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ラピスがぱんつを晒した日と同じ日。朝。
アイリスとホルンの小屋にて。
メイド業が身に染み着いているホルンの朝は早い。
彼女がもぞもぞと起きると、目の前で愛しい人があどけない寝顔を晒していた。
朝はこうして、アイリスの無防備な寝顔を見るのがホルンの日課なのだ。
たっぷり5分間眺めて、ようやく彼女は行動を開始する。
洗面所に行って顔を洗う。次にラピスから貰ったヘアブラシで髪を梳かす。
「──…ふへへ♪」
だらしない声が洩れた。
油断するとついこうなってしまう。
このヘアブラシはホルンの宝物なのだ。というか、ラピスから貰ったものは全て宝物に分類される。
メイド服、ティーセット、ヘアブラシ。そして極め付きは『名前』。
ホルンはラピスが大好きだった。
もちろんアイリスのことも好きだが、ラピスのことも好き。彼女の中ではしっかりと線引きができているのだが、余人には理解してもらえず、しばしばアイリスを困らせてしまっている。
申し訳なく思う気持ちもあるが、ことがラピスにまつわることなので、ホルンとしてはどうにか理解してもらいたかった。
「──おっと」
ラピスのことを考えていたら、表情がゆるみきっていた。こんな顔はアイリスに見せられない。
気を引き締めて、洗面所を後にする。
丈の短いメイド服に着替えて、洗濯機を動かす。この洗濯機、リリィがアイリスに作り方を教えて、アイリス自身が作り上げたものである。
洗濯機が動いている間に紅茶を淹れる。ラピスから貰ったティーセットでだ。
アイリスはまだ起きないので一人分だ。
紅茶を持ってテーブルまで移動する。リリィが適温化の魔法陣を刻んでくれたお陰で、この季節でも温かい紅茶が飲める。紅茶好きのホルンは、リリィに感謝していた。
そこで枕元に、手紙が3通来ていることに気がついた。
あ、と声をあげて、アイリスを起こさないように駆け寄る。
宛名を確認すると、2通は自分宛のようだ。
テーブルに戻ったホルンはそそくさと開封して、まずはラピスの手紙から読み始めた。
「──…ふゥ」
2通とも読み終えて、ホルンは息を吐き出す。
その表情には、嬉しさと困惑が半分ずつ浮かんでいた。
「……なんスか、深海竜って。……波瀾万丈ッスね、ラピスさま」
まァ、こちらに来るのなら否やはない。動物は好きだ。
ラピスは手紙で謝っていたが、むしろ感謝したいくらいだ。
残った紅茶を一気に飲み干し、キッチンに持っていく。そろそろアイリスが起きる頃合いなので、次は朝ごはんの準備だ。
アイリスはお米党──というより、お米信者なので、朝は東の島国料理が中心になる。
ラピスたちの朝ごはんと似たようなメニューだ。
米が炊ける匂いに釣られて、アイリスがもぞもぞと起き出す。
眠い眼をごしごしこすって、ホルンを抱きしめる。
「…………おあよ」
「おはようッス」
アイリス、低血圧である。朝は別人のようになるのだ。
朝のアイリスさん、めちゃくちゃ可愛いッスね♪ と、ホルンは毎朝ご機嫌だ。
…………これ以上属性を追加してどうしようというのか……。
「顔洗ってくるといいッスよ」
「…………んゅ、そーする」
覚束ない足取りで洗面所に向かう彼女を見送って、ホルンは朝ごはんの仕上げに入る。
ご飯と味噌汁をよそって、焼き鮭と焼きのり、納豆と漬け物をお盆に乗せる。これはアイリスの分で、ホルンのほうは納豆が抜かれる。苦手なのだ。
テーブルに並べたところでアイリスが戻ってくる。既にしゃんとして、格好いいアイリスになっていた。
「おはよう、ホルン」
「おはようッス。でもさっきも言ったッスよ?」
「そおだったか?」
毎朝恒例のやり取りをして、彼女たちは席についた。
アイリスは毎朝わかっていて言う節があるが、ホルンはこんな何気ないやり取りを楽しんでいる。
ラピスとリリィに、少しでも近づけていれば幸いだった。
「毎朝ありがとうな」
「いえいえ、好きでやってることなんで」
いただきますと言って、食事を始める。
食事中は静かなものだ。喋るときは喋るが、基本は無言だ。だが気まずさとは無縁で、温かい時間が流れていた。
じきに食事が終わる。
「ああ、今日も美味かった。ありがとう」
「へへ。料理人冥利に尽きるッスね♪ こちらこそありがとうッス」
お礼を言い合う。料理してもらって当然、美味しいと言ってもらって当然、そんな風に考えていない証拠だ。
ラピスとセラに言われたことを、アイリスとホルンは忠実に守っているのだ。
食後のほうじ茶を淹れて、まったりと飲む。今日はアイリスの仕事も休みなので、1日中一緒だ。ホルンはついついニヤニヤしてしまう。
「? どおした? ホルン」
「あ、いえ。今日はずっと一緒にいれると思ったら嬉しくて♡」
一瞬きょとんとしたアイリス。だがすぐに持ち直して、ホルンの肩を抱き寄せた。
「──はは。自分もだよ。今日はずっと一緒だ」
「はい!」
満面の笑顔でホルンは頷いた。
そこで彼女は、アイリスにも手紙が来ていたことを思い出した。
「そういえばアイリスさん。手紙が来てたッスよ」
「手紙? リリィ先輩からか?」
「そおッス」
ホルンは棚の上に置いてあった手紙を手を伸ばして取って、アイリスに渡した。
アイリスはホルンを抱いたまま、器用に手紙を読む。ホルンはホルンで、恋人の匂いや体温を堪能していた。
手紙を読み終わったアイリスは眉間にしわを寄せて、片手で抱いていたホルンを両手で抱き直す。密着度があがってホルンは嬉しそうだ。
「なァホルン。君にも手紙が来てるのか?」
「来てるッスよ。ラピスさまとセラフィさまから」
「すまないが見せてくれ。殆どの内容はそちらに書いてあるらしい」
「わかりました」
ホルンはアイリスから離れて、マジックバッグを取りに行った。
マジックバッグから大きめの箱を2つと、鍵を2本取り出し、箱を開ける。すると水分を通さない素材の袋が入っていて、そこには、今までラピスとセラが送ってきた手紙が日付順に入っている。
それぞれの箱から日付が一番新しいものを取り出して、アイリスに渡した。
「どおぞッス」
「……ありがとう。…………少し、厳重すぎやしないか?」
「? ラピスさまとセラフィさまからの手紙ッスよ? 足りないくらいッス」
「…………そっか」
諦めたように呟いて、アイリスは手元の手紙に視線を落とす。
読み進めていって、ようやくリリィが書いていたことの概要がわかった。
「──…なるほどな。深海竜が来るのか」
「そおみたいッスね」
「軽いな、ホルン」
「まァびっくりはしてますけど、ラピスさまが人懐っこい子だとゆうならだいじょうぶッスよ」
「はァ……。たまに、ラピスさんが羨ましくなるよ。そこまでホルンに慕われていて……」
「あれ? アイリスさん、焼きもちッスか?」
「当たり前だろ。自分は、ホルンを愛してるんだぞ?」
「え、あ、う……」
顔全体を真っ赤に染めて、ホルンはおろおろと狼狽えた。
アイリスは唇を尖らせてぼやく。
「それなのにラピスさまラピスさまと……嫉妬くらいは許してくれ」
「……すんません。ウチもアイリスさんのことは大好きッスよ。でも、ラピスさまは別枠なんス」
「それはわかっている。理屈ではわかっているが…………感情のほうがな」
再度ため息を吐く。
そんな彼女は見たくない。アイリスには笑顔でいてほしい。
そう考えてホルンは、徐にキスをした。
1秒に足るか足らないかの短いキス。
それでも想いはたっぷり乗せた。
照れたようにはにかむホルンと、呆気に取られるアイリス。
「こんなことするの、アイリスさんだけッスよ」
「そ、そおか……。ラピスさんにはしないもんな」
「もちろんッス」
「……もしされたらどおする?」
「………。………。…………(にへら)」
「! おい! ホルン!」
「──え? あ、いや! 違うッス!」
「違わないだろう!? なんだ今のだらしない笑みは!? 浮気か!? 浮気なのか!?」
「だから違うッス~~ッ!!」
詰め寄るアイリスに、笑みを抑えられないホルン。
彼女たちの日常は、今日も平和だった。




