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富(まとい)【真の中身を欺かせる】

 往来の片隅にボロボロのうす汚い身なりの男が力なく座りこんでいるのが、行商の旅から帰ったショウの目に止まった。

「おめえ見かけねえ顔だな。旅のもんか?」

「……ああ」

 聞けば男は金がなく、この町へたどり着いてからも、食べ物にもまともにありつけず、もう二日も道ばたですごしているとのことだ。

「この町の奴らはみんな貧しくて、ヨソもんを助ける余裕がねえんだ。旅のもんにはつらいだろう、あっしも行商先でつらいこともある。どうだい、おめえさえよければウチにきな。大したもんはねえが、メシぐらい食わせてやるぞ」

「それは、ありがたい」

「なあに、あっしらは助け合わなきゃ生きていけねえんだ」

 ノソリと立ち上がった男は、馬をひいて先に歩くショウの後ろをフラフラと追う。

「ここだ。ちょいと狭いが暮らせば都だ。湯を沸かしてるあいだに馬にエサと水をやってくらあ。行商のあいだ重い荷物を運ばせたんだ。ウチでは楽させてやらなきゃな」

 せわし気に荷物を降ろして男を家の中に案内し、かまどに火をくべて馬の世話にむかうショウ。中は広くはないがきちんと整理してあり、通りに面した部屋は扉が閉じられているが、商品の塩や乾物が並んでいる。

「ところでおめえ、メシ食ったら水浴びしろ。こう言っちゃなんだが、ずいぶん臭うぞ。それで食いもん屋にも入れてもらえなかったんだろう。水ならあそこに溜めてある」

「臭うか。そのようにしておったのだからな……しかし、もうその必要はないな」

 言うと同時に、男がまとっていたボロは輝きを帯びたまっ白な美しい衣に変わり、家の中にはかぐわしい香りが漂い始めた。

 長過ぎる袖の着物と紫のはかま……男の姿にショウは口をポカンと開いて目を見張る。しかし、すぐに着ている衣がとてつもなく身分の高い者にしか着られないものであることに気づき、あたふたしながら尋ねる。

「おめえ……い、いや、あ、あなたさまはいったい、ど、どなたさまで?」

 その問いかけに、長い耳たぶを揺らしながら『彼』は答えに窮する。

「吾か……吾にも何ものなのか分からぬ。そなたの好きに呼ぶがよい。それよりも、そなたこそ何ものであるか?」

「へ、へえぇ、あ、あっしは塩や乾物を扱って近郊の町を回って日々の日銭を稼いでるしがない乾物商人、ショウでございます。

 それよりも、お、お名前をお隠しになってのお忍びの旅であるのなら、お聞きしません。で、ですが、お見受けしたところ、大変高貴なお方……あっしのような下せんの者ではなく、親戚の、もっと金持ちのウチへご案内いたしやす」

 不慣れな敬語をつかいながら、ショウは深々と頭を下げる。

「何を言う。見知らぬ吾に目を止め、食と水浴びまで与えようとしたそなたが下せんなはずがなかろう。見るがよい、下せんとはそこを往く者のことをいうのだ」

 彼が指す窓の先には、この町を牛耳っている大商人、ナツが使用人を引き連れ、うす黄色の布で覆った牛車で行進していた。

 ……ナツはこの二日間、彼の姿を見かけるたびにわざわざ牛車を止めて嘲笑っていた。この行進も何か用があるのではなく、往来を占領しながら町の人々を見くだしたいための行列だ。運の悪いことに、彼の言葉はナツに聞こえたらしく、牛車の窓からにらみつけ、手下のカンに何かを指図する。

「あ、あなた、なんてことを。ナツに逆らったらこの町で生きていけねえんですぜ」

「なに、気にすることはない」

 カンが扉を蹴破ってズカズカ家の中に上がりこんできても、彼は悠然と待つ。

「おうオヤジ、ちっとばかし散らかるが、そいつを連れこんだてめえが悪いんだ。どこの誰だか知らねえが、ナツさまを下せん呼ばわりするたぁいい度胸だ」

「待ちなせえ、この方は……うぐへっ!」

 なだめようとあいだに割って入ったショウは胸ぐらをつかまれ、床に乱暴に投げ飛ばされた。

「ナツさまは寛大だから、てめえはこのくらいで許してやるそうだ。またわけの分からんやからを連れこんだら、ひどい目にあわせてやるからな」

「これ、乱暴をするでない」

「んん、なんだあ? ずいぶんといい着物じゃねえか。オヤジにもらったか? どうでもいいが、この町にいる以上、誰もナツさまに逆らえねえんだ」

 すごむカンを無視して彼はショウを抱え起こそうとした……その態度に頭に血が昇ったカンは、向けられた背中を泥のついた足で踏みにじった。

「だ、だから待つんだ。この方はちょっとやそっとの金持ちとはわけが違うぞ。これほど上質な生地で織られた衣など、見たこともねえ。きっと大王さまにお関わりのある方に違いねえんだ。手出ししたりすれば軍勢が押し寄せてくるぞ!」

 彼の腕の中から咳こみながらショウが叫ぶと、カンはギョッとしてナツの元へ戻る……と、牛車の中から長いキセルが伸びて、彼の剃り上げた頭にギュッと押しつけられた。

 焼けたヤニの熱さであわてて頭を払いながら、カンはペコペコ頭を下げて再び彼らのところへ戻ってくる。よく見ると頭には同じ火傷の痕がいくつもあった。

「だ、大王さまとの関わりなどというハッタリにだまされるものか! ナツさまに土下座させ、俺さまがこの町からたたき出してやる! どちらにしても衣は詫びの証しとしてナツさまが召し上げられる!」

「ふむ、どれもあり得ぬが、吾がまとうものを着たいとは面白い、着せてやるがよい」

 彼が笑いながらするりと衣を脱いで差し出すと、息を飲むほど美しい肉体が現われる。それに比べカンの体など、これ見よがしの筋肉がついた不粋な塊にすぎない。

「どうした、大王と関わりがあると聞いたからには着とうて仕方なかろう。早く渡してやるがよい」

「あ、ああ。そうだな」

 あまりにあっさり渡されたため毒気を抜かれたのか、肉体に見とれたのか……カンは自分で衣につけた泥が消えていることにも気づかない。

「な、なんてことを……あの衣を渡してしまうなんて」

「なに、欲しければそなたにもやるぞ」

 牛車へ差し出された衣に丸々と太った腕が伸び、しばらく様子をうかがっていると、中から赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。

 カンが牛車に駆け寄ると、中には高貴な衣を着た赤ん坊が泣きじゃくっている。

「衣とは己の姿を映す代物なり。ナツは己の欲するままにうごめく赤子と成り果てたまで。これまで町を縛りつけておった無力な赤子を生かすも殺すも、好きにするがよい」

 高らかに笑う彼は、いつの間にか与えたはずの衣と同じものをまとっていた。

「さてショウよ、吾がこの町にきてから二日。よくぞ手を貸してくれた、礼を言う。褒美になんなりと与えよう」

「め、滅相もございません。あっしにお目をかけていただけただけで幸いにございます」

 目の前で起こされた不可解な出来事の数々に、彼の機嫌を損ねてしまうと降りかかるかもしれない災難を恐れ、ただ頭を下げることしかできなかった。

「ふむ……ならば、吾からくれてやろう。そなたたちのありがたがっている、こんなものはどうだ」

 彼が長い左の袖を軽く持ち上げると、中から黄金がジャラジャラあふれ出し、たちまち部屋一杯の山ができた。

「このくらいで充分であろう。なんとも愉しませてもらった。しかし、心しておくがよい。これはそなたの心しだいで『(ざい)』とも『(ざい)』ともなる厄介なものだ。与えられた種の育て方をくれぐれも間違うでないぞ」

 戸口にたたずむカンや、これまでナツに雇われていた者たちは、固まったままショウの家から出て行く彼を止めることができない。

 残されたショウはしばらくぼう然としていたが、あふれる黄金の輝きで我に返った。これほどの金はナツですら持っていなかっただろう。そしてナツは無抵抗の赤ん坊に成り果てている……。

「おい、カン! それに召し使いども!」

 家の中から呼ぶ声にハッとなった彼らは顔色を変えた。ショウの雰囲気は明らかに先ほどまでのものではない。

「おめえたちはこれまでナツに仕えてきたが、町の者たちは、まさかナツが赤子になったなんて話は信じねえ。だがいなくなったってことは事実だ。家は息子が継ぐだろう、そうなりゃあナツ家はあっと言う間に没落するぞ。

 そのうえ役人は、ナツといつも一緒にいたおめえたちがナツを殺したと思うだろう。このままだとおめえら全員、牢屋に放りこまれて死罪になるぞ!」

 彼らは顔を見合わせる。町の人々を見くだしていたとはいえ、ナツは一代で成り上がる商才を持っていた。それに比べ、息子は三〇歳を過ぎているが、あり余る親の金で生まれてから苦労一つしたことがなく、博打と女遊び三昧の生活を送っている。アレが家の主人ともなれば没落は間違いない。何よりナツ殺しの疑いなんてもってのほかだ。

 この町の役人の融通の悪さは筋金入りだ。これまではナツのおかげでいい関係を保っていたが、頼みのナツはもういない。金のない彼らを役人は平気で見捨てるだろう。

「オレはこれまでこの町から出て行商を生業にしてきたんだ、この金を元に新しい商売を始めれば、ナツよりもっと多くの金を稼ぐことができるぞ。実はオレにはある程度の大金、元種さえあればこの黄金の百倍……いや千倍は稼げる儲け話があるんだ。

 そうなったらこんな町なんてチンケなことは言わねえ、国だって手に入れられる。ナツ一人いなくなったところでガタガタ言うやつはいなくなるぞ」

 ショウはますます笑みを浮かべる。

「だが、オレの商売を手伝うもんと、オレの金を守る強い手下が必要なんだが……おめえたち、ちょいと話に乗る気はねえか?」

 もう一度顔を見合わせた彼らは同時にうなずいた。渡りに船とはまさにこのことだ。これに乗らずに命を失うか、乗って贅沢三昧の日々か……考えるまでもない。

「ショウの旦那!」

「乗せてくれ、その話!」

「乗せてくれ、だと?」

「……い、いえ。乗せてください」

 言葉を詰まらせながら頭を下げるカンたちを見おろしながら、ショウは大声をあげて笑った。

 ……最初はオレのよく知っている塩を独占しよう。それから徐々に独占する品の種類を増やしていき、それを取り扱っていい権利を商人どもに一年ごとに高値で売ってやる。次の年にはまた、改めて買い直さなければならなくしてやれば……。

 この金で人々の生活に必要な品を売る権利を一手に握り、価格を思うままに操る独占販売の方法は、まだ誰も思いついていなかった時代だ。

 次々思いつくアイデアに、ショウの笑いは止まらない。

「てめえら!」

 黄金をジャラジャラ混ぜ、笑い過ぎてあふれる涙を押さえながらショウは叫ぶ。

「儲かるぞ! オレの言うとおりにすりゃあ、この金でさえしょぼく思えるほどな! 約束してやる。オレに従ってりゃあ、おめえたち全員、大金持ちだ!」

 ショウの約束に、手を取り合い、一緒になって喜ぶカンたち。目の前に突然現われた膨大な富という目隠しのために、気分が昂揚している彼らの頭からは、すでにナツのことは消えていた。

「もしこの金が千倍になったらどうする?」

「決まってるさ、軍隊をつくって世界中を俺たちのものにする。ショウさまが王だ!」

 誰かの問いかけに答えるカンのガキっぽい発想にあきれながらも、ショウはまんざらでもない……町ではなく国と言ったが、あながちウソではない。

 世界中の財宝が集まれば、その贅沢ぶりは想像をはるかに超える。金をくれた男が着ていた衣など大したこともなくなるだろう。


 ……ショウの家の入り口には町の人々がコワゴワ顔をのぞかせていたが、ショウとカン、ナツの召し使いだった者たちが黄金の山の中で異様に盛り上がる光景に関わることを恐れ、そそくさと立ち去っていく。

 その中の一人の女性が、いつもナツの乗っていた牛車の下を赤ん坊がはっているのを見つけた。狭い町なのでどこの子なのか、誰かに聞けばすぐ分かるだろう。抱き上げると、小さな手で力一杯しがみついてくる。

「よしよし、すぐにお母さんのところへ連れて行ってあげるからね」

 言いきかせると、赤ん坊は安心したのか、体を預けて寝息をたて始めた。


『彼』はその一部始終を眺めていた。

 あれほどの富をいきなり手に入れたショウが、ナツと同じ道を歩まずにいられるかどうか……できればそうあって欲しかったが、どうもなりそうにない。

 ……金など人間のつくったひと時の約束事でしかなく、いくら手にしたところであの世までは持っていけぬというのに……。

 だがショウには金もうけの才能がある。元手さえあれば手にする財産は莫大なものとなるだろう。そして頭で儲けるだけでなく、力づくで儲けようとする者たちが協力すれば、さらに巨万の富を手に入れられる。カンたちはこれまで、ナツの良い面も悪い面も間近で見てきたのだ……。

 ……人間は必要以上に欲を持ち、物に執着して満ち足りることを忘れがちだ。何も持たなくとも生きられることが本当の幸福であることになぜ気づかない……自然はあるがままにその手本を見せ、人間以外の生き物は、皆そうやって生きているではないか。

 ……しかし、だからこそ人間はこれほどまで発展することができた。自然界に放り出されれば、まっ先に食い物にされるほど、ぜい弱であるがゆえに……。


 彼は人間の愚かさだけでなく、素晴らしさもよく分かっている。

 親の見つからない赤ん坊が愛情豊かに育てられ成長したころ、金の力で他国を侵略し、民衆から多くの税をむさぼり、苦しめる王が支配する帝国の首都となるこの町で、彼が初めてここへきた時と同じ風体をしている者を嘲笑うのが誰に変貌しているか。

 そんな者へも手を差し伸べられる幸せを知る者が、誰に成長しているのか。

 分かっているがゆえに、おかしくて……寂しくて仕方なかった。


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