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2話 悪意が私を嗤っている

「アイリス、ああよかった! 心配したんだぞ!」


 目を開けると、お父様が私を覗き込んでいるのが目に入りました。霞がかかったままの頭から、どうにか記憶を引っ張り上げようとして、倦怠感に気づく。


「……お、父様? ここは」


 声を出してみて、喉が枯れていると分かりました。

 水を求めて手を伸ばそうとして、体が鉛のように重いことに気づかされます。


「屋敷の一室だ。すごい熱を出して庭で倒れていたんだ」

「……私が、庭で?」


 頭のどこかで、警鐘が鳴り響いていました。

 その先を思い出してはいけない。

 根拠のない確証だけが脳裏を支配しています。


 そんな折、黒く淀む視界の片隅に、どこか見覚えのある書物が映りました。いえ、映りこんでしまいました。


 断罪と称して、処刑される彼女の未来を記した書物が。


「うぐぅっ!?」

「アイリス!? アイリス! しっかりしなさい!!」

「この、この書籍に、わ、私のこれからのことが」


 一節一節が、鮮明に脳裏に浮かび上がる。

 記された話が映像としてフラッシュバックする。

 まるで実体験した話を思い出すかのように。


「アイリス? アイリス!」


 手首をつかまれて、ハッと意識が引き上げられました。顔を上げれば、不安そうに少女を覗き込む父親の顔があります。


「しっかりするんだ。書籍なんてどこにもない」

「……え?」



 ……ここまで聞いて下されば、もう、おわかりでしょうか。

 ええ、そうです。

 少女――アイリス・ヴィ・イザナリアこそ私です。


 私の手元には、一冊の書物があります。

 中に書いてあるのは、私に関する全てです。

 言葉を話す時、婚約者と出会う日付、そして。


 ――断罪と称して執り行われる処刑という結末。


 私の生涯が記された【アカシックレコード】は、私以外の誰にも見えず、触ることさえできないようでした。


「……確かにここに、ありますのに」


 表紙の手触りも、ページをめくる音も、私にははっきり感じ取れます。


 ――いつものように庭で本を読んでいた。

 ――いつものようにお父様がやってきた。

 ――その頭上に、剥落(はくらく)した外壁が迫っていた。

 ――声を上げた時には手遅れだった。

 ――瓦礫はお父様の右肩を打ち抜いた。

 ――悪意が私を(わら)っている。

 ――私のせいだ。私のせいなんだ。


 ――私が日記を無視したせいなんだ。


 ぱたん。

 私は本を閉じました。


『おそらく一時的なパニック症状でしょう』


 お医者様はおっしゃいました。

 すぐに元通りの生活を送れると。


 今でもはっきりと思い出せます。

 ほっと胸を撫で下ろす両親の顔も、「よかった」と私の頭をなでてくれた手のぬくもりも。


 ですが、私は、不安になるのです。

 本当に幻覚、なのかな……と。


「アイリス。やっぱり気分がすぐれないのかい?」

「お父様……!」


 背後から声を掛けられて、私はしばらく、本棚の前に立って、本の背中に手を当てて、立ち止まっていたことに気づきました。

 慌てて振り返り、笑顔を貼り付けました。


「いえ、もうすっかり良くなりました!」

「そうかい? その割にはずいぶん長い間、悩んでいたようだけれど?」

「う、それは……その……」


 いったいいつから、お父様は見ていたのでしょう。

 なんだか無性に恥ずかしい思いです。


 ですが、いい機会かもしれません。


「お父様、大事なお話がございます」

「うん? なんだい?」


 口にして、思い止まりました。

 ……私は今、何を言おうとしたのでしょう。


 頭上にお気を付けください?

 屋敷の外壁が老朽化しています?


 根拠をどう説明するつもりでしたか。

 また、存在するかどうかも不確かな日記を引き合いに出すつもりですか。

 お父様に心労をかけてまで。


「……あの、一番上の棚の歴史書を読みたいのです。取っていただけませんか?」


 口をついて出たのは、そんな言葉でした。

 お父様の職務は精神的に疲弊しやすいものです。

 余計な心配を掛けたくはありません。


 すこし、沈黙が流れます。

 やはり苦しい言い訳だったでしょうか。


「構わないよ。でもアイリス、その前に一つだけ聞かせてくれるかい?」

「はい。なんでしょう」

「言いたかったのは、本当にそんなことかい?」


 ……お父様はお見通しでした。

 敵いませんね。

 ですが、私にも意地があります。

 話さないと決めた以上、打ち明けるつもりはございません。


「はい。不安をあおるような言い回しをしてしまい申し訳ございませんでした」

「……そうか」


 短く返したお父様。

 すぐに振り返ってしまわれたので、顔色は分かりませんでした。お父様はいったい、どのような表情をしていたのでしょうか。

 今となっては、知るすべはありません。

 自由の利く右手で歴史書を下ろしてくださったお父様に私が返すべき言葉は「ありがとうございます」に限定されたからです。

 聞く機会を失ったのは、明白でした。


 しばらく立ち往生する私に、お父様は優しく微笑みかけました。


「今日はお庭に向かわないのかい?」


 私は言い淀みました。

 私に与えられた選択肢は二つに一つ。

 庭に向かわず抱えた不安をお父様にさらすか、日記の予言通りのシチュエーションを再現するか。

 どちらも選びたくはありません。


「いいよ、今日は。外に持ち出しても」


 お父様は、私の元気な姿が見たいようでした。

 ですがそうすると、今度は日記通りの状況に。

 私はいったい、どうすれば……。


 いえ、この日記に書かれたことが現実に起こる確証なんてどこにもありませんね。


「はい。ありがとうございます。お父様」


 いつも通りの、私を心がけましょう。

 お父様が私に望むのであれば。


 大丈夫、お医者様も言っていたではありませんか。

 一時的なパニック症状にすぎないと。


 書斎の出入り口に向かいました。

 大きな扉に手を掛けました。

 背後からお父様が「ああ、それからアイリス」と私を呼び止めましたので、立ち止まります。

 振り返った先にいたのは、いつにも増して真剣な顔をしたお父様。


「私はいつだってアイリスの味方だ。不安になったらいつでも頼りなさい」


 ……ああ、本当に。

 お父様には敵わないなぁ。




 少し、歴史書に没頭していました。

 庭の木々の香りが、風の匂いが、肺を満たしていきます。もうそろそろ日も傾き始めるころでしょうか。


「おーい、アイリス。そろそろ日も暮れるよ」

「お父様!」


 声がして、ハッと顔を上げました。

 ゆったりと手を振りながら、お父様がこちらに足を向けています。


 その顔は斜陽で真っ赤に染まっていました。


 赤、赤、赤。


 昔読んだ本に、人は赤色を見ると、アドレナリンを作り出し、交感神経を活性化させるとありました。

 その理由は、赤が血の色だからだとか。


 赤、血の色。


「お父様ッ!!」


 声を張り上げました。

 それから頭上を仰ぎ見ました。


 飛来するは、剥落した、外壁。


 あり得ません。

 そんなはずがないのです。

 だって、だってこれは。


「嘘、嘘よ……こんなの」


 血飛沫の色。

 むせかえるような鉄の匂い。

 鈍い悲鳴が耳を穿つ。


 ――悪意が私を嗤っている。


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