19
時は戻り現在。
リンドブルムの前には壊滅状態の軍が展開されており、膠着状態に陥っていた。
重傷者は全体の4割を超え、動ける者の中にも無傷のものはいない。
奇跡的に死者は出ていないが、それは偏にリンドブルムが、人を殺してはいけないというリリィとの約束を守っているだけに過ぎない。
そもそも彼女は襲われたり、リリィの小屋に近づいたりしない限りは、人に手を出さない。
彼らが傷ついているのは、言ってしまえば自業自得であった。
更に言えば、兵の練度も低かった。
素人に毛が生えた程度の実力しかない。
しかし、それはまだいい。
最悪なのは、指揮官の指示を聞かないことだ。
指揮官と思しき少女は、リンドブルムは反撃はするものの、手を出さない限りは攻撃してこないことにいち早く気づいていた。
そのことを大声で伝えるも──幻獣を前に極度の緊張状態にある者、自分の為すことで精一杯で周りに気を配れない者、練度は低い癖に功名心は高く武勲を求めて突っ込む者、恐怖故になにもできずただただ棒立ちになる者、女が指揮官ということに腹を立て反骨精神のみで命令を無視する者──などなど理由はさまざまだが、その情報が隊を助けることはなかった。
少女の声の意味を理解できなかった者たちが次々と吹き飛ばされ、それに巻き込まれる形で様子を見ていた者も軽い怪我を負った。
結果的に命令を聞かない者がいなくなったので、少女の声は全隊に響き渡り、この膠着状態が出来上がっていた。
リンドブルムは攻撃をされていないので反撃する意味がなく。
軍隊は先に進みたいのだが、リンドブルムがそれをさせてくれないので迂闊に動けない。
その状態を破ったのは、第三者の能天気な声だった。
「あらあら。思ってたより被害が大きいわね。指揮官がよっぽど馬鹿なのか、部下が命令を聞かないのか、どっちかしら?」
前触れもなく聞こえたその声に、兵たちは辺りを見回す。しかし、どこにも影も形も見えない。
唯一人、少女だけが空を見上げていた。
それに気づいた側近も空を見上げ、更にそれに気づいた別の者が、とどんどん伝播していき、やがて意識のある全員が声の主を見つけた。
声の主は、世にも美しい魔女の姿をしていた。
リリィは絨毯から戦場を見下ろす。否、戦場と呼ぶのも烏滸がましい。ちょっかいをかけてきた兵を、リンドブルムが片手間に蹴散らした。ここで起こったのはそれが全てだった。
いちいち誰何されるのも面倒なので、自分の登場で呆気に取られているこの空気を利用し、リリィは絨毯から飛び降りた。10メートル程の高さがあったにも拘わらず、彼女は難なく着地する。
降り立ったリリィに、リンドブルムが頭を差し出してきたので、首筋を撫でてやった。
「さて。指揮官はあなたかしら?」
リリィの目は完全に少女を捉えていた。
少女は側近の制止を無視して歩み出る。リリィとリンドブルムの前まで歩くと、その場で両膝をついた。
これには側近だけではなく、隊の全員が驚いていた。
「──お初にお目にかかりますわ、魔女さま。わたくしはアレキサンドライト王国国王、カルセドニーが娘、第二王女、セラフィナイト・D・アレキサンドライトと申しますわ」
両膝をついた状態で尚損なわない気品で、指揮官の少女はリリィに挨拶した。
可愛らしい少女だった。
無駄な肉は一切なく、スレンダーな体型をしている。手足もほっそりとしていて肌荒れもなく、戦場に立つのは初めてだろうと窺わせた。
目鼻立ちは非常に整っており、蒼玉のような瞳が印象的だ。
緑がかった銀髪は短く切り揃えており、ボーイッシュな印象を受けるものの、先程のお嬢様言葉と合わせて考えると、どうにもちぐはぐな印象に変わる。しかし、それは少女の魅力を損なうものではなく、むしろ可愛らしさを助長させる一助となっていた。
そんな彼女に、リリィは問いかける。
「……貴女は知っているのね?」
「はい。知っておりますわ」
その答えを満足げに聞くと、リリィはパチンと指を鳴らした。瞬間、リリィとセラフィナイトとリンドブルムを除く全員が、バタバタと倒れ意識を失う。
「眠らせただけよ。重傷者は死なない程度に治療したし、これで心置きなく話せるでしょ?」
「ご配慮、痛み入りますわ」
「それからいい加減頭を上げなさい。あたしは人の旋毛を見ながら話す趣味はないの」
「……失礼致しました」
セラフィナイトは立ち上がり、頭を上げる。身長はラピスと同じかわずかに低いくらい。リリィのほうが少し高かった。
「それで、なんでわざわざ王女さま御自らが、こんな危ない森に来るわけ? セラフィナイトちゃん」
「セラ、もしくはセラフィとお呼びください魔女さま。セラフィナイト、だと可愛くありませんもの」
「じゃあお言葉に甘えてセラちゃんと呼ばせてもらうけど、あたしのこともリリィと呼んでちょうだい。魔女さまは身体中が痒くなるわ」
「かしこまりました。ではリリィさま、と」
「ホントは『さま』もやめてほしいんだけどね」
リリィはやれやれと呟くと、最初の質問に戻った。
「で、改めて訊くけど、セラちゃんはどうしてこんな危ない森に?」
「ああ! そうでしたわ!」
セラはポンと胸の前で手を叩くと、怒りに表情を歪めてこう言った。
「わたくし、姉さまを探していますの。あなたが匿っているのではなくて? リリィさま」
穏やかじゃないセラを見て、どう答えたものかとリリィは思案した。