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7.散華

 太宰を読んで泣いた翌日の金曜日。


 菜々は、少しぼけーっとしたまま、雅と教室で弁当を食べていた。


 まだ、昨日の衝撃が抜け切っていない気がする。そろそろ気合を入れなければ、放課後の部活に障りそうだ。


「『図書室の君』とは、その後どう?」


 そんな菜々のボケ顔に、クリーンヒットする一撃を、日本美人に打ち込まれる。


「え? 何?」


 嫌でもはっきりする頭で、くっつけている机の向かいの席を見る。


「だから、『図書室の君』と、進展してるのかって……」


「わーわーわーわー、ない、ない、何にもない」


 雅の頭の中で、何かよからぬ妄想をされている気がして、菜々は両手を二人の間の空気を霧散させるべく振り回した。


「ふーん、ま、そんなにうまくは行かないか。誰にでも優しそうだもんね、あの男」


 つまらなそうな棒読みでそう言いながら、彼女は綺麗な箸使いでお弁当の中のひじきの煮物をつまみあげる。


 そんなお弁当で、本当におなかいっぱいになるのかと、菜々が心配したくなるほど少ない量だし、内容もヘルシーだ。


 揚げ物、肉、どんと来いの菜々の男前弁当とは大違いだった。


「うう……そうだよね」


 から揚げをごくりと飲み込んで、菜々はパックの牛乳をすする。


 東先輩と菜々というのは、ここにある二人のお弁当くらい違うのだと、菜々は自覚していた。


「あきらめる?」


 あっさりと決着をつけられそうになり、菜々はストローをくわえたまま、情けない顔をしてしまう。


「あきらめるとか、あきらめないとか……まだ、そこまでいってないような」


 ぐにょぐにょと、口の中で言葉がうねる。


 こういうはっきりしないのを、一番雅が嫌うと分かっていても、どうしても止められなかった。


 感情は、オンかオフだけでは語れない。


 オンとオフの間に、大河より広いへだたりがあるのだ。


 そういう意味では、菜々の方がまだ感情に情緒があると言えるのだろう。


「好きになったからって、別に付き合いたいとか……思ってないし」


 だんだん、雅の額に交差点がはっきりと浮き上がっていくのを確認しながら、菜々はそれでも自分の心を何とか描こうとした。


 恋愛経験の少ない彼女なりに、これでも頑張っているのだ。


「バッッッカじゃないの?」


 案の定、雷が落ちる。


「菜々の言ってるのは、単なるお伽噺。架空のお話。綺麗事のお話」


 鋭い矢が、三本も一気に菜々の脳天に突き刺さった。


「じゃあ聞くけど、『図書室の君』に彼女が出来たら、菜々はどうするの? 彼女と幸せそうな彼を遠くから見守っているだけで、私は幸せです、とか言うわけ?」


 具体的な言葉は、さらにざっくりと菜々の胸を抉る。


「自分が好きになった男は、何があっても手に入れる。時間をかけるなと言ってるんじゃないわ。時間をかけるなら、下準備を確実にして、必ず手に入れるのよ」


 雅の背景に、冬の日本海の荒波が見えた気がする。


 彼女のように、付き合う相手をとことん選ぶ性格だと、好きな男が見つかったならば、確かに死んでも離さないだろう。


 雅が好きになるに値する男なのだから、すさまじい人に違いない。


 あ、あははと、菜々は彼女の勢いについていけず、フォークを持ったまま笑みを引きつらせた。


「というわけで、下準備よ……『図書室の君』の情報、知りたいでしょ?」


 そんな菜々を、余裕で置いてけぼりにする速度で、彼女はポケットからメモの切れ端を取り出す。


 えっと、菜々の視線はそのメモに吸い寄せられていた。


 東先輩の情報が、その紙に書かれているというのだ。


「あー……あわわ?」


 変な声を出しながら、菜々は反射的にメモに手を伸ばす。


 しかし、雅はささっとその手を引いて、紙を逃がしてしまった。


「う」


 意地悪な態度に、菜々が狼狽していると。


「『東先輩が欲しいです』って言ったら、これあげるわ」


 余裕たっぷりに嫣然と微笑まれて、彼女は絶望した。


 そうだ、そうだった。雅は、こういう女子だった、と。


 何事もはっきりしないと、気がすまないのだ。


 しかし、彼女の出すハードルはとても高く思えた。


 一体、どの面さげて、そんな恥ずかしいことを口に出来るというのか。


「菜々……失敗は、若い時に存分にしておくべきだと思わない? 逆に言えば、いましか大失敗なんか出来ないんだからね」


 微笑を張り付かせたまま、雅は紙をぴらぴらとさまよわせる。


 失敗なんてものは、菜々の人生にはフルコースで並んでいた。


 そこに、またひとつ加わる程度のものだと、雅は言い切るのだ。


「うう……雅」


 唸りながら、友人を見る。


 妥協する様子は、微塵もない。


「ア……ア……東先輩ガ……欲シイデス」


 ついに──菜々は陥落したのだった。



 ※



「美術部の先輩が、彼と同じクラスなのよ」


 差し出す紙には、メモの切れ端とは思えないほど、流れるような美しい文字が箇条書きで並んでいる。


 しかし、箇条書きですませられない物語が、そこには詰まっていた。


・2年3組 出席番号2番 あずま すぐる


・あだ名は『トウユウ』(フルネームの音読み)


・図書部員の中の唯一の男子


・本来であれば、高校三年生。中学時代に、病気のため一年留年。


 四行目で、菜々は視線をぴたっと止めた。


 どきどきしていた心臓も、それと同時に止まった気がした。


 病気のため、一年留年。


 出席日数が足りなくなるほど、入院したということだろう。それが、軽い病のはずがなかった。


 その瞬間、納得がいった部分と、どう触れたらいいのか分からなくなった部分が、菜々の中で同時に生まれる。


 何故、あれほど色が白くて細身なのか。 


 何故、あれほど本が好きなのか。


 その二つは、その長い入院期間と無関係とは思えなかった。


 しかし、それをただの事実として飲み込むには、菜々には重かった。


 彼は太宰治を読み、つい昨日、彼女に『散華』を勧めたのだ。


  大いなる文学のために、

  死んで下さい。


 彼にとって死とは、菜々が考えるよりもっと近いものだったのではないか──それが彼女の頬を掠めて、呆然とさせてしまったのだった。



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