イップスからの復活
俺は、イップスからの復活を期して、二軍戦の先発マウンドに上がる。相手は、日本ハムだ。
二軍の監督から言われていた。
「日本ハムの二軍は強いぞ。今は、清川もいるし、お前の力を測るには良い相手だ。俺は、お前の力を信じているからな」
清川選手は、入団時に高卒ながら黄金ルーキーと呼ばれていた。俺が、肘の靱帯断裂やイップスで苦しんでいる間に、清川選手は一軍でチャンスを掴みかけていた。
しかし、最近は調子を落として、二軍で調整している。監督は、二軍戦とはいえ注目される相手に俺を使ってくれた。
巨人対日本ハム、清川選手の登場もあって観客席は満員だ。
「巨人の先発ピッチャーは前田、背番号38」
球場にアナウンスが響く。久しぶりに聞けた。このアナウンスが二度と聞けないかもしれないと思っていた。喜びをかみしめながら、マウンドに上がる。
まずは儀式だ。マウンドの土に、マル書いてチョンをした。これも、久しぶりだな。
さて、とにかく気負わずにいこう。ファーボールを気にすると、腕を振って投げられない。デッドボールは良くないが過剰な意識はダメだ。
俺は、イップスを受け入れて、しっかり自分と向き合って投げればいい。
相手打者の事は、あまり意識せずに、キャッチャーを信じてサインどおり投げよう。
初回の先頭打者には、直球から入る。打者はベースに近づいている。俺を投げにくくさせるつもりだな。
俺は打者がどこに立とうと、キャッチャーのサインどおりに投げるだけだ。
相手は、俺がイップスと言われている事をもちろん知っている。だから、ファーボールを期待して、ボールをしっかり見てきた。
それを逆手に取って、素早く追い込んで俺のペースで攻める事ができている。続く打者もライトフライ、そしてサードゴロに抑えた。初回は三者凡退だ。
2回は、清川選手から始まる。球場から一層、大きな声援だ。
俺は深呼吸した。清川選手を意識し過ぎないように、気持ちを落ち着かせた。
初球、キャッチャーはチェンジアップのサインだ。俺が気持ちを入れ過ぎないように考えてくれている。
よし、しっかり腕を振って投げた。
清川選手はタイミングが外れた空振りだ。
2球目は、インコース直球のサインだ。やっぱり、このボールが投げられないと一軍に復帰する事はできない。
キャッチャーは、大きく手を広げた。コースを狙い過ぎるなって合図だ。
そうだ、自分の意識に集中するんだ。打者は気にしなくていいんだ。俺の投げるボールの音を聞くんだ。黒田が言っていたように、俺のボールは死んでいないはずだ!
プレートの端から投げて左打者のインコースをクロスにえぐるぞ。
シューっとキレイなボールの音が確かに聞こえる。これなら、大丈夫だ!
清川選手は、空振りだ!
キャッチャーは大きく頷いた。
勝負球は、俺の決め球フォークボールのサインが出た。
イップスになってから、直球だけでなく変化球も制御できていなかった。
しかし、直球が戻ってくると、変化球のキレも復活してきた。
清川選手に勝負のフォークボールを投げた。しっかりと落ちた。コースも良いぞ。
清川選手のバットが空を切った。ヤッター、俺のお化けフォーク復活だ!
清川選手の第一打席を完璧に仕留めた事で気持ちが随分、楽になれた。
この後もスイスイと投げる事ができた。でも、決して調子に乗らず、毎回自分としっかり向き合った。そしてボールの音に耳を澄ませば、
「お前のボールは大丈夫だよ」
ボールは、俺に語り掛けてくれた。
終盤は、ボールが俺を励ましてくれる。
「もう少しだぞ。頑張れ!」
最終回も確かにボールの声は聞こえていた。
最後の打者に対して、この日、最も力を入れて投げた。
アウトコースの直球で見逃し三振に仕留めた。スピードガンは、この日最速の150キロを計測していた!
完封勝利を飾った。ファーボールも3個、悪くない。
清川選手に対しても、ノーヒットで
三振も二つ取れた。
トミージョン手術からの復活も嬉しかったが、今日の勝利はもっと嬉しかった。マウンドで投げるどころか、ボールを握る事さえ嫌な時期があったんだ。
今日の勝利を想像できない日々が続いた。
俺がベンチに戻ったら、みんなが喜んでくれた。俺は、堪え切れなくなって、号泣してしまった。
しかし、ベンチのすぐ上の観客席から俺以上の声が聞こえた。まるで、猛獣のような声だ。
この聞き覚えのある声は……
妻が、大粒の涙と大量の鼻水を流しながら、猛獣になっている。
10年以上の付き合いだが、初めてみるスゴい顔だ。
妻が使っていたタオルには、あの文字が……
「ケンイチ、d a i s u k i」
俺は、とうとうイップスに打ち勝ったんだ!
試合後に一軍昇格を告げられた。
妻に電話で伝えたら、雄叫びの後、電話口が静かになった。後で聞いたら嬉しさのあまり気絶したらしい。
今後こそ、俺はやるぞ!




