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ラピスに拾われてから、ホルンの生活は劇的に変わった。
まずスリをしなくてもよくなった。
食事と服と温かい寝床が提供され、生きるだけならば不都合なくできるようになったからだ。
代わりに従者の技術を仕込まれることになった。メイド長曰く、ただ飯喰らいを置いておくメリットがないそうだ。ホルンもその通りだと思ったので、積極的にメイドとしての技術を学んでいく。才能があったのか、スポンジが水を吸うように、メキメキとスキルを身につけていった。
そして見た目にも大きな変化があった。
孤児時代は、手足は痩せ細り、髪はざんばら、肌は垢と埃でがさがさだった。だが栄養状態や睡眠時間などが改善され、誰もが振り向くような美少女へと変貌を遂げた。
メイドや執事はホルンが女の子であることに驚いたようだったが、ラピスには最初から気づかれていた。
1年が経つ頃。ホルンを拾った日を誕生日と称して、簡単なお祝いをしてくれた。
参加者はラピスと、その妹のセラフィナイトのみだったが、ホルンは初めての経験に涙を流して喜んだ。
今までの掃き溜めのような生活を捨てて、ホルンは新たな生を手に入れた。
この全てをくれたのはラピスだと思っている。
ホルンは自分が死ぬときは、ラピスのために死にたいと思っていた。
そんな生活が続いて3年。
ホルンは8歳、ラピスは10歳になった。
「このままじゃダメだと思う」
ある日、ホルンがラピスの髪を梳かしていると、唐突にラピスは言った。
ちなみにこのブラッシング、最初はセラと取り合いになったりもした。だが今は、交代制ということで落ち着いている。今日はたまたまホルンの番だったのだ。
ラピスが思いついたことをすぐ口に出すのはこの3年で慣れっこだが、意味がわかるかどうかは別の話だ。
なんのことかわからずに、ホルンは問い返す。
「なにがだよ? ラピスさま。相変わらず主語がねェなァ」
「それだよ、それ」
「あん?」
ホルンは首をかしげる。
「だから、言葉遣いだよ。いい加減直さなきゃ、まずいんじゃないかな?」
「……ああ、それか。やっぱり馴れ馴れしいか?」
「んーん。そこは全然関係ない」
自分でもまずいと思うところを挙げてみたが、そこは関係ないと首を振られる。
「そおじゃなくて、ホルンは可愛いんだからもっと大人しく喋ったほうがいいってこと。特に、一人称オレは致命的だね」
「あー、直そうと思ったことはあるんだけどよ、どうもお上品な喋り方はオレに合わねェみてェで」
ポリポリと頭を掻くホルン。その仕種さえも、全く女の子っぽくはなかった。
「じゃあお上品じゃない喋り方にしよう。まず一人称だけど、“わたし”に変えてみよう!」
「わたしィ? 無理無理。鳥肌が立つぜ」
「じゃあ他に、あたし、ぼく、わし、アチシ、ミー、オイ、おいどん、それがし、拙者、ウチ、ホルン、なんかがあるけど」
「多いな、一人称! てゆうか、ホルンは一人称じゃねェだろう」
「んなことないよ。試しにゆってごらん? 『ホルンねェ、ラピスのことだァい好き!』……って」
「ラピスさま、物真似めちゃくちゃ上手いな。……んん、ホルンね、ラピスさまのこと大好きだよ」
「…………もうちょっと照れて欲しかった」
「悪ィな。ラピスさまに抱く感情には嘘をつかねェって決めてるんだ」
言い切るホルンは無駄に男前だった。
「ともあれ、一人称ホルンはねェな。柄じゃねェ」
「んー、その男の子みたいな喋り方がダメなんだと思う。試しに敬語で喋ってみれば?」
「えっと、敬語とか使ったことねェ……ないからわからない……ッス」
「ぷっ! なにそれ! 敬語のつもりなの?」
「ひでェなラピスさま! これでも頑張ったんだぜ?」
「はい! ホルン敬語!」
「だからいきなり敬語とか言われてもわかんねェ……ッス」
「あはははははははは!」
「ラピスさまァ!」
更に1年後。
「うん。大分よくなったね。少なくとも、言葉遣いが乱暴って言われることはないよ」
「本当ッスか!? いやァ、苦労した甲斐があるッス」
「そのおかしな敬語のクセは抜けなかったけどね」
厨房で料理をしながらの会話だ。
時間帯は深夜。他のメイドたちはとっくに寝静まっていた。
ここでホルンはラピスに言葉遣いを、ラピスはホルンに料理を、それぞれ習っていた。
そして今日、1年の月日をかけて、ホルンの言葉遣いを矯正することに成功した。
「もう意識しなくても、“ウチ”って言いますし、敬語も完璧ッスね」
「いや、完璧じゃないし。……でもちょっと悲しいね」
「なにがッスか?」
「だって、敬語ってなんか距離を感じない? ホルンがまた友達枠から1歩抜け出しちゃったなァ、って思って」
「ラピスさまと友達とか……畏れ多いッス」
「ほらね。むゥ……」
拗ねてむくれるラピス。
彼女は気づかない。ホルンは、心の奥底では、ラピスのことを親友だと思っている。だが同時に、この想いを口に出すべきではないとも思っている。
もし姫がメイドと友達だなんて噂が流れたら、ただでさえ悪いラピスの立場は最悪なものになるだろう。
だから言わない。
少なくとも、ラピスが姫である限りは。
「──ほら、ラピスさま。続きをやるッスよ。今日は世界一優れた調理法、揚げ物のやり方ッス」
「うん。よろしくお願いします、ホルン師匠」
奇妙な師弟関係が構築されて、3年の歳月が流れた。
「ウチが専属メイド!?」
「うん。ホルンじゃなきゃイヤなの。受けてくれるよね?」
話を持ってきたラピスの表情は明るい。だが同時に、ほんの少しの翳りも垣間見える。
ホルンなら当然受けてくれる──もし受けてくれなかったらどうしよう。
相反する2つの気持ちが、ラピスの中で揺れていた。
ホルンはその気持ちが痛い程よくわかったので、1も2もなく頷く。
「もちろんッスよ! ウチがやらなきゃ誰がやる! って話ッス!」
「ありがとう、ホルン!」
こうしてホルンは、弱冠12歳にして、第一王女の専属メイドとなった。
彼女は幸せだった。
命の恩人──それを超えた人生の恩人のために働ける。
ラピスのために死にたいという願いは、いつしかラピスのために生きたいと、形を変えていた。
同僚が、幼すぎることを揶揄してきたり、先祖返りを皮肉って、亜人と陰口を叩かれたこともあった。
どんなことを言われても、自分のことならば気にもならなかった。
だが、ラピスのことを言われるのだけは我慢ならなかった。
いつだったか、ラピスのことを“役立たず姫”だとほざく同僚がいた。
昔のホルンだったら武器を持って暴力に訴えていただろうが、今は違う。そんなことをすればラピスの迷惑になることを、重々承知していた。
だからといってなにもしないわけではない。
その同僚はそこそこの地位にいたので、王家主催のパーティーに出される酒の管理を任されていた。
ホルンは昔取った杵柄で、同僚が管理している酒蔵に忍び込み、中の酒を全て水と入れ替えた。
翌日の王家のパーティーで、同僚が酒瓶を傾けても、出てくるのは水ばかりだと知ったときの表情は、笑いを堪えるのが大変だったくらいだ。
その同僚は王家に恥を掻かせたとして、降格と減給処分を受けていた。
更に時間は流れ、ホルンは16歳、ラピスは18歳になった。
「──ねェホルン」
「──なんスか?」
ホルンはラピスとお茶をしていた。
本来、メイドが主人と同じテーブルにつくなど御法度のはずだが、ラピスにどうしてもとねだられたのだ。
ラピスが焼いたクッキーを一口。また腕を上げたな、と思う。
「──ホルンはさ、ちゃんと自分のために生きてね」
「…………なんスか、突然」
ラピスのために生きたいと願うホルンには、到底聞けないお願いだった。
そのため、返事が少し遅れる。
「ホルンさァ、わたしのために生きたいとか考えてるでしょ?」
「! ……そ、そうッスよ! 悪いッスか?」
開き直って、ホルンは大きな声で己を鼓舞する。なにか不穏な話題になりそうだと直感が告げていた。
ホルンの問いには答えず、ラピスはなげやりに呟く。
「…………結婚するんだってさ、わたし」
脳がフリーズした。
ラピスさまが結婚? いやそんなわけない。だってラピスさまは自分を拾ってくれて、全てをくれて。ウチの恩人。なによりも大切な人。この人のためなら命も惜しくない。そんな人が結婚。いやそんなわけない。だってラピスさまは自分を拾ってくれて、全てをくれて。ウチの恩人。なによりも大切な人。この人のためなら命も──
意味のない思考がループする。
無情にもラピスの独白は続く。
「──…1年後に隣の国の王子と。政略結婚ってやつだね。わたしは向こうの国に行くから、ホルンはここで──」
「嫌ッス!」
ホルンは怒鳴った。
幼少期以来、初めてラピスに怒鳴った。
「嫌ッス! ウチもついていくッス!」
「……ありがとう。でもダメ。ホルンはここに残って」
「なんでッスか!」
「……向こうの国、先祖返りへの差別が根強く残ってるの」
そう、それがホルンを連れていけない理由。
先祖返りであるホルンが隣国へ行けば、心ない差別の洗礼を受けるだろう。
「関係ないッスよ! その程度、なんでもないッス!」
「……まず、耳としっぽを切り落とされるんだよ? そんなの、わたしが耐えられない」
「そんなの──」
「お願い」
ラピスは頭を深く下げた。
「お願いします。わたしのためを思うなら、ここに残って、自分のために生きてください」
「…………卑怯ッスよ。そんな言い方されたら、なにも言えないじゃないッスか」
「……ごめん」
「ほんと、卑怯ッス……」
ホルンを天井を仰いだ。溢れる涙を見られないように。
「──やっぱり我慢できないッス」
ラピスと別れ自分の部屋にて、ホルンは決意する。
恋愛結婚なら彼女は祝福した。しかし政略結婚。それも、あまりいい噂を聞かない国の王子と。
そんなこと、認められるはずがない!
ホルンは暗躍を始める。
策その1──結婚自体をなしにする。
ラピスの黒い噂を流せば可能かもしれないが、確信はないしなにより、ラピスの悪口を言うくらいなら死んだほうがマシだった。
策その2──王を翻意させる。
メイドの分際で王に謁見できるはずもない。それに、国の面子を第一に考えるあのいけ好かない王を、翻意させるだけのメリットを提示できなかった。
策その3──話を有耶無耶にする。
策その1に似ているが、結婚以上のインパクトを相手国に与える。金の鉱山とか漆雷獣の毛皮とか。……そんなものが手に入るわけがない。
策その4──最終手段、逃亡する。
これが1番現実的かもしれない。
ラピスをつれて逃げて、知らない国で暮らす。問題は逃げきれるかどうかだが、そのためには下準備が重要だ。
策その4でいくことに決めて、ホルンは準備を始めた。
人通りの有無、逃走経路の確認、支度金の確保、逃走用の馬のしつけ、やることは多岐に渡った。
信用できる仲間がいないので、全ての作業を一人でこなすことになる。
セラを仲間に引き込むことも考えたが、あのシスコンは王女の責務を放り出してホルンに協力してしまうだろう。それはラピスの望むところではないはず。葛藤の末、ホルンは一人で戦うことを決めた。
──1年後。
ホルンはラピスに、逃走の準備が整っていることを伝えた。
ラピスは唖然としていたが、涙を一筋流して、ありがとうと微笑んでくれた。全ての苦労が報われた気分だった。
だがホルンは、ここでラピスに睡眠薬を飲まされることになる。
意識を失う直前、彼女は思った。
「(ああ、ラピスさまはやっぱり、優しい人ッスね。……優しすぎるッスよ)」




