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霧雨花火の隣人  作者: イタドリ
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イキウメ

裏庭に出る窓からは、灰色のブロック塀とその上に僅かに青い空が見えていた。

日に焼けて小麦色になった畳の上で、一人の少女が死んだように寝転がっていた。長く伸びた髪は方々に広がって、巨大な黒い楓の葉のようだった。黒と白のグラデーションを持つ京友禅の着物の中で、紅い紅葉が散っていた。仰向けから、窓から背を向ける様に寝返りを打って背中を丸めると、髪や着物の裾が引っ張られて黒い渦を巻いた。部屋の主が静かに寝息を立てていると、その静寂を叩き割る様な体温の無い電子音が響き渡った。

「…」

目を開けると、少女は黒い着物の裾を伸ばして頭の上あたりを適当に探った。手に金属製の冷たい感触を確認して、それを手元に引き寄せた。

画面だけの端末には、着信を知らせる『少年』という文字が浮かんでいた。

「…」

少し思案するように画面を眺めた後、少女は画面の中に表示されているボタンを押した。

「…」

けたたましい着信音が途切れ、部屋には静寂が戻る。少女は黒く暗転した画面をぼんやりとした眼差しで眺めてから、それを再び放り出して、目を閉じた。

しかし、すぐにまた着信音が部屋の空気を震わせる。

「…」

再び適当に手を這わせて先ほど放り投げた端末に手を掛けると、再び画面のボタンを押した。

「なんで切るんですか?先生ですよね?」

隣人の少年の声が、スピーカー越しに鮮明に聞こえる。少女は寝転がったまま肘をついて涅槃像の様に首を支えた。

「なにかな?少年」

まだ冴えない声で欠伸交じりに尋ねると、少年の溜息が雑音として届く。

「まだ寝てたんですか?もう2時ですよ?」

問いの答えではなく、呆れた声が返ってきた。

「モーニングコールを頼んだつもりはないが?」

少女は寝返りを打って、窓の外で僅かに見える青い帯に目を向けた。

「だったら7時に起こしますよ。そうじゃなくて…」

少年の声が少し押し殺したものになる。察するに、他に誰かが居るのだろう。

「今、坪井さんと一緒なんですけど…」

坪井?ああ、あの刑事か。少女は久々に聞いた名前の様な口調で退屈そうにつぶやく。

「坪井がどうかしたかい?」

「捜査令状を持って家宅捜索に来たところに、たまたま居合わせちゃって…」

「そんな偶々があるか」

先生と呼ばれている少女は呆れた平坦な声を出した。

「その、白崎さんと一緒で…」

少年はさらに気まずそうに声のトーンを落とした。

「きみも、災難だな…」

少女は端末のスピーカーボタンを押して右手を解放した。

「で、要件は端的に頼むよ?」


1時間前


定期テストを終えて通常とは違う類の疲労を抱えながら帰り道の国道沿いの歩道を歩いていると、角を曲がったところで雨傘を差した背中を見つけた少年は、一瞬足を止めた。慌てて曲がったばかりの塀に身を隠したけれど、雨傘の背中は優雅に振り返り、スカートの裾が緩やかに広がる。

「やあ、奇遇だなあツバメくん」

女性は振り返ると、鍔の広い麦わら帽子の奥から爽やかに微笑んだ。

「こんにちは、白崎さん」

浮かない表情で微笑み返す少年に、女性は傘の作る濃い影の中からいつもの様に少年を眺めた。

「ようやく慣れてきたみたいだね。オレも嬉しいよ」

蛇のような虎のような鋭い眼光にも、少年はようやく怯まずに視線をそらさずにいられるようになったが、苦手意識は拭えてはいなかった。

「なんで傘、差してるんですか?」

少年の素朴な疑問に、女性は当然のように答える。

「傘はさすものじゃない?」

女性は傘の柄を捻って、赤い花のような傘が風車の様に回った。

「雨の日に差すものですよ」

少年が目を逸らした時、ふと、二人の脇を一台のワンボックスカーが通り過ぎた。

不意に運転席に視線を向けると、少年は無意識に口を開いていた。

「坪井さん…?」

「おや?キミの知り合いかな?」

少年は背筋を冷たいものが伝うのを感じた。肌が泡立つような感覚に、恐る恐る振り返ると、真っ赤な雨傘を差した女性が興味津々の眼差しでこちらを見据えていた。

「あれは、警察の車両だと思ったんだけど?」

その後、少年は女性が手配したタクシーに乗って、前方を走る車を追いかける事になった。ワンボックスカーは文化住宅や社宅の並ぶ3階建て以上の建物が無い場所から、少し郊外の大きな一軒家が立ち並ぶ高級住宅街の一角、周りの邸宅よりもかなり古びた屋敷の前で止まった。

「なんであれが警察車両だって分かったんですか?」

「前に見たことがあるんだよ。詳しく聞きたい?」

顔を近づけてくる女性に、少年は身を引いて遠慮した。

「なにしてるんだ?」

外見はただの黒塗りのワンボックスカーにしか見えない警察車両の助手席から、灰色のスーツの男性が下りてきた。その後に続くようにスライドドアから作業着姿の男性が3人降りてきて、最後に運転席から喪服のような真っ黒なスーツ姿の男性が下りてきた。

インターホンを押している灰色のスーツの男性をよそに、タクシーから降りた少年と女性が、その様子を窺う。と、すぐに黒いスーツの男性の鷹の様な眼光が少年を捉えた。

「なにをしているんだ?」

慌てて電柱の陰に隠れた少年に、男性は冷淡な声を発した。

「えっと、その…たまたま通りかかって…」

誰の目にも明らかなウソをつく少年の後ろから、閉じた傘を杖の様に携えた女性が男性を眺めて言う。

「あなたが彼の知り合いの刑事さんですか?」

どこか間延びした口調で白々しくいうと、少年の知り合いの刑事は怪訝な眼差しを少年から女性に移した。風の無い晴れた陽気に、少年には静寂が煩かった。

「あなたは?」

「わたしは最近彼の隣の部屋に引っ越してきて、このあたりを少し案内してもらおうと思ったんです。そしたら知り合いの刑事さんを見つけて、ちょっと追いかけてみようって話になったんですよぉ~」

わざとらしくどこか抜けた声で言ったが、刑事は仏頂面を崩すことは無かった。

「悪いが、今日は仕事だ。帰れ」

当然の反応に、何事も起らなかったことに安堵した少年の口からはいにたまっていた空気が緊張と共に吐き出される。

「何かあったんですか?」

白々しく、しかし食い下がる女性に、少年は再び心臓の鼓動が早くなるのを感じた。

「一般人が関わることではない。これは捜査だ」

「捜索、の間違いでは?」

女性は食い下がる。坪井の眼光を受けても怯むどころかニッコリ応戦している。あの凶悪な眼差しに変わったら、この二人はどうなるのだろうと想像すると、少年は今すぐにでも出来るだけ遠くへ行きたいと願った。

「それに、一般人ではありませんよ?」

「…」

静かな攻防はほんの一瞬だったが、少年には永遠よりも長く感じられた。けれど、それは意外な言葉で打ち切られる。

「ちょっと、あの…」

作業着の男性が家から出てきて刑事に歩み寄った。困惑した声から予想外の事態が起きたという事は察しがついた。

「蜜蜂刑事が呼んでいます」

蜜蜂刑事は坪井刑事の直属の上司だった。年のころは40代前半だったが、少年から見れば、もう少し老けているように思われた。

坪井刑事は挨拶もなく、作業着姿の男性と一緒に屋敷の中へ消えて行った。

「行っちゃったね」

「もういいでしょ?帰りましょう」

少年が言って、女性はコックリ頷いた。そして陽気な足取りで無邪気に屋敷の方へ歩き出す。

「あっ!ちょっと白崎さん!?」

少年は慌ててその後を追い、槍のような鳥よけの飾りが並ぶ鉄門をくぐった。


「端的に言うと、行方不明の女性の捜索です。年齢は25歳で無職。去年から行方不明になっていたそうですが、それまではアパートで男性と同居しているところを目撃されています。男性の母親が死んで、実家の屋敷に移り住んだのが1年と2か月前。それからめっきり女性の姿は目撃されていないそうです」

端末越しに少し割れた声がそう説明すると、その向こうで少し枯れた男性のものと思われる怒声が聞こえた。

そんなはずはない!もっとよく探すんだ!

「この屋敷は1か月前に床の改装工事をしています。業者から確認が取れているそうです」

「随分警察から情報を貰えるものだな。感心するよ」

少女はフッと短く息を吐いた。

「床からは、見つからなかったのか…」

「は?」

少年の間の抜けた疑問符だけの声が返ってくる。


「直したのは、床だけなのか?」

端末の向こうから、少年の声が肯定した。

「はい。えっと、床にものを落として床板が割れたので、フローリングを敷き直すことにしたんだそうです」

「なにを、落としたんだ?」

花瓶だそうです。少年の声を最後に、少しの静寂が部屋に流れた。訝った少年が「もしもし?先生」と尋ねると、先生は詰まらなそうに溜息をついた。肘を解放して仰向けに寝転がる。


「少年、悪いんだが、壁際に立って、端から端まで歩いてみてくれないか?」

無残にはがされたフローリングの板と砂埃まみれの作業員や蜜蜂刑事を見下ろしていた少年は、唐突にそんなことを言われて、坪井刑事を見上げた。30代という自称芸術家の男性の横にいた刑事はあっさりと許可をだし、少年は困惑しながらも捜査現場を言われた通りに出窓のある壁際を歩いた。

「何歩だ?」

「えっと、9歩です」

「キミの踵からつま先までを60センチ前後として、約540センチか。では、外に出てくれ」

少年は言われるがままに外へ出ると、手入れのされていない中庭には、雑草が芝生の様に青々と茂っていた。

「さっきと同じ様に壁際を歩いてみてくれ」

「先生、これってどういう…」

要領を得ないまま少年は同じ歩幅を意識して歩いた。その様子を窓の中から女性が眺めていた。

「それは9歩…あれ?」

同じように歩いた少年は横を見ると、まだ壁の端にはたどり着いていなかった。真横を向くと、窓から女性がニヤニヤしながら、刑事は無表情でそれぞれこちらを見返していた。

「何歩で端までたどり着く?」

「えっと、10歩と半分より少し多いくらい…でしょうか?」

屋敷の室内に戻る途中、先生の退屈そうな声が聞こえた。

「壁が厚いな、壁の中にでも埋めたんじゃないのか?」

先生はさらりととんでもない事を言ってのけた。

「床の工事はカモフラージュだろう。床を剥がして出てこなかったら、壁まで壊すとは言い出しづらいとか、壁に穴を開けて死体を埋める作業の音に疑問を抱かれない為だろうね」

「えっ!?でも、なんでわざわざ壁になんか?」

少年が口走った言葉を、その場にいた全員が聞き逃さなかった。屋敷の持ち主の顔から明らかに血の気が引いて行き、対照的に汗と埃まみれの蜜蜂刑事は穴から顔を出して険しい顔に驚愕の表情を浮かべ、顔に血が上って赤くなる。

「壁だと?改装業者は床の工事しかしていないと確認が取れてるんだぞ?」

蜜蜂刑事の怒号が飛んで、少年が気圧されて間誤付いていると、ふとドスッと音がした。

「あっ!すいません!傘が当たっちゃった!」

全員の視線の先で、女性の赤い傘の先端が壁に突き刺さっていた。

「おい!今すぐ壁を調べろ!」

「ちょっと何言ってんだ!壊すのは床だけの話だったはずだ!」

屋敷の持ち主が喚いたが、その脇を黒いスーツの細い腕がしっかり押さえこんでいた。

蜜蜂刑事の指示で、作業着の男性たちが適当な工具を使って壁紙を剥がし始めると、傘の穴が開いた箇所からボロボロと色の違うセメントが剥がれて、そこから半分ほど白骨化したミイラが姿を現した。壁を崩すと、顎の骨がカクッと少しだけ口を開ける様に開いた。

腕を組んだまま、男性は体の芯を抜かれた様に膝をついて崩れ落ちた。

「なんで、わざわざこんなところに…」

「捨てに行った方が確実なのに」

蜜蜂刑事の呟きに、女性が補足するように言った。その瞬間、箍が外れたような大声が部屋に轟く。

「何度も捨てに行ったさ!山奥にも川にも!けれど、この部屋に帰ってくると、必ず床に寝転がっているんだよ!そいつが!」

男性は目を剥いて絶叫しながら、震える手で壁を指さしていた。

「だから、この部屋に置いておくしかなかったんだ…」

男性は狂ったように笑い出して、その声は部屋の中で渦を巻いて反響し、すぐに消える。


「あの部屋は、元々ピアノが置いてあった。防音のために壁が厚くなっていたそうだ。遺産相続でアパートから屋敷に移り住んだが、屋敷以外の資産はほとんど残されておらず、些細な事で言い争いになり、自身の芸術を馬鹿にされたことから突発的に交際相手の頭部を花瓶で殴り、殺害した」

黒いスーツの刑事は淡々とビジネス手帳を見ながら報告した。

「毎度毎度報告に来なくてもいいぞ?あと、これを持って帰ってくれないか?」

先生は銀色の滑らかな端末を取り出して突きつけた。

「連絡手段はあるに越したことは無い。持っていてくれた方が楽だ。私も、先生も、あるいは少年も」

「冗談を言う時はそれに見合った顔をしてくれ…」

先生は腕を開けているのに疲れて床に端末ごと右手を投げだした。

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