俺の意地
俺は渾身のフォークボールを投げた。打者は、一打席目で俺のオデコに直撃する当たりを放った角選手だ。
俺のフォークボールは、狙いどおりに落ちる軌道で進んでいた。角選手は、それでも踏み込んでバットを出してきた。
いくら、角選手でもこのボールは打てないだろう。
角選手は、アウトコース低めに落ちたボールをバットに乗せてきた。
そのボールがレフトポール際に上がっていく。
まさか、9回ツーアウトから同点ホームランか?
塁審の手がぐるぐる回る……
ホームランの判定だ……
俺は、マウンドで膝から崩れ落ちた。その時だった。
ベンチから高橋由伸監督が出てきて、四角の形を示している。
これは、今シーズンから導入された、リクエスト要求だ!
リクエストとは、際どい判定に対して2回までビデオ判定を要求できる制度だ。
審判団がビデオの確認に向かう。東京ドームは異様な空気に包まれていく。
俺は、マウンドで待っているが、とても嫌な時間だ。大袈裟かもしれないが、この判定で俺のプロ野球選手としての道が少し変わるかもしれない。
審判団がなかなか出てこない。際どいボールだったので時間がかかっているようだ。
審判団が出てきた! ジャッジは?
ファールの判定だ!
ヤッター! 助かったぜ。
角選手は、悔しがっている。
しかし、広島ベンチからは大きな声が出ている。
「次はバックスクリーンに放り込め」
広島カープは絶対に最後まで諦めない。これが首位を走るチームの強さだ。
俺だって負けるわけにはいかない。
気持ちを入れ直して、キャッチャーのサインを見る。
キャッチャーは、直球のサインだ。
しかし、俺はこの試合初めて首を振った。キャッチャーは、多分俺の意図を分かって次のサインを出した。
俺はそのサインに頷いた。
俺が投げたかったのは、インコースのスライダーだ。このボールは、角選手が一打席目で俺のオデコを直撃させた時の球種だ。
普段は、無欲に投げる事を自分に言い聞かせているが、この時だけは違った。
オデコに当てられて、このまま終わってたまるか! 俺をナメるなよ。
同じ球種で今度は仕留めてやる。
俺は最後の力を振り絞って、全力で腕を振った。
角選手のバットが空を切った!
俺の勝ちだ。キャッチャーがバンザイしてマウンドに駆け寄ってきた。俺は夢中でキャッチャーと固くハグした。野手のみんなも祝福してくれた。
ベンチに戻ると高橋由伸監督が男泣きしている。
「前田、やったな! お前の気迫は凄かったぞ。感動したよ」
俺は、もちろん監督ともハグした。
スコアは、2対1で巨人の勝利だ。
俺は、143球を投げて完投勝利だ。
一軍の先発としては、初勝利だ。
特に嬉しかったのは、広島カープのエース山田さんと投げ合って勝てた事だ。プロ入り前、何度も励ましてくれて、俺をプロ野球に導いてくれた大恩人だ。
山田さんは、俺の方を見て短く言った。
「前田さん、よくここまで成長しましたね。完敗ですよ」
大恩人からの言葉ほど嬉しいものはない。
ヒーローインタビューに呼ばれた。どうしよう、やっと試合が終わってクタクタなのに……
おまけに、オデコに大きな絆創膏を貼っているしカッコ悪いぜ。
でも、せっかくの栄誉なので、インタビューのお立ち台に上がった。
その瞬間、観客席の妻から大声が聞こえた。
「健一、カッコ悪いから絆創膏外してよー!」
よせよ、恥ずかしいじゃないか。案の定、インタビューでは妻の事でいじられた……
苦しかったけど、完投勝利の味は最高に美味かった。強力な広島打線を一点に抑えた事は大きな自信になる。
反省もあった。球数が多くなって、テンポも悪かった。今後は、野手が守りやすいピッチングを心掛けたい。
この勝利を届けたい人が他にもいる。プロ入り一年目のキャンプの時に、障害を持った子どもがいる施設を訪ねていたが、この時にある少年と知り合った。
彼は目が不自由ながらも、明るく前向きな子だった。ドラフト10位の無名ルーキーだった俺のファンになってくれたんだ。
二軍で初勝利を掴んだ時も少年を訪ねていた。
今日は、一軍の完投勝利の報告だ。
「こんにちは、巨人の前田だよ」
少年は、俺の声に気づいたようだ。
「前田さん、来てくれたんだね。僕はラジオでこの前の広島戦を聞いてたよ。完投勝利おめでとう!」
「ありがとう、俺頑張ったよ」
この少年に会うと、何だかホッとするんだ。
俺と少年はガッチリ握手した。
少年は、
「やっぱり、プロ野球選手の手は凄いね。僕は、前田さんの手が好きでファンになったんだよ」
少年は、本当に野球が好きでいつもラジオで試合を聞いているようだ。
「最後の角選手との対戦は、ドキドキしたけど、僕は前田さんを信じていたよ。だから、試合が終わった時に、ヤッターって叫んじゃたよ」
「これからも僕をもっとドキドキさせてよ。前田さんが投げる試合は、絶対にラジオを聞き逃さないよ!」
親友黒田と同じように目の不自由さに負けない人たちがいる。
その人たちの熱い思いが、俺を次のマウンドに向かわせるんだ。




