SLSD(孤発性恋愛物質欠乏症) #1
――――転校生が来るらしい。
そういった噂は、数日前から耳に入っていた。
とはいえ、クラスでそれが話題になったのも数分間だけの話。
興味はあるけれど、実際に来てみないとどんな人間かなんてわかるわけもなく。
来るらしい、という噂だけでは会話の広がりようも無かったのだ。
そして今朝。
今日から転校生がクラスに加わると、担任の吉岡から発表があった。
あまりにも唐突なその宣言に、火を点けたように騒々しくなる教室。
その鎮火を待たず――鎮めようとすらもせずに、あろうことか吉岡は転校生を教室に招き入れた。
転校生も災難だ。
こんなに騒がしくては挨拶どころの話ではないだろう。
そんな風な同情を、俺は勝手に転校生へ抱いていた。
その少女が、教室へ一歩足を踏み入れるその瞬間までは。
「秋里遥です。うーんと……結構北の方から転校してきました。よろしくお願いします」
言い終えて、少女が頭をぺこりと下げる。
一拍遅れて、長い黒髪が細い背にしなだれかかるように落ちた。
清純という言葉を声にしたら、きっとこんな響きなのだろうと思った。
シン、という表現すら不要なほど。
まるで時間が止まったかのように、教室から音が消し飛んでいた。
それもその筈。
転校生の挨拶は、なんてことはない一般的なものだった……が。
その見た目は決して……決して一般的ではなかった。
「……可愛くね?」
「ガチ美少女来たやん……」
「マジでか……」
「えめっちゃ可愛い。何あの子」
「いやちょっとあれはヤバい」
「うわ私すっごい見ちゃってんだけど。目離せない」
そのざわめきは幾通りにも及び、全てを聞き分けるのは到底無理な話ではあったが、言い方は数あれど要するにどいつもこいつも意味のある言葉は一つしか話していない。
『マジで可愛い』
つまりはそういうことで。
転校生は、クラス全員それぞれの人生単位で出会った人物を全てひっくるめて考えても、類稀なる美少女だった、のだろう。
かくいう俺も言うに及ばず。
「……………………」
言葉にはしないものの、その心は十分すぎる程に波立っていた。
全人類が可愛いと思うよう神が人の顔を造形したら、という命題があったとして。
秋里遥はその顔立ち一つで完璧な回答を示している、と言ってしまっていいほど。
彼女のくりっとした両目と細い鼻筋、ちいさな唇は、可愛いという概念を完全に体現していた。
ともすれば過剰すぎるように聞こえるこの表現が、なんら過剰でないくらい。
それは、誰もが描く理想的な『可愛い女の子』だった。
「おい、おい江崎湊……おい、おい…………おいぃぃ」
何故かフルネームで俺を呼びながら、右隣で友人の柴田がグズグズ泣いている。
「あれを見ろ……いや、見てるよな……。でもあれを見ろぉ…………グスッ」
あまりの可愛さに感動しすぎてキモくなっていた。
どうしようもないなこいつ。
ともあれ、問いかけられたならば答えなくてはなるまい。
当然そう思い、俺は口を開く。
「見てるよ柴田……見てるぞ…………オォォッ」
ぼやける視界。ぼやける転校生。頬を伝う涙。
俺も泣いていた。
どうしようもないな俺。
「いや柴田も江崎もそれは流石にキモいって……まぁ確かに、めっっっちゃ可愛いけど」
前の席からこちらを振り向いたクラスのギャル代表、花咲由香が若干引いている。
そして相変わらず、タイミングなどなんら見計らわずに、吉岡が口を開く。
「そういうことだから、みんな仲良くしてやるように。席は江崎の横だ」
「「「……は?」」」
*
結論から言おう。秋里遥は、普通に良い奴だった。
「えーマジでー! ハルちん北海道ガールなんだーやばー!! 結構北の方から来ましたってかマックス北の方じゃーん!」
「う、うん。ヤバいかな? 北海道ガール。マックス北の方だったし……広告に偽りありだったかも……」
「いんやー? ヤバくないヤバくない。冗談だから。アタシの言うことほぼ確で冗談だから。あんま気にしない感じでねー」
「そ、そうなんだ。わかった。おっけー。うん」
「え、てかさぁ――……」
昼休み。
俺は柴田と男二人でコンビニ弁当をつつきながら、必死で後ろの女子二人の会話に聞き耳を立てていた。
俺と花咲が背を向けあっていて、その向かいに柴田と秋里がお互いいる。
二対二の横線になっている形。
目の前には呆れた顔の柴田。
呑気におかずの唐揚げをつついている。
その姿は俺の網膜に映し出されてはいるが、当然そんなものに注意を払ってはいない。
全神経を聴覚に集中し、なんなら食事にすら俺は手を付けていなかった。
「……いやお前めっちゃ盗み聴いてんじゃん。聞くじゃなくて聴くじゃんもはや。ほんで俺の話ぜんっぜん聞いてねぇじゃん」
「――――シッ……!」
「いやシッじゃねんだよな。曲がりなりにも一緒に飯食ってんだけどな」
「うっせぇ柴田。会話が聞こえねぇから静かにしてろ」
「うーわ遂にはしっかり理不尽要求来ちゃったよ。もう隠す気ゼロかよ。やべえなこいつ。江崎湊やべえ」
「ったく……なんだよこのヤロウ。だって聞きたいだろ、二人の会話」
「や、まぁわからんでもねぇけどよ……だったらふつーに話しかけたらいいんじゃねぇの? なんならメシ一緒に食おって誘えばよくね」
「でーきーるーかそんなこと! 転校初日からそんなムーブかましたら完全に『転校生の美少女に食いつくモブA』じゃねぇか!」
「なんだよその感覚めんどくせえな」
「るっせ、色々あんだよ」
「ほーん……」
そして柴田は、しばらくもそもそと弁当を食った後。
「おーい花咲ー、江崎がお前らと飯食いてーってよーー」
俺の頭上越しに、とんでもない爆弾を投げた。
「バッ、おい柴田このっ!」
花咲よどうか無視してくれ――そんな俺の願いも虚しく。
「んー? あぁ聞こえてたよアンタらのバカ話。んへへ、どするーハルちゃん」
そう言って、首だけでこちらを振り向きながら、花咲は答えた。
「えっ……うん。私は全然いいよ?」
「だってー。よかったな江崎。うりうり」
少し椅子を後ろに倒した花咲が、俺の背中を肘でこつこつ突付く。
わざわざ振り返って見なくてもわかるくらいのニヤニヤ声だった。
身体全て向けるのも癪なので、俺も首だけを後ろに向けて答える。
「んだよ花咲。この、てめ、つつくな」
「はーー? なにアンタこの状況でアタシに意見できんの、ん? ゴハン食べたいんじゃないのー? 一緒に」
「たっ…………いや、べっつにぃ?」
少し間が空いたあと。
「…………ふーん、そ。だってさーハルちん。なんか江崎ハルちんのこと嫌いっぽい。うざいねー」
花咲は随分とそっけなくそう言って、もう俺たちになど興味がないかのように、くるりとまた秋里の方へ向いた。
「んんんんんなこと言ってねぇだろ! おいコラ花咲!!」
否定しなければと思うあまり、思わず身体ごと後ろを振り返ると。
化粧に彩られた顔をニヤリとさせながら、花咲由香は笑っていた。
「…………っ。このやろぉ」
嵌められた。
当たり前だが、そう思った時には、もう既に対象は罠にかかった後。
そしてこの場合の対象とは、すなわち俺だった。
「だーーーーってさ! よかったねハルちん! 江崎ハルちんのこと嫌いじゃないっぽい!」
当たり前である。
出会って間もない転校生、それもとんでもない美少女。
――好きになることこそあれ、嫌いになる理由など毛頭ない。
「……うん。よかった。へへ」
そう言って小さく笑う秋里。
「ぐっ……」
ダメージを受ける俺。
ちくしょう。
見れば見るほど可愛いな。
美少女とは、過ぎた美貌とは罪である。
俺はそう思わずにはいられなかった。