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オセロ風景〜坂道と図書室  作者: 霧島まるは


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4.新ハムレット

 9月1日は、月曜日だった。


 始業式であるその日は、午前中で学校は終わる。


 放課後、菜々は図書室に太宰治全集の4巻を返しに行こうと、席を立ちかけた。


「え? 菜々、本なんて借りてたの?」


 そんな彼女を、目ざとく見つけた友人が、珍獣でも見たような目で飛び掛ってくる。


 クラスメートであり、一番の友人でもあり、美しさの割りに言葉のきつい吉野雅みやびだ。


 黒髪ロングで、いかにも着物の似合いそうな日本美人である。


 その優美な雰囲気に、「茶道とか華道とかやってない?」と、入学すぐの頃、菜々は彼女に問いかけてしまった。


 そう大きくはない瞳で、不思議そうに一度菜々を見た後、雅は楽しそうにふふふと笑い出した。


「柔道と剣道でしたら、少々たしなんでいましてよ」


 自分で言いながら、彼女はどんどん笑いをひどくしていくではないか。


 からかわれた!


 それに気づいて、菜々が恥ずかしい思いをしたのが、彼女と仲良くなるきっかけだった。


 雅はしっかり者で頭も良いため、周囲を少し馬鹿にしているきらいがある。


 自分と同じレベル以上の人間でなければ、付き合う価値もないと思っているようだ。


「菜々はいいのよ。くだらないことなんか気にせず、自分の道を邁進しているんだから。私、周囲の目を気にして、媚を売ったりするのが大嫌いなの」


 そう言って憚らない雅は、美術部だ。


 彼女に媚を売ることのない風景や静物を、ひたすらに絵の中に閉じ込めようとしている。


 雅の描く絵を、菜々も見せてもらったが、どの季節の絵を見ても、秋や冬の物悲しさが、そこにはあった。


「夏の景色は苦手なの。だって、暑苦しいんだもの」


 彼女にかかれば夏の海の景色も、寂れた熱に変わる。


 そんな雅を、菜々はかわさなければならなかった。


「ほら、読書感想文で必要だったから」


 表紙を見せれば、浮ついた本でないことは一目瞭然である。読書感想文という印籠まで使えば、疑われることはないだろう。


「あー、太宰ね。あのいやらしくもだらしない最低男か」


 まるで知り合いのように、雅が彼をけなし始める。


「これ全部の感想文を書いたわけじゃないでしょ? 何の感想文を書いたの?」


 作者だけの話で終わらず、雅はあっさりと菜々の感想文エリアへと踏み込んできた。


「え、あ、『走れメロス』」


 疑われる要素は、そこにはあろうはずがない。


 雅は、彼女が陸上部員であることを知っているし、おそらくメロスが短編であることも知っているはずだ。


 そうであれば、菜々が感想文を仕上げるにふさわしい作品だと理解するだろう。


「『走れメロス』?」


 しかし、雅は眉間にうっすらと皺を寄せた。


「ちょっと貸して」という言葉の途中で、既に菜々の手から太宰治全集の4巻は奪われている。


「あっ、ちょっ……!」


 慌てて取り返そうとする彼女の手を上手によけ、雅はあっさりと目次を開いていた。


「メロスなんて……この本にはないわね。私もこの出版社の全集は読んだことがあるけど、4巻じゃなかった気がしたのよねえ……どういうこと?」


 菜々は、雅の頭の良さを、完全に見誤っていた。


 いやらしくもだらしない男の作品を、彼女は全巻読破済みだったのである。おまけに、出版社までしっかりと記憶していた。


「あ、いや……メロスは3巻だったんだけどさ、結構面白かったから、他のもちょっと読んでみたくなって」


 しどろもどろになりながら、菜々は弁解に必死だった。


 言っていることは、嘘ではない。


 最初はまったく興味がなく、義務感で読み始めたが、読んで見ると意外に面白く読みやすく、胸に迫る部分もあった。


「私が読書なんて……やっぱおかしいかな」


 全然納得していない雅の表情に、菜々はほとほと参ってしまった。


「おかしいのは、読書する菜々じゃなくて、それを隠そうとした菜々よ」


 ズババッ。


 容赦ない機関銃攻撃のごとき言葉の粒に、菜々はイタタと叩かれ続ける。


 周囲の目を気にするのが嫌いな雅らしい、鋭い一言だった。


「うん、そうだね。ありがとう。面白かったから、また続きも借りてこようと思ってる」


 ようやくやんだ機関銃攻撃に、菜々は苦笑いしながらも、言葉を変えた。


 別に、後ろめたいことでも何でもない。


 素直に読みたいものは読みたいと、彼女には言ってもいいのだ。


「そう……はい、本返すわ。菜々が図書室に行くなら、私もついでに何か借りに行こうかな」


 本は素直に菜々に渡されかけるが、雅の言葉は穏やかなものではなかった。


 彼女は、一緒に図書室に同行する気になっていたのだ。


 えっ、ちょ、そんな。


 菜々は、正直な生き物である。


 本を受け取りかけた手が、自分でも驚くほどビクッと揺れたのが分かった。


 刹那の、雅の目ときたら。


 不審と不信で入り乱れ、一瞬もそらされることがない。


「え、でも、この本返して、次借りたら、すぐ出てくるから。図書室、結構、遠いし、いいよ」


 菜々は、そんな雅を前にして、自分から視線をそらしてしまった。


「構わないわよ。ふぅん……図書室行きましょ?」


 雅は、言及こそしなかったものの、太宰治全集を再び奪い返し、すたすたと図書室目掛けて歩き出したのだ。


 菜々の浅はかな企みなど、狭く深くをモットーとする彼女に通じるはずなどなかったのである。


『よして下さい! ハムレット、いい加減に、およしなさい。これは一体、誰の猿智慧さるぢえなんです? ばかばかしくて、見て居られません』


 菜々の記憶に、4巻の『新ハムレット』のセリフが過ぎったのだった。



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