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お米を炊くにはコツがいる。
まず米を研ぐ際だが、最初の水は入れたらすぐに捨てる。米の汚れが溶けた水を、米が吸収してしまうからだ。
最初の水を捨ててから、本格的に研いでいく。今回は3合炊くので、4回も研げば充分だ。
研いだ米を土鍋に移し、水を入れる。水の量は、米のおよそ1.2倍。ここで入れる水は冷たいほうが美味しく炊けるので、リリィに魔法で冷たい水を出してもらった。
土鍋を火にかけ、蓋をする。
沸騰したら火を弱め、5分。5分経ったら更に火を弱め、4分。4分経ったら一瞬だけ火を強め、あとは常温で放置する。余熱で蒸らすのだ。
土鍋を火にかけていた時間で下処理を終わらせていた川魚をフライパンに放り込む。リリィに醤油の美味しさを味わってもらいたいので、敢えて塩は振らない。
弱火にして蓋をした。
次に鍋に水を入れ、魚屋からタダで譲ってもらった昆布を入れる。それを火にかけ、沸騰する直前に昆布を取り出す。沸騰直前をキープしながら味噌を溶かす。最後に卵を二つ割り入れ、刻んだネギを入れて完成だ。
「リリィさん、できたよ。運ぶの手伝って」
「はぁい」
リリィと協力して、ラピスはテーブルに食事を並べた。
二人、向かい合って食卓に着く。
「東の島国では『いただきます』って言ってから食べるんだって」
「へェ、そうなの。じゃあ、いただきます」
「召し上がれ」
フォークで米を一掬い、口に運ぶリリィ。そして首を傾げる。
「あの、ラピスちゃん。言いづらいんだけど、あまり味がしないわ」
「あはは、初心者がやりがちなミスだね。お米は他のものと一緒に食べてこそ、真価を発揮するんだよ。お米が口の中にあるうちに、お味噌汁を飲んでみて。あ、器に口をつけて直接ね」
「? わかったわ」
そんなに変わるものでもないだろうと思いながらも、リリィはラピスの言うとおり、米を食べ、味噌汁を飲んだ。
「!!」
瞬間、衝撃が走った。
米単体のときにはわからなかった甘味が、味噌汁のおかげで引き立っている。
なによりもこの味噌汁。しょっぱいだけではなく、味に深みがある。そして物理的な温かさの他にも、飲むとホッとするような、不思議な気持ちにさせてくれるなにかがあった。
「美味しいでしょ? 魚も食べてみて。醤油をかけてね」
言われるがままに魚に醤油をかけて、ナイフで切り分け、食べる。これだけでも感動する程美味しかった。さっぱりとした塩味が、魚の脂を程よく活かしている。これでまだ完成していないのだから驚きだ。
緊張しながら米を頬張る。
──調和──
その一言が浮かんだ。
この時リリィは、完全にご飯食派に転向した。
「──美味しい。美味しいわァ。ありがとね、ラピスちゃんありがとね」
「あはは、大げさだよ。こんなの趣味の範囲だから、プロならもっと美味しいの作るよ」
「そうじゃないの。そうじゃないのよ。うぅ、ありがとう……」
「わたしこそ、美味しいってゆってくれてありがとう、だよ。わかったから冷めないうちに食べよ」
「ええ。……あら?」
ここでリリィは、ラピスが見慣れないカトラリーを使っているのに気がついた。パッと見は2本の棒。……よく見ても2本の棒だった。
その2本の棒を器用に使って、ラピスは米を持ち上げたり、魚の身をほぐしたり、果ては骨を取ったりまでしていた。
「ラピスちゃん、その見慣れないカトラリーはなに?」
「これ? これは『箸』だよ。東の島国では一般的なカトラリーなの。汁物以外はこれだけで食べられる万能カトラリーなんだよ」
「東の島国凄い! それに食べ方が綺麗に見えるわね」
「うん。リリィさんの分も買ってあるから、気が向いたら練習してみて」
「わかったわ。絶対にものにしてみせるから」
意気込むリリィに、ラピスは微笑む。
その後も談笑しながら、和やかに食事を終えた。
「ふゥ、美味しかったわ。えっと、ごちそうさま、だったかしら」
「うん。お粗末さま」
食後の挨拶をして、使った食器をキッチンへ。「ここまでが作った人の責任だから」と譲らないラピスに食器洗いを任せ、リリィは箸の練習をしていた。
が、どうにも上手くいかない。なぜあんなに器用に動かせるのだろうか?
試行錯誤していると、食器洗いを終わらせたラピスに手を掴まれた。
「っ!!」
「こうやって、ペンを持つようにするんだよ。で、ここの隙間にもう一本を挿す。こっちの箸は動かさないで、こっちだけ動かすの。ね? 簡単でしょ?」
「そ、そうね。できそうな気がするわ」
手が触れ合った瞬間、リリィの心臓が跳ねた。
街では手を繋いだり腕を組んだりもした。絨毯の上ではこれ以上ないくらいの密着度で抱き合った。多少の照れはあったが、年上の女の余裕は崩さなかったはずだ。
だが今は、少し手が触れ合うだけで意識してしまっている。
最初はたまたま見つけて助けただけの存在だった。可愛いとも思っていたがそれだけだった。
魔法を見ても、頑なに否定しようとしたりしない素直な娘だった。
メイド服を着たがる変わった娘だとわかった。
家事が得意で、ダメなところはダメとはっきり言う娘だと知った。
怖がりで、高い所や男性が苦手だと教えられた。
女の子が好きだと告白しても、引かないでくれた。
美味しい料理を作ってくれて、笑顔を向けてくれた。
今までにもその兆候はあった。
しかし、昔刻まれたトラウマから、気づかないように気づかないようにと、リリィは心に蓋をしていたのだ。
それでも、心に嘘はつけない。
ラピスの会心の笑顔、そしてだめ押しの美味しい料理によって、彼女の心の防御壁はあっけなく崩れた。
彼女はこの感情の名前を知っていた。
「(……ヤバい。……好きになっちゃったかも)」
──恋。
リリィ・A・オブシディアン。実に6300年振りの恋だった。