「事件か!!」
「それにしても誰がこんなこと……」
山田の叫び声を無視して、川口君は考える。
ソファーに腰掛け、談笑していた寿美香と優愛。
向かいのソファーでくつろいでいた山田と川口君、そしてソフィー。
夕食後、居間に移ってもずっと外を眺めていたエリス。
その間、愛純はずっと、暖炉のそばに座り、うたたねをしていた。
「いやいや、ちょっと待ってよ。愛純さんが自分で、寝ている間に椅子から転げ落ちた可能性もあるんじゃないの?」
山田はそう言ったが、優愛がすぐに否定した。
「愛純ママはそんな寝相悪くないと思うけど……。
ほら、電気消える前だって、転げ落ちないのが不思議なくらい静かに眠ってたじゃない? それに椅子ごと倒れてたんだよ? 愛純ママだけ倒れてたならともかく、あんな大きい椅子ごとだよ。熟睡している人に、椅子ごと倒れるほどの力があるとは思えない」
「僕もそう思いますね。たまたま転げ落ちた程度で、頭に血が流れるほどの怪我をするとも思えませんし」
川口君もそう補足する。やはり彼は頭が切れる。
「う~ん……」
山田はぎこちなく腕を組んで、そう唸った。
この探偵、やっぱりポンコツかもしれない……。