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セラが出ていった直後、今度はリリィが入ってきた。半日振りに会えたので、ラピスは嬉しくなった。
「なんかあったの? セラ、真っ赤だったけど」
「わかんないッス。ラピスさまの身体を拭くお手伝いをしてもらったら、すぐに出ていっちゃったッス」
「ふぅん……」
リリィはそれだけ言うと、見慣れない道具を部屋の隅に置いた。
「リリィさま。それなんスか?」
「よくぞ訊いてくれたわね」
リリィはちょっとドヤ顔で言う。ラピスは目の保養とばかりに彼女を見つめていた。
「これは空気を綺麗にしてくれる魔道具よ。埃とか、ウイルスとか、あとは花粉とかも除去するわ」
「ヘェ、凄いッスね! ラピスさまのためッスか?」
「もちろん。喉が痛いと呼吸も辛いからね。ちょっとでも楽になればと思って」
説明しながらラピスを見て微笑む。
ラピスは目が合って少し嬉しくなった。
「……ありがとう、リリィ」
礼を言ってはにかむ。そして少しの時間考えて、リリィを手招きした。
リリィはラピスに近づく。特に疑問を感じた様子はない。
ラピスは両手を広げる。意味を察したリリィは、優しく彼女を抱きしめた。
「あー、半日振りのラピス♡ 可愛いわァ♡」
「……はんにちぶりのリリィ。……えへへ♡」
二人は抱き合って、互いの身体を堪能する。こんなに長時間会わないのは初めてだったので、感慨もひとしおだった。
たっぷり体温を交換して、二人は離れる。風邪が伝染るといけないので、キスはお預けだ。ラピスがそう言うと、リリィは悲しそうな顔をした。
「──そおいえば」
ラピスの手をニギニギしながらリリィは言う。キスできない寂しさを、別の行為で発散させているのだろう。
「……ラピスが風邪ひいたの、多分あたしの所為よね」
急に暗くなるリリィ。だがニギニギはやめない。半ば無意識らしい。
「どおゆうことッスか?」
ホルンは訊く。いつもよりほんの少しだけ険が強い言い方だった。
リリィは包み隠さず説明する。責められることを覚悟して。
ずっと自分の部屋を掃除していなかったこと。その部屋の掃除をラピスにお願いしたこと。舞い上がったハウスダストをラピスが吸い込んだであろうこと。
全部を聞いたホルンは、眉間にしわを寄せて唸る。
そして、「……リリィさま」と口を開いた。
その声のトーンから、リリィは怒られると察した。怒る直前のラピスのトーンにそっくりだったのだ。
伊達にラピスに怒られ慣れていない。
彼女は学習するタイプなのだ。
…………まァ、学習はしても次に活きないタイプでもあるのだが。
リリィは沙汰を待つ。
「リリィさま。そこに座ってもらえるッスか?」
「………」
リリィはラピスの手を離して、おとなしく床に座った。
続いてホルンも床に座る。そして床に手をつき、深々と頭を下げた。俗に言う、土下座の形だった。
「ホ、ホルンちゃん!?」
「お願いしますリリィさま。定期的にお掃除をしろとは言いません。でもせめて、散らかる前にラピスさまを頼ってください。それだけで、こんな状況にはならなかったはずです」
「ホルンちゃん頭上げて! これ、怒られるより辛い!」
しかしホルンは頭を上げない。いつもの馴れ馴れしい敬語は成りを潜め、きちんとした敬語で話す。
「ラピスさまはウチの大事な人なんです。彼女のためを想うならどうか、どうかお願いします」
「わかった! わかったから! わかったから頭を上げてくださいお願いします!」
耐えきれなくなって、なぜかリリィも土下座を返した。
ラピスはそれを、なにやってんだろう? と見ていた。
しばらくして場は落ち着き、リリィもホルンもちゃんと椅子に座っていた。
「お見苦しいものを見せたッス」
「……いや、べつにいいけど」
答えてからラピスは、チラリとリリィを見遣る。彼女の顔は真っ赤に染まっていた。
この部屋に来ると、顔が真っ赤になる決まりでもあるのだろうか?
ちなみに同じようなことをしたホルンは平然としていた。恥ずかしさの基準が違うのか、メンタルが強いのか、ラピスには判断がつかなかった。
ホルンは徐にラピスの額に手を当てた。特に抵抗することなく、それを受け入れる。
「──…熱、下がってるッスね」
「……あ、やっぱり? ……リリィにだきついてから……ちょうしいいんだよね」
「お。愛の力ってやつッスか?」
ホルンが軽口を叩くと、ただでさえ赤かったリリィの顔が更に赤くなった。
「……あはは。……そおかもね」
「あー、でもやっぱ喉の調子は今一つッスね。無理して喋んなくてもいいッスよ?」
「……んーん。……だいじょうぶ。……リリィとおはなししたいし」
「ん、そおゆうことなら止めないッス」
飲み物を持ってくるッス、と言ってホルンは部屋を出る。
それからしばしの間を置いて、リリィがボソボソと口を開いた。
「…………ごめんね、ラピス」
「……いいよ。……きにしないで」
ラピスは本当に気にしていないように、軽く流す。そしてすぐさま話題を変えた。
「……そんなことよりさ、となりにきておはなししよ」
「……ええ」
リリィはラピスの隣に座った。
間髪入れず、ラピスはリリィの腕に抱きつく。
「……えへへェ。……リリィすき」
「あら? 今日は随分甘えん坊ね」
「……うん。……かぜひいてよわってるかのじょを、なぐさめてくれてもいいよ?」
「ふふ。しょうがないわね」
リリィはしょうがないと言いつつも、その実嬉々としてラピスを抱きしめた。背中をさすり、頬擦りをして、全身で愛情表現をする。
ラピスもまた、それを受け入れる。
リリィの胸に顔を埋め、彼女の匂いを堪能する。
ラピスの全身はリリィの匂いに包まれ、リリィの全身はラピスの匂いに包まれる。
お互いが、最も安心する匂いだった。
「ねェラピス。……キスしたい」
「……ごめん、それはダメ。……うつっちゃったらイヤだもん」
「あたしは伝染ってもいいわ。ラピスが看病してくれるんでしょ?」
「……うう」
「むしろ楽しみだわ。ね? だから……」
「…………ずるいなァ、もう♡」
ラピスは困ったように笑って、目を閉じる。
リリィはそれを見て、ゆっくりと唇を近づけていく。互いの吐息がかかる距離まで近づき、互いの鼓動が聞こえる距離まで近づき、やがて距離がゼロになる。
10秒経ち、リリィが離れようとするも、ラピスがぎゅっと彼女の頭を押さえてそれを止める。
離れたくない思いが溢れ出て、咄嗟に身体が動いたのだ。
リリィは驚くも、離れたくない思いは同じ。受け入れてキスを続ける。
もう自分と彼女の境界線もわからないくらいに体温が混ざり合う。
幸せだった。
自分と彼女以外、全てがなくなってしまったかのように、相手以外を感じない。
今の彼女たちの世界は、ラピスとリリィのみで構成されていた。
このまま時間が止まればいいとさえ思った。
──ようやく唇が離れる。唾液のアーチがつーっと伸びた。
「……リリィ。……だいすき」
「ラピス。……大好きよ」
彼女たちは触れ合うだけのキスをもう一度して、愛を確かめ合う。
彼女たちを見ている者は誰もいなかった。
「ふへへ。眼福ッス」
いや、違った。
一人だけ、飲み物を持ってきたホルンが、扉の外で盗み見ていた。




