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翌日、4の月の26日。ラピスとリリィが出逢った記念日。
この日は3人ともがいつもより早起きして、出かける準備を進めていた。
朝ごはんを食べる間も惜しい。しかし腹が減っては戦はできない。なのでラピスとセラで大量のおにぎりを握って、飛行機の中で食べることにした。
これならば移動と食事が同時にできて効率的だ。
サクラのことは心配だが、寝込んでいるという確証もない。なのでそこまで切羽詰まったものでもなく、深刻な雰囲気ではなかった。
ラピスは出逢った頃に愛用していた紺のワンピース。ともすれば野暮ったい印象になってしまうこの色を、見事に着こなしている。気温も上がってきたし、記念日ということで再び袖を通したのだ。
リリィは懐かしさで目を細め、当時と同じリアクションをした。すなわち、ぎゅっと抱きしめる、だ。
そのリリィは紫の長袖のTシャツに薄手の黒いカーディガン、それに白いレーススカートを合わせた出で立ちだ。
大人のお姉さん、といった感じで、見慣れているラピセラでさえどぎまぎした。
セラは薄緑のゆったりしたブラウスに、八分丈のベージュのチノパン。活動的な印象の服装だ。
ある意味この中で、最も春らしい装いだった。
いつものように褒め合うことはせずに、そそくさと飛行機を展開する。
さァ乗り込もう──としたところで、リリィがなにかに気づいて首を回した。
「──…タイミングが悪いわね」
その呟きの意味はすぐにわかった。
遠くから、なにかが近づいてきている。間違いなくこの場所が目的だろう。すなわち魔女の来客だ。
こんな朝っぱらから失礼ね、とリリィは腹を立てているが、ラピスはそうは思わなかった。むしろ、この時間にせざるをえないなにかがあったのではないかと疑ってしまう。緊急性の高い要件と見た。
飛行機を展開したまま待つことしばし。それは大分近くまで来て、その詳細がわかるようになっていた。
まずラピセラが興味を持つのはどんな乗り物なのか。
リリィは飛行機。サクラは生身。アイリスは絨毯。ルピナスは馬の像。コスモスはボート。ネリネは自動車。ダリアは花。ベロニカとプルメリアはボード。
と、魔女によって乗り物はさまざまなのだ。
そして今回の乗り物はそのどれにも属さない。というより、パッと見でわかる明らかな異彩を放っていた。
それは──
「……もしかして龍……?」
「……龍……ですの?」
「違うわ。正確に龍と呼べるのは世界に4体だけよ。これは翼飛竜ね」
そう、翼飛竜。
あろうことか今こちらに向かっている魔女は、幻獣である翼飛竜を飛行手段として使っていた。
個体数は少なくとも深海竜と同程度はいるはずだが、決して多いとは言えない。そんなレアな幻獣を足として使うとは……いやはや豪気なものである。
翼飛竜が旋回し、地表に降りる。本来狂暴な生き物のはずだが、よく訓練されているようだ。そしてやはりと言うべきか、リリィがいるためにラピセラは恐怖心を抱けなかった。
その背から一人の女性が飛び降りる。
ふわふわしたオレンジの髪、女性らしい起伏に富んだスタイル、場に不似合いなドレスとつばの広い帽子と日傘。1度見たら忘れられない特徴的な魔女だった。
「カンナさん!」
「カンナさま!」
「──ご無沙汰しております、お三方。ご壮健そうでなによりでございます」
カンナはたおやかに微笑む。相変わらず、やること為すこと全てが女らしい。……翼飛竜から飛び降りるのは女らしいとは言えない、というツッコみはなしだ。
「このような早朝に突然の訪問、誠に申し訳ございません。伏してお詫び申し上げます」
「いえ、別にいいわよ。寝てたわけでもないし」
「そお仰っていただけると助かります」
「でもあたしたち、これから師匠のところに行くのよ。用があるなら手短にお願いしたいわ」
「──…まあ!」
カンナは口元に手をやって大袈裟に驚いてみせる。
「それでしたらこおしてお迎えにくることもございませんでしたね。流石はリリィさまでございます」
「?」
「本日のわたくしめはサクラさまの遣いでございまして、お三方をお呼びしに参った次第でございます」
「……門手鏡で呼んでくださればいいですのに」
「さて。なんでも驚かせたいとか、そんなことを仰っておりましたよ」
「だからといってカンナさんをパシりみたいに使うのはね……。桜さんには一言ゆっておかないと」
「……お、お手柔らかにお願いいたします。わたくしめは気にしておりませんので」
ラピスのかすかな怒気にカンナはたじろぐ。ミステリアスな女でいようと意識している彼女は、すぐに態度を改めた。
「それでは準備も万端そうですので参りましょうか。今から出ればお昼前には着くことでしょう」
「ヘェ、翼飛竜って結構速いのね」
「自慢の子でございます。シオンさまのところの鷲獅子にも負けませんよ」
それでは先に行きます、と言い残して、カンナはドレス姿で器用に翼飛竜に騎乗し、凄い速度で飛んでいった。
呆気に取られていた3人だが、ふと我に返って飛行機に乗り込む。カンナのあとを追うように離陸した。
「驚かせたいってことは病気じゃないんだね」
「そおね。元気なら安心だわ」
「でもそれでしたお返事くらいくれてもいいですのに。なにを企んでいるんでしょう?」
今ここで話し合っても結論はでない。
一行は気分を切り替えて、もぐもぐとのどかにおにぎりを食べるのだった。
一方、カンナは。
「え? リリィさまの飛行機……でしたか? かなり速いです──嘘? この子より!? ま、負けてはいけませんよイーリアス! 頑張ってください!」
「ぎお!? ──ぎおー!」
飛行機の速度に舌を巻き、負けてなるものかと翼飛竜に無茶振りをしていた。
意外と負けず嫌いだった。