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苦手な方はご注意ください。

武田勝頼生存説

作者: 真壁幹流

『逃亡行軍』


天正10年(1582年)3月。まだ冬の冷え込みの残る甲斐の国(現山梨県)の山中を、老若男女の集団が息切らし進んでいた。


「はっ…はっ……!

みな!大丈夫か!」


軽装の鎧を纏うのみとなった男が、自分の後に続く者たちを振り返った。


男の名は武田勝頼(たけだ かつより)。かの武田信玄(たけだ しんげん)諏訪姫(すわひめ)の間に生まれた、甲斐武田家20代当主である。だが、その風貌は敗残の将のそれであった。


「拙者は大事ありませぬ…!」


勝頼の呼びかけに答えたのは家臣の土屋昌恒(つちや まさつね)という者。剛の者として知られた勇将であるが、疲弊の色を隠せていない。いや、疲弊しているのは他の者も同じである。


天正10年3月、武田家は織田家当主織田信長(おだ のぶなが)徳川家当主徳川家康(とくがわ いえやす)に攻められ、滅亡の危機に瀕していた。


3月2日、勝頼の弟である仁科盛信(にしな もりのぶ)が守る高遠城が織田の手に落ちたのをきっかけに、勝頼は落ち延びる決意をした。


3月3日、勝頼は居城の新府城に火を放ち、手勢を連れて、家臣の小山田信茂(おやまだ のぶしげ)を頼ろうとした。ところが、信茂は勝頼の首を引き換えに織田家に降伏する構えを見せた。これを察知した勝頼の一行は甲斐国(山梨県)内を逃亡し続けていたのだった。


今は3月10日、日を追うごとに勝頼を見限るものは逃亡し続け、一行は30人に満たなくなっていた。


(くそっ…これが敗残の将のなりだというのか!俺が至らぬばかりに甲斐武田家は滅んだというのか!!)


勝頼は悔しさに負われ、何度も涙をにじませた。だが泣くわけにはいかなかった。当主の自分が泣けば、ここまでついてきた家臣たちを申し訳がたたなくなる。


無理な行軍をここまでついてきた者達は、勝頼に真の忠義を尽くしてくれた者達である。彼らの忠義を裏切るわけには行かなかった。


「お、奥方様!?」


声があがったのはその時である。


後方で勝頼の正室、北条夫人(ほうじょうふじん。正式な名前は不明。この後は椿姫とする)が、急ごしらえで調達された輿から転げ落ち、倒れたのだ。輿を支えていた男の一人が倒れたためで、側の者が確認すると、彼はひきつったような呼吸を続け、息絶えた。この無理な逃避行による過労死だったのだろうか。


だが、勝頼にはその男は目に入らない。


「椿!!」


勝頼が慌てて駆け寄ると、椿姫は無理に笑顔を作った。


「わ、私は大丈夫です…早く進みましょう。」


「そのようなことを言うな!

誰か、この近くに村はあるか?」


勝頼が一行に問いかけると、一人の家臣が言った。


「しかし、今村に行けば領民が我らを捕らえんとするかもしれませぬ。」


家臣の一人、跡部勝資(あとべ かつすけ)が異議をたてた。


この時代では落ち武者狩りが行われるように、逃げる武士を襲い、討ち取ったり捉えたりして、身ぐるみを剥がしたり首を領主に献上して取り立ててもらったりなどは常套手段だった。勝資はそれを恐れたのである。


しかし、勝頼は自虐気味に鼻で笑った。


「たしかに俺は領民からの覚えも悪いな……だが、織田の威勢を恐れ、既に村には何者もいないではないか。」


勝資は驚いた。猛将として知られた勝頼からこのような言葉が出るとは思ってなかったのだろう。


諦めたように、土屋昌恒が言った。


「これより東に半里(2km)の天目山、その麓に田野の村がございます。そこにむかうのがよろしいかと。」


「うむ…そこまでは進むしかないか。椿よ、進めるか。」


勝頼が聞くと、椿姫は訴えるように首を横に振った。


「私をおいて行ってくださいませ。私は勝頼様の足枷になるだけ………。勝頼様はどうか逃げ延び、武田の家を再興してください!」


「馬鹿者!!」


猛将として名を馳せる勝頼の怒号に、瞬間、世界が静まり返った。


「何故そのようなことを言う!

よいか、俺の妻となったからには、俺と共に逃げ延びよ!果てるときは共に果てよ!冥土でも妻となれ!よいな!」


おお、という声が一行の中から上がった。椿姫は呆けたようになっていたが、やがて顔を赤らめ、恥ずかしがるように顔を伏せた。


はっ、としたように勝頼は立ち上がった。口走ったことを悔いるように苦虫を噛み潰したような顔をすると、


「今日は田野の村で休息を取る!案内せよ!」


バツが悪そうに言った声に、土屋昌恒以下家臣たちは「応!」と叫んだ。当主勝頼の姿に、皆がまた新たな生気を吹き込まれたかのようであった。




『宿命前夜』


一行が入った田野の村はがらんどうのようであった。村人たちは勝頼の予想の通り、やはり逃亡していた。


一行は丘陵に建つ庄屋の物とおぼしき民家と、その付近の民家に入り一夜の休息を取ることにした。


夜が更けた。


疲れてなおも寝ずの番をする事を願った者を外に置き、勝頼は椿姫と共に庄屋の家にいた。


「椿よ。」


「はい?」


勝頼は言った。


「先に言った事は……その、忘れてくれぬか。」


「何故でございます?」


「あれはだな、その…焦っていたのだ。お前を連れて行かせるには何としても動いてもらいたかったからであってな……。」


取り繕うように歯切れの悪い言葉を並べる勝頼を見て、椿はこらえきれずに噴き出した。


「な、何を笑うのだ。」


「いえ…私は嬉しかったのです。そんなに恥ずかしがらずとも…。」


「は、恥ずかしがってなど…」


言っては見るが、勝頼は結局バツが悪そうに頭をかくだけだった。


「ああ、私は勝頼様の妻となれて、幸せ者にございます。政略結婚だと言われようが関係ありませぬ。」


政略結婚、と椿姫が言ったのは、この婚姻が勝頼と椿姫が本当の意味で望んでしたものではなかったからである。


1575年、かの長篠の戦いで武田が大敗北を喫してから、武田領内の治安は揺れ始めた。この問題を打開するため勝頼がとった方策は、関東の覇者と言われた北条氏と婚姻同盟を結び、その影響力によって統治を図ることだった。


1577年、死去していた勝頼の正室の座に北条家の娘を据えることで、武田家と北条家の婚姻同盟が成立した。この時勝頼と婚姻することになったのが椿姫であった。時に勝頼32歳、椿姫は14歳だった。


「いや、それでも幸福というのは長くは続かないものらしい。今の状況を見ればな。」


暗い発言である。勝頼にはある種の諦念があるようだった。


「俺はもう生きれぬやもしれぬ。お前が、俺が死んでから供養してくれるのもいいのだがな………。」


「勝頼様……。」


勝頼は椿姫に向き直った。


「椿、北条に戻るのだ。北条も我らを攻めている今、お前が死ぬことはない。」


勝頼は言った。


実は武田家と北条家の同盟は、すでに形骸化していたのだった。


1578年、越後の上杉家で御館の乱という内乱が起きた。越後の龍上杉謙信(うえすぎ けんしん)の急死によって、上杉景勝(うえすぎ かげかつ)上杉景虎(うえすぎ かげとら)という二人の養子の勢力に二分されたのである。


実は景虎は、元々は北条家から養子に入ったものであったため、北条家は景虎を支援した。だが勝頼は景勝を支持し、結果、間接的に武田家と北条家の中が険悪になった。そして小競り合いが国境で起きたことにより、同盟は実質破綻したのだった。


そして現在、織田徳川連合軍の侵攻に乗じ、北条家は領土拡大のため武田領に侵攻しているのだった。


ただ裏を返せば、北条家は織田家に攻められることはないということである。だから勝頼は北条家に帰るように、椿姫に言ったのだ。


だが尚も、椿姫はイヤイヤと言わんばかりに首を振る。


「勝頼様は私に冥土でも妻になれとおっしゃたではありませんか。私はすでにその覚悟で勝頼様に付き従っているのです。今更北条には帰りませぬ。」


椿姫は頑として言い放った。


勝頼は苦笑するしかなかった。


「そうか……。そうだ。それもそうだ。

共に死んでくれるか、椿。」


「…はい。」


そっと、勝頼は椿姫の手を握った。すると安心しきっているかのように、椿姫は勝頼に寄りかかった。


勝頼は椿姫の肩を抱き、


「もう遅い。今宵は寝よう。」


優しく言った。





そのやりとりを聞いている者がいた。


家の前で寝ずの番をしていた土屋昌恒と跡部勝資である。


「のう、大炊介(跡部勝資のこと)殿。」


「何かな?」


勝資が問返すと、昌恒は


「聞いておったかな?」


何が、と言わない辺りは、思いつくものは一つだからであろう。


「うむ、我らにはやや甘過ぎるようにも聞こえるが…。」


勝資はややにやつきながら言った。


「そうか。」


昌恒は笑っていない。かわりに意を決していた。


「それがしは改めて誓いますぞ。勝頼様と奥方様を最期までお支えすると。

貴殿は如何かな?」


「言わずもがな。」


勝資の笑みも、いつの間にか真面目さを含むものになっていた。





『最期の天目山』


翌3月11日の朝、勝頼たちが控えている庄屋の家に西方の物見に出ていた家臣が転がり込んできた。


「織田軍の先鋒が向かってきております!急ぎここを離れなければ!」


「……そうか。」


時来たれり、と、勝頼は覚悟を決めた。


「勝頼様……。」


椿姫が名前を呼んだ。勝頼の決断を待っているようだった。


「勝資!昌恒!」


勝頼は二人を呼ぶと、意志を告げた。


「俺はここで腹を切る。介錯をつとめよ。」


「…はっ!」


勝資が意を得たりと応えたが、昌恒は違った。


「恐れながら、殿。それがしは残った手勢を連れて、織田の進行を少しでも食い止める所存にございます。お側に居れぬ不忠をお許しくだされ。」


昌恒の悲愴たる覚悟に、勝頼は頷いた。


「わかった。お主を信じておるぞ。

これをつかわそう。」


勝頼は自分の刀を昌恒に差し出した。没落してしまったとはいえども、主君から直に刀を拝領できるのは、戦国時代においてとても名誉なことであった。


「……それがしの生の中で、最高の褒美にございます…殿…!」


感極まって、昌恒の中から嗚咽が漏れそうになる。それを無理矢理こらえ、昌恒は立ち上がった。


「では……先に黄泉に参ります。

………さらばでござる、殿!」


昌恒が出ていき、外から十数人の『応!』という掛け声が何度も聞こえた。やがてそれは天目山の方角へと駆けて行く足音となって遠ざかっていった。


残ったのは勝頼、椿姫、勝資、そして椿姫の家来として北条家からやってきていた四人の家臣である。


「椿よ…本当にいいのだな?」


「もう尋ねなくてもよろしいのですよ?私の腹も決まっています。」


椿姫はそう言うが、家臣たちにはまだ生きてほしいという逡巡もあった。それを見透かすように、椿姫は言った。


「あなた達四人には、北条に辞世の句を届けて欲しいのです。よいですね?」


椿姫はそう言うと、一つの句を詠みあげた。



黒髪の 乱れたる世ぞ 果てしなき

     思いに消ゆる 露の玉の緒



「さあ、行きなさい。必ずその句を北条に届けてくださいね。」


四人の家臣は泣きながらも応え、一路相模国(神奈川県。北条氏の本拠、小田原城がある)へと発った。


「もう思い残すことはありませぬ。」


目を伏せて椿姫は言った。





同じ頃、天目山では、土屋昌恒の率いる十数名の戦士達と、織田軍の先鋒として迫ってきた滝川一益(たきがわ かずます)隊が衝突していた。


昌恒たちは横幅三人が並べるほどの崖道で待ち伏せ、一益隊を急襲した。地勢によって大群の利を活かせない一益隊は、死兵と化した昌恒たちによって押しまくられ、後続の兵たちとぶつかり崖下に落ち、または切り伏せられた。


だが、時間が経てば、人数の少ない昌恒たちは不利になった。疲れたところを切られ、突かれた。


いつの間にか、昌恒の周りには三人しかいなくなっていた。


ここに来て、昌恒は決断した。


「お主らは勝頼様の元へ走り、この状況を伝えよ!もう時はない!」


昌恒の命に従い、三人は勝頼の元へ走った。


あとは、昌恒がどれだけ持ちこたえられるかである。


「ただではやられんぞ!!土屋昌恒の武辺を見ろやぁあ!!!」


昌恒は落ちないように左腕に木の蔦を絡ませると、右手に勝頼から拝領した刀を構え、一人で織田軍にあたった。


この時の昌恒の一騎当千の奮闘ぶりは、現代に『片手千人斬り』として語り継がれることになる。


やがて、昌恒の体にも限界が来た。


(ここまでか……だが!)


それでもなお、昌恒は敵に首を取られるのを、良しとはしなかった。


昌恒は刀の切っ先を自分の首にあて、突き立てた。冷たく鋭い感覚が喉に走る。昌恒はそれを更に抉って、自分にとどめを刺した。


蔦を掴んでいた左腕から力が抜け、昌恒の体が大きく揺らいだ。


(勝頼様………)


意識を手放す寸前、昌恒は主の名を呼んだ。その意識が途切れると同時に、昌恒の体は崖下へと吸い込まれていった。





『甲州武田家の道』


勝頼はもはや邪魔となった鎧兜を外した。


「さて………」


勝頼は正座すると、目の前の床に脇差を置き、着込んでいた装束の前を腹まで開いた。


「勝資。俺が腹を切ったら、躊躇わずに首を切り落とせ。よいな。」


「はっ!」


勝資が勝頼の後ろにまわり、刀抜する。勝頼は頷き、脇差を手にとった。


その勝頼の手に、細い手が重なった。椿姫の手だった。


「勝頼様。」


「…どうしたのだ?」


椿姫は俯いて押し黙ったが、やがて堪えきれなくなったように勝頼に抱きついた。


「な、なんだ…どうしたというのだ?」


「勝頼様っ…」


椿姫は勝頼の持っている脇差を鞘から抜かせ、自分に向けさせた。


「私を、勝頼様の手で……!」


椿姫はそこで言葉を切らせたが、その先に続く言葉は勝頼にも分かった。



――私を、勝頼様の手で、殺してください



「――っ!!」


勝頼は言葉にならなかった。できれば、愛する妻を自分で手にかける事はしたくなかったのだ。


いや、まだ19と年若い椿姫に、本当ならまだ生きて欲しかったのかもしれない。


(覚悟はしていた……俺がやるべきなのだ………)


人生で一番重く苦しい決断をした気がした。


「………よいのか。」


「はい……どうかその手で…」


あとに引くだけの気は、もう、勝頼にはなかった。



「…ふん!!」



ややあった抵抗を抜けた後、脇差は一気にその刀身を椿姫の懐に沈ませた。


椿姫の目が見開かれ、それが虚ろになる。


「かつ…よ、り…様……」


「苦しいか…。苦しかろうな。待ってくれ。今…終わらせる。」


勝頼が脇差を抜くと、傷口からは血が滲み、着物が鮮血の色に染まっていく。


椿姫はぐったりとして勝頼に体重を預けた。


「怖がるな…俺もすぐに行く。

だから、少し、待っていてくれ。」


椿姫の喉元に切っ先を当てる。


「…さらば!」


勝頼は脇差に力を込めた。


その時である。


「勝頼様はここか!」


一人の百姓の身なりをした若い男が駆け込んできた。


「何奴!叩き斬ってくれる!!」


勝頼夫妻の今生の別れから身を引いていた勝資が、飛び出し斬りかかろうとした。


「待たれよ!儂は真田安房守様の遣いにござる!」


勝頼は驚いた。


「昌幸…?昌幸の遣いか!?」


昌幸とは、武田の家臣である真田昌幸(さなだ まさゆき)の事である。かの有名な真田幸村(さなだ ゆきむら)の父にあたる。


「真田家の草の者、鬼塚才蔵(おにつか さいぞう)と申します。主、昌幸様より言伝を預かっております。」


「……すまぬが、俺はもう昌幸の元へは行かぬ。ここで椿と共に果てる。」


というのは、勝頼は当初、昌幸本人の勧めで、昌幸の居城へと落ち延びる予定だったのである。ところが、先に述べた小山田信茂、その他の重臣が反対したために、その話は無くなったのだった。


だが才蔵は頭を振った。


「ともかくお聞きくだされ。

『才蔵をつけますゆえ、心配はいりませぬ。西を頼って落ち延びられませ。西には未だ毛利、長宗我部が健在。新たに再起を図られるのです。』とのこと。」


ここで言う長宗我部氏とは土佐国(高知県)を本拠とし、四国の大部分を領する大名である。織田家と友好関係を築いていたが、ここ数年は信長の苛烈さに反発を強めていた。


「それでどうなると言うのだ。俺はもう、ここで椿と共に死ぬと決めたのだ。もうこれ以上のことはない。」


勝頼はそう告げた。


と、勝頼の頬に冷たい感触が当たった。椿姫の手だった。


「椿……?」


「勝頼…さま…」


息も切れ切れになりながら、椿姫は続けた。


「行って…ください…。私、は…平気…ですか、ら……。」


「なっ…」


勝頼は聞いた言葉が信じられなかった。


「何を言うのだ!俺はお前とここで死ぬ!そう決めたではないか!」


「…いいえ、行くべき…です…。」


椿姫は言う。


「忌み名の、私を……愛し、て、くれたのが……とても、とても…嬉しゅうござい……ました…」


武士にとって忌避される花が二つある。桜と椿である。桜はすぐに散ってしまい、椿の花がポトリと落ちる様は、武士の首が落ちる様になぞらえられ忌避されたのだ。


だが勝頼はそれを気にせずにいた。重臣の中には「北条が我らの滅亡を暗示させてきた」などと、椿姫を揶揄するものがあったが、勝頼はそんなものを気にすることなく椿姫を愛した。今もそうである。


だからこそ、勝頼は自分のみが生きることを許せなかった。


「なぜだ!なぜそんなことを言う!答えよ!椿!!」


「好き、だからで、ございます……」


血が溢れて止まらない。いつ死んでもおかしくないくらいの血が流れ出ていた。死が迫る中、椿姫は伝えることを急くように話し続ける。


「共に、死ねるなら…死んでも、いいと、思いました………。ですが……勝頼、様には………まだ、まだ…生きる、機が、あるのです……。

私はもう、生きれませぬが…勝頼様が……まだ私を、愛して、くださるなら」


声に段々と力が戻ってきた。だが勝頼は知っていた。これは死に際の人間に起こる最後の気力を振り絞った状態なのだ。


もう、椿姫は生きれないのだ。


椿姫は勝頼に最後の願いを託した。



「生きて、ください…。私の愛した御方……」



カクン、と事切れて、椿姫の体が崩れ落ちた。


「椿………。」


信じられないと言ったふうに、勝頼は倒れた椿姫の亡骸を抱え上げた。


もう椿姫は動かない。


「……勝資よ。」


「…はっ」


「俺は行く。」


勝頼はそう決めた。


椿姫の最後の願いはそうだった。


「代わりに、死んでくれるか。」


勝資はすぐに意図を読み取った。


勝頼がそう聞いたのは、勝頼が死んだことにするために勝資の死体を残し、燃やすなどして、勝頼が死んだと見せかけるためだ。


「それがしがつとめられること、本望にござる。」


「……すまない。」


勝頼が振り向くと、すでに勝資は首に深く刀をめり込ませて、前のめりに倒れるところだった。どう、と倒れた弾みに刀がはね跳び、血が吹き出した。


「……忠節、大義。」


勝頼は抱えていた椿姫の死体を寝かせ、乱れ髪を一房切り取った。


「才蔵、と申したか。」


「はっ」


才蔵が片膝をついて答えた。


「ここにはもう何もない。火を放ち、土佐に向かう。案内を頼むぞ。」


「承知つかまつった。」






その後、庄屋の家から火が上がった。


土屋昌恒が遣わした三人の家臣が戻るときには、家屋全体が一つの火と化していた。


椿姫の骸はその後見つからなかった。跡部勝資の骸は勝頼の遺体として織田家によって喧伝され、世俗としては甲州武田家は滅亡したのだった。






『椿姫の名残』


三ヶ月後の天正十年六月に入る頃に、勝頼は土佐の大崎という地についた。だが勝頼は武田家の再興をせず、そこに定着するだけのこととした。この時、勝頼は名を大崎玄蕃(おおさき げんば)と改めている。


六月二日、京で本能寺の変が起き、織田信長は死ぬ。不思議なことに大崎の地にあった、花を落とし始めた夏椿の木が一本燃える出来事もあった。村人は放火があったのだと済ませたが、玄蕃は一人、椿姫が信長を斃し、仇をとってくれたのだと信じた。


その後、羽柴秀吉(はしば ひでよし。後の豐臣秀吉)が信長の後継者として天下を統一することになる。


椿姫の実家の北条氏は1590年、秀吉の小田原討伐によって滅ぼされることになり、代わりに関東には徳川家康が入ることになった。


1594年、玄蕃の元にまた才蔵が訪れた。真田昌幸の長男、信幸(のぶゆき。徳川家の養女を娶っていた)が、徳川家康に頼み、椿姫の故郷相模国の桜の苗を贈ったのだ。


玄蕃はその苗を、燃えた夏椿の木があった場所に、椿姫の髪と共に植えた。これが土佐に勝頼が植えた桜の木として現在も残っているのである。


霊力が宿ったかのように桜の木は早く育ち、早くも花びらを散らすことが出来るようになった。


1609年春、玄蕃は桜の幹に寄りかかり静かに息絶えているのを発見された。享年64歳。


村人の手によって、玄蕃の亡骸は桜の木のそばに埋められた。死別してなお、二人は一緒であったのかもしれない。


現在玄蕃の墓とされるものは残っていないが、たしかにその桜の木には勝頼と椿姫の幾多の遺志が、時を超えて残っているのである。

つたない文章で申し訳ありませんでした(ーー;)


この「勝頼土佐生存説」を、私は信じているわけではありません。

更に言えば、私はこの説や、勝頼、北条夫人の最期などについて詳しいわけでもありません。俄かです。

ですが彼らが生きていたという事実と、その説がある以上、私は「生きていてもいい」というスタンスのもとで書きました。

だからIfという単語が入るのです。

自分が書き上げたそれがまた事実だったのかもしれないと考えるのも楽しいもんです。

ということで、あくまでも自己満足です。

勝頼の生存説は、皆様のそれぞれの考え方次第です。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 勝頼と椿姫の夫婦愛に感動しました・・・。 [一言] 歴史のifは大好きなのでとても楽しめました! 武田勝頼・・・悲運の武将ですよね。もっと他の家に生まれていれば、名将として名を残したかもし…
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