表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
オセロ風景〜坂道と図書室  作者: 霧島まるは


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

6/26

6.正義と微笑

 タララ、タ、タタタ──菜々は、こっそりタップを踏む真似をした。


 階段の床は硬めで、ほんのちょっとタップに近い感触を彼女の足に伝えてくれるのだ。


 今日は水曜日。


 東先輩の当番は明日なので、既に読み終わった5巻を返しに行くのは、明日ということになる。


 放課後の彼女は部活に専念すべく、部室へ向かう。


 着替えてグラウンドに出ると、いつもちらっと図書室の方を見る癖が出来た。


 グラウンド-各学年の校舎棟-教務棟と並んでいて、図書室は教務棟の三階の西の端である。


 校舎棟に邪魔されて見えづらいが、一応端の窓の方は見えた。


 夕日が反射していて、そこに誰がいようとも、判別出来るはずはないのだが。


 それに、今日は東先輩の担当曜日ではない。


 図書室に、いない可能性も高いだろう。


 けれど、菜々はいつも見てしまう。


 あの場所でしか、彼と会ったことがないからだ。


 菜々は、シューズの紐を締め直す。


 マラソンをメインとする長距離ランナーの菜々は、トラックを走るよりも、アスファルトの上を走る方が好きだった。


 グラウンドを出て、菜々は校舎の西側へと駆け出した。


 図書室の足元を走り、正門前へと回る。


 帰宅部の人たちの笑い声の間を抜け、菜々は正門から続く坂道を駆け下りて行った。


 この坂道は、最初の下りはブレーキをかけて走らなければならず、帰りの上りは、足に猛烈な地獄を味わわせてくれるという、マラソンランナー泣かせである。


 特に帰りは、疲労もピークの状態で、上っていかなければならない。


 勿論、歩いたっていいのだ。


 マラソンには坂道はありはするけれども、この学校の坂のように、極端な上りはほとんどないのだから。


 しかし、ここを歩くのは何だか負けた気がして、菜々は下る人たちに視線を向ける余裕も捨て、果敢に毎回チャレンジするのである。


 疲れ果てた頭の中には、本来何も入ってこない。


 きついとか暑いとか、わき腹が痛いとか、おなかすいたとか、そういう単純な言葉だけがよぎることが多かった。


 けれど、今日の菜々は違った。


「わが……あしかよわく……ふっ……けわしき……山路っ」


 その音が、自分の唇から切れ切れにあふれ出すのだ。


  わがあしかよわく けわしき山路やまじ

  のぼりがたくとも ふもとにありて

  たのしきしらべに たえずうたわば

  ききていさみたつ ひとこそあらめ


 昨日読んだ、『正義と微笑』の賛美歌の一節だった。



 ※



「6巻だね」


 木曜日は、昼休み。


 いつも放課後だったので、今日は少し気分を変えて昼休みにしてみた。


 菜々は、昼休みの方が時間を長く取れるからだ。


 放課後は部活前とイコールで、心の中に時間切れを告げるアラームをセットされていた。


 昼休みには何の用もなく、菜々はゆっくり出来ると思ったのである。


 いつものように、カウンターを立った先輩が、5巻を持って本棚の林へ向かう。


 先輩に勧めてもらった、『花火』の感想を、どう伝えようか、菜々は考えていた。


 まさか、ここでタップを踏むわけにもいかない。


「昨日は……」


 しかし、東先輩が切り出した言葉は、太宰の本のことではなかった。


「昨日は……伊藤さんは、坂道を駆け上っていたね」


 その時の、彼女の衝撃たるや、言葉に出来ない。


 菜々の『負けず嫌い発動の坂攻略』を、彼に見られていたというのだ。


 どこで、なんて質問も馬鹿らしい。


 ほとんどの生徒は、正門から家路につくのだ。


 東先輩も、図書の当番のない日だったので、早めに帰宅していたのだろう。


「あはは、恥ずかしいですね。気づかなくてすみません、あの坂を見ると、どうもチャレンジ精神が……」


 照れながら、菜々は自分の唇が思い通りにならない感覚を、おなかいっぱい味わった。


 東先輩に気づかなかった自分に後悔もしていたし、見られていたことを恥ずかしくも思ったし、そんな話を、突然ここで振られるとも思っていなかったので、どうしたらいいのか、まるで分からなかったのだ。


「真っ赤な顔をして、わき目も振らず頂上目指して上っている姿を、うらやましく思ったよ」


 そんな彼女に、更に東先輩は畳み掛ける。


 穴があったら入りたいとは、このことだった。墓穴でもいいので穴を下さいと、菜々が願ってしまうほど。


 こんな色黒でも、やっぱり真っ赤な顔はバレてしまうのか。


 菜々は、いままで彼に見せていた赤い顔を思い出して、さらに穴を探すこととなる。


「そんな元気な伊藤さんには、少し重いかもしれないけど、『散華』を勧めてもいいかな」


 5巻を戻し、6巻を抜き出しながら、東先輩は言った。


 何故だか少し寂しそうに見えて、菜々はうまく言葉を探せなかった。



 ※



『私は、年少年長の区別なく、ことごとくの友人を尊敬したかった。尊敬の念を以て交際したかった』


『散花』では、太宰の友人である二人の男の異なる死について、書かれていた。


 女の影がちらりともしない、硬派で友人を思う彼の心が、皮肉を交えながら綴られている。


 二人目の男から、死の前に手紙が届く。その男は詩人で、太宰に向けて詩を送っていた。


 彼の最後の詩の中の二行が、菜々をこわばらせる。


  大いなる文学のために、

  死んで下さい。


 思わず、寝転がっていたベッドから飛び起き、菜々は正座してしまった。


 その二行の後に続くのが、更に二行。


 たったそれだけの長さを、菜々は息を整えながら、時間かけて読んだ。


 菜々は、泣きそうになって慌てて顔を本からそらした。


 その活字の上に、涙を落すのをさけようとしたのだ。


「う、うえええ」


 そして、安心して泣いた。


 かわいそうとか、悲しいとかではなく、その作品は菜々の柔らかい心には──壮絶なものに映ったのだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ