382
世界で1番登頂するのが難しい山、というものがある。
標高はそれ程でもない。せいぜいが、世界で15~20番くらいの高さだろう。
なのになぜ登頂が困難と言われているのか?
断崖絶壁。空気の薄さ。方向感覚を狂わせる密林。群れを成して襲ってくるハイイロオオカミ。
などなど、理由はいくらでもあげられるが、それらはおまけでしかない。
その山の頂上に行くことが困難──いや、もっと言えば、不可能と呼ばれている所以。それはここを住処にしている幻獣にある。
鷲獅子。
凶暴さでは他の追随を許さないとされている幻獣だ。
鷲の頭にライオンの胴体を持つ。もちろん空を飛ぶことも可能で、その速度は現在人類が用意できる最速の手段、早馬を大きく上回る。つまり、逃げる手段がないということだ。
陽出地には『虎に翼』ということわざがあるらしいが、なかなかどうして上手いことを言うものである。
鷲獅子の縄張りに入ったが最後、生きて帰ることはできないと言われている。
その山に近づかないのは、国民はおろか世界の常識であった。
──ゆえに、その山の頂上に家が建っていることは誰も知らない。だからその家の中で二人の女性が大量の料理を作り、それらを食べながら楽しくおしゃべりしていることも、知らないに違いなかった。
「──でねでね! ララちゃんもフィーナちゃんも、スッゴくいい子なの! まァリリィさんが選んだんだから当然だよねん♪ また会いたいな♪」
「…………そお」
「うん♪ もうなんてゆうのかな? そう! 妹にしたい! うん、妹になってほしいの♪」
「…………2回ゆう程?」
「にはは。しぃちゃんだって会えばわかるよん♪」
「…………もう会った」
「結婚式でちらっとでしょ? じゃなくて、もっとガッツリ絡んだほうがいいって! あたしなんて、服まで貰っちゃったもんねん♪」
「…………5回目」
「うん?」
「…………その話、5回目」
「ありゃ? そだっけ? まァ聴いてよ何度でも♪」
「…………うん」
料理を食べながらも明るく喋り続けるのがダリア。
言葉少なに相槌を打つだけなのがシオンだ。
おしゃべりなダリアと無口なシオンだが、二人の相性は意外と悪くない。ダリアは話を聞いてもらうのが嬉しくて、シオンは自分で話さなくていいので楽。これはこれで噛み合っている二人なのだ。
なのでダリアはこうして定期的にシオンの家を訪れて、一緒に料理を食べながら談笑して帰っていく。
ベロニカとプルメリアという例外を除けば、魔女の中で1番仲がいいのはこの二人だろう。
「でさでさ。しぃちゃんは聞いた? サクラさまのあれ」
「…………聞いた」
「びっくりだよね! なんで今更!? って感じだもん!」
「…………びっくり」
シオンの目は半開きだ。これでも驚いているらしい。
常人には理解できないレベルの差異ならあるのだが、それを見つけられるのはダリアだけだろう。
「しぃちゃんは1900歳くらいだっけ?」
話が急に飛ぶ。この程度で慌てていては彼女の友達は勤まらないので、シオンは自然体で返す。
「…………2621」
「にはは、惜しい!」
「…………惜しくない」
「じゃあさじゃあさ! あたしが何歳か憶えてる?」
「…………7の月の29日生まれ。3368歳」
「当たり! 凄い! なんで憶えてるのん!?」
「…………友達だから」
言ってシオンは顔を背ける。照れているらしい。それと同時に、友達なのだから自分の歳も憶えてほしいという思いもあった。
ダリアは嬉しそうにはしゃぐ。はしゃぎつつも、料理を食べる手は止まらない。
軽く10人前はあった料理の数々が、気づけば8割方なくなっていた。
「でねでね。あたしたち、結構長く生きてるけど、こんなこと初めてじゃん?」
こんなこと、というのはサクラが暗躍していることだ。この程度で慌てていては彼女の友達は以下略。
シオンは頷く。
「なんで急に今なんだろね? でもあたしはいいことだと思うよん? ネネちゃんの旦那さんとかも喜ぶしねん♪」
「…………それだと思う」
「それ? それって?」
「………………」
シオンはダリアの言わんとすることを察することができるが、その逆はできない。心の中でちょっとだけこのやろう、と思ってからシオンは説明する。
「…………魔女は長く生きるのに慣れてる。でも伴侶は違う」
「だね」
「…………だから、伴侶のためにやってる。…………と思う」
最後は自信なさげに締める。それでもダリアには感じ入るものがあったようで、何度もなるほどと頷いていた。
話したいことは粗方話し終えたので、ダリアはお暇することにした。たくさん喋れたし、美味しいごはんも食べられたしで、彼女は大いに満足していた。
家を1歩出ると、目の前にはシオンのペットの姿が。言うまでもなく、例の鷲獅子である。
「やあグリグリ! 今日も可愛いね!」
「くあ!」
「…………グリグリ違う。アルタイル」
シオンは何度目かもわからない訂正をする。が、次に来たときもどうせグリグリと呼ばれることだろう。
シオンはアルタイルに同情的な視線を向けた。
「じゃ、また近いうちに来るねん♪ 次は甘いものパーティーにしようね♪」
「…………用意しとく」
ダリアは頭に差していた花飾りを巨大化させて、その花びらに腰かける。彼女を乗せた花は宙に浮き、舞い上がっていく。「またねー!」と大声で叫んで、ダリアは去っていった。
それを見送り、シオンはため息を1つ。近づいてきたアルタイルの首筋を撫でてあげた。
「…………今日も言えなかった」
シオンには、ダリアに会う度に伝えたい思いがある。しかし顔を見合わせるとどうしても躊躇してしまい、結局言い出せずに別れるのだ。
こんなことを100の倍数単位の年月、繰り返していた。
会う度に伝えたいシオンの思い。それは──
「…………リア、ネーミングセンス独特すぎて変」
その呟きを聞いていたのは、首筋を撫でられて気持ちよさそうにしているアルタイルたけだった。




