前田ロード第2章
俺は、シーズンオフに、あの少年を訪ねた。
最初に俺のファンになってくれた、目が不自由な少年だ。
あの、約束を果たすために。
久しぶりに会うと、少年は元気そうだった。
「こんにちは、巨人の前田だよ。今日は、あの約束を果たしに来たよ。覚えているかな?」
少年は、嬉しそうに、
「お兄さん覚えてくれたんだね。嬉しすぎて気絶しそうだよ!」
俺も嬉しくなった。
「俺は、人との約束は絶対に破らないよ。二軍戦だけど、俺の初勝利のウイニングボールだよ。受け取ってくれよ」
俺は、少年の手を取って、ウイニングボールを握らせた。
「俺は、このボールで勝ったよ」
少年は、何度も頷いた。
「これが、ウイニングボールなんだね。いい感触だね。点字新聞で読んだよ。日本ハムの清川選手も抑えたんだってね」
俺は、少し誇らしくなった。
「清川選手を抑えたら、二軍戦でも新聞に取り上げてもらえるのさ」
「お兄さん凄いよ。僕ね、前にお兄さんと握手した時に思ったよ。この人は、必ず凄いピッチャーになるって」
少年は、興奮気味だ。
俺も、熱く応えた。
「来年は背番号が38に変わるんだ。来年こそは、一軍で頑張るよ。一軍の試合だったらラジオ中継があるから応援頼むよ」
少年は、力強く言った。
「もちろんだよ。でも、一軍の試合のウイニングボールはお兄さんの宝物にしてよ。僕は、今日のボールで充分だよ」
俺は、胸が熱くなった。
来年は、一軍で初勝利を挙げるんだ!
シーズンオフはあっという間に終わり、2年目が始まった。まずは、自主トレーニングだ。
去年は、広島東洋カープのエース山田さんが声をかけてくれて一緒にやった。山田さんは、一軍で実績のあるピッチャーなので一緒にトレーニングできたらとても勉強になる。
俺は、山田さんに頭を下げてお願いした。
「山田さん、もし邪魔でなければ、一緒に自主トレーニングさせてもらえませんか?」
山田さんは、厳しい口調で話してくれた。
「前田さんは来年は一軍を狙っていますよね。一軍になったら、僕と勝負する場面が出てきますよね。だったら、一緒に自主トレーニングできません。僕は馴れ合いは嫌なんです」
俺が甘かった。プロは、やるかやられるかの世界だ。仲良しごっこじゃないんだ。
「分かりました。山田さんの言うとおりです。僕が間違っていました」
山田さんは、
「僕は、前田さんの凄い力を知っているから、あえて厳しく言わせていただきました。次に会う時は、一軍のマウンドで勝負です」
これが、プロで生きる男だな。俺も見習おう。
俺は、一人で自主トレーニングをすることにした。とにかく、体作りに取り組むつもりだ。
プロを目指していた頃、壁に当たった時は徹底的に走りこんで下半身を強化した。俺が走った道は、芝生が抜けて道になったんだ。俺は、「前田ロード」と呼んでいた。
よしっ、またやるか。
「私の出番だね」
妻の鼻息が荒くなった。
まさか、また俺を自転車で追いかけ回すつもりなのか。
妻の自転車は、かなり暴走するのだが……
「じゃーん。今回はこれだよ!」
妻がカバーの掛かった物体を指差した。
何だ?多分、ヤバイやつだろう……
妻が、さっそうとカバーを外した。
そこには、電動自転車があった。
これで俺を追いかけ回すつもりなのか?
妻は、嬉しそうに言う。
「これはね、かなりスピードが出るタイプだよ。楽しみだね。ねぇ、今から試そうよ」
今から?俺の心の準備がまだなんだけどね。もちろん、妻は待ってくれない。
前田ロード第2章だ。
今回は、相手が悪かった。電動自転車に乗った妻は、誰も止められない。
俺は、必死に走って逃げた。ちょっとでも気を抜くと、電動自転車にひかれそうになる。
妻は、気持ち良さそうに電動自転車に乗っている。
この上なく、良いトレーニングができるな。
やっと、終わった。
疲れたが、下半身強化の道のりは順調に進んでいる。
「健一、走ってる姿カッコいいよ。さすがプロ野球選手だね〜」
おっ、良い事言うねぇ。さすが俺の妻だ。
「でもね、健一。サングラスして走った方が良いよ」
えっ、何で?
「だって、健一は走ってる時の顔は、イマイチだもん。普通の時は、カッコ良いよ(^^)」
俺はスポーツ選手なのに、走ってる時の顔はイマイチなのか……
とにかく、かなり走り込んだおかげで下半身強化は充分できたと思う。ピッチャーは、とにかく下半身だ。
他のトレーニングも順調にできた。山田さんを離れて自主トレーニングを行ったが、おかげで甘える事なく自分と向き合えた。
自主トレーニングが終わる頃には、俺が走った道の芝生がすっかり抜けていて、前田ロード第2章が完成した。
次は、キャンプが始まる。このキャンプでアピールすれば、開幕一軍が見えてくる。
キャンプインの前に、高校時代の恩師のお墓参りに行った。
プロを目指していた頃、練習に付き合ってくれたのは恩師だった。いつも二人三脚だった。
俺の中では、これから先もずっと恩師と二人三脚だ。
お墓に俺のサインボールをお供えさせてもらった。そして、空を見上げた。
「俺は、なんとか頑張っていますよ。見守ってくださいね」
空に浮かぶ雲が、笑った恩師の顔のように見えた。




