17
キスが解禁になった翌朝。
ラピスとリリィは揃って少し、朝寝坊をしていた。いや、朝寝坊と言うと語弊があるかもしれない。
意識は覚醒していたが、行動を開始せずにいただけだ。要するに、ベッドから出ずにぬくぬくイチャイチャしていたのである。
年中快適な温度に保つ魔法陣の弊害と言えよう。
「──…ぷは。……もう、リリィ。いい加減起きなきゃ。朝ごはんも作らなきゃだし」
くっついていた唇を離し、苦言を呈するラピス。しかし、その声音に本気の色はない。
「……もう1回。もう1回だけだから」
「うぅ、さっきもそれ聞いたよ。…………もう1回だけだからね」
再びキスをする二人。数えてはいないが、目が覚めてからの2時間程で、100回は下らないくらいにキスを交わした。
──二人は完全に、歯止めが効かなくなっていた。
「ひぁっ? リ、リリィ、ひ、ひたはいっへ──」
「──…ん、いや?」
「………………やじゃない」
舌を入れてくるリリィに抗議するも、ラピス自身、本心ではそれを望んでいた。結果、数秒ともたずに受け入れてしまう。
抱き合って、舌を絡めるキスをする。
全身が溶けて、リリィと一つになったかのような多幸感に包まれる。
「(なんかもう、今日くらいはこおして過ごしてもいいかな……)」
そんなことをラピスが考えた瞬間だった。
──クルゥウウウウウウ!!──
どこからともなく、明らかに異常を報せる動物の鳴き声が聞こえたのだ。
がばっと起きあがるリリィ。数秒前の蕩けきった顔が嘘のように、その表情は凛としていた。
「リンちゃんの声だわ。なにか、異常があったみたい」
長い髪をかきあげ、厳かな声で言う。
ラピスもただ事ではないと居住まいを正した。
「──…リリィ」
「ええ、行ってくるわ。……安心して。あたし、ラピスの考えてる1000倍強いから」
「うん。……でも、心配だよ」
「そおよね。じゃあこおしましょう」
凛とした雰囲気を一転させ、リリィはニッコリと笑うと──
「朝ごはんを食べましょう」
──と言った。
「………。………。…………は?」
長い長い時間をかけて、やっとの思いで一音だけ発声に成功する。呆気に取られすぎて、声の出し方を忘れかけた。
「だから朝ごはん。あ、お味噌汁の具はトーフとワカメでお願いね」
「あ、うん。わかった。…………いや、わかんないよ! なんでそんな落ち着いてんの!? さっきのシリアスな空気は!?」
「演技よ」
「演技!?」
驚きが留まる処を知らなかった。
「たまにはラピスに、あたしの格好いい姿見せたかったからね。リンちゃんの声を聞いて、がばっと起き上がったあたしは、我ながらキマってたわ」
「それゆわなければ格好よかったけど!?」
「で、髪をかきあげる仕種でとどめね」
「自画自賛が過ぎるよ! てゆうか、ホントに急がなくていいの!? リンちゃん、凄い吠えてたけど」
「あれは脅威度D──なんか怪しい人がいるよ、ってレベルだから問題ないわ」
「紛らわしい!」
「凛としたあたしを見せたくて、リンちゃんの鳴き声を利用しちゃったのは、まァあとで謝っておくわ」
「はァ……。あの一瞬でそんなことを考えるリリィには脱帽だよ」
「あ、いえ、リンちゃんが鳴く前から怪しい人たちには気づいてたわよ、探知魔法で。でもラピスに格好いいあたしを見てもらうために、なに食わぬ顔でリンちゃんが鳴くのを待って──」
「もうやめてよォ! これ以上がっかりさせないでよォ!」
いやいやと首を振って、ラピスは涙目になった。
一頻りラピスをからかって満足したらしいリリィは、ふふと笑って彼女の頬に口づけした。
ラピスは落ち着きを取り戻すも、からかわれたことに気づいたのだろう、不満げに頬を膨らませてみせた。
「……むゥ。なんでこんなことしたの?」
「ごめんなさいね。でもその…………キスの止め時がわからなくて……」
「……あー」
完全に納得したわけではないが、自分にも原因の一端があるとわかり、なにも言えなくなるラピスであった。
不思議な沈黙が降りる。
先に口を開いたのはラピスだった。
「えーと、朝ごはん食べる?」
「……いただくわ」
ベッドから降りてメイド服に着替える。最近はこの格好じゃないと落ち着かない程だった。
味噌汁を作り卵を焼く。朝に炊きあがるように調節しておいた炊飯器から、米をよそって並べた。
「ごめんね。すぐに出かけなきゃいけないだろうから、ちょっと手抜き」
「全然いいわよ。美味しそうね。いただきます」
「いただきます」
「まずはお味噌汁──……トーフとワカメじゃない……」
「ふざけたことはもういいけど、わたしを心配させたのは確かだからね。これはそのお仕置き」
「随分可愛いお仕置きだけど。……うぅ、トーフの口になってたのに」
「大根と人参だって美味しいよ?」
少し残念そうにはしていたが、結局はペロリと完食したリリィ。
温かいお茶を飲んで落ち着いてから、のほほんと出かける準備を始めた。
「ホントに大したことなさそうなんだね」
「そおよ。でもラピスはお留守番ね。万が一あると嫌だから」
「わかってるよ。リリィも気をつけてね。わたし、リリィの考えてる1000倍リリィのこと好きだからね」
「あら、さっきのお返し? ふふ、心配しなくても、ちゃんとすぐに帰ってくるわ」
「うん」
頷いてからラピスは、なにかを逡巡する素振りを見せる。
なんだろうとリリィが首をかしげた直後、覚悟が決まったのか、ラピスが距離を詰めてリリィの唇を奪った。
「い、いってらっしゃいのキスだよ。ただいまのキスはリリィからお願いね」
顔を赤くして早口で喋るラピス。さっき散々キスをしていた癖に、シチュエーションが変わると照れるらしい。
リリィはしばし呆気に取られていたが、柔らかく微笑むと恋人を抱き寄せ、頬にキスをした。
「じゃ、ちょっと行ってくるわ」
「いってらっしゃい。早く帰ってきてね」
天使のように笑う恋人に見送られて、リリィはペットの漆雷獣の許へ飛んでいった。