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瑠璃と百合と姫と魔女  作者: 山原くいな
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ラピスは目が覚めた。

両隣では綺麗な恋人と可愛い妹がまだ眠っている。

起こさないようにそれぞれに軽くハグをして、ベッドから下りた。


顔を洗ってリビングに行くと、ホルンが既に起きていて、紅茶の準備をしていた。


「おはようッス、ラピスさま。飲むッスか?」

「おはよう。貰うよ」


返事をしてソファーに腰かける。間を置かずにホルンが紅茶を持ってきた。


「ありがとう」

「いえいえ」


礼を言って紅茶を受け取る。ラピスはミルクと砂糖を、ホルンは砂糖だけを入れて飲む。

恋人(リリィ)といるときや、(セラ)といるときとは違う、柔らかい空気が満ちる。


この二人の付き合いは長い。

ラピスは19歳、ホルンは17歳だが、かれこれ12年の付き合いになる。


始まりは孤児であるホルンを、ラピスが拾ったことまで(さかのぼ)る。






ホルンは生まれて間もなく捨てられた。先祖返りがいかに差別されないようになっても、人の意識までは変えられない。

不幸なことにホルンの親も、意識を変えられないタイプの人間だった。


先祖返りというだけで捨てられ、ホルンは独りで生きてきた。命を落とさなかったのは、ただ運がよかっただけだろう。


ホルンが5歳になる頃──といっても、正確な誕生日がわからないので、推定5歳だが──とにかくその頃、ホルンはスリで生計を立てていた。

身形(みなり)のいい人間、すなわち貴族を専門に狙うスリだ。


貴族は従者をぞろぞろ引き連れて、馬車で買い物にくる。もっと上の貴族ともなると店の者を屋敷まで呼ぶらしいが、そちらはホルンのターゲットではなかった。


馬車で来るタイプの貴族。彼らが金銭の受け渡しをする一瞬を狙ってそれをかすめ取る。そしてホルンしか知らない裏道抜け道を駆使して逃げおおせ、遠く離れた店で食料を買うのだ。


──その日もホルンは物陰で息を潜めていた。

表通りを観察して、今日のターゲットを物色する。そして、1台の馬車が目に止まった。


2頭立ての立派な馬車。汚れは一つもなく、華美な装飾で満ちている。馬の毛並みもよく、専属の馬丁が育てたことは想像に(かた)くない。

なにより目を惹くのは、馬車に大きく描かれた紋章だろう。ホルンは知らなかったが、それは紛れもない王家の紋章だった。


ホルンはよし、と決意する。今日のターゲットはあれだと。

行く先に見当をつけて先回りし、馬車を待ち伏せする。

やがて目的の馬車がやって来た。都合のいいことに、ホルンが待ち伏せに使っていた店で買い物をするようだ。


店員にもバレないように店内に入り、ホルンは息を殺す。そしてチラリと対象を窺った。


可愛らしい少女だった。

歳はホルンと同じか少し上くらい。青みがかった銀髪はサラサラと輝いていて、真っ白な肌はぷくぷくと柔らかそうだった。着ているものは貴族にしては質素なドレスだったが、豪華には変わりない。


庶民から搾取して、自分たちは贅を凝らした生活を謳歌する。それが貴族。

ホルンが敵認定するには充分だった。


買い物が終わったらしく、少女が馬車に戻った。従者が支払いをしようと懐から財布を取り出す。

その一瞬を狙い、ホルンは駆け出した。

油断、どころか盗まれる想定すらしていなかった従者から呆気なく財布を奪い取る。勢いのままに彼女は駆け抜けた。


「っ! ま、待て!」


従者が今頃になって叫ぶが、既にホルンは距離を稼いでいる。このまま裏道を走れば捕まることはないだろう。

逃げながらそんなことを考えていた。

その時だった──


「待って!」


すぐ後ろから、幼い少女の声が聞こえた。振り返って確認するとそれは、先程の貴族の娘だった。従者はいない。一人で追いかけてきたらしい。


ホルンは舌打ちをして速度をあげる。

しかし、少女は難なくついてきた。

そこでホルンは作戦を変えることにした。

泥にまみれないと通れない抜け道、ドレスでは上れないようなフェンス、腐ったゴミが散乱する路地裏、そんな貴族が嫌がりそうな道を選択して逃げたのだ。


だがまたしてもホルンの予想は裏切られる。


ドレスが汚れることも(いと)わず抜け道を抜け、ドレスが邪魔になればスカートを切り裂きフェンスを上り、顔をしかめながらもゴミを踏みつけ路地裏を踏破する。そうして少女はホルンについてきた。


やがてその鬼ごっこにも幕が下りる。

ホルンの逃げ場がなくなったのだ。

貴族が嫌がりそうな道ばかりを選んだ結果、逃げ道が狭まり自ら袋小路に飛び込んでしまったのである。


「「っ……はあ、はあ、はあ」」


ホルンも少女も息は荒い。限界まで逃げ続け、追い続けたので、当然の帰結だった。


ホルンはへたりこみ、目を瞑って覚悟を決める。自分は捕まり、憲兵に突き出されるだろう……と。


しかし、いつまで経ってもそのときは訪れない。

代わりに少女の声が聞こえた。


「ねェ。君、わたしの友達にならない?」

「…………あ?」


予想外の台詞が飛び出した。意味がわからず、ホルンは問い返す。


「だから友達。できればわたしと一緒に来てくれると嬉しいんだけど」

「……おまえ、ふざけてんのか? お貴族さまがなんでオレみたいなガキを欲しがるんだよ」


意味を理解して、頭にきた彼女はドスを効かせて質問した。


「それに、オレはおまえのカネを盗んで逃げたんだぜ? 普通は憲兵に突き出すなりなんなりするところだろ?」

「あー、うん。そこは割とどおでもいい」


少女は被害を受けたことを、どおでもいいの一言で流す。それがまた、ホルンの癇に障る。


「はっ。お貴族さまにとっちゃ、あの程度はした金だってか? 羨ましい話だな、おい」

「え? 違う違う。そおじゃなくて、お金を盗られたことを口実に、あの従者をクビにできるから、むしろありがとうって感じなんだけど」

「…………おまえ、もしかして変な奴か?」

「む。失礼だね。まァ、もっと姫らしくしろとは毎日のようにゆわれるけど」


少し警戒を解いたホルンだったが、少女の台詞に聞き捨てならないワードがあることに気づいた。


「……姫?」

「うん。わたし、第一王女のラピスラズリ。ラピスって呼んでね」


貴族ではなく王族。

予想よりも大物だったことに、ホルンは冷や汗を流す。


「…………オレをどおするつもりだ?」

「だから友達に──」

「ふざけんなっ!」


立ち上がり、ホルンは初めて大声を出す。


「貴族ですら信用できねェのに王族だ? もっと信用できねェに決まってんじゃねェか! 友達だとか甘い言葉で釣って、奴隷にでもするつもりか!? そんなことになるくらいなら、オレはおまえを殺して、憲兵に捕まる道を選ぶぜ!」


怒鳴って、ホルンは手近な瓶を拾って叩き割り、即席の武器を作った。

ラピスを睨み付け、油断なく武器を構える。


だがここで、ラピスは予想外の行動を取った。

武器に構わず、無防備にホルンに近づいたのだ。

1歩2歩と、距離を縮める。


「! 動くんじゃねェ! オレは本気だぞ!」


ラピスは止まらない。どんどん距離を詰めてきて、ホルンの表情に焦りが生まれた。


彼女の焦りは限界に達し、割れた瓶を突き出した。

瓶はラピスの脇と上腕を(えぐ)り、血が飛び散った。

ラピスの顔が歪む。しかしそれ以上に、ホルンは顔面蒼白だった。


おそらく、盗みはしても人を傷つけたことはなかったのだろう。

いくら口では強がっても、そこは子供だった。


瓶を取り落とし、震える身体を両手で包む。

肉を抉る感覚、傷つけた不快感が、ホルンの心を(さいな)む。

ああ、ああ、と、声にならない声が無意識に洩れていた。


「──…だいじょうぶだよ」


そこに優しい声が響く。


「……こんなの全然痛くない。君のほうが痛そうだよ」

「ち、違、オ、オレは──」

「──ずっと痛そうだった。財布を盗んだあのときから」


そう言って、ラピスはホルンを抱きしめた。


「──心が痛いんだよね? 身体の傷はすぐ治るけど、心の傷はなかなか治らないから」

「あァ、あっ……あァ……」

「でもだいじょうぶだよ。友達がいれば心の傷も治るから」

「………」

「だからさ、わたしと友達にならない?」


最初と同じ問い。

しかしホルンには、全く違う響きとなって聞こえた。


「──…す、すまねェ。……すまねェっ」

「あはは、答えになってないよ。それともお断りってことかな?」

「すま……ごめん。……ごめんなさいっ。……ごめんなさい」


泣いて謝るホルンを、ラピスは抱きしめ続ける。その涙が止まるまで。




「──…見苦しいところを見せたな」


およそ10分後。涙が止まったホルンは、赤い顔で鼻をすすりながら言った。


「いいよ、気にしないで」


破ったスカートで止血をしながらラピスは答える。その姿を見て、ホルンの心は張り裂けそうになった。


「……ごめんなさい」

「もういいって。それより一緒に来てよ。財布を取り戻してくれた子って紹介するから」


有無を言わさずに、ラピスはホルンの手を引いて歩き出す。

路地裏を抜け、表通りに出てしばらくして、目当ての馬車が見つかった。


「! 姫さま! 勝手にいなくなられては困りま──お怪我を!?」

「あ、ごめん。なぜか(・・・)財布がなくなったから探してたの」


ラピスは嫌味ったらしく従者を睨みながら言った。こんな表情もするのかと、ホルンは意外に思った。


「それからこの子は、なくなった財布を見つけてくれたの。ウチに招待するから」


みすぼらしい格好のホルンを見て従者は眉をひそめるが、財布を盗られた失態もあるし、なにより、ラピスは言い出したら聞かないことをよく知っていた。


従者の返事を待つことなく、ラピスはホルンを伴って馬車に乗り込む。座席が汚れるのもお構いなしだ。

慣れない空間に、ホルンは縮こまる。ラピスはと見ると、背もたれに深く身体を預けている。こういうところは貴族だなァ、とホルンは思った。


しばらく馬車を走らせ、城に到着した。

ラピスはホルンの手を引いて、真っ先に浴場に向かう。何人ものメイドや執事に止められたが、彼女は全て無視した。


ラピスに服を脱がされ、裸にされる。一方ラピスは裸ではない。湯浴(ゆあ)()という、肌着のようなものを着ていた。


「なァ。なんであんたは服を脱がないんだ?」

「え? えっと……。ま、まァいいじゃん。身体洗ってあげるよ」


明らかに話題を逸らされ、ホルンは首をかしげる。

だがそこで、湯浴み着の隙間から見えた包帯に、はっと息を呑んだ。


「……ごめんなさい」

「もー、謝るの禁止! ほら、ここに座って」


促されるままに風呂椅子に座り、シャワーで髪を流される。先祖返り特有の耳にお湯が入らないか心配だったが、ラピスは心得たもので、見事に髪を洗い終えた。


「……髪洗うの上手いな」

「でしょ? 妹の髪を洗ってるうちにうまくなったの」


ニコニコと笑いながら、今度は背中を洗ってくる。()うに抵抗する気はなかったホルンだが、さすがに恥ずかしかった。


身体の前面は自分で洗い、泡を流す。

そこでラピスが「じゃあ上がろうか」と言う。だがホルンはなにかお返しをしたくなり、気づけば「──なァ」と、ラピスに声をかけていた。


「なに?」

「……髪、洗ってやろうか?」

「いいの? じゃあお願いしようかな」


ラピスは風呂椅子に座り、無防備な背中をホルンにさらした。

背後に立ち、シャワーで髪を濡らして髪用の石鹸で洗っていく。


「……気持ちいいか?」

「んー、セラのほうが上手だね。でも気持ちいいよ」


セラというのが誰だかはわからないが、なぜか少し悔しかった。


「そういえばさァ──」


泡まみれの髪のまま、ラピスが口を開く。


「わたしは名乗ったけど、君の名前は聞いてないよね。なんてゆうの?」

「…………名前なんてねェよ」


生まれてすぐに捨てられたホルンには、名前をつけてくれる存在も、名前を呼んでくれる存在もいなかった。

ラピスは難しい顔で、う~んと唸る。


「それは不便だね。わたしが名前つけてあげようか?」

「……ああ、別にいいぜ」

「じゃあねェ……。──『ホルン』ってどおかな? 可愛いし呼びやすいし」

「それでいい」

「じゃあホルンね。これからよろしくね、ホルン♪」


この姫と長い付き合いになることは、このときのホルンには、想像すらできなかった。

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