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象(かたち)【そこに実在することの証明】

 地球のとある木もれ日の射す森の片隅に、うす紫の小さな花がかすかな風のささやきに応え、全身を揺らしていた。大地から芽吹いたこの花の葉の裏には、一匹の小さな虫がしがみつき、同じ揺れに身を任せている。

 この花がいつからここに芽吹いていたのか、花自身にも分からない。ただ、どこからか運ばれた種が大地と触れ合ったことで命を咲かせることができた……どちらも、今ここに在ることが大いなる喜びだった。

 あれほど繁栄していた恐竜たちの姿はどこにもない。今はすべての生き物が大地の豊かな恵みを根源として、天に輝く日の光を拝み、夜に煌めく月の光を崇めて暮らしている。

 かつてこの星で起こされた異変を覚えているものは、もういない。


 あれから幾億の月日が流れ、地上で繰り返される日々の喜びが届かない深い大地の奥底で、星の一部となっていた『彼』はふと目覚めた。

 ……ここは……?

 周囲には土が恐ろしい圧力で固く積もり、ピクリとも動けない。意思のみの彼が土の圧力などで動けないはずはないが、現実だ。

 ……地上へ行かなければ……。

 もがき続けること数百年。周囲の土は少しずつゆるみ、ゆるんだ土はさらに周囲の土をもゆるませた。

 どこに向かって掘っているのかも分からず、彼はただ地上へ行きたいという衝動に突き動かされ無我夢中で土を掘り続けた。そこがどれほど深くとも、時間の制約のない彼はいずれ必ず地上に到達し、緑豊かな新しい大地と出会うことになる。


 満天の星の輝きを奪うたいまつの明かりが、狩りの成功を祝うムラの騒ぎに揺れていた。オスのダンス、メスの笑い声、コドモの歓声……彼らの騒ぎは生命力あふれる豊かな大地に響き、恐ろしい夜行性の肉食獣たちも炎を恐れて近づこうとしない。

 誰もが喜び、楽しんでいたその時、突然、大地が揺れ動く。

 皆はボスに助けを求めたが、自然の脅威にはかなわず、周囲の動物たちと同じように恐怖で震えるしかない。

 やがて地震は治まり、不安ながらもボスが恐ろしいことは去ったと高々と叫んだ時、ムラの一角が土砂を巻き上げながら爆発した。

 群れは頭を抱えて倒れ伏す。

 しばらくして静寂が戻り、ボスがそっと頭を上げると、そこには見たこともない生き物がいて、こちらを見ている。

 ……なんだ、この者たちは?

 岩盤を打ち砕く際に地震を起し、土砂を掘り抜いた勢いで地上に飛び出した『彼』は首をひねる。目の前にいるのは、毛皮を身にまとい動物の牙や鳥の羽などの飾りをつけている毛むくじゃらの二本足の者たちだった。

 彼がながめていると、群れもまた彼見たさに遠巻きに取り囲む。

 ……吾を、囲う?

 その時になって初めて彼は自分が物理的な形を持っていることに気づき、地底で動けなかった理由がようやく分かった……と同時に、強い違和感にさいなまれる。

 ……形を持っていなかったとは、どういうことだ? そもそも、吾は誰だ?

 群れは彼に危険はないと感じ、さらに近寄ってくる。元々彼らの好奇心はどんな種よりも強い。ボスが彼に触れようと恐る恐る近寄り、手を伸ばすと、彼の頭の中にボスの思いが流れこんできた。

 ……これはこの者の記憶か。そして見ているものは吾の姿……さらにこの者にこれから起こる出来事が手に取るように分かるのはなぜだ?

《そちは何ものであるか?》

 頭の中に話しかけられ、ボスは叫び声を発して後ろへ飛びのき、様子を見守っていた者たちも悲鳴をあげて退く。そんな彼らだが、なぜか親しみを感じる。

《そんなに驚かずともよかろう》

 ボスに優しく伝えながら手を差し伸べても、ますます畏れて後ずさった。

 ……答えは聞けぬか、まだその段階か。

 思い浮かぶ言葉が理解できずに自分で首をひねる。

 ……そうだ、吾は形を持ったのだな。

 ボスの目を通して自分自身を眺めると、深いしわが刻まれているが端正な顔だちの男で、オールバックに整えられたまっ白の髪が背中まで伸び、長い耳たぶは肩までとどいている。地下を掘り進んできたことがウソのようなまっ白な着物に古代紫のはかま。しかし、足もとまで垂れ下がった長過ぎる着物の袖は……もう慣れた。

 ……これが、吾か?

 同じ動きをする姿を見つめたが、まだ実感がない。両手で顔をなで、耳たぶに触れ、髪を触ると映るとおりの感触がある。

 ……よかろう、これが吾の姿である。

 渋々だが認め、改めて取り囲む者たちに視線を向けたが、話しかけたところで怯え、畏怖するばかりだった。まだ世界には彼らを含めわずかな数の者しかおらず、へたに刺激を与えてはいけない。

 ……なぜ、そのようなことが分かる?

 不思議に思いながらもすぐさまここから立ち去ることを決めたが、取り囲まれているため動けず、やむなく空中へ浮かぶことにした。

 なぜできるのか分からなかったが、できることは分かっていた。

 取り囲んでいた者たちは、逃げ出す者と、ボスのように畏れながらもじっと見つめる者に分かれる。そんな彼らを見おろしながらさらに高みへと進む……天空には真円を描く月に、銀色の光環が取り巻いている。

 ……あれからこの世界はどうなったのか?

 また浮かぶ理解できない思いに戸惑いながらも、彼は地球と呼んでいた星の空に身を躍らせた。


 ……夜が明けた。

 まっ赤な太陽が緑豊かな大地を照らし出す。改めて地上を見わたした彼はそのあふれる生命力に感動し、思いきり深呼吸する。そして、はるか地平の彼方に別のムラを見つけ、向かうことにした。そもそも地上に出てからは目的がなく、自分の名前すら分からない今は目につくものを頼りに進むしかない。

 そこに暮らす者たちを驚かさないよう、ムラから離れた場所で地上に降りてから近づくと、オスたちが短い言葉らしきもので見慣れない彼に警戒し素朴な石斧や石槍を構える。

 違いといえば、昨夜のボスのように思いが流れこんでくる者がいないことだ。

《安心しろ、危害など加えぬ》

 伝えたが彼らは辺りをキョロキョロ見回すばかりだ。人類らしき生活をするようになってからわずか数百年。まだその生活は原始的だ。

 ……原始的とはなんだ? 昨夜から理解できない言葉ばかりが頭に浮かぶ。

 これまで地上に出ることばかりに必死で何も考えなかったせいか? それとも、忘れていた何かを思い出そうとしているのだろうか?

 オスたちは不思議そうに彼を取り囲む。言葉は通じないが、本能的に敵意がないことは分かるようだ。

「生きていたのか!」

 突然あがった背後からの叫びに、彼を取り囲んでいたオスたちは狼狽して道をあけた。

 振り返ると、彼と似ているが質素な着物を着た少女が嬉しそうに足早で近づいてくる。

「そうか……ならば、やはりこれで良かったのかもしれんな」

《生きておったとは、どういうことか?》

「なんだ、せっかく物理的な世界にいるというのに。ここでは言葉を話せ、言葉を」

「……コトバ?」

「そうだ。物理的なこの世界では意思同様、音波という震動が気持ちを伝え合う方法だ」

 自信に満ちあふれた表情で彼の前に立った少女は、腕を組んで胸を張る。周囲の者は彼女に畏怖の念を抱いているようだ。

「だが、生きていたばかりか人格さえ失っていないとはさすがだ。生き物の大規模な交替はあったが、結果的にオマエの計画は成功した。まだ異を唱えるものもいるが、そのものでさえ成功の恩恵を授かっているのだから文句も言えまい」

「待て。計画とはなんだ、ヌシは誰だ、吾は何ものだ、吾が何をやったと言うのか?」

 彼の問いに少女は言葉を失う。

「そうか、人格は残されたが、記憶までは取り戻せなかったか」

「教えてくれ。吾は誰だ?」

「……吾は、世界の一つを任されている王の一人だ。そしてオマエの問いに答える前に一つ確かめたいことがある」

「なんなりと」

 彼は王と名のる少女と対峙する。

 少女は腕を解き、周囲の者たちにグルリと手を差し伸べた。

「今はまだこの程度だ。だが、こやつらは今後この地上で繁栄することになる。この者たちを含め、オマエはこの世界に暮らす生き物たちを愛しているか?」

 ……周囲の者たち、この世界に暮らす生き物たちを?

「……分からぬ」

 この世界に暮らす他の生き物のことはまだ知らない。また、取り囲む者たちには理由のない親しみを感じるが、自分が誰なのか分からない今、出会ったばかりの彼らを愛しているかどうかなど答えようもない。

「その答えこそ、オマエが何ものであるかの答えだ。吾の口から教えたところで納得も実感もしないだろう。常に問うがいい。この世界に暮らす生き物たちを愛しているかどうかをな」

「はぐらかすつもりか」

「そうではない。答えはオマエの中にしかないと言っている」

 まっ直ぐな少女の眼差しに、彼は問うことをやめた。

「案ずるな、答えはいずれ必ず見つかる」

 少女は言い残し、空に浮かび上がる。もうこの場を去るつもりだろう。周囲の者たちはあわてて大地に伏せる。

「ヌシは、どこへ?」

「オマエの意思を感じてつい直接きてしまったが、吾には王として任された世界があり、その役目を放っておくわけにはいかん。本来吾らの暮らす場所へ戻らねばならん」

 昇りゆく少女に、彼はさらに問う。

「『吾には』と言うのならば、吾にも役目があるのか? また、『吾ら』と言うからには、吾もそこからきたのか?」

「そうだ。だがオマエはまだこんほうがいい。今のオマエでは入り口すら通れん。それよりもこの世界に残り、答えを見つけるがいい。オマエに役目があるとすればそれだ」

 去りゆく姿を見送った彼は、小さく笑った。

 何も言うつもりのないはずの少女は、去る寸前、思いを垣間見せた。

 ……自分が誰かなど誰も知らん。自分に関わる周囲のものからの位置づけと、行う経験の積み重ねによってやっと何ものなのか、どうあるべきなのか分かるだけだ。オマエが何ものであったとしても、周囲のものがいない今のオマエは純粋に自分がどうあるかしかないのだから……。

「いずれまた、会えるだろう」

 つぶやいて空に浮かんだ。

 縁があるなら必ず出会える。そして少女とは必ず縁がある。囲んでいた者たちは彼もまた少女と同じ存在であったことに驚き、地に伏せる。

 ……吾は、この者たちを愛しておるのか?

 見おろしながら考えたが、答えはまだない。

 このまま少女の後を追い、聞きたい衝動に駆られたが、それではわざわざ黙って見送った意味がないと考え、別の方向へ向かうことにする。

 今自分がどこにいるのかさえ知らない彼は、その後、人類発祥の地とされる緑豊かなアフリカから旅立った。


 ……やがて時は果てしなく流れた。

 彼にとって自然界に存在する動物、植物たち生き物はどれも美しく、愛おしい。

 しかし人間は……。

 人間とともに暮らし、多くの者たちと交わった。徐々に知能を増し、進化し続ける人間と暮らすことで様々なことを学び、長い年月で得た知識を世界中のあちこちに広め、喜びや悲しみを分かち合った。

 時には人間にとって奇跡が起こせる彼に救済を求める者たちもいたため、救えるのならばと奇跡も起こしたが、それでもまた欲のためすぐに堕落する人間とて愛すべきものだと思っていた。


 人間は確かに愛おしい。

 しかし、誰もが必ず死んでいった。

 せっかく巡り合った誰もが自分の前から姿を消してしまう……喜びが大きければ大きいほど、その喪失感は耐え難い。

 死ぬことができない彼はいつしか、かつてアフリカのボスのように思いが流れてくる者を見つけた場合に限り関わることに決めた。

 今の彼にとって人間とは、どれほど求めようとも深く関わることのできない存在でありながら、ただ一つの答えを見い出せるカギであるという、厄介な存在となっている。


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