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セラが簡単な料理ならば作れるようになった。このことにリリィは喜んだ反面、焦りも感じていた。
掃除ならば多少はできるようになったが、料理のほうは一切できない。スキルがマイナスのままなのだ。
これはリリィの努力不足というわけではなく、強いて言うならばラピスの所為である。
ラピスはその性格ゆえ、食べ物を粗末にすることを嫌う。それは調理の過程で失敗したものも例外ではない。どんな失敗作であろうと、どんなに不味かろうと、食べれるものであればラピスは食べる。海のコックや食堂のおばちゃんの影響らしい。……言及はしない。
リリィが料理に携われば失敗することは目に見えている。食材を無駄にしたくないのでラピスはリリィを調理場に近づけない。なのでそもそもリリィは練習ができない。そういう負の連鎖なのだ。
リリィはもとより、ラピスもこのままではまずいと思っている。
そんな中、セラの成長を見て奮起したリリィは、ついに切り出したのだ。『料理の練習をしたい』と。
「なんとかならない?」
リリィは泣きそうな顔で訊ねる。ダメ元、といった感じだ。
しかし予想に反して、ラピスは笑顔だった。
「ふふ、なんとかなるよ。任せといて♪」
ラピスが自信満々ならば任せてもだいじょうぶだ。リリィは全面的に妻を信頼していた。
──そして一行は、森の中に来ていた。
「…………いや、なんで?」
「なんでですの?」
リリセラの疑問にラピスは不敵な笑みを返す。マジックバッグに手を突っ込むと、そこからまな板と包丁、それと適当な台を取り出した。
「本当は順番が違うんだけど、リリィはまず包丁の練習からね」
「…………危なくない?」
「危ない。気をつけて」
ラピスが真顔だった。リリィは一層気を引き締める。
「で、リリィには果物の皮を剥いてもらうよ。薄く、なんて無茶は言わないから、食べられるところを残すように剥いてね?」
「姉さま。なんで皮剥きなんですの?」
「ふふん。果物はね、どんなにズタズタになっても活用できるんだよ。だから無駄になることがないの♪」
「よく考えられてますわ!」
そう、これがラピスの秘策。
果物であれば、例えばジャムにしたり、ジュースにしたり、果てはソースにしたりカレーに入れたりと、応用の幅が広い。上手く剥ければそのまま食べればいい。
最初は野菜でもいいと思ったのだが、野菜は形を残したままのほうが美味しく食べられるものが多い。無駄にはならないが、どうせなら美味しく食べたいのだ。
「とゆうわけで、この辺に生えてる果物で練習しよう。初めはわたしがサポートするからね?」
「サポート?」
手近な果物──名称はわからないがリンゴによく似た果物をもぎ取りながらリリィは聞き返す。
「うん。まずそれをまな板の上に置いて」
「ん」
「包丁持って」
「ん」
包丁を持ってまな板の前に立つリリィに──ラピスは後ろから抱きついた。
お忘れかもしれないが、二人とも水着である。
「! ララ、ラピス!?」
「落ち着いて。一緒に切るよ」
「は、はい!」
リリィの肩越しにリンゴもどきを見て、リリィの手を操って皮を剥くラピス。かなり器用なことをする。
しかしいかんせん、絵面が間抜けだった。
リリィは殆どの神経を背中に集中させているので、腕には力が入っていない。料理の練習をしたいと自分で言い出しておいて、下心満載だった。
一方でラピスは料理に対しては真面目なので、下心など感じてはいない。リリィに身体で憶えてもらおうと、頑張って彼女の手を操っていた。
「──…と、こんな感じ。わかった?」
「………………」
「リリィ?」
「はっ! え、ええ。わかったわ!」
「そお? じゃあ一人でやってみて」
ラピスはリリィの背中から離れる。幸せなぬくもりがなくなって、リリィは少しへこんだ。
ともあれ今は包丁を使うことに集中する。ラピスのサポートを受けたときのように手を動かそうとして──できなかった。
これはもちろん、リリィのスキルが足りないこともそうだが、主にラピスの胸の感触に脳のリソースを割いていたから。だがラピスはそうは思わず、単に練習不足だと考えた。
「ふふ。やっぱ最初から上手くはいかないよね。もっかいやるよ?」
「……ええ。……ごめんなさい」
「謝んないで。リンゴが無駄になったわけじゃないんだから」
「いえ、そっちじゃなくて。……ごめんなさい」
「?」
ラピスは首をかしげる。リリィは罪悪感からうつむく。
唯一人、端から見ていて事情を察しているセラは、必死で笑いを堪えていた。
結論から言おう。ダメだった。
リリィの家事スキルの低さは、一朝一夕にどうにかできるものではなかった。
目の前に拡がるのは、とても皮剥きに失敗しただけとは思えない果物の残骸。有り体に言って無残だった。
「…………ごめんなさい」
「……んーん。果物で本当によかったよ。今夜はカレーにしようね」
リリィは際限なく落ち込むが、ラピスはホッとしていた。包丁を使う上で最も怖いのは、自分の指を切ってしまう事故である。かく言うラピスも経験がある。あれは痛い。
結果を出せなかったことより、リリィが怪我をしなかった喜びのほうが断然大きいのだ。
「……怪我がなくてよかった……」
「? そんなの、魔法でいくらでも治せるわよ」
「それでも、だよ」
ラピスはリリィを強く抱きしめる。
突然のことに戸惑ったが、リリィは自分が深く愛されていることを実感して、愛する妻の背中に手を回した。
「……はう♡ 尊いですわ♡」
セラのそんなシスコンを拗らせた発言が聞こえたような気もしたが、二人の耳には入っていなかった。




