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驚くホルンを余所に、リリィは絨毯に乗り込む。そしてラピスに手を伸ばした。
しかしいつもと違い、絨毯は既に高い位置を飛んでいる。手を伸ばされても、ラピスはその手を取れずにいた。
見かねたセラが彼女を抱きしめ、そのまま空飛ぶ絨毯に乗り込む。ラピスは情けなく妹に両手両脚で抱きついて目を瞑っていた。最早姉の威厳など微塵もない。
「ああん♡ 姉さま可愛いですわァ♡」
「…………はなさないでね? …………あと、もっとつよく」
「了解ですわ♡」
によによと笑いながらセラは抱く力を強める。リリィは自分がラピスを抱きしめたいとも思ったが、これはこれでありだと思い直し、微笑ましくその光景を見ていた。
「さ、ホルンちゃんも。高い所はだいじょうぶ?」
「あ、はい。平気ッス……」
恐る恐るといった風に、ホルンは絨毯に乗り込む。掴まる場所を探して、最終的にセラの肩に掴まった。
「じゃ、行くわよ。それと、ホルンちゃんには説明しとかないとね」
宙を駆け、城を後にする一行。
その道中、ホルンに対する説明が行われた。
リリィの正体。絨毯の原理。
ラピスが脱走してからの経緯。今までの暮らしぶり。
そして何故かセラの来訪の件でシスコンの話になり──
「あ、それはいいッス。セラフィさまが世界一のシスコンってのは、世界の理みたいなもんなんで」
「あら? ホルンさん、わかってますわね」
何故かドヤ顔のセラ。ちなみにホルンは一切褒めていない。セラにとって、シスコンは最大の褒め言葉だというだけだった。
リリィの話が、ラピスとセラが王女を辞めたところまで及び、そして現在へ至る。
彼女は一度唇を舐めてから、「なにか質問はある?」と訊いた。
「そおッスねェ……。女同士でも告白が失敗しない方法を教えてほしいッス」
「…………まず、相手も女の子を好きじゃないとダメね」
「百合ってことッスね」
「そおよ。てゆうかこの質問、あたしじゃなくてもよくない?」
「んなことないッスよ? 現にリリィさま、可愛い彼女がいるじゃないッスか」
「ま、まァね」
「その可愛い彼女、グロッキーッスけどね」
「そこが可愛いんじゃない」
言いながらリリィは恋人を眺める。奇しくもその表情は、セラとまったく同じだった。
とりとめのない話をしながらも絨毯は飛び続け、やがてリリィたちの家に到着する。その際、セラがラピスを離したがらないという問題が発生したが、今度は自分の番だと主張するリリィによってラピスは解放された。
家に入りリリィとセラは、2つある2人がけのソファーへそれぞれ、ラピスはキッチンへお茶を淹れに行く。ホルンが慌てて「ラ、ラピスさま! ウチが淹れるッスよ!?」と言っていたが、ラピスの「ホルンはまだお客さんなんだから座ってて」の一言で、すごすごとセラの隣に腰を下ろした。
「暑くなってきたからアイスティーにしたよ」
戻ってきたラピスの手にはトレーと、その上に人数分のアイスティー。
それぞれの前にコースターとストローと共に置き、それからリリィの隣に座った。
「ありがと、ラピス。じゃ、雇用契約でもしましょうか」
「お願いするッス」
ラピスを撫でながら切り出すリリィに、動じず受け答えするホルン。どう見ても、雇用主の態度ではなかった。
「業務内容はラピスの手伝いね。掃除とか料理とかをサポートしてあげて」
「了解ッス」
「お給料はそうね……このくらいでどお?」
リリィが紙に書いて提示した金額は、今までホルンが貰っていた5倍。それは一般人が1年は暮らしていける額だった。
「えっと……1年で、ッスか?」
「違うわよ。一月で、よ」
「! む、無理ッス無理ッス!」
「あら? 少なかったかしら? じゃあ──」
「違うッス! そんなに貰えないッス!」
ブンブンと首を振って拒否するホルン。動きに合わせてその大きな胸が揺れる。隣でセラが興味深そうに見ていた。
「……リリィィ。……一般人の感覚じゃァ……それはあげすぎだよォ」
リリィに撫でられながら、ラピスはふにゃふにゃとアドバイスする。
誰が見ていようと、お構い無しにイチャイチャする二人だった。
リリィはラピスを抱き寄せ、青みがかった銀髪に顔を埋める。
「そおなの? てゆうかラピス、王女なのによくそんなこと知ってるわね」
「元王女、ね。このくらい、勉強すれば誰でもわかることだよ」
「その勉強もできないカスが、あの城には腐る程いましたけどね」
元第一王女に元第二王女が追従する。嫌なことを思い出したのか、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
置いてきぼりをくらっていたホルンが、おずおずと手を挙げる。
「あの……ウチの給料なんスけど、それの半分の半分の半分くらいが妥当じゃないかと」
「え? でも吐いた唾は飲み込めないし、最初の額でいいわよ」
「だから貰いすぎッス!」
「むゥ。これ以上駄々をこねるようなら、更に倍にするわよ?」
「やめてくださいっ! 最初の額でお願いしまッス!」
結局はホルンが折れた。給料を上げようとする雇用主と、給料を下げようとする労働者。実に不可思議な言い争いであった。
「じゃあホルンちゃんには1階の客室を使ってもらおうかしら。あ、食費とかその他諸々は別途経費を出すからね」
「…………了解ッス」
ここでごねてもさっきの二の舞になると悟ったホルンは、早々に兜を脱いだ。
そんなホルンを隣からはセラが、正面からはラピスが、それぞれ気の毒そうに見ていた。
「ま、それは置いといて。いい時間だし、お昼ご飯にしよ。ホルン師匠、手伝って」
「わかったッス」
「……師匠?」
「ホルンさんは姉さまの料理の師匠ですのよ。……一応、わたくしの師匠でもあるのですが……」
「……セラフィさまはちょっと酷すぎたんで、匙を投げたッス」
「で、でも! クッキーだけは焼けますのよ! 姉さまも美味しいって褒めてくださいました!」
「……5時間くらいかかるけどね。セラが焼くと」
「……それは言わない約束ですわ」
「あ、あはは。──とにかくお昼にしましょ。メニューはなに?」
「味噌煮込みうどんだよ。セラのリクエスト」
「流石姉さま! 愛してますわ♡」
「うんうん。わたしも愛してるよ♡」
ほのぼのとした雰囲気で、一同はランチタイムと洒落こむのだった。