1.異世界に たどり着くまでが 一苦労
真っ暗な中を一人の少女が、周りを気にしながら歩いてくる。
彼女の名前は、鈴村蘭。二ヵ月後に誕生日を控えた高校二年生。
極々平凡な家庭に育ち、飛び抜けた個性も特技もなく、成績は低空飛行。一般的高校生として雑誌やメディアに登場するような派手さもなく、どちらかといえば影が薄い。ついでに顔の作りも薄い。
平均的女子高生の典型のような少女だ。
ここはどこなのか、自分はどこに向かって歩いているのか、見えない誰かに悟られないように自分が周囲を気にしていないかのように毅然と胸を張りながらも、荷物の入った鞄を持つ手の指先は震えている。
突然の出来事だった。
何が起こったのか、少女自身も理解していない。
いつも通りの朝、いつも通りの親子の会話。
学校の授業は退屈。なんてイキって見せたところで、その実、学校を休んだことなんて一度も無い。いつも通り学校に行き、授業が終わったら友達と遊びに行くか、そうでなければ家に帰る。
塾には行っていないし、バイトもしていない。
いつも通り授業が終わり、今日は一人で参考書を買おうと本屋に寄っていた。進級し、初めての中間テストの結果が芳しくなかったのだ。元々成績はいい方ではなかったが、高校二年。そろそろ進路を考えなければならない。
夏休みの過ごし方如何で、専門に進むか大学を受験するか分かれ道となるのだ。
三年では分野ごとにクラス分けがされる。文系か理系か、はっきり進む道が分かれ授業内容もガラリと変わる。一学期の期末の結果を待ってからなんて考えていては遅いとSNSで繋がった卒業生に言われた。
将来のことなんて何も考えたことは無かったが、昨夜の先輩からのメッセージを見て、少し勉強しようという気になった。
駅前の予備校に近い一番大きな本屋に寄り、どれがわかり易いかと中を覗いて確かめてみる。どれも似たり寄ったりで、内容がイマイチか、難しすぎて解く気にもならないものばかりだ。
「漫画でも買って帰るかなぁ」
早々に諦め、売り場を移動しようとした時、今まで聞いた事が無い地響きと体験したことが無い揺れに襲われた。
「地、地震!? 」
本屋のあちらこちらで悲鳴が上がる。立っていられず、その場に崩れるように尻餅をつく。
「お客様! 本棚から離れてください!! 」
本棚は倒れてこなかった。ただ、本棚から飛び出してくる本は見た。ハリウッド映画みたいにババッと宙に浮いて、そして飛び出した本の向こう、天井に亀裂が走るのが見えた。
反射的に、鞄を掲げて頭を守る。怖さから目をきつく閉じるが、いつまで経ってもやってくるはずの衝撃は来なかった。
避難を促す店員の声も、逃げ惑う客の声も何もかもいつの間にか消えて、自分の呼吸する音だけが耳に聞こえる。
「そして少女が目を開けると、真っ暗な場所に一人置き去りにされていたのです」
ドラマのストーリーテラーを真似て、最後の記憶を語ってみるも虚しさだけが残った。真っ暗な場所だが、なぜだか自分の周りだけ明るい。ついでを言えば、今、自分が歩いてきた道もなんとなく地面が明るく見えたから、その僅かな光を頼りに歩いてきただけだ。目的など無い。
「出口どこよぉ」
普通に考えれば、ここは本屋が入っていたビルの中だ。真っ暗なのはきっと地震のせいで電気が止まったとかそんなところだろう。
でも、おかしいのだ。だって、最後に見たものは飛び出してくる本。なのに、今まで歩いてきた道のどこにも本は落ちていなかった。
「マジ、最悪じゃん」
誰かいませんか。と、声を掛けても誰の返事も聞こえない。あの場所で救助の人を待っていたほうが良かっただろうかと思いもするが、本が無いのが気になる。一瞬、死んじゃったのかな。なんて思ったりもしたが、それも現実味が無いので却下した。
『ああ~~っ、やっと見つけましたぁ』
気の抜けた声がどこからともなく聞こえてきて、恐怖に身を竦める。
「えっ、なに。幽霊? 幽霊?! 」
『違いますよぅ、神ですぅー』
すっとぼけた自己紹介と共に、自称神が姿を現した。
「えっ……誰? 」
プリンセスラインのドレスを着た女の子が、パニエで膨らんだスカートの裾を踏まないように両手で掴んでこちらに走ってくるのが見えた。
「トレーン長ッ」
スカートの後ろの長く引きずった裾が、彼女が一歩踏み出すたびに右へ左へと揺れてたなびく。
『探しましたよ、もう。危うく迷子じゃないですかぁ』
凄い速さで走ってきた割に、息一つ切れてない。なんか怖いんですけど、この子。
『今、アナタはどこの世界の理にも守ってもらえてない状態なんですからね。すっごくあやふやで壊れやすいんですから、勝手な行動は慎んでください』
訂正。すっごく怖いよ、この子。
「ごめん、私急いでるから」
『何言っているんです。神様に嘘は通用しませんよ』
「ごめん。自分を神とか言っちゃう子が怖いんで先を急ぐね! 」
『ワタクシは本物ですよぅ』
やめて、怖いぃ。女の子に背中を向けて、反対方向へ行こうとしたら目の前に彼女が現れた。
「ヒッ」
『駄目ですよ』
右に行こうとしても、
『ちゃんとワタクシの話を』
左に行こうとしても、
『聞いてくださいませ』
くるりと振り返った先にも彼女はいて。
『アナタにとって、とーっても大事なことなんですから』
私の鼻先に立てた人差し指で触れてきた。
「アナタ……幽霊? 」
『ワタクシは、神です』
腰に手をあて、誇らしげに無い胸を張られると怖さの変わりに脱力感に襲われた。
「カミ……。そう、カミサマね。オッケー、パパとママはどこかな」
これはきっと話が進まないフラグね。うちのクラスにもいる。人の話全く聞かないパリピが。
『神の派生は等しく、人の子のように……と、そんな話はいいのです』
「じゃぁ、何」
『世の理から外れたアナタの存在が、世界から承認されないために消えかかっている状態だということに気付いてください』
「は? 」
持っていた荷物を下に落とし、両手で顔を覆う。
あぶないぞー、やばいぞー。これ絶対明日、世界が滅亡するとか言い出だすタイプだぁ。
あー、もう。なんて日だー。
『どのような状態かと申しますと、あの場所にいた他の方々は魂だけ弾かれたのですが、アナタは中心に近かったためか肉体ごと押し出されてしまいまして。現在、ワタクシどもが概念として漂う理の外側に肉体を持って存在しています』
顔を覆っていた手をはずし、どんな顔でこんなトンデモ話をしているのかと、据わった目で相手を見る。彼女はとても涼しげな顔で、どちらかというと、とても真剣に私に話しかけていた。
『人が個として存在するためには、自分以外の誰かから其と承認されなければなりません。自分ひとりの自我では限界がありますからね。今、アナタはアナタの世界から弾き出されてしまっているので、アナタをアナタと証明し、承認してくれる理がありません。なので、アナタをどこかの理の中に組み込まないと存在が消えてしまうのです』
淀みなく説明する彼女が、アブナイ人とかではなく、なんだか別の意味で怪しくなってきた。
なんかよくわからないけど。これってなにかの設定、よね。
「それって、なんて深夜アニメ? 」
『深……アニメ? 』
自称神は、フワフワしてキラキラしてて、なんだか売れてない地下アイドルみたい。可愛いわりに運が悪いのか、売り方が悪いのか、本人のやる気の方向が間違っているのか、浮上できてない女の子っぽくてなんだか勿体無い。
そんな風に思えてくると心の余裕が生まれて来た。
「で。見事に世界の理から弾き出された私をどうしたいって? 」
よく判らない三文芝居につき合わされるのも面倒だけど、とりま、暇だしィ。TVとかに出ちゃったら話のネタになるしね。
『は、話を続けさせていただきますね』
おうおう、続けてくれよ。
『まずご理解頂きたいのは、勇者が世界を救う際に問題が発生しまして』
「私が次の勇者? 」
『違います』
「即否定! 」
おっと突っ込んでしまった。この地下アイドル、なかなかやるなぁ。
『世界は救われ、とても平和になったのですが、問題が発生しまして』
「言い直す? ソコ、わざわざ言い直すところ? 」
『情報は正確に』
「……わかった。続けて」
『元々滅ぶ方向に進んでいた理を歪めて正したわけですから、どこかで軋轢は生まれるもので』
「あつれきって何? 」
『……軋轢は生じるもので』
「今、私のこと馬鹿だって思ったでしょう」
サッと目を逸らされた。おのれ、地下アイドル。
『とにかく、色々あってアナタは世界の理の外へとやってきました』
「すっごい、説明の中飛ばされたよね、今」
にっこり。って、笑って誤魔化すんじゃない。可愛ければなんでも許されると思うなよ、地下アイドル。
『世界と世界がすれ違うのは一瞬で、既にアナタのいた世界は遠く理の果てに移動してしまっています。次に何時すれ違うかも判らないため、それまでの間、こちらの受け入れ可能な世界で過ごしていただかなくてはなりません』
「待って。それって元いた世界に帰れるってこと? 」
『機会が巡れば』
「でもさ、今、アンタ別の世界で過ごせ。って言ったじゃんね? それって生活しろってことでしょ? 人間生きてたら年取るじゃん」
『そうですね』
「ってことはさ。時間の流れが一緒じゃない限り、戻っても私だけおばーちゃんになってたり、地球滅亡してましたとかってパターンもあるわけじゃん」
『そうですね』
「だめじゃね? 」
『まぁ……そうですね』
「はっきり言え、もう二度と帰れないって! 」
『そんな酷いこと言えるわけないじゃないですかぁ』
「遠まわしに言われたほうが駄目でしょ?! 気がつかない馬鹿とか、後から気づいた方がショック大きいじゃん! 」
『はっきり言ったら怒られるじゃないですかぁ』
「当たり前だ! 」
はぁぁぁ。肺の中の息を目一杯吐き出して、こめかみをぐりぐりとマッサージする。
待って、待って。落ち着け、私。整理しよう。なんかついついその気になってない?
これ、一般人参加型とかアレ系の番組よね。
『それでですね、いくつかご用意させていただいたのですが』
女神は、ゴソゴソと背中から分厚い通販カタログみたいな冊子を取り出す。待って、それどっから取り出した。お前のそのフワッフワしたドレスのスカートの中か? スカートの中に収納する仕掛けでもあるのか?
唖然とする私を差し置いて、彼女は重そうなカタログを片手に頁を捲りだす。
『このあたりの世界が、文化も似てますし宜しいのではないかと』
言われ、広げられた頁を覗き込んだ。
「おい待て、おもっくそ爬虫類じゃないか」
『駄目ですか? 』
「アンタの目には、私がトカゲ顔に見えるのか」
『見えません』
「しばくぞ」
『仕方ありませんねぇ』
さらにペラペラと頁を捲り、こちらはどうですか? と差し出された。
「魚類か! ウオか! 私の顔はウオか!! 」
『わがままなお客様ですねぇ』
「神殺しとかカッコよくない? 」
『少々、お待ちを』
何気にノリノリだな、この地下アイドル。
しかし、と。私はこの隙に周りをしっかりと見回した。
どこに隠しカメラとかあるんだろう?
周囲を見ても、今この場以外は真っ暗だ。暗視カメラとかで撮影しているのかな。
と、いうか。なんでここだけ明るいんだろう、歩いてたときも思ったけどって私と地下アイドルの体が光ってるからじゃん。あり得なくね。
え。なんで光ってるの、パリピの爪か?あいつらなんたら塗料とか混じったネイルしてるから爪光るんだよねー。ってそうじゃない。
『ここなら、どうでしょう』
少しだけ、やばいんじゃないかと内心焦り始めた頃、女神が再びカタログを差し出した。
「あ、人間」
『はい。見た目は変わらないと思います』
「見た目は」
『見た目は』
「見た目以外は? 」
『少し、大きさが……』
はんなりとした仕草で視線を外された。
「やり直し」
『そんなぁ』
「私だって生きる権利あるんだから、ちゃんとした世界に行かせなさいよ! 」
あ。やば、なんか泣きそう。
「私、帰れないんでしょ。もう皆に会えないんでしょ。私、今日、家出るとき「いってらっしゃい」って言ってくれたママにうるせぇクソババァとか言っちゃったんだよ。謝れないじゃん。アンタ神様なら責任もって私帰しなさいよ」
『ですから、それは……ワタクシだってぇアナタの望みの手助けをして差し上げたいですよぉ。でも、出来ないんですぅ。ワタクシより、世界の理の方が優先されるんですからぁ』
涙目の私より、地下アイドルの方が先に泣き出した。おいおい、私が泣き出すタイミング逃したじゃねーか。
泣き出した拍子に駄女神がカタログを落とす。手放しで大泣きするとか幼稚園児以外で見たこと無いぞ。
仕方なしに、落としたカタログを拾おうとしゃがんで冊子を引き寄せるも意外と重い。面倒になって地面に座り込み、カタログを地面に置いたまま中の頁を捲った。いろんな生物がいる。書いてある文字っぽいものも頁ごとに違って、その世界の文字なのかなー。なんて、ぼんやり思いながら頁を捲り続けた。
『すみません、取り乱しました』
やっと落ち着いたのか、泣き止んだ地下アイドルが座っている私に気づくと同じように目の前に座り込んできた。ふんわりスカート可愛い。
「泣きたいのは、私だよ」
『アナタが泣きたかったから、ワタクシが泣きました』
「なんだよ、ソレ」
『ワタクシはアナタから生まれてますから』
「はぁ? 」
『ワ、ワタクシは概念なので、対話する相手に合わせて顕現するんですぅ』
なんとも情けなくフランクな女神だが、そうか。私がそのレベルということか。
アレ? なんかイラッときたぞ。
眉間に寄った皺を丹念に右手の人差し指と中指で広げて揉み解す。
「私のレベルに合わせてくれてるって事ね。ありがとう」
色々思うところはあるが、私は親しみやすい性格ってことで手を打っておくわ。
「それで私、これからどうなるの? 」
『新しい世界で……多分、生涯を閉じることとなります』
「そう」
『でも、理がっ。理が巡ってアナタの世界が近づけば』
「いいよ。変に期待すると心折れちゃいそうだし」
『……』
「さ、続き探してよ。私が幸せになれそうな世界。この世界に来てよかったな。って思える世界紹介して」
開いた頁はそのままに、カタログを彼女のほうに押しやった。
ここにきて、多分一番優しい声と笑顔だったと自分で思う。けど、彼女は全部お見通しのはず。だって、彼女は私から生まれた私なんだもん。
でも彼女は、慰めの言葉を掛けることなくカタログに視線を落とした。
私が、そうして欲しかったから。落ち込んでるときに、落ち込んでる? なんて聞かれたくない。
「どーやって生きていくかなぁ……」
面白おかしく生きてこれたのは、親がいたからだ。全部、親がやってくれてた。これからは独り。誰も助けてくれないし、守ってもくれない。
あ、お金とかどーすんのよ。言葉もきっと判らない。生活習慣は?
九州に修学旅行行ったとき、ホテルの夕飯でサボテン出てきて驚いたじゃん。同じ日本でもびっくりするのに、違う世界でまともにご飯食べれるなんて思えない。
トイレは? 中国とかトイレのドアないって聞いたことあるし、怖すぎ。
あーやだなー、困ったなー。お布団が恋しいよぉ。
『あのぅ』
陰キャオーラ全開になってる私に地下アイドルが恐る恐る声を掛けてきた。
『色々、その……ご希望を踏まえまして』
「え、もしかして全部口に出してた? 」
『はい。しっかりと』
「ごめん、正直者だからさ」
『はい』
このままここに居たい。って言っても多分無理なんだろうな。だってこの地下アイドル、元が私な分、押しに弱そうなんだもん。そんな彼女が、ここに残れるって選択肢を出さない段階で、きっとここには残れない。
『文明文化、人種的外観、食生活等、見直しましてこちらの世界が一番暮らしやすいかと』
そう言って彼女が差し出した頁は、かなりカオスだった。
「なんじゃ、こりゃ」
『種族的分岐が多岐に渡っているので、アナタと同じ見た目以外の種族も多く分布しておりますがその分、多少マナー違反があっても誤魔化しがきくと申しますか』
「おかしなことをやっても目立たないって事ね」
『はい。衛生面でもアナタが暮らしていた世界ほどではありませんが、保障されています』
「なんか不安ね」
『大丈夫です。汚物を公道に捨てたりはしません』
「それ時代的にアウトすぎる。あと、日本島国だからそんなことして変な菌蔓延したら死ぬから。すげー基準厳しいから」
『時々、頭いいですよね』
「個包装されてるアメ見た外人が感動してて覚えた」
『よく判りませんが、よい体験をされたのですね』
「全く違うけど、そういうことにしておく」
つらつらと彼女が選んでくれた世界の説明をしていく。長い話は苦手なんだけど、ここはしっかり聞いておかないと自分がヤバイって意識はあるからちゃんと聞く。
『と。ここまでお話させていただいたのですが、最後に問題が』
「なに? 」
『この世界は、アナタが理から弾き出される原因を作った世界の一部です』
「……」
『今、この世界自体が元の世界の理から脱して漂流している状態なのです』
「どゆこと? 」
『この世界は元々九つある大陸を一つの世界として形成しされていました。それが、この大陸だけが勇者の庇護から外れて取り残されてしまったのです』
「よく判んないけど、続きどうぞ」
『ええと、要約しますと、勇者によって新しい世界に大陸ごと移動するはずが、この大陸だけその場に取り残されてしまいまして』
「うん」
『この世界の理は、もとの世界の理と同じなのですが、それらは引き合うと申しますか』
「わかりやすく」
『つまり、元の形に戻ろうとするので、いずれは先に旅立った八つの大陸の元へ戻ることになるかと』
「それが問題なの? 」
『嫌ではありませんか? アナタが弾き出される原因となった世界ですよ』
「うーん」
ぶっちゃけ、許容量いっぱいいっぱいでよく判らないよ。
膝を抱え込みウンウンと唸ってみても何がいいのか悪いのか判らない。
「恨んでる、恨んでない。って話なら、恨む理由がわからないよね。私がここにいる理由が意味不明なのと同じくらいわかんない」
びっくりし過ぎて感覚がない。って感じ。明日のご飯とか、今日寝る場所とか、そーゆーこと心配したことなんてなかった。前向きに生きるって、多分そーゆー安定した生活があるからこそ生まれてくる気合だ。
「でもさ、アンタがここが一番、私が幸せになれるって選んでくれたのなら、私はそこで頑張ろうと思うよ」
『……判りました。では何か、ワタクシがアナタに出来うる最大限の加護を与えたいと思います』
「お別れってこと? 」
地下アイドルは泣きそうな顔をしていた。私も泣きたいよ。
『ワタクシは概念なので、直接となる金銭の援助や無限の富などはお約束できませんが、それ以外でしたら何とか』
今更だけど、概念ってなんだっけ。
スカートのポケットに手を入れると中にあったスマホを取り出した。判らないものは調べればいいんだよね。
ロックを外そうとして、気づいてはいけない便利機能に気づいてしまった。
「ねぇ、あのさ」
『はい』
「例えば、このスマホの中に入ってる機能全部を……全部でなくてもいいや。この羊の執事君だけでも……ああ、やっぱだめ。このスマホ出来るだけ全部。私と合体すること出来る? 」
『がっ……たい? 』
「そう、合体。羊の執事君とか超便利なの。例えば外人と話がしたいって時とか、言葉わかんなくても執事君に話しかけるとその国の言葉にして変わりに喋ってくれるのよ」
『はぁ……』
私のハートは鋼じゃない。知り合い一人いない場所に放り込まれて、強かに生きていく自信なんてない。
たった一人でも、私の現状を理解し、私が気兼ねなく会話できる相手がいてくれたら何とか生きていける。そんな気がする。
それが、たとえスマホのアプリだったとしてもだ。
「だーかーら、このスマホの機能を私が行く世界に合わせて欲しいの。で、その機能が私の中に入ったら、言葉の壁とかなくなるじゃん」
『あ、なるほど』
「あとね、写真にとって材料なに。とか聞くと解析してカロリーとか色々教えてくれるの。そうしたら食べれそうなものとか、食べちゃいけないものとか口に入れる前に判るでしょ」
『便利ですね』
「でしょでしょ。ねぇ、やってみてよ」
『いや、それは……』
「やって! 」
手にしていたスマホを強引に地下アイドルに握らせる。スマホ、充電切れたら使えなくなるんだし、そんなの嫌だ。あの中には、友達だけじゃない、パパやママの写真だって入ってる。動画だって残ってる。見たい。見れば寂しくなるだけかもしれないけど、やっぱり絶対全部なくなっちゃうなんてヤダ。いつでも見れるのと、見れないのとでは絶対違うもん。
お願い、お願い。と繰り返していると渋々なのか戸惑いなのかわからないけど、女神様はゆっくりとした仕草でスマホを両手で包み込んだ。
『で、出来るかどうかは判りませんからね。とにかく、先にアナタの行く世界の理の智慧とこれを繋げてみますね』
やっぱり私。押しに弱い。頑張れ地下アイ……じゃなかった女神様。
彼女は集中するためか目を閉じるとスマホを両手に挟んだまま動かなくなった。やがて、彼女の体から発せられる光が強くなる。やっぱり、神。なんか凄い。
ドキドキしながら見守っていると、強くなっていた光が淡く薄れ、彼女は目を開いた。
『繋げることが出来たものは幾つかありますが、出来なかったものもあります』
「まぁ、そうだよね」
駄目でもいいよ。最悪、執事君とストレージの中の写真だけ私の中に頂戴。欲望丸出しの私の顔には一切触れず、スマホに重ねていた手を外すと女神様は黙ってその手で私の額に触れてきた。
『目を閉じて、少しの間だけ何も考えないでいてください』
「う……うん」
言われるままに目を閉じると、深呼吸を繰り返した。なんだか、体の中がゾワゾワする。
『もういいですよ』
目をあけると女神様の手の上にあったスマホはなくなっていて、代わりにやたら小さい丸いぷにょぷにょした物体がそこにいた。
「私のスマホ……」
スマホとの突然の別れに動揺を隠し切れないでいると、そのぷにょぷにょした物体が弾みながら私に迫ってきた。
「えっ、なになに怖い」
仰け反って逃げる私にお構いなしで飛んできたぷにょぷにょは、そのまま私の肩に乗ってその場に居座る。
「ひぃぃ。ちょ、コレなによぉ」
振り払いたいけど、怖くて触れない。取ってーと女神様を見れば、笑っていた。おいコラ地下アイドル。可愛ければ、以下略。
『今渡された物の外側にあった模様を具現化しました』
「え」
肩に乗っている物体を恐る恐る見る。確かに、私のスマホケースに描いてあったイラストの猫だ。
『移し変えができるものは、すべてアナタの知識として反映させましたが、それだけでは寂しいかと思い作ってみました』
「控えめに言って神」
『控えめに言われなくても神です』
「もう、神様凄いってこと」
ちょっと恥ずかしい。今更だけど。
『合体と言われましたので、アナタの一部として本体論的証明を致しました。これにより、アナタが存在し続ける限りソノコも存在し続けます』
「ええと、つまり? 」
『ずっと一緒です』
「ありがとう、神! 」
おいで。と胸の前で両手を受けるように広げると不恰好な黒猫は手の平へと飛び乗った。
「執事君? 」
猫に向かって話しかけると小さな耳をピンと立て、ついでに尻尾も立てて猫は喋りだした。
「どうしました、ラン」
いつもの声だった。私の執事君。思わず、ぎゅうっと顔に猫を押し付けてしまう。
「会いたかったよぉ、執事君」
「私もですよ、ラン」
会話ができる。嬉しい。我慢できずに、結局涙が出た。
『他に、望みはありますか。出来ることと出来ない事はありますが』
ひとしきり泣く時間をくれた女神様だったけど、やっぱり彼女とのお別れの時は近いみたい。
「着てる服とか、どうなってるのかな」
『服、ですか』
洋服って大事よね。現地調達するにも現金絶対必要だし。お洋服買えるまでお金貯めてる間、ずっと高校の制服着てるとかちょっとしんどい。
「ニカウさん問題から考えると、これって凄く大事件だと思うの」
『ニカウさん』
「ニカウさん」
『ニカウさん、とは』
「アンタはハッシュタグか」
執事君の感触が気持ち良すぎて、思わず手の中で転がしてしまう。この女神様、微妙に最高だな。
「昔、ニカウさんって人が暮らしていた場所にガラス瓶が落ちてきたの。ニカウさんはガラス瓶の存在を知らなくて、ニカウさんの周りの人も勿論、知らなくて凄い騒ぎになったのね。同じ地球に暮らしていても自分たちの世界に無いものが突然現れると、誤解が誤解を生んで収拾がつかなくなるってお話。私の着てる服って、今から行く世界にないものだったら、大事件でしょ」
『混乱の種になると』
「うん。だから、今着てる服とか、この鞄の中に入ってるジャージとか、ようは持っているもの全てを世界にあったものに変えて欲しいの」
『なるほど、判りました。少し待ってくださいね』
再び目を閉じた女神様は、今度は肩の高さまで手をあげると手の平を上に向けて何かと交信するみたいにじっとしていた。やっぱり、彼女を包む淡かった光が少し強くなる。
UFOでも呼びそう。そんなことを考えながら見ているとゆっくりを瞼が上がった。
『やってみます』
何を。って聞くより先に、エイッと言わんばかりに手の平を向けられた。びっくりした拍子に執事君を取り落とす。
「マジ、変身した」
洋服や荷物がそれまでと似たような形だが、仔細が違った物になってる。でも、手触りとかは前のままだ。着心地が悪いとかもない。
『頑張ってみました』
「神様最高」
『置き換えることが出来なかったモノはそのままなので、それは見つからないようにしてください。理の外のモノなので、時間経過とともに消失すると思われますが』
「判った。って、ちょっと待って」
今、消失って言わなかった?
それって消えてなくなるって事よね。つまり、お願いしなかったら街中でいきなり裸になっちゃう危険性があったってことじゃない。油断ならないわ。
「つかぬ事をお伺いしますが、この服の素材とかも変えてもらわなかったら消えてた可能性があるってこと? 」
『それは……理が承認すれば、自然と馴染んでいつのまにか置き換わっていたかもしれませんし……』
「しれませんし」
『先に確認しておいてよかったですね』
「まったくだよ」
鞄の中とか色々確認したい物はあるけど、それは後からでもいいかな。いきなり服が消えるアクシデントは回避できたし。
『他に希望はありますか』
「他に、神様が出来そうな事ってある? 」
『そうですねぇ』
頑張れ概念。アンタが思いついてくれないと私、あっさり死んじゃうから。
あ、概念って何だっけ。そうそう、それ調べようと思ったんだ。
「執事君、概念って何」
下に落とした執事君に話しかける。四本足が出たり消えたり、縦に長細い丸いフォルムがなんだかボーリングのピンみたい。
そういえば、ボーリング行ってないなぁ。割引券あったのにもう使えないんだよね、勿体無い。
「はい、ラン。概念とは、思考における」
「難しいのはパス。判りやすくザックリと」
「これってこうよね。という凡その観念です」
「おっと。新しいワードが出てきたぞぉ」
『あのぅ』
「ん。なんか思いついた? 」
『いえ。出来なくはないけれど、してはいけないことのような……』
「赤信号、皆で渡ってはねられた。ってヤツね。それは危険」
ダメダメ。と、首を横に振る。
でも、神様にお願いすることなんて縁結びとか、合格しますようにとか、お金持ちになりますようにとかそんなところよね。
お金関係は駄目。って言っていたから、良縁? やっぱ、イケメンと出会えますように。とか?
「なんか違う気がするなぁ」
『ワタクシも違うと思います』
また口に出てたか、ごめんよ。
うーん。今まで神様が出てくる漫画とかアニメとか映画とか見たことあるけど、あんまりお願いとかしてる場面なかったからなぁ。大体、お願い事しても叶わないし、主人公が自分で何とかしちゃうし……。
こーゆー時のために、絶対叶えてもらえる場合のお願い事はこれだ。みたいなテンプレ欲しいよね。
「はい、ラン」
「ん。どうしたの」
ぷよぷよと私の周りを弾んでいた執事君が、動くのをやめて話しかけてきた。
「イケメンに限定するのではなく、人としての良縁を結んでもらえるようにお願いしてみては如何でしょうか」
「人として」
「はい。これからランが向かう世界は、どうやら今までいた世界と違い魔力といった概念が行使できるレベルで存在するようです」
「うん。魔法使いとか職業としてあるって、さっき説明されたよ」
「ランが超能力といった超越した力を望んだとしても、それは向こうの世界では一般的だということになります」
「それは思いつかなかった。超能力いいね」
「はい、ラン。ですが、一般的レベルで存在するということはランが自己の固定観念を改めた時、ランの中にも無条件で魔力を形成する概念が発生する可能性が示唆されます」
「ハイ難しい」
「地下アイドルにお願いしなくても、ランも魔法使いになれるということです」
『地下……』
さすが私の執事君。女神様見て思ったことは同じだったのね。
「ですから、同じ超越した力を行使する。といった事象を鑑みますと人としての縁を結ぶことに重点を置いたほうが緊急時、特に生命に直結するような危機的状況において救助される確率が格段に上昇します」
「簡潔に」
「トイレに紙がない、誰か助けて。と、SNSで拡散し20分後に個室に紙が届けられた事例があります」
「そうしよう」
トイレの紙問題は重要だ。人としての尊厳が問われる。
『人との縁ですか』
「人でなくてもいいよ、ようは優しい心の持ち主と出会える確率を上げる感じで。私を好きになってくれるかどうかは、私が努力しなくちゃね」
『前向きですね』
「全然。滅茶苦茶不安一杯だし、勘弁して欲しいって思ってるけど執事君って強い味方も出来たし、なんとかなりそうって……ううん。なんとかするんだって強がりでも元気は元気」
TVで金メダル取ったスポーツ選手がよくするポーズで気合を表す。
『アナタが持たない縁を繋げることは出来ません。すべては理の内に。それでも、そう。人が神に祈るのは、神への誓いをたてるためです。ワタクシはこうしたい、こうなりたい。だから、どうか見守っていてください、と。アナタはワタクシに縁を紡ぐ努力をするといった。ワタクシはそれを見守りましょう』
膝立ちになった女神様に抱きしめられた。
ああ、お別れなんだね。残念無念。
ぎゅっ。と、抱きしめられるとなんだか気持ちよくなって、急に眠くなるというのか。頭の中がふわふわしてきて睡魔に負けて目を閉じた。
ねぇ、女神様。それで、私の出会い運はどうなったのかな?
「ハイ、ラン。そろそろ目を覚ましてください」
執事君の声が聞こえる。目覚ましアラーム代わりの執事君の声だ。
あーなんか、もしかしてコレって夢オチってヤツかなー。
「ラン。目を開けてください」
判ってるー。めっちゃ起きてるよー。
でもなぁ、夢が生々しくてちょっと目を開けるのが恥ずかしいというか。けど、まぁいい夢だったし、ソッコーSNSに書き込むか。
「おはよー、執事君」
スマホを探して手を動かしながら、私は目を開けた。
「ここ……どこよ」
変な格好で寝ていたから、体のあちこちが痛い。
ゆっくり身を起こし、周りを見回す。
あちこちにゴロゴロした岩が突き出てる草原の真ん中にポツン。と、置き去りにされていた。
「治安悪すぎ。ってか、こんな所に放置されてなんともないって治安良過ぎなのか? 」
現在位置、現在位置。スマホ……は、ないんだっけ。ペタペタと体を触り、焦ってスマホを探して我に返った。
慌てる私を心配して、小さな黒猫が擦り寄ってくる。
「ラン。この世界にGPSは無いので、現在位置を照会することは出来ません」
「なんという落とし穴! 」
喋りだした黒猫の声が執事君だったことから、夢が夢じゃなくて今も夢の中で、いや、多分現実で。周りに誰もいないことをいいことに、私は奇声を上げると傍らに置いてあった鞄を抱いて草原に倒れこんだ。
「夢オチ期待したのに、マジかーー」
私の名前は鈴村蘭。十六歳十ヶ月と三日。
中学時代からのあだ名はスズラン。何の問題もない幸せな家庭に育ち、極々普通の目立った個性も特技もない平均的高校生。
自分で思っていた以上に頭の出来がよろしくないと気づいてしまったために普段と違うことをしたら、取り返しのつかない人生に方向転換しました。
とりあえず、死なないようにゆるーく生きていこうと思います。
【急募】 異世界での生き残り方
読んでいただき有り難うございました。
更新は不定期となります。
またいつか、お目にかかれることを願っております。