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「……ごちそうさま」
「お粗末さまッス」
ラピスは味噌汁ご飯を完食した。あまり食欲はなかったが、ついつい次の一口が欲しくなる、そんな絶妙な味つけだったのだ。まったく、味噌という調味料は罪作りなものである。
ちなみに、ラピスは自力で食べていない。ホルンに食べさせてもらっていた。
恋人相手だと照れもあったかもしれないが、親友ならばまったくない。ラピスの乙女心は複雑なのだ。
「食べたら寝てください。なにはともあれ、寝るのが一番ッスよ」
「……は……みがかなきゃ」
「あとでリリィさまに魔法を頼んどくッス。虫歯は明らかに“異常”ッスからね」
「……ありがとう」
微笑んでラピスは瞼を閉じる。
彼女の手をホルンは握った。
「……やっぱり……ホルンのて……やわらかいね」
「そおッスか? 自分じゃわかんないッスね」
「……あんしんする……やわらかさ」
「へへ。ラピスさまが喜んでくれるなら、ずっと握ってるッスよ」
「……じゃあ……わたしがねるまで……おねがい」
「了解ッス」
5分と経たずに、ラピスは寝息を立て始めた。
その眠る姿は美しく、熱で汗ばむ様子は色っぽく、手を握る仕種は愛らしかった。
「………」
専属メイド時代に、ラピスの寝姿は何度も見た。朝起こすのはホルンの仕事だったし、子供の頃は一緒に寝たこともある。
だがホルンは、ラピスにしばし見蕩れた。
それだけ、今のラピスは魅力的に成長していたのだ。
「(……お姫さまみたいッス)」
美しさの代名詞として使った“お姫さま”だが、元とはいえラピスはまさしくその“お姫さま”だ。
無意識に思ったこととはいえ、これは痛快な皮肉だろう。
ホルンは手を離そうとしたが、しっかりと掴まれていてかなわない。仕方ないので、空いているほうの手でラピスの頭を撫でる。
ホルンは思う。
アイリスに逢わなかったら、自分は今もラピスの側にいたのだろうか、と。
きっとそうだったろうな、と彼女は思う。そして、自分の幸せを考えようとしないホルンに、ラピスとセラはやきもきしたことだろう。
そう考えると、アイリスに対する感謝の念が大きくなる。自分を連れ出してくれて、ラピスを安心させてくれてありがとう、と。
最初はすれ違いもあったけれど、今や立派な恋人だ。
ラピスに対する感謝も大きくなる。
今の自分があるのは全て彼女のおかげだ。それを言うと本人は否定するだろう。
だがそれでいい。
この気持ちは、自分だけが忘れなければいい。
ラピスに対する想いは恋ではない。
恋なんて感情はとっくに通り過ぎている。
あえて名前をつけるならば、敬愛。それがホルンの抱く感情。
自分は幸せ者だ。
好きな人がたくさんいて、その好きな人たちも自分を好きでいてくれる。
これ以上の幸せはない。
ホルンは温かい気持ちに包まれながらも、次第にやってくる眠気に瞼を下ろす。
不謹慎だが、ラピスが風邪をひいてくれてよかった。
己の気持ちを再確認できたから。
今夜はいい夢が視られそうだ。
アイリスの惚気話は続いていた。
かれこれ1時間になるが、彼女は立て板に水とばかりに喋り続けた。
リリィはずっと興味深そうに耳を傾けている。アイリスの珍しい姿と、いちいちいじらしいホルンのエピソードにキュンキュンしていた。
一方でセラ。
親友であるホルンの話が聞けて、彼女はご機嫌だった。だった、と過去形で言うのは、今は違うからだ。
最初こそ、アイリスの話を楽しげに聞いていたが、30分程でその表情が曇ってきた。
彼女はこう思っていたのだ。
──わたくしの知らないホルンさんを、アイリスさまは知っている──と。
なんのことはない、嫉妬である。
親友が、自分でない他の誰かと仲よくしていたら、誰だって気持ちいいものではないだろう。セラだって例外ではない。
だから彼女は、ちょっとした気の迷いから、ささやかな意地悪を言ってしまった。
「アイリスさまは本当にホルンさんが大好きなんですわね」
「ああ。将来の嫁だ」
「でもいいんですの? 今ホルンさん、姉さまと二人きりですわよ?」
「はは、自分はホルンを信頼しているからな。なんの問題もない」
小揺るぎもしないアイリスに、更にセラは続ける。
「そおですか。風邪をひいた姉さまの色っぽさは異常ですからね。姉さまの信者であるホルンさんが、ついついふらっと、なんてことを想像してしまいましたが……どうやら杞憂のようですわね」
「………」
アイリスは黙りこむ。さっきまでの自信満々な態度が嘘のようだ。
顎に手を当てて、冷や汗を垂らす。
本当にあり得ることかどうか、検討しているみたいだ。
リリィは普段と違うセラの様子に、目を白黒させている。どうもアイリスに焼きもちを焼いているらしいと気づいた。
義妹の意外な一面を見て、リリィは微笑む。可愛いとこあるじゃない、と。
あまり褒められた態度ではないが、彼女は口を挟まず、セラを見守ることを決めた。
「わたくしは少し様子を見てきますわ。やっぱり心配ですし」
「じ、自分も行こう」
「あら? あまり大人数で押しかけるのは迷惑なのでは?」
「…………意地悪を言わないでくれ」
結局、3人で向かうことになった。
階段を上って、寝室の扉をそーっと開ける。
穏やかな表情で眠るラピスと、彼女の手を取って、傍らに寄り添うように眠るホルンが、そこにはいた。
3人ともほっこり──とはさすがにいかなかった。
リリィとアイリスは僅かに顔を顰める。
自分の恋人が、自分ではない誰かと仲よさげに手を繋いで眠っているのだ。だが浮気ではないことは明らかだし、看病の一環だということもわかる。
だけどこう、なんだかもやっとするのだ。
リリィとアイリスは、自分でも処理できない漠然とした不満を抱えることしかできなかった。
だが一人、セラだけは違った。
彼女が願うのは姉の幸せ。そのためならば、誰と仲よくしても構わないというスタンスでいる。
その相手が親友であるならば言うことはない。むしろ好ましい展開と言えよう。
セラは妹として、親友として、彼女たちの仲のよさを喜ばしく思って、微笑みながら扉を閉めるのだった。




