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魂(いのち)【自分だけに与えられたもの】

 ヴェンバ王を中心に平和に暮らしてきた城塞国家マリトバ公国に、存亡の危機が迫っていた。戦闘国家クグス王国の魔の手がついにこの国にも伸びようとしているのだ。

 王は、勝ち目のないこの(いくさ)は王家の者と兵士だけで行い、民衆は今すぐマリトバを捨てて他国へ逃げ出すよう命じたため、多くの民が家財道具をかき集め国から脱出を始めた。マリトバからは安住の地を求めて、あてのない旅へ出発する馬車の列が長い尾をひいた。

 その一方で、ともに戦う決意をして城へと集まる民も多く、その報告を聞いた王は、目を閉じて大きくため息をつく。

「……やはり逃げぬ民もいたか。だが、ムダに命を落とさずに早く逃げるよう説得するのだ。この戦の犠牲は民に支えられ生きてきた王家の者と戦をするために暮らしてきた兵士だけでよい」

「集まってくれた民も、この国が好きなんだよ。あいつらの気持ちをムダにすんな」

 遠慮のない剣士スピラスの言葉に、王は寂しげな視線を向ける。

 なぜ戦いもせず民に国を捨てろなどという見捨てるような命令をしたのか。

 ……すでに知っていたのだ。クグスが攻めてくることも、その結末さえも。

 人ならざるものによって。


 昨夜、隣国に宛て親書を記していた時、間近で呼ぶ声が聞こえた。顔をあげたが誰もおらず、気のせいかと思い再びペンを取ると、今度は耳もとでハッキリと聞こえた。

「ヴェンバよ……」

 心底驚いたが、賊の侵入と考えて椅子を背後に蹴り倒し、机を飛び越えて振り返ると同時に剣に手をかける。

「さすがだ。愚鈍に膨れ上がったクグスの王、ラマルとは大違いだな」

 そこには倒したはずの椅子に異国の服をまとい、長い耳たぶと袖を揺らす男が座っていた。髪はまっ白だったが老人には見えない。

「何者か?」

「その問いを、自ら尋ねるものである」

 そう応えて笑う男だったが、ヴェンバは威厳あるものと悟った。

「改めて尋ねよう。そちは何者であるか?」

 剣に手をかけたままではあったが、口調に敬いが感じられ、『彼』はヴェンバの目を見つめながら立ち上がる。

「そなたに残念な知らせを運ぶものだ」

「残念とは?」

「三日後、クグス王国の兵四万騎がこの国を襲い、その戦でマリトバは滅び、生き残った民のすべてが奴隷となろう」

「なんだと!?」

 ヴェンバは剣を抜いて彼に突きつける。

「デタラメを言うな! いや、デタラメであればなおのこと、今の言葉は許せるものではない」

「吾は事実を述べておるにすぎぬ。今この時も密偵が速馬を走らせておるぞ」

「誰かおらんか!」

「は! …………は?」

 飛びこんできた衛士は王と同様に剣を抜いて、しばし……戸惑いの視線を向けた。

「その者に吾は見えぬ。声も聞こえぬのだ」

 問いかける前に彼が答えた。だが王にははっきり姿が見え、声も聞こえる……ヴェンバの眉が寄り、左手であごヒゲをしきりになでる。

「……いや驚かせてすまなかった。何やら物音がしたのだ」

 ツイッと剣を鞘に納め、衛士に微笑む。

「お調べしましょうか?」

 心配そうに眺める衛士の視線は、何もない壁しか見ていない。

「構わん、もうよい」

 ……衛士が部屋から出るのを待ちかねて彼に視線を戻すと、おかしそうに笑っている。

「まだ信じられないか」

「信じたくなどない。しかしすぐに戦の用意を始めよう」

「そなたの言葉であれば民は信じるだろう。しかしどれほど動く? どう戦う? クグス相手に勝ち目などなかろう。親睦を結ぶ隣国とてマリトバを守れるほどの力はない」

 ……それは言われるまでもないこと。

「密偵はいつ戻ってくるのだ?」

「明日の昼だ。クグスが到着するのは夕刻。使者が手紙を巻きつけた矢を放ち、戦となるのは三日後の早朝だ」

 王は人ならざるものの前にひざまずいた。

「貴公の力をお借りできんか? クグスといえども、先を読んで戦えばなんとかなる。我に差し出せる報酬ならば、どんなものでも差し出そう」

 その姿に彼は悲しげな視線を向ける。

「そなたのあがなえる、いかなるものも報酬とはならぬ。そなたたちにとって価値あるものに、吾は価値を見い出せぬからだ」

「では、貴公にとって価値あるものを教えてほしい。我ではうかがいしれん」

「ならば、一つだけ……そなたは吾が何ものか知っておるか?」

 名を当てろと言われても、知るよしもない。王は答えに窮した。

「考え過ぎだ。吾は吾自身の名すら知らぬ。ゆえに、ただ何ものであるかを知ることが価値あることだと言っておる。今一度問う。吾が何ものか知っておるか?」

 王はゴクリと喉を鳴らす。

「貴公が何者であるか……それならば、答えはただ一つしかない……」

 彼の瞳がわずかに開く。

「神だ。貴公は神に違いない」

 彼は失望をあらわにする。

「吾が神だと? ではこれまでそなたが祈り続けてきた神は吾だったと言うのか?」

「神はいかなるお姿にでもなられる。マリトバの危機に際し、貴公のお姿で我をお試しにこられたのだ」

「そなたの祈る神とは全知全能であろう。吾は自らが何ものなのかも分からぬのだぞ」

「そうおっしゃっておられるだけです」

「……吾は神ではない。そしてこの戦に関与する気もない」

 きっぱり言い放たれ、王は落胆する。

「救わんと言うのであれば、この仕打ち悪魔の所業としか思えぬ」

「それも考え過ぎだ。悪魔であれば望みを叶えるフリをして裏切る。吾はそなたに戦の準備をする時間を与えておるにすぎぬ」

「なぜ?」

「今は教えるつもりなはい」

「我が死ぬのは構わぬ。しかし民を巻きぞえにはしたくない。どうか手を貸してほしい」

「関与せぬと言うたであろう。明日、密偵が着くと同時に、民に国を捨てて逃げ出せと告げれば被害は多少なりとも減るであろう」

「そのようなこと……!」

 王である自分には国を守る義務があり、逃げ出すことなどできない。それより生まれた土地を追われた民が、見知らぬ土地で簡単には生きていけないことは自明の理だ。

「どうするかはそなたに任せる。しかし、戦えばムダ死にする者を増やすこととなろう」

 ヴェンバの脳裏に民の姿が浮かぶ……平和で豊かなこの国にとって、王は支配者ではなく慕われる父であり、民は家族同然だ。その者たちが戦で殺され、奴隷となるなど……。

「この国と、すべての民が生き延びる方法は本当に残されておらんのか……」

「生き残ることができるのは、国を捨てて運よく別の土地に馴染むことのできた者と、奴隷となり生涯を送る者にすぎぬ」

「奴隷であっても、生き延びられるだけよしとせねばならんか……」

「奴隷となってなんの喜びがあろう? このまま国とともに滅びたほうが、屈辱のまま生きるよりもはるかにたやすいではないか」

「何を言う! 死んだのちに天国か地獄へ行くかは本人次第だが、その人生を途中で断ち切られてよいはずなどない」

「断ち切られたくないのであれば生き延びることを選べ! 潔く国を捨てさせろ!」

 彼は王の迷いを一喝する。

「……そなたたちにとって不死や永遠とは素晴らしきもののように思うかもしれんが、本当に永劫を手に入れたものにとってそれは、逃げることのできぬ牢獄へつながれたも同然なのだ。吾にとって吾を知る以外に価値があるとすれば、永劫でない時を手に入れることであろうな」

 彼は目を細めながら薄く笑う。

「ヴェンバよ、そなたは三日後の戦で死ぬ。その時にまた会いにくるとしよう」

 返事を待たず、そのままの姿勢で浮かび、石造りの天井へと消えていく彼を王はただ見送るしかなかった……。


「皆の者よ、長い平和にひと時の別れを告げ、今こそ剣を掲げる時!」

 集まった民に城の兵士たちが叫ぶと、皆、歓声をあげて手にした武器をかざす。

 窓辺から様子を眺めていたヴェンバ王は、さらに士気を高めるため姿の見えるテラスに向かおうとしたところに、城の相談役フィルが駆け寄ってきた。

「ヴェンバ王、いくら民が加勢するとはいえ、敵はクグスの騎兵隊四万。このまま地下の抜け道からお逃げください」

「これはマリトバ最期の戦いなのだ。我は民を裏切ることなどできん」

「お気持ちはよく分ります。私とてこの国を慕い、王をお慕いしております。ならばこそ、生き延びていただきたいのです」

 おとなしく国を明け渡したところで、クグスは王族を皆殺しにする……それはこれまで滅ぼされたすべての国で行われてきた。フィルの顔には愛する王と国を失わんとする苦悩と苦痛が浮かんでいる。

「フィルよ……」

 ヴェンバはフィルの前にひざまずいて手を取り、口づけをした。それは王としてやってはならない、相手に服従を表すものだ。先王の代から仕えていたフィルは、民衆の父であらねばならなかった王よりも父であったとさえ言える。これはフィルへの精一杯の許しを請う行為だった。

「ならば王よ、最期の戦にこの私も加えてくだされ。老いたりとはいえ、かつては歴戦の勇者と呼ばれていたのです」

「勇者フィルの伝説はいまだに語り草だが、それはできない。もう剣を振るうことすらままならないではないか」

「されど指揮はとれます。私の命はこの国とともにあるのです。最期まで役目を果たさせてください」

 フィルの瞳には年老いた者の優しさと決意、そして、勇者の輝きに満ちている……。

「分かった。ならば君は我の妻や子を守り抜いてくれ。隣国であれば受け入れてくれる」

「すでに王妃と王子は我が妻と息子とともに民を装い逃がしました。私の家族が必ずお二人をお守りします」

 ヴェンバはフィルの手を強く握る。

「最期の戦いの指揮……しかと頼むぞ」

 王の瞳からは大粒の涙がいくつも筋をつたい、流れ落ちる……。


「マリトバの危機にまた一人勇者が立ち上がってくれた! 伝説の勇者、フィル・ディアンナ公である!」

 王とフィルが金色のヨロイに身を包んでテラスへと現れた。フィルは九〇歳を越えているとは思えない勇猛な雰囲気を漂わせ、王とともに高々と剣を天へと射し掲げる。

「マリトバ公国に勝利を!」

 伝説の勇者の登場に歓声があがり、いっそう士気は高まる。


 マリトバ軍は国境付近の山岳に陣を置いた。この場所は後ろから攻撃できない断崖絶壁に守られた高台で、敵は身を隠せない平原の坂を下り、狭い上り坂の谷間を通らなければならない。迎え撃つには絶好の場所だ。マリトバの歴史の中で過去何度も侵略を防いでこられたのは、この地形のためといっても過言ではない。

 ……朝もやが立ちこめる平原の坂の頂にクグスの騎馬隊が集結し、朝日がもやを溶かしその戦力が白日の下にさらされると、マリトバ兵たちは息をのんだ。

 フィルも武者震いする。確かに迎え撃つには最良の地形だが、小国が数多く林立するこの地方での戦いにおいて四万という敵に対峙したことなどなかった。それに対してこちらはわずか千数百あまりしかいない。

 ……坂の頂を埋め尽くしていたクグス兵たちが動き始める。部隊ごとに色分けされているため、色鮮やかな絨毯と見まごう騎兵の群がひづめの地鳴りをともなって恐ろしい速さで伸びてくる。

「ひるむな、火矢を射よ槍を打ちこめ、大岩を投げろ! あの数なら必ず敵に当たる!」

 フィルの合図で火矢が放たれ、槍や巨石が投げられると、クグス兵たちは数の多さが災いして逃げ場を失い、右往左往する。その光景に士気をあげたマリトバから一層の矢や槍が放たれる。

 一方で、死をもいとわず矢と槍の雨をかいくぐって狭い谷間へ侵入してきた兵たちは、シラミつぶしに次々討ち取られてゆく。フィルは安堵のため息をついたが、まだ気は抜けない。初戦はしのいだ、これからが本番だ。そうなれば数の多いクグスが有利……分かっているが兵の士気が続けばなんとかなる。これまでずっとそうだったのだから……。

 その時、背後から叫び声があがった。

「何事だ?」

 まさか!? 彼が目にしたのは絶壁をよじ登ってきたクグス兵たちだった。

 ……難攻不落と呼ばれ、多くの侵略を退けてきたマリトバがこの地に陣を置くことはクグスにも分かっていた。そのため、クグスでは選り抜きの兵に素手で絶壁を登る訓練を続けてきたのだ。

 登り切った兵たちを皮切りに縄梯子がかけられ、次々新手の兵が現れる……これまで前面からの戦いしか経験のなかったマリトバ軍は簡単に崩れていく。しかも後ろに配置したのは民ばかりで、とても太刀打ちできない。

 クグスがわざわざ戦を二日後にし、圧倒的な数の兵を見せつけた理由がこれだった。崩れた陣は前からの攻撃にも挟み撃ちにされた……戦いが始まってわずか四時間あまりでマリトバ軍は壊滅し、谷間からクグス兵が城壁内へなだれこんでいく。

「ヴェンバ王よ!」

 フィルは大声で叫びながら剣を手に馬を駆り立てる。王を守らねばならない……ここが壊滅した以上、城は裸同然だ。

 我を忘れたフィルの行く手を阻む敵が次々となぎ払われていく……彼の体には伝説の勇者『金色の悪魔』の血が甦っていた。


「奪え! もはやマリトバは我らのものだ、何もかも奪いつくせ!」

「抵抗する者はすべて殺せ!」

 口々に叫びながらクグス兵がマリトバになだれこんでいく。国内を守る者たちは兵ではなく民ばかりだ。彼らはろくな抵抗もできず、見つかると殺されるか暴行され、家にある目ざとい物は奪われていく。戦が虐殺と略奪へと変わってしまった一方で、他には目もくれず城を目指す左腕に赤い布を巻きつけた兵たちがいた。

 わずかに配置されていた城門を守る兵の抵抗も虚しく、クグス兵は城になだれこむ。

「王を捜せ! 討ち取って名を上げろ!」

 まっ先に飛びこんだ将校の叫びに送られて城に侵入した兵たちが王の広間へたどりついたが、王はいない……隠れているのだろう王を捜していると、突如、数人がまとめて斬り倒された。

「てめえら、うちのオヤジ(王)の城で勝手にガソゴソしてんじゃねえよ!」

 倒れた兵の向こうに立つ鋭い目を持つ男の出現に兵たちは後ずさる。彼は細長い斧のような剣を兵たちに向けた……その男を知らない者はいない。マリトバ攻略に時間がかけられたのもかつて賞金稼ぎとして名を馳せ、今は大剣豪として各国に名を轟かせている『赤い翼の鷹』と呼ばれるマリトバ最強の剣士スピラスがいたためでもある。

「長槍隊!」

 黒の旗を掲げる将校が叫ぶと、剣よりはるかに長い槍を手に兵たちが彼を取り囲む。

「へっ、甘く見られたもんだぜ。その程度でオレさまに勝つつもりかよ」

 言い放った瞬間、槍の穂先をかいくぐり、近距離から斬りつけられた三人が倒れ、兵たちの動揺の隙をついて将校に駆け寄って斬り倒し振り向きざま長槍隊をなぎ払った剣をつたう血しぶきは、まるで赤い翼のように見える……彼の呼称の由来に兵たちは恐怖する。

「まったく、ウワサにたがわぬ腕だな」

 兵の中から声があがった。

「キサマが出てきたとあっては、ワシがやらねばなるまい」

 黒のヨロイをまとい、左腕に赤い布を巻いた男が進み出ると、他に指揮をとっていた将校でさえ黙ってうしろに下がった。

「何もんだ?」

「名のるまでもない!」

 男は見たことのないまっ黒な二本の片刃の剣を翼を広げるように、一方は刃を上に、もう一方は下に向けて構え、斬りこむ!

 ギンッ! と、刃が重なったが、もう一方の剣がスピラスを狙う。

「っぶねぇ!」

 さらに男はジャンプして真上から襲う。

 飛びすさってかわしたが、この男、重いヨロイを着ながらなんという身の軽さだ、それに一合打ち合っただけで腕が痺れる……片腕でそれほどの腕力があるということだ。

「……これほどの剣技。クグスには『黒き翼の竜』と呼ばれる最強の剣士がいると聞いたことがあるぜ?」

「そう呼ばれることもある」

「へっ、上等だ。だったらてめえを倒せばあとはザコってことだな」

 スピラスは一歩踏み出し、男も構える……こんな奇妙な構えなど見たことはないが、あのひと太刀が強さを裏づけている。

 ……言うだけあるぜ……。

 二人はピクリとも動かず、見えぬ刃で戦い始める……先ほどは隙をついた攻撃だったが、正面で向き合うスピラスに男も簡単に仕掛けることはできない。向き合っているだけで身を斬られているようだ。わずかな動きや視線、呼吸のすべてが刃の応酬だ。

「やっ!」

 男が呼気を発し、スピラスも動く。これまで見たことのない踊るような二本の剣技に、攻撃より受けることが精一杯……それに黒いヨロイと剣ではカブトのわずかな隙間からは区別しづらく、剣の動きが読みづらい。ひと息間をあけ距離をとった。

「やるじゃねえか。だがフィルのじいさん直伝の技はこんなものじゃねえぞ」

「承知している。ワシの剣とてあるお方との誓いの技だ。敗れるわけにはいかない」

 スピラスは剣を握り直し、にらみ合った。ほんのわずかな隙が致命的な結果を招く。たがいに油断なく構え、ゆっくりと足場を変える。

 しかし、あろうことかスピラスは急に剣を落としそうになった。あわてて握り直したが、その隙を見逃す相手ではない。目前に踏みこまれたが……スピラスではなくクグス兵の剣が弾かれた。

「……勝負に水を差しおって」

 勝負に集中していたスピラスはあろうことか、敵に背を向け背後から突かれたのだ……賞金稼ぎをやめて正々堂々の勝負に慣れてしまっていたためだが、突いて当たり前の戦場なのになぜ男は味方を制したのか?

「スピラスよ、ワシの兵の失態で興が覚めた。命だけは助ける、道を譲れ」

 男は剣を鞘に納める。

「バカ言うな、こんな傷なんて大したことねえよ」

 脇腹から血を流すスピラスは立ち上がって剣を構えたが、男は片手を上げて制する。

「お前のことは聞き及んでいる。本当はこんな形で勝負したくなかった」

「どんな形だろうと知ったこっちゃねえ。オレさまの命とオヤジの命を天秤にかけることなんてできねえよ、どうあってもこの道は譲れねえな」

「いいだろう。ならば王に忠誠を尽くした剣士としてあの世へ送り届ける」

「へっ、クグスにもてめえのようなやつがいたんだな。侵略し略奪するばかりだと思っていたぜ」

「どう思われようが構わんが、ワシらはバラバラに散らばるこの地の小国を統一し、大国を築きたいのだ。話し合いによる統合が理想だが、今の王たちでは無理だ。ならば武力による侵略をしてでも統一する。そうすればもう戦争が起こされることはなくなるからな」

「はあ? てめえらバカか、戦争をなくすために侵略してるってのか?」

「無論、違う。ワシらが暮らすこの地の国々は、一刻も早く統一しなければならないのだ。戦争を起こさぬためではなく、いつ戦争を起こされても構わぬようにな」

「どういう意味だ?」

 スピラスの問いに、男はカブトの目の部分を押し上げる。

「東の国々が金による謀略によってある帝国に侵略され続けている。

 初めは甘い顔を見せる帝国の財に目が眩んだ各国の王は喜んで貿易を始めるが、その後、王族の欲を利用した策略によって一族に疑いの種がまかれ、政治がバラバラになった隙を突かれ侵略される。さらに民には高額な税がかけられ骨の髄まで喰い尽くされる……これまですべての国がそうなってきた。

 やつらのやり方を見てきた我が国は侵略をまぬがれているが、この地が今の小国のままでは東の帝国にすべて呑みこまれる。その前に帝国に抗える強力な国家を築かねばならないのだ」

 男の深い紺碧の瞳にウソはない。

「てめえらの王ラマルからそんな話は聞いたことねえぞ」

「ワシらが真に仕えしは、王女シュネシアさまだ! あのお方がおられなければ、クグスとてとっくに呑みこまれていた!」

 男は左腕を上げて赤い布を鷲づかみする……シュネシアのことは聞き及んでいる。勇猛果敢だが、冷酷で無慈悲な王女と恐れられている。

「王女は今、すべての罪を一人で背負って戦っておられる。この地を統一した暁に自らの父ラマルを打ち倒し、奴隷となっている各国の民を解放するために。

 ワシもお役に立つためこの剣技、いずれ戦う東の帝国に伝わる武術を修得した……スピラスよ、王女のヨロイの色を知っているか?」

「朱と黒の毒蛇のような色だったな」

「朱は流される鮮血を、黒は乾いてこびりついた血を意味している。この戦が決して後戻りすることのできない、洗い落とすことなど許されざる血塗られた道であることを忘れぬためにな」

「……どんな理由だろうと、この道だけは譲れねえ。だが、もう一つだけ聞きてえ。なぜてめえが指揮をとっていなかった?」

「ワシは剣に長けてはいるが、指揮をとると兵が死ぬ」

「わはは、オレさまと一緒かよ」

 男もニヤリと笑う……その目は敵を見るものではなく旧友に向けるもののようだった。

「だがオヤジのところへは行かせねえぜ」

「そうか……覚悟は、よいな?」

 カブトをかぶり直した男は剣を抜く。

「てめえこそ。……名は?」

「死にゆく者に教える名など持たぬ!」

 激しくぶつかりあう剣が火花を放つ。スピラスは手負いとはいえマリトバ最強の剣士、真剣勝負に脇腹の痛みすら忘れた……いや、思い出すヒマがない。それでもやはり圧され始める。出血は体力を容赦なく奪う。男の剣を必死で防ぐが思うように防御できない。

 ……だが、やられるわけにはいかない。マリトバのため、何よりヴェンバ王のために!

 スピラスが剣で剣を巻きこみながら受けて手首をひねった瞬間、黒の剣が男の手から弾かれる。フィル直伝の技の一つだった。

「なっ!? ぐあっ!」

 驚愕したわずかな隙にひと太刀を受け苦痛の呻きをあげながらも一本の剣で戦う男と、スピラスの二人から飛び散る血は、まるで炎に包まれているかのように見えた。

 しかし、二本の剣技を極め、スピラスより多い出血に気を失いそうな男に敗北がのしかかり、遂にもう一本の剣も弾かれる。

「勝負あったな」

 剣を突きつけられても、男はものともせずに胸を張る。

「さすがマリトバのスピラス。ワシの負けだ。とどめを」

 潔く認めたが、スピラスは剣を引いた。

「てめえは殺したくねえ。すぐに手当てを受ければ死なねえだろう」

「ワシはシュネシアさまと国を統一する戦を始める時に誓った! どんな敵であろうとも絶対に負けないと! その誓いを破っておいて生き長らえることなどできん!」

 スピラスは歯がみする。

 ……よほど大切なんだろう、オレさまにとってヴェンバ王のように……。


 ……オレさまのような賞金稼ぎの悪党の行く末など決まっていた。幼くして両親を失い、生きるため剣の技を磨き、多くの悪事を働き、少しは名が知られるようになってからも人の道から外れた争いの日々を続けていた。ついには仲間の裏切りにあい、なんとかマリトバまで逃げたがケガで動けなくなり、自分を呪い、他人を呪いながら死を待つだけだった。

 倒れていたところをマリトバの見回り兵に発見され、王の前へ引き立てられた時、しょせん死ぬ運命……処刑されるとあきらめていたが、王はオレさまの身の上を聞いて王家の剣士になるよう勧めてくれた。オレさまはヴェンバ王と出会い、生まれて初めて心の平穏を取り戻し、やっと人間になることができたんだ。

 ……てめえの命より大切なやつがいるってのも、厄介だが……ありがてえな。

 ……そう言えば、なんであの時マリトバに逃げようと思ったのか……そうだ、ガキのころ両親が死んで親戚に財産を何もかも奪われ捨てられて途方に暮れてた時に、髪がまっ白で変な服を着たやつが、短剣をくれ、ガキでも生きていける場所を教え、本当に困った時はマリトバを目指せって言われたような記憶があるが……。


「送ってやる。シュネシアに忠誠を尽くした剣士として」

 引いた剣を再び構えると、男はカブトを脱いだ。そこで初めて鎖かたびらを着ていなかったことを知り、驚く。身の軽さにも納得した。その顔だちは端正で思っていたよりもずっと若く、微塵の恐れも感じさせずに斬りやすいようあごを上げる。

「……もしキサマがシュネシアさまから手を貸してくれと頼まれたなら、力になってくれないか」

「オレさまもてめえと同じだ。仕えるのはマリトバ公国のヴェンバ王、ただ一人だ」

「ならば、戦うことになろうとも、王女の真意だけは分かっておいて欲しい……」

 うなずくスピラスに男は安堵の瞳を向け、小さくつぶやく。

「なんて言った?」

「……ガリヌセラ……ワシの名だ」

「なんで名のらねえか、やっと分かったぜ」

「死にゆく者には必要ないが、生きゆく者には語り継がれるのでな」

「安心しな、オレさまでなくとも、てめえは語り継がれるぜ、ガリヌセラ(ひなどり)!」

 胸の前でいったん剣を止めて敬意を示し、腕が一閃した……が、ガリヌセラの首は飛んでいない。

「どういうつもりだ?」

「どうもこうもねえ。オレさまはてめえの誇りをぶった斬っただけだ。さっさとケガの手当てを受けやがれ」

「情けなどいらぬ!」

「もしてめえが! この地を統一した時に、てめえより先にシュネシアが誓いを守り死んでいたとしても満足か?」

「バカな! シュネシアさまがおられなければ意味などない!」

「あいつも同じなんじゃねえか? なんで朱と黒のヨロイを着てるのか分からねえのか」

 ガリヌセラは言葉を失う。

「後ろのてめえらもボサッとしてんじゃねえ。さっさとこいつの手当てをしやがれ!」

 あらがう力のないガリヌセラは怒鳴りながらクグス兵たちに担がれていく。

 スピラスは残った兵たちに向き直る。正面には勝負の成り行きを見守った多くの色の兵たちがうごめいていた。

「よく聞け。国に大事なもんが待ってるやつはこっから先、オレさまには手を出すな。もう殺さないようにやるってのは無理だ」

 兵たちに微かな動揺が走ったその背後から、

「こっちだ! 王はこの奥にいるぞ!」

 援軍を呼ぶ声が響き、今のやりとりを見ていなかった兵がぞくぞくと集まってくる。

「まったく、どっから湧いてきやがんのか」

 ため息をつき、笑って肩をすくめた。


 立っていられないはずのないスピラスにどれほどの兵が返り討ちにされたか……さすがに彼も後退を余儀なくされ、ついに王の部屋の扉が背中に当たった。

「てめえら、まだやるってか? ムダだムダだ。周りを見てあきらめな。オレさまもこれ以上てめえらを傷つけたくねえ」

 息も絶え絶えに笑うスピラスに兵たちは一瞬ひるんだが、すでに勝利を確信している兵たちに退くつもりはない。さらに抵抗を続けるスピラスだったが、一人の槍を受け損なったことを合図に何本もの槍が続けざまに体にくいこむ。

 ……悔いがねえわけじゃねえが、ここまでだ。オヤジ、人間として生きる希望とオレさまのような悪党に死に場所を与えてくれて、本当に感謝してるぜ。それと、顔も覚えてねえがマリトバに行けって教えてくれたやつ。てめえの忠告がなかったら、オレさまはここにいなかっただろうな、ありがとよ……。

 笑みを浮かべ、立ったまま動かなくなったスピラスにクグス兵が恐る恐る近寄ると、すでに絶命していた。

「剣士スピラスに敬意を!」

 クグス兵たちは剣を掲げてスピラスに敬意を表し、扉をぶち破ってなだれこんだ部屋で王を探したが……誰もいない。

 その時、突然足もとが失われる。そこは侵入者を一網打尽にする罠の部屋だった。

 彼らはスピラスの芝居にまんまとはまったのだ。

 深い闇の底から、彼の笑い声が兵に聞こえたかどうかは……知るよしもない。


 スピラスが戦っているころ、ヴェンバ王はすでに城の外にいた。クグス将校のマントを羽織って城門の内側で待ち、なだれこんできた敵に馬上から城内へ誘い叫んでいたのは他ならぬ王自身だったのだ。おとりのスピラスを残し城から出て、たった一人で敵の本陣を目指す作戦だ。

 ……我が討って出られるのは、城を守ってくれている兵や民のおかげだ。ここにおらずとも、彼らの心は常に我とともにある。

 これまでならこんなだまし討ちのような策などせずに城で敵を迎え討ち、死ぬまで戦い続けただろう。しかし『彼』から教えられている。この戦いでマリトバが滅びると……ならば、せめて一矢は報いたい。

 ……このチャンスはムダにできない。なんとしても本陣までたどり着き、相打ちになってでも将軍を討ち取る!

 チャンスはすぐにやってきた。もはや陥落同然のマリトバに向かって、将軍旗を掲げた大隊がなだらかな坂を下ってくる。

「伝令! 将軍に伝令ーーー!」

 味方のマントを羽織る者の姿に敵は急いで道を譲る。勝ち戦という安心感がこれほど不用意に敵を近づけさせるものなのか……いずれにしろ千載一遇のチャンスだ。

「伝令だ! 将軍はどちらに?」

 大隊の中心で停止した移動式の天幕の中に、うながされるがまま駆けこんだ奥の部屋には豪華な衣装を身にまとった者が座り、こちらを見ている……間違いない!

 一気に突っこんで一刀両断! 声をあげる間もなく宙を舞う将軍の首……だが様子がおかしい。一滴の血も出ていない。

「そこまでだ!」

 部屋の周囲の布が取り払われると、大勢の兵が王を取り囲んでいた。

「今回の戦で伝令は一切しない取り決めを将校のお前が知らないはずがない。何者だ?」

 ヴェンバがはねたのは将軍の首ではなく精巧につくられた人形だった。

「おおぉ……!」

 虚ろな瞳を空虚に向ける首を見つめ、歯を食いしばる。

「芝居はもうよかろう。つくり物とはいえ、ひと太刀で首をはねる剣技、ただ者ではあるまい……スピラスだな?」

 兵たちは油断なく構える……こんなつまらない罠にまんまと引っかかるとは……ヴェンバは拳を握りしめる。こうなればせめて最後まで抗わなければ民に申し訳ない! 勢いよくマントを脱ぎ捨てると、天幕の中は王のヨロイの輝きでまばゆい光に包まれる。

「我こそはマリトバ公国第二十二代目国王ヴェンバ・テアラビである!」

 風格に気圧されながらまぶしそうに目を細める兵たちに大声で叫ぶと、一様に動揺が走る。

「将軍はどこにいる?」

 王は剣を突きつけ将校に訊ねた。

「ぐっ! まさか王とは。しかし、手間が省けたというもの……将軍はここにはおられない。まんまと引っかかったな! 将軍は後方の小隊で指揮をとっておられるのだ!」

 気分を昂揚させた将校は、してやったりと叫ぶ。それよりここにいないとは……もうたどり着くことすらできまい……。

「よしっ! ヴェンバ王を討ち取れ!」

「待て!」

 兵たちが一斉に飛びかかろうとしたその時、天幕の奥から鋭くあがった声に、全員の動きが止まった。

 声を発した者の影が近づき、兵たちの緊張が高まる……ヴェンバにも見覚えがある。朱と黒のヨロイに身を包み、真紅のマントをひるがえしながら赤の兵たちを引き連れているのは、やはりシュネシア王女であった。

「久しいな、ヴェンバ王よ」

 鈍く輝くカブトを外すと、父ラマル王とは似ていないウェーブのかかったダークブラウンの長い髪がなびき、うす紫の瞳がヴェンバに向けられる。

「三年前のカルガス王家会議以来か、そなたが指揮をとっておったとはな」

 ヴェンバもカブトを外した。

「父が長年欲しがっていたこのマリトバは、私でなければ攻略できまい。何より他の者に落とさせるわけにはいかないのだ」

 カルガス地方の王たちが集まる王家会議……たがいの和平を目的としたパーティーの華やかなドレスと正装姿の諸氏の中に、一度だけ参加したシュネシアは、剣を携えヨロイを着たままだった。

 あれから成長しているが、強い眼差しは変わらず、まだヴェンバを見上げなければならなかったがその風格は同等だ。

「シュ、シュネシア王女、後方の小隊におられたのではなかったのですか?」

「だとすれば、お前のせいで私の居場所が敵に知られていたな」

 彼女の言葉に息をのむ。その直後、将校はシュネシアの後ろに並ぶ兵に腕を取られ、外へ連れ出される……許しを請う叫びが小さくなっていき、兵たちに一層の緊張が走る。

「他の者はよい。教えなくて当然だろう、ここを守るすべての者が私がおらぬと思わねば敵をだますことなどできんのだからな。

 あとは、マリトバ侵入の際に果たすべき役目も果たさず、略奪と女への暴行を行った兵どももすべて集めておけ!」

 彼女は今回の物量作戦のためにラマル王の兵も使ったが、ラマルの下では当たり前の行為も、シュネシアの下では厳罰に値する。

「それにしても、ここへくるのはスピラスくらいだろうと考えていた。その時は我が軍に入るよう説得でもしてみるつもりであったが、よもやヴェンバ王自らがくるとは思わなかったぞ」

「ムダだ。スピラスは裏切ったりなどせん」

「分かっている。説得でも、だ。仕方あるまい……ヴェンバ王よ、お前を説得でもしてみるか……」

「どういう意味だ?」

「今すぐにマリトバが滅び、民はクグスの奴隷となったことをお前自身で告げよ。そうすれば王族の中でお前だけは命を助けてやる」

「一族の者たちを犠牲にして我に生き恥をさらせと言うのか!」

 激昂する王に、シュネシアは冷ややかな視線を送る。

「お前を助けることが最も危険なのだ。王族を残すと後々までの遺恨を残し、反旗をひるがえす決起の種となるのだからな」

「ならば、なぜ?」

「カルガス王家会議に集まっていたカスどもの中でお前だけは……権力と物欲の権化どもの中で唯一、王たらんとしていたからな」

 そう言って細めるシュネシアの瞳の奥には王家会議の光景か、それともその象徴のような父、ラマル王を思い浮かべているのか……。

「では我を斬り捨て、民と国を助けてくれ」

 ヴェンバの申し出に彼女の目はつり上がり、うす紫の瞳は燃えるように深みを増す。

「民を失いたくない! 国を失いたくない! 平和であり続けたいのならば、自国を守れる軍を育てるか、敵となる国との戦いを起こさないための交渉材料を準備しておくべきだったのではないか!? 戦を始めるまでに二日もの猶予をおいたのだぞ。いかに民から信頼厚き王であろうと、その柱を失った国はたちどころに崩壊し、残された民はいっそうの苦渋を味わうことになるのだからな。

 そうさせないことが我々王家の者の務めであろう? ヴェンバ王よ、お前はそれを怠った! 果たすべき務めも果たさぬ王の首一つで民と国を助けろとは、思い上がりにもほどがあるわ!」

 言い放った王女だが、ヴェンバと視線を合わせようとしない。

「……説得は、やはりムダだったようだな」

 シュネシアは小さくつぶやいて背を向ける。

「ヴェンバ王を討ち取れ! その者に莫大な褒美を与える!」

 足早に出て行く背を見送りながら、王は兵たちに取り囲まれた。

 ヴェンバの額に汗が吹き出す……シュネシアと対峙しておきながら、みすみす見送ってしまった不甲斐なさに、悔しさで全身が熱くなった。だが、このままやられるわけにはいかない。

「かくなる上は、民よスピラスよ……お前たちの覚悟をムダにはせん」

 王の瞳に剣士としての光が宿り、その迫力に兵たちは思わず後ずさったが、鋭い光が彼らを縫った瞬間、数人が倒れる。

 剣を握ったその日から伝説の剣士フィルに鍛えられてきたヴェンバ王……何が起きたのか分からないまま、再び数名が倒れた。

「マリトバは今日……滅ぶ。しかし、この国の王としてそれを認めるわけにはいかん!」

 王を囲んでいた兵たちが凍りつく。家来のいない王など赤子同然ではないのか? だが、ヴェンバはそれをまっ向から否定している……目の前にいるのは称号ではなく王なのだ!

 兵たちの額に脂汗がにじむ。


 敵を倒しながら天幕の外へ出たヴェンバだったが、そこにはさらに多くの敵が待ち構えていた。

 ……最後まで、我は最期までマリトバのために戦わなければならんのだ! でなければ代々の先祖たち、この国に暮らした多くの民の誇りを汚すことになる!

 群がる敵をものともしないヴェンバに恐怖し、ついに兵たちは我先に逃げ始める。その流れに逆らってまっ赤なマントをひるがえしながら飛びこんできたシュネシアが正面から剣を受けた。

「私が相手になろう! 皆のもの我らより離れておけ!」

「うむ! そなたとて容赦はしないぞ!」

 王家の者の一騎打ちだ。ヴェンバ王と十七歳のシュネシア王女では話にならないと思えたが、互角だ。

「これほどの腕を隠しておったのか! なぜマリトバはそなたが落とさねばならなかったのだ! 平和ボケしたマリトバは落としやすいと踏んだか!」

「そうではない! すべては私のエゴだ」

「エゴだと?」

「私はお前が嫌いではなかった!」

 その答えを聞き、ヴェンバは間合いを取る……我が嫌いではなかったためマリトバを落した。そしてそれがエゴであるとは……つまりシュネシアは我を王として尊敬していたため、他の者に殺させたくなかったということか……。

「……東の帝国のためか?」

 ヴェンバの問いに、シュネシアは小さくうなずく。

「ラマルは、父は嫌いか?」

「民の生き血をすする者を、王とも父とも思ったことなどない!」

「ならばそのような思いをする者は、そなたで終りにしてくれぬか」

「そのつもりだ……」

 やり方はどうあれ、彼女は民を愛している。もし我を倒せるほどならば、この娘に未来を託してもいいのではないか……。

 ヴェンバの構えが変わった。殺気が消え、自然体だ。気配を察したシュネシアは、マントの下からもう一本、片刃の黒い剣を抜いた。

「剣が増えても変わらぬぞ」

「これは誓いの剣だ。これを使う以上、私は負けられない」

 ヴェンバも剣を握り直す。

 勝負はひと太刀……たがいに呼吸を感じ、どちらも静寂の世界に包まれた一瞬! 二人はすれ違った。

「ヴェンバ王よ……お前のことは忘れない」

 つぶやくと同時にシュネシアのカブトが割れて地面に落ち、額から血が吹き出す。

「シュネシアよ……この国の民は皆、我が子だったのだ。せめて命までは……」

「ならばお前に殺された私の民は……!」

 ヴェンバのつぶやきに、反論しかけたシュネシアは改めて見る周囲の様子に息をのむ。ヴェンバに倒された兵たちは傷こそ負ってはいたが、すべて生きている……。

「……今すぐ、今すぐすべての兵にマリトバの民は処刑するなと伝えよ!」

 即座に赤の兵が馬で駆け出して行くのを見送ったヴェンバは、緊張の糸が解けたのか、胸から鮮血を噴き出してその場にゆっくりと倒れていく……。

「ヴェンバ王よ! おのれシュネシア!」

 勝負を見守っていた兵の壁が突然吹き飛ばされフィルが駆けこんできた。間に合わなかったことに激昂し、シュネシアに向かって駆け出す。

「悟れフィル! もはやお前の守るべきものはすべて失われている」

「それでも構わぬ!」

 返り血にまみれたボロボロのヨロイの上に光る殺意の目……まさに悪魔そのものであった。しかし、シュネシア相手には歳を取り過ぎていた。黒い片刃の剣と打ち合い、袈裟掛けに斬られる。

「お、おのれ……おのれ!」

「……やや浅く斬った。わずかだが歩くことはできるだろう」

 シュネシアの指す剣の先にはヴェンバ王が横たわっていた。

「わしに情けをかけるというのか」

「失いたくない者を失う悲しさは私とて知っている。我も将来を誓った者を失いかけたが、将軍である以上そばへついてやることもできん……だが、お前はもう許されている」

 彼女の意思を悟り、フィルは折れた剣を杖にヨロヨロ歩き出す。

「フィルに道を開けよ! なんびとも手出しは許さぬ!」

 兵たちに見つめられながら、フィルは無惨に変わり果てたヴェンバ王の亡骸に近づくにつれ、年齢相応の老いた姿となっていく。

 ヴェンバの前にひざまずき、両手を握り深く頭を垂れる。

「おお神よ! この者の魂を天国へお召しください! 王よ、心配めされるな。このフィルもお供させていただきますぞ!」

 天を仰いで剣を握り、自らの喉をかき斬ってとどめを刺す……その姿にシュネシアは歯を食いしばり……そっと黙礼した。


 人には見えない姿となっていた彼は、フィルの横で哀れな視線を向けていた。

 ……愚かな。そなたの最期は忠誠を誓っているかのような、ただのムダ死にであることに、なぜ気づかぬ……。

 その時、彼の足もとに横たわっていた『ヴェンバ王』が目を覚まし、立ち上がって辺りを見回したが、『体』は倒れたままだ。

「……わ、我は?」

「ようやく気づきおったか。肉体の檻から出られた気分はどうだ? 心配いらぬ、そなたたちの剣では肉体を断つくらいしかできぬのだからな」

「我は殺されたのか? しかしなぜ生きている? フィルはなぜ自刃している? 民はどうなったのだ?」

「そなたは殺されたが魂は滅びぬ。フィルはシュネシアと戦い、死に場所を与えられた。マリトバは滅ぼされ、民は奴隷と化したのだ」

「この目で確かめなければ信じられん!」

 物理法則に縛られていないため、思うところへ瞬時にたどり着く不思議さを忘れて国中を回ったヴェンバだが、マリトバの旗はことごとく打ち倒されクグスの旗にとって変わり、縛られ歩かされる民やクグスの兵に触れることも気づかれることもできず、やがてなすすべもなく座りこむ。

 その背後に現れた彼に、ヴェンバは絶望の瞳を向ける。

「なぜ我に負けることを教えた。滅ぶからか? 滅ぶ者への嘲りか!?」

「それも永劫の時を埋めんがための楽しみではあるが、そなたが本物の王であるためだ」

 彼はヴェンバの肩に手を置く。

「本物の王?」

「民を思い、民のための政治ができる王はこれから先、当分おらぬ。

 四年後のこの日、小国を統一してラマルを追放し、すべての奴隷を解放して本物の女王として君臨するシュネシアは、東の帝国と対等の国を築き上げることになるだろう」

「だからとてマリトバは……いや、マリトバの民だけでなくこれから起こされる戦で滅ぼされる国や、殺される民たちが救われることはない」

 ハラハラとこぼれ落ちる涙がマリトバと呼ばれた大地に吸いこまれたが、それとても、ここがマリトバと呼ばれる以前に暮らしていた民の流した涙と同じだった。

「……吾につき合わせたせめてもの礼だ。見るがよい」

 彼が王のまぶたに軽く触れると、虹色の光に包まれた光景が現れる……それは、天空より次々舞い降りる天使たちの姿であった。

「救われるのか……民は」

 殺されながらも天使に導かれ、天国へ導かれていく民たちの魂……。

「これが本当の世界だ。これで目に見えていた地獄のような光景にそなたの思いが縛られることもあるまい」

 王の瞳から一筋の涙があふれる。

 それは先ほどまで流していた涙とは違うものだった。


 ……王に向かって舞い降りてきた天使が手を差し伸べる……ためらいながら視線を向けた彼は、黙ってうなずく。

「ならば、導いてくれ……我も」

 微笑んで手を差し出すヴェンバ王。天使も微笑んでしっかりと手を握った。

 昇り逝く王の姿を見送り彼は満足げに笑う。そのそばには別の魂がフラフラとさまよっていた。

「どこだ……どこへ行かれたのだ」

《こっちだ、こっちにおるぞ》

 呼び声に引かれ、さまよう魂は歩を進める。

《早くきてくれ、ここだ、ここだ》

「おお、ヴェンバ王、今行きますぞ」

 声色を真似ていたモノが仕掛けた穴にフィルの魂が堕ちると、果てしなく深い穴からたくさんの嗤い声が響いた。

 その光景を眺め、彼はため息をつく。自害した者は天国に昇れない……彼でさえどうすることもできない。彼はヴェンバにとって、最も理解しやすい救われる者の世界を見せたにすぎない。むしろ戦争の最中、救われる者のほうが少ない。すべての世界が見える者にとって、やはり今ここは地獄そのものなのだ。

 ……時がたてば、いずれそなたの無念も消えよう。その時には願いを叶えてやろう……。

 気の毒に思いながら、届かぬフィルに約束する。


「ほう、オマエがここにいるとは意外だな」

 彼に声をかけたのはあの少女……王だった。

「ヌシこそ何をしておる?」

「心外だな、吾は世界を担う王だと言っただろう。吾が導くべき者を連れにきただけだ」

「ヌシが導くべき?」

 王の背後には大勢の魂がいた。その中にはスピラスもいたが、彼のことは覚えていないようだ。

「まったく、導かんオマエは見物気分でよかろうが、導くものの身にもなってみろ」

「こやつらをどこへ導こうというのだ?」

「吾の担う世界へだ。ぐずぐずしてはいられん、まだまだ導かねばならんのでな」

 言うが早いか、少女が宙に浮かび姿を消したとたん、連れていた魂たちも消えた。

「相変わらず、せわしいな……」

 微笑みながら空に浮かび、まだ争いの続く大地を見おろす。

 勝利と絶望の入り交じった風が吹きつけるマリトバと呼ばれた大地には、そこに住んでいた人間と、その営み以外、何ごともなかったかのように在り続けている。

 これからもこの地で争いは繰り返されるだろう。

 ただ偉大なる大地であることだけが、変わらないまま。


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