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エースナンバー  作者: 砂糖
21/55

無欲

さあ、キャンプが始まった。

高橋由伸監督は、入団テストの時に俺の事を覚えてくれていた。

「お前は、入団テストで唯一の合格者だったな。闘争心に満ちたボールを覚えているよ。期待してるぞ」

俺は、大いに感激した。


広島カープの山田さんと自主トレーニングを充分に行ったつもりだが、キャンプは一段とキツかった。

そして、周りのレベルの高さに戸惑った。


俺は、ドラフト10位指名なので、もちろんキャンプは二軍スタートだ。

二軍といっても、一軍で実績のある選手もいるし、プロで指名されるヤツは何かしら才能があるはずだ。


ブルペンで他の投手と並んで投げるのが嫌だ。

俺より速いボールを見ると、俺もつられて必要以上に力が入ってしまう。コーチの視線を感じると、良いところを見せようとして、余計に上手くいかなくなる。


落ち着け、落ち着け、自分に言い聞かせようとすればするほど泥沼だ。


キャンプは、散々な出来だった。


俺を含めて新人選手による、障害を持った子どもが入所している施設の慰問が行われた。


野球が好きだが目が不自由な子どもがいた。親友の黒田と重なった。

その子は、明るかった。

「ボク、ラジオで野球を聞くのが大好きなんです。ラジオを聞きながら、想像するのが楽しいです。ラジオの向こうの投手が、どんなボールを投げているのかハッキリと分かるんです」


「だから、お兄さんのボールも想像したいです。活躍して、ラジオでたくさん登場して下さい」


でも、俺のボールは全然大したことないよ。ゴメンよ、少年。


「お兄さんの手は、何となく、凄いボールを投げそうな気がします。ファンになって良いですか?」

俺と握手した少年は、嬉しそうだった。


「ファンになってくれてありがとう。俺が、初勝利の時のウイニングボールは君にプレゼントするよ」

俺は、少年に伝えた。


まだ何も実績がない俺を応援してくれる少年がいる。

それなのに、俺は、同僚のボールやコーチの目ばかり気にしていた。


カッコよくなろうとしている俺がいた。しかし、全然カッコよくなかった。


俺は、気づいたんだ。

この少年は、何の損得感情なしに俺を応援してくれる。


これこそ、俺に足りないものだ。

いいカッコをしたいと考えている時点で俺は失格だ。

神様は、無欲な人間にこそ勝利をもたらすんだ。


カッコ悪くてもいいから、俺らしく、闘争心を込めて投げる。

余計な邪推を取り除くため、ボールをリリースする時に、あえて、キャッチャーを見ずに投げた。

元メジャーリーガーの岡島投手の投げ方を参考にした。


すると、不思議な事にキャッチャーを見ていないのに、コントロールが良くなった。ボールのキレも増した気がする。


俺のファンになってくれた少年のおかげだ。

散々だったキャンプが少しずつ好転してきた。


ある日、妻がキャンプを見にきた。妻が観客席にいる事が分かると少し気恥ずかしくなってきた。巨人のユニフォームを着て、野球をやる姿を見せるのは初めてだ。


しかし、何かおかしい。いつも、賑やかな妻が静かだ。妻なりに、かなり気持ちが入っているのかと思っていたが、後で聞いたらお腹が痛かったらしい……


妻が見ていると、いつもはカッコつけようとしてしまうが、今日は違った。ファンの少年に教わったように、俺は無欲なんだ。


俺は、少しだけ気持ちが楽になった。


紅白戦でも投げたが、やはり甘くなかった。それでも、焦る気持ちは起きなかった。俺は、自分のペースで着実に進んでいけばいい。

俺は、密かに帽子に「無欲」と書いた。


プロ野球のキャンプは、とても厳しくて余裕は全くなかった。それでも、キャンプ終盤になると、ほんの少しだけ手ごたえが出てきた。


プロでやっていく自信というよりは、自分の気持ちを落ち着かせる方法が見えてきた。


俺は、自分で、闘争心を自負しているが、それと同時に冷静さを持てるようになった。


キャンプの紅白戦で投げていて、ピンチを迎えた時は、以前なら、相手を三振に仕留めてガッツポーズをしている自分を想像しながら投げていた。

でも、今は冷静に相手と向き合って、この勝負に集中できている。

ガッツポーズの事を考えなくなった。


しかし、妻は不満らしい。

「健一のピッチングスタイルが少し変わったね。以前は、真っ赤に燃えながら投げていたのにね。今は物足りないなぁ」


「俺は、少し大人になったんだよ」

無欲になるからこそ、得られるものの話をした。


妻の反応は、芳しくない。

「健一が一億円プレーヤーになったら、何を買うか考えているんだよ。車はフェラーリで、服はブランドの……」


妻の辞書に「無欲」という文字は、存在しない。


でも、俺もフェラーリ乗りたいかも……

やっぱり俺はまだまだ修行が足りないなぁ。


こんな調子でキャンプが終わった。戸惑うことが多かったが、ケガなく終われて、実りは多かった。

無欲に、そして闘争心を忘れずに行こう。

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