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ホルンが出ていってから約一月。
8の月の1日。
ホルンがいなくなって悲しいし寂しかったが、いつまでもメソメソしてはいられない。そんなことではホルンに失礼だと、気持ちを切り替えた。
ホルンが抜けて家の掃除が大変になったが、なんとかなる範囲だった。
だがここで、ラピスにとって嬉しい誤算が生じる。セラが手伝いを申し出てくれたのだ。
セラの家事スキルはお世辞にも高いとは言えない。むしろ酷いと言っていいだろう。
けれども彼女は、大変そうな姉を見て決心した。家事の練習をしようと。
最初はやはり難航した。
料理をするのはハードルが高いとわかっていたので、まずは失敗しても被害が少なそうな掃除に着手したのだが、結果は散々だった。
箒で掃けば埃を舞い上げ、雑巾で拭けば搾りが足らずに水浸しになる。
典型的なミスを連発した。
だが彼女は諦めない。
姉の負担を減らすというただそれだけの目的のために邁進し、めげずに練習を続けた。
あり余るシスコン力の成せる業だった。
そして一月が経ち、セラは成長した。
なんと、時間をかければ洗濯だけはできるようになったのだ。
些細な成長と侮ること勿れ。
これだけでラピスの自由な時間は増え、負担は減ったのだ。
自由な時間が増えたということは、セラが構ってもらえる時間も増えたということである。
この結果にセラは満足し、洗濯は自分の仕事だと強く意識したのだった。
「──うん、完璧だよ。もう全部任せてもだいじょうぶだね」
「ありがとうございますわ!」
その日、庭先にて。
セラはラピスから合格をもらい、満足げな笑顔を浮かべた。
ちなみに二人とも、メイド服着用である。ラピスが、「家事をするときはこの服」と、メイド服を渡したのだ。お揃いの服を着て、姉も妹もご機嫌だった。
3人分の洗濯物とタオルしかないのに2時間もかかったが、セラは悲観していなかった。何年も続けて慣れていけば自然とスピードもあがるだろうと、プラスに考えることにしたのだ。
家事も終わったし、手がけている絵でも完成させようかと思ったセラだったが、既に太陽は高い。そろそろお昼ご飯の時間だった。
「お昼はなににしますの?」
セラが問うと、ラピスは唇に指を当てて考える。その仕種だけでセラは胸がキュンキュンし、自分の姉は世界一可愛いと再認識した。
「んー、暑いしねェ。そうめん、ざるそば、ざるうどん、冷製パスタ」
「どうしても麺類に片寄ってしまいますわね」
「だねェ。まァこの辺りは常に適温だから、気分の問題なんだけどね」
笑って家に入るラピスを、セラは追いかける。
適温に保つ魔法陣があるとはいっても、太陽光ばかりは防げない。夏の輝く太陽から逃れて、二人はなんとなく涼しくなった気がした。
結局お昼はなににしようかと話し合っていると、2階から「できたァあああ!」と叫ぶ声が聞こえた。
次いでドタドタと階段を降りる音が聞こえて、勢いのままにリリィはラピスに抱きつく。
「ラピスラピス! できたわよ!」
「やったね、凄いね。でもできればなにができたのか教えてほしいな」
「そうだったわね」
ラピスにあやされて落ち着いたリリィは、わりかしあっさりとラピスから離れた。
そして勿体ぶるように間を溜めて、じゃーん、と、2つの手鏡をテーブルに並べた。
「なに? これ」
「ふふ、これはね、転送装置よ」
「てんそーそーち」
とりあえず復唱してみたが、なんのことかさっぱりわからなかった。
「実演したほうが早いわね。ラピス、これ持ってて」
ラピスは片方だけ渡された手鏡を持って、離れていくリリィを見送る。
少し離れた場所まで移動したリリィは「いくわよォ」と言って、もう片方の手鏡になにかを押しつけた。
するとどうだろう。そのなにか──カード大に圧縮した空飛ぶ絨毯が、ズブズブと手鏡に飲み込まれていくではないか。
驚きラピスとセラは目を見張る。
だが驚きはこれだけに収まらない。
違和感を感じて手元に視線を落とすと、鏡面が波打ち、中からなにかが飛び出してきている。
それはまるでカード大に圧縮した空飛ぶ絨毯のようで──紛れもなくカード大に圧縮した空飛ぶ絨毯だった。
恐る恐る手に取り、抜き出してみる。
リリィの手元から絨毯が消え、ラピスの手元に移動した。
「どお? 凄いでしょ?」
ドヤ顔のリリィ。確かに凄い。これは一種の瞬間移動ではないか。
しかし──
「でもリリィ義姉さま。この凄い手鏡、どう活用すれば──」
「そっか!」
セラが活用方法に首をひねっていると、得心いったようにラピスが叫んだ。
セラは未だに察せず、首をひねり続ける。
「リリィありがとう! これでホルンと手紙のやり取りができる!」
「! そおゆうことでしたの!」
セラもようやく得心がいった。
この手鏡の片方をこの家に設置し、もう片方をアイリスの家──すなわちホルンが生活しているところに置けば、手紙のやり取りがし放題だ。
手鏡ゆえ、送れるサイズには限界があるが、手紙程度ならば問題ない。
これはまさに今のラピスとセラが、1番欲しいアイテムだった。
「ふふ、あとはこの転送装置でアイリスに手鏡を送れば──」
「リリィ天然なの? ホルンのところにも手鏡がないと、この手鏡も送れないじゃん」
ピシッと空気が凍る。
冷や汗をだらだらと流し、リリィは言う。
「ちょ、ちょっとひとっ飛び、アイリスの家に行ってくるわ」
「それだったらわたしたちも行くし。ホルンに会いたいし」
「………」
……最後はちょっと締まらないが、凄い発明には違いない。
この転送手鏡はのちに、ラピスによって門手鏡と名づけられた。
お昼ご飯を食べてから彼女たちは、アイリスの家に行くことにした。
お昼のメニューはざるうどんになった。あらかじめ形成して、食べ物を冷やして保管する箱──ラピスは冷蔵庫と呼んでいる──に容れておいたうどんをさっと茹でて、氷水でしめて完成の超お手軽料理だ。
それでいて美味しく食べやすいので、ついつい箸が進んでしまう、なかなか罪な食べ物でもあった。
私服に着替えて出かける。
リリィは黒いレースブラウスに黒いパンツ。以前、ラピスに黒が似合うと言われて、積極的に黒を使うコーディネートにしているのだ。
ラピスは白いブラウスに青いフレアスカート。彼女は彼女で、リリィからスカートを穿いてほしいと言われるので、あまりパンツは穿かない。
セラは薄緑のオフショルダーにデニムスカート。彼女は自分に似合うものをよく理解しており、その都度着るものを変えている。もちろん、姉の好みを反映させることも忘れない。
マジックバッグにお土産のケーキと、プレゼントのヘアブラシを容れて準備完了だ。
絨毯を広げ、大きめのクッションを置く。背凭れとして使う用だ。
リリィがクッションに寄りかかり、ラピスがリリィに寄りかかり、セラがラピスに寄りかかる。
最近はこのフォーメーションで乗ることが定着している。リリィとセラの、ラピスとくっつきたいという願望を叶え、ラピスのなるべく安定感が欲しいという望みも叶う、実に理にかなったフォーメーションだった。
…………見た目の間抜けさを追及してはいけない。
リンドブルムに留守番をお願いして、絨毯は飛び立つ。
──頑張れラピス。アイリスの家まで3時間半だ。




