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天気は大雨。ここ数年、経験したことがないような土砂降りのなか、大空を飛ぶ影が1つあった。
影の主は箒にまたがり、雨など降っていないかのように、優雅に飛んでいる。
その服や髪は一切濡れていない。不思議な力──魔法で、自分に当たる雨粒を全て遮断しているからだ。
褐色の肌と薄紫色の髪を携えた彼女は誰か?
「──…見えた。あれが東の島国か」
──失恋旅行中の、アイリス・J・ローズクォーツだった。
港街の外れに着陸し、箒を背負って歩きだす。幸い、こちらの地方では雨は降っていなかった。
5分程歩き、港街の門に着いた。それなりに立派な門構えで、厳つい顔の門番と柔和な顔つきの門番が一人づつ勤めていた。二人とも黒髪で、見たこともない衣服に身を包み、細く反っている剣を腰に佩いていた。
「止まってください。旅の者ですか?」
柔和な顔つきの門番が話しかけてきた。顔つきに違わず、穏やかな喋り方だ。
「ああ。この肌を見ての通り、異国から来た」
「それはそれは、遠いところからよくぞお越しくださいました。街に入るにあたって、いくつか質問をしてもよろしいですか?」
「構わない」
「では、この街に来た目的は?」
「別にこの街を目的として来たわけではない。この国に入り、始めに訪れたのがこの街だっただけだ。この国に来た目的は、強いて言えば観光だな。失恋旅行中でね」
「然様ですか。貴女のような素敵な女性をフるなど、愚かな男もいたものですね」
「はは、ありがとう。お世辞でも嬉しいよ」
「いえ、本心ですよ。では次に、滞在日数を教えてくれますか? おおよそで構いません」
「特に決めていないが、2~3日くらいだな」
「はい、結構です。通っていいですよ。それと観光でしたら、是非とも魚料理を召し上がってください。ここの魚は生でも美味しく食べれるんです」
「それはいいことを聞いた。ついでにオススメの宿を知っていたら教えてほしい」
「それでしたら、この通りを真っ直ぐ行って右手に見える『黄金の狐亭』というところがいいですよ。少し値は張りますが、料理が美味いです」
「魚料理が、か?」
「魚料理が、です」
「ありがとう。そこにしてみるよ」
礼を述べるとアイリスは通りを真っ直ぐ進んでいった。ふと、あの厳つい顔の門番は一言も喋らなかったな、と思った。ひょっとすると荒事専門なのかもしれない。
「──センパイ、仕事してくださいよ」
「無理無理無理無理! あんな美人に話しかける勇気ない!」
「門番やめちまえ」
黄金の狐亭は、綺麗な外観をした3階建の立派な宿だった。
受け付けを済ませ鍵を受け取り、部屋に向かった。
部屋は手入れが行き届いており、不思議な香りのする敷物が敷き詰められていた。独特な香りだが、決して不快ではなくむしろ心地よい。アイリスは料理を食べる前からこの宿を好きになっていた。
箒を置くと、鍵をかけて部屋を出る。
鍵を受け付けの女性に渡して、出掛けてくる旨を伝えた。
いってらっしゃいませと、気持ちよく送り出してくれた。
屋台通りを適当に練り歩いていると、香ばしく食欲をそそる匂いが漂ってきた。匂いの元を探ると、どうやらあの丸い食べ物を焼いている屋台かららしい。
「店主。この美味そうな匂いの食べ物はなんだ?」
「美味そうな、じゃなくて美味いんだけどな。こいつァたこ焼きだ」
「タコヤキ?」
「おう。大雑把に言うと、丸く焼いた小麦の生地にこいつを入れたもんだ」
そう言って店主は、ヌメヌメしていて足がたくさんある生き物を見せてきた。
「! デビルフィッシュではないか! まさか、こいつを食べるのか!?」
「ああ、海外じゃ食う文化がねェらしいなァ。だがここらじゃ一般的な食い物だ。一個試食させてやるから、騙されたと思って食ってみろ」
「…………」
差し出された短い木串に刺さったタコヤキを受け取り、逡巡の末、一息に頬張る。
「あ! 馬鹿!」
「!」
店主の制止は時すでに遅く、アイリスは口の中を暴れまわる熱さに混乱していた。
はふはふと息を吐き出し、どうにかこうにか熱を冷まし、飲み込む。
「……口の中の皮がベロンと剥がれた」
「すまねェ。一言熱いってゆうべきだったな」
申し訳なさそうに水を差し出す店主。アイリスはそれを受け取り、一気に飲み干した。
「──ふゥ。なに、構わんさ。こおゆうのも旅行の醍醐味だ」
「そお言ってもらえると助かるぜ」
「ああ。しかし美味いな、このタコヤキとやらは。一皿買おう」
「まいど! お詫びに3つおまけしとくぜ」
「ありがとう」
礼を言って、歩きながら食べる。行儀は悪いが、屋台料理とはこういうものだ。
その後、見たこともない織物や、珍しい髪飾りなどを買い、リリィから貰ったマジックバッグに容れていく。すれ違う人々の服装が楽そうだったので、服屋に入り着替えたりもした。
日が暮れてきたので宿に戻る。
受け付けの女性から鍵を受け取る際、和装がよく似合っていると褒められた。
夜。
食堂に行くと、恰幅のいいおじさんからお盆に乗った食事一式を渡された。ご飯に味噌汁、回遊魚の刺身にほうれん草のお浸し、季節の天ぷらと冷奴というメニューだった。
生魚が苦手なら焼くとも言われたが、せっかくなので生のまま食べてみることにした。
不思議な香りの敷物──畳というらしい──に座布団という異文化に戸惑いながらも、ぺたんと女の子座りで腰を下ろす。そして、気を使ってつけてもらったフォークを片手に食事を開始した。
まずは生魚からいってみる。醤油につけて一口。
「…………ほァ……」
感嘆の息が洩れた。魚は火を通さなければ食べられないと思っていたが、それは偏見だったようだ。脂が舌の上で溶け、ふんわりとした風味を醸し出す。
焼いた魚も美味いが、これもこれで甲乙つけがたい。
続いて天ぷら、味噌汁、お浸しと次々に堪能していく。どれもこれもアイリスの口に合い、内心であの門番に感謝した。
「隣、よろしいですか?」
ほうじ茶を飲んでほっこりしていると、急に声をかけられた。そちらを向くと、今思い浮かべたばかりの門番が、お盆を持って立っていた。
「ああ、構わんぞ。話し相手が欲しかったところだ」
「では失礼して」
隣でどっかりと胡座をかき、門番はいただきますと言って食事を始めた。
「仕事はもう終わったのか?」
「はい。もう一人の厳つい顔の門番、憶えてますか? 彼に丸投げして僕は上がってきました」
「む? 彼は荒事専門ではなかったのか?」
「ははは、そう見えるのも無理はありませんけどね。彼は貴女のような美人とはうまく話せないと言ってましたよ」
「そ、そうだったのか。……門番、向いてないんじゃないか?」
「僕もそう思います」
「……あー、そうだ。この宿を教えてくれた礼を言わねばな。ありがとう。サービスも行き届いていて料理も美味い」
「いいですよ。それも門番の仕事です」
「そうは言うがな。酒の一杯でも奢らせてくれないか?」
「あー、すみません。僕、下戸なもので」
「そうか、すまん。配慮が足りなかったな」
「いえいえ。あ、その代わりと言ってはなんですが、一つお願いしてもいいですか?」
「ああ。自分にできることならば」
門番は唇を舐めて潤すと、真剣な表情で口を開いた。
「──失恋旅行中だと仰ってましたね。ならばその相手に、僕が立候補しちゃダメですか?」
「…………理由を、聞かせてくれないか」
「一目惚れ……とかではありませんね。というより、まだ恋かどうかもわかりません。でも、一緒にいて楽しいんです。これじゃ理由としては弱いですかね?」
「いや、充分だ。だがすまない。その気持ちには応えられない」
「やっぱりダメでしたか。前の男が忘れられない、とかですか?」
「いや、そういうわけじゃないんだ。……誠意を見せてくれた相手に黙っているのは不義理だから言うが、自分は男を恋愛対象として見られないんだ」
「………」
門番の動きが止まった。
「…………つまり、女の子が好きだと」
「そういうことになる」
「はは。とゆうことは、最初から脈は微塵もなかったんですね」
「すまない」
「いいですよ。しかし、女の子が……ですか」
「気持ち悪いか?」
「とんでもない! 女性同士の恋愛を気持ち悪いと思う男なんて、一人もいませんよ」
「そ、そうなのか」
「ええ。断言しましょう」
「……そうか。引かないでくれてありがとう」
「いいえ。フラれてはしまいましたが、あなたがいつか、素敵な女性と巡り会うことを祈ってますよ」
「……ありがとう。──では自分は部屋に戻るよ。楽しい時間だった」
席を立って食器を片付けると、アイリスは自分の部屋に戻っていった。
アイリスは独り、部屋で考える。
もし自分が普通の感性の持ち主だったら、彼と付き合っていたのか、と。だが、考えども考えども、答えは出なかった。
脳裏に浮かぶのはメイド服を着た銀髪の少女ばかり。まったく吹っ切れていないなと、アイリスは自嘲した。
彼女のことを思い浮かべたら、急に紅茶が飲みたくなった。
マジックバッグから自前のティーセットを取り出し、魔法で出したお湯で紅茶を淹れる。
「……不味いな」
蒸らし時間もお湯の温度も気をつけたはずだが、その紅茶は彼女の記憶にあるものには到底かなわなかった。
「……ああ、本当に不味い」
自分がどの紅茶と比べているのかを自覚して、彼女は再度自嘲的に笑った。