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絨毯にも周囲を適温に保つ魔法陣が刻まれているので、移動中も暑くない。油断すると季節感をなくしてしまいそうだが、そこは一応服や食べ物で気をつけている。
アイリスの家は、アレキサンドライト王国と隣国の境にある。魔女の性なのか、やはり深い森の中だ。
だがリリィの家が川辺にあるのに対し、アイリスの小屋は湖畔にある。
お洒落度で負けているような気がして、リリィは少し悔しいと言っていた。
いつもの買い物の倍近い時間、3時間半かけて、ラピス一行はアイリスたちの小屋に到着した。
その道中はラピスにとって、高い所が怖い憂鬱な時間のようで、大好きな人たちに密着されて嬉しい時間のようで、とにかく心中複雑であった。
なお、リリィとセラの肌が心なしかツヤツヤしているのは、決して気のせいではない。理由は語るまでもないだろう。
ともあれ、アイリスの家に到着した。
この辺りの気温は夏らしく、普通に暑い。適温化の魔法陣はリリィのオリジナルなので、アイリスは使い方がわからないのだ。
じんわりと汗ばみながら、リリィがドアをノックする。中から「はいはァい、今開けるッスよォ」と懐かしい声が聞こえた。
ドアが開くと、中から可愛らしい少女が顔を出した。
150そこそこの身長と、その身に見合わない大きな胸。改造したミニスカートタイプのメイド服に身を包んでいる。
だがなによりも特徴的なのは、頭部に生えている猫耳と、腰あたりから生えている猫のしっぽだろう。
先祖返り。
彼女のように、普通の人間とは違う特徴をその身に宿す者の総称だ。
先祖返りの少女──ホルンは、来客がラピスたちだとわかると、パァッとひまわりのような笑顔を咲かせた。
「ラピスさま! セラフィさまとリリィさまも! ようこそッス!」
先頭にいるのはリリィであるにも拘わらず、彼女は真っ先にラピスに反応した。ラピスの信者は健在だった。
ラピスは苦笑するリリィと場所を代え、ホルンに挨拶をした。
「久しぶり、ホルン。元気そうだね♪」
「はい! 毎日幸せッス♪」
嘘偽りのない心からの笑顔を浮かべるホルンに、ラピスたちの心まで温かいもので満ちていく。幸せのお裾分けをしてもらった気分だ。
「あ、すんません。中へどうぞ。そんなに広くはないッスけど。それと、ここから土禁なんで靴は脱いでください」
いつまでも立ち話というわけにもいかないと、ホルンは中へと促した。
ラピスは「ありがとう」と言って、靴を脱いで中に入った。
「? ……ここで靴を脱ぐの?」
しかしリリィとセラは戸惑う。この国は、家の中でも基本的には外靴のままだ。
特に城育ちのセラはその意識が強く、靴を脱いで建物に入ることに抵抗があった。
…………同じく城育ちのラピスは普通に靴脱いでんじゃねェか、というツッコみはしてはいけない。
「東の島国の文化だよ。家では外靴を脱いで、裸足か、靴下に似た足袋ってやつか、最近ではこの辺で言うところのルームシューズで過ごすこともあるらしいね」
「そうッス。流石ラピスさまッスね。どうもアイリスさん、東の島国を大層気に入ったみたいで、そういう改造をしたらしいんスよ」
そういうことならば否やはない。
若干変な感じはするが、リリィとセラも靴を脱いで中に入った。
アイリスたちの小屋は、以前のリリィの小屋と同じくらいのサイズだった。
ホルンの言うように決して広くはないが、二人で暮らすには充分だ。
「わァ! 畳がある! いいなァ……」
4畳半程の畳スペースを見つけたラピスが、ホルンに座っていいか訊いてから直行した。座布団を敷いて、ペタンと女の子座りで座る。非常にご満悦だ。
それを見て自分もやりたくなったのか、リリィとセラも畳に座る。
床に座ることにはなれていなかったが、これは不思議と気分が落ち着いた。
「このにおいがいいんだよねェ……」
おかしな表現だが、“全力で脱力”しながらラピスは言う。ちゃぶ台に凭れかかって、今にも寝てしまいそうだった。
また姉の可愛い一面が見られたと、セラも幸せそうだ。さりげなくラピスににじり寄り、肩に寄りかかる。
リリィはそんな仲のいい姉妹を、微笑ましく眺めている。ホルンは冷たいお茶を人数分出していた。
姉妹のことは一旦放っておくことにして、リリィはホルンに問いかける。
「そういえばホルンちゃん。アイリスがいないようだけど。あ、あとこれお土産」
「ありがとうッス。アイリスさんならお仕事ッス。なんでも、崖が崩れて道が塞がれたから、瓦礫を撤去してほしいそうで」
お土産のケーキを冷蔵庫にしまいながら、ホルンは説明する。
「ヘェ。どこの国?」
「フロークスッス」
「あ、なら安心ね。あそこの王様はいい人だから」
リリィはホッと一息吐く。
魔女は各国の王族と面識があるが、フロークスは魔女界隈でも1、2を争う良国だ。
ちなみに最下位は隣国、スランク皇国だ。ラピスが嫁ぎそうになった国でもある。
番外として、アレキサンドライト王国があげられる。耳敏い魔女たちは、リリィに見放された国だと聞き及んでいるのだ。
実はリリィは、魔女界隈で上から2番目の地位に君臨して、皆の尊敬を集めている。そんな彼女に見放された国を好きになることなど、他の魔女にもできそうになかった。
「夕飯には間に合うように帰るって言ってたんで、あと3時間以内ッスかね」
「そうなの。待たせてもらっていい?」
「もちろんッス」
ホルンの了承を得て、待つことにする。
ふと視線をラピスたちに戻す。ちょっと目を離した隙にイチャイチャしていた。
「あ、ずるいわよ。あたしもまぜなさい」
リリィもスキンシップに突入する。
ホルンは1歩引いたところからそれを見守っていた。
「──ただいま」
およそ2時間後、アイリスが帰宅した。
全身を和装で包んだ褐色の美人。背中まで伸ばした薄紫色の髪を、簪を使って纏めている。
スラリとしたスタイルと、リリィ以上の長身を誇る、格好いいという表現がぴったりな女性だ。
ちなみに彼女、リリィの弟子兼友人且つホルンの恋人でもある。
…………どうでもいいがこのカップル、属性を詰め込みすぎである。
皆で口を揃えて、おかえりとアイリスを出迎える。
「おや? リリィ先輩。ラピスとセラフィも。来てたんですか」
意外そうな表情でアイリスは言う。
外はかなり暑かったのに、汗をかいている様子はない。魔法でどうにかしたのだろう。
「ええ。ちょっと渡したいものがあってね」
リリィは悪戯っぽく笑って、マジックバッグから手鏡を取り出して渡した。
「? これは?」
「門手鏡よ」
明らかに説明不足のリリィ。
代わりにラピスとセラが、実演を交えて解説してみせた。
「凄いッス! これさえあれば、ラピスさまと文通できるッスね!」
「これは貴重なものを……。ありがとうございます」
ホルンは飛び上がって喜び、アイリスは折り目正しく頭を下げる。このカップルも、ラピスとリリィと同じく、やはり対照的だった。
会えなかった時間を取り戻すように全員でおしゃべりに興じる。
そこで話題は、ホルンの新生活のことに及んだ。
「ホルンさん。本当に幸せそうですわね。なにか困ったこととかございませんの?」
セラのこの質問に一瞬、本当にほんの一瞬言いよどみ、ホルンは「ないッスよ」と返した。
しかし、その一瞬で彼女たちには充分だったらしい。
ラピスとセラは顔をしかめて、なにに困っているのかを聞き出す。
「なにか困ったことがあるんですのね?」
「なになに? なんでもゆって。できることなら力になるよ」
グイグイ来る姉妹にたじたじのホルン。
だが話さないとこの二人は退かないと知っているので、訥々と語ることにする。
「あの……別に困ってるわけじゃないんスけど……」
そんな導入で始まったホルンの独白はこうだ。
アイリスと一緒に住むことになって、毎日凄く楽しい。理想はラピスとリリィのカップルなので、ゆくゆくはあんな関係になれたらな、と漠然と考えていた。
だが同棲してからしばらくして、アイリスがホルンの身体を求めてきたのだ。
ホルンは、結婚するまで“そういうこと”をしないというラピスたちを尊敬していたので、自分もそうしたいと考えていた。
そのことを正直に告げると、アイリスは諦めたようで、その日は一緒に寝るだけですんだ。
だが更にしばらくして。再び彼女が身体を求めてきたのだ。
しかも、本気で嫌なら抵抗してくれ、という台詞つきで。
嫌なわけがない。できることなら自分だって身体を重ねてみたい。
そう思ってしまったホルンは、結局抵抗せず、アイリスを受け入れてしまったのだという。
今となってはそのことに後悔はないが、せめてもう少し、雰囲気作りとか甘い台詞とか、どうにかならなかったのかなァと、時折考えてしまうんだそうだ。
そこまでを、ホルンは真っ赤になりながらどうにか語った。
話を聞いていた面々も全員顔が赤い。
特にアイリスは話の中心人物ゆえ、首筋まで真っ赤だった。
「うぅ……。し、親友とその恋人だから話したんスからね! 恥ずかしいんスからね!」
「う、うん、わかってる。ありがとう」
「……あ、ありがとうですわ」
場の全員がうつむき、しばし無言の時間が続く。
ようやく顔の熱さも引いたころ、今度は別の理由で、ラピスとセラは顔を赤くしていた。
それすなわち、怒りだ。
キッ、とアイリスを睨みつける。彼女はビクッとして背筋を伸ばした。
リリィは口を挟まないほうが懸命と判断し、畳の隅っこに避難している。
ホルンは長い付き合いゆえ、二人の怒りの深さを瞬時に察して「あ、ダメッスね、これ」と、お茶を飲んで無関係を装った。
一方アイリスは、今にも決壊しそうな程涙目だ。
けれども彼女は自分に言い聞かせる。
自分に疚しいことはなにもない、と。
身体を重ねたときも、ホルンは嫌がっていなかった。嬉しいと言ってくれたし、気持ちいいとも言ってくれた。
それに彼女を大切に想う気持ちには、一点の曇りもない。
だからだいじょうぶだ。
──と、長身の女性がプルプル震えながら涙目で考えていた。絵面だけをいうならば、非常に滑稽だった。
「──アイリスさん。ちょっと正座しなさい」
有無を言わさぬラピスの言葉に、アイリスはその場で正座する。
「はァ? 畳じゃなくて床に決まっていますでしょう? 下りなさい」
威圧的なセラの台詞に、アイリスは逆らわず床に下りて正座する。
「なにか、申し開きはある?」
一応話を聞いてくれるみたいだと思ったアイリスは、自分なりに言葉を整理して、声に出した。
「……ホルンは決して嫌がっていなかった。そもそも自分には、彼女を傷つける意思は微塵もない。彼女を大切に想うからこそ──」
「「あ゛!?」」
「ご、ごめんなさいィ!」
アイリスは震えて縮み上がった。ついに涙は決壊した。
──なぜか、関係ないリリィまでもが震え上がっていた。




