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1話 もう一度、やり直したい

 ――嵌められた。

 ――そう悟るのに、時間は必要ありませんでした。


『アイリス様が、私を階段から突き落として……っ』


 呼気が焦げ付く。モノクロの雑音が耳朶を打つ。

 周りを見れば、非難の視線が私に向けられている。

 息が詰まる。胸が苦しい。


『罪を認めれば許してやる。ほかならぬ彼女がそう願ったからだ。君は彼女の優しさを無下にする気か!』


 積み上げた生涯が崩れる音がする。

 学んできた倫理観が覆る。

 築き上げた世界観が上塗りされていく。

 視界が霞む。足元がおぼつかない。


『泣いているのか? アイリス・ヴィ・イザナリア。苦しいか? だが君の行いで彼女が負った痛みはこんなものではないと知れ!』


 どうして。

 その四文字が、絶えず頭の中で回っている。

 答えは出ない。堂々巡り。


 そんな中、思ったことは、ただ一つ。


 もし。

 もしも自分の未来を予知できたなら。

 己の愚かさを知っていたのなら。


 考えたって、もう、仕方のないことだけれど。


 それでも、もし。


 一つだけ願いが叶うのならば。


「これより、アイリス・ヴィ・イザナリアの公開処刑を行う!!」


 ――もう一度、やり直したい。


 なんて、ことを考えながら。

 私は、血飛沫と歓声に見送られた。



 ねえ、こんな「もしも」を考えたことはある?

 もし自分の未来を予知することができたら。

 これから起こる出来事を事前に察知できたなら。


 あなたがそんな「もしも」を妄想したことがあるのなら、私は全力で「やめておいた方がいい」と止めるでしょうね。


 何故って……。


 知ってしまえば、後には戻れませんよ?

 それでも、よければ。


 少し、昔話をしましょうか。

 望んでもいない予言を押し付けられ、望んだ自由を奪われた、一人の少女の物語を。



「アイリス、またここにいたんだね。あはは、こらこら。書斎の本を持ち出しちゃいけないって言ってるだろう?」

「はーい。ごめんなさい」


 少女の名前はアイリス・ヴィ・イザナリア。

 公爵邸の庭にある樹木の木陰が彼女の特等席。

 たびたび書斎から書物を持ち出しては、日が暮れるまで読みふける。そんな少女でした。


「もうしませんは?」

「またやります」


 彼女のお父様は、執務でお忙しい方でした。

 ですが、一日の仕事が終わる頃に庭にやってくると、決まって、本を持ち出した少女のことを叱るのでした。そのことが、少女にとっては、とても。


「よしよし。素直でいい子だぞ」

「わっ、あはは! パパ、くすぐったいよー」


 とても、幸せなことでした。


 少女にとって、親からの愛情を確認する手段だったのかもしれません。「書斎から本を持ち出しちゃダメだ」と注意されるのが、自分に関心が向いているようで、気を引きたかったのだと思います。


「さ、アイリス。もう日も暮れる。一緒に屋敷に入ろうか?」

「はい!」


 それが彼女の毎日。

 在り来たりで平凡で、平穏な、日常――でした。




 ……日常がひび割れたのは、少女の齢が12の時。

 ある晴れた日のことでした。


 少女の悪癖は治らぬまま。

 その日もまた、どのご本をもって庭に出ようか、なんて考えながら書斎を探索していたのです。

 すると、一冊の奇妙な本を見つけました。


 その本の名は、【アカシックレコード】。


 少女が公爵邸の書斎に潜り込むようになって、もう、ずいぶん長くなります。

 しかし、少女には見覚えがありませんでした。


 ……偶然見つけた目新しい本。

 少女が持ち出す本をその一冊に決めたのは、当然のことだったと、思います。


 まるで、あらかじめ運命が決定づけられていたかのように。


 庭には、春を告げる柔らかな風が吹いていました。

 風に揺れる木々に見守られながら、少女は持ち出した書物と、それから自身の目を見開きました。


 その書物には、少女のことが記されていました。


 この世に生まれてきた日付。

 生まれて初めて発した言葉。

 知恵熱にうなされながらも手放さなかった絵本。


 どれも聞き覚えのあるエピソード。

 ですが、文字として記録されていたのは、少女にとってまるで予想外だったのです。

 アイリスという一人の少女に関心を向ける人がいるなんて、思いもしなかったのですから。


 公爵家という立場に生まれたことを、この時の少女は、悲しく思っていました。公爵令嬢という立場は、少女にとって、窮屈以外の何でもなかったのです。


 夜会で恥をかかないため。

 立派な貴婦人になるため。


 大人たちが「あなたの将来(・・)のため」と何かを教えてくれる度、「でしたら、()の私は何のためにあるのですか」と、声をあげたくなりました。


 必要なのは公爵家の令嬢で、アイリスという一人の少女は必要とされていないのではと考えたのも、一度や二度ではありません。


 ですから、少女は嬉しかったのです。

 自分をきちんと見てくれている人がいる事実が。


 そこまで読んで、少女の手は止まりました。

 人の日記を盗み見るのはよろしくないことです。

 果たしてこのまま読み進めて良いのでしょうか。


(私の成長日記なんだし、読み進めても、いいよね)


 そうして少女は、しばし時間を忘れて読み進めました。


「……え? この日記、今より未来のことまで書かれていますの……?」


 読み進めて、しまったのです。

 人が本来、知りうべからざる、これからのことを。


 ――瓦礫はお父様の右肩を打ち抜いた。


 ――第一王子殿下からダンスのお誘いを受けました。


 ――第一王子殿下との婚約が決まりました。


 ――私からすべてを奪っていく、あの男爵令嬢が。


 ――彼女の胸元には、殿下が助けたという、幸せそうな子犬の笑顔。


 ――信じたのに。

 ――一緒に未来を生きようって、言ってくれたのに。


 ぼすっ、と。

 その書籍は少女の手から零れ落ち、膝の上で止まりました。すぐに乾いた風が庭に吹き込んで、書籍はあるページで止まりました。


 そのページに記されていた文字は、今でもはっきりと思い出せます。


 ――8月15日。

 ――断罪と称して、処刑される。

 ――行年 16歳。



 ねえ、こんな「もしも」を考えたことはある?

 もし自分の未来を予知することができたら。

 これから起こる出来事を事前に察知できたなら。


 あなたがそんな「もしも」を妄想したことがあるのなら、私は全力で「やめておいた方がいい」と止めるでしょうね。


 何故って……。


 未来は、人が知るには重すぎる話なのですから。


 それでも、よければ。


 少し、昔話をしましょうか。


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