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オセロ風景〜坂道と図書室  作者: 霧島まるは


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22.葉桜と魔笛

「私……東先輩のこと……好き、になっても、いいですか?」


 菜々の往生際の悪い告白は、涙目になってしまいそうなほど、興奮の坩堝から吐き出された。


 誰も、彼女の命を奪おうと考えてもいないというのに、本人だけが決死の気持ちを抱え込んでいたのだ。


 そんな彼女を、東優は少し苦しげに目を細めながら見ている。


「ここに、誰の目もなければいいのに……」


 彼の唇から、ぽろりと出た言葉は、痛々しいほど切ないものだった。


「伊藤さん……いま、僕がどんな気持ちか分かるかい?」


 さっきまで彼が眺めていた白い手が、さまようように宙を動く。


 その手が、菜々の膝の上の拳に近づこうとして──止まる。


「伊藤さん……伊藤さん……僕は、こんなに苦しくて嬉しいのは、生まれて初めてだよ」


 白い手は、東先輩の膝の上に戻る。


 そこで、彼の手は拳になった。


「伊藤さん……君が初めて図書室に来た時、僕のつぎはぎの心臓は、本当は飛び出しそうなほどだった。あの子が来た、あの子が来た。僕は、馬鹿みたいに、そう心の中で繰り返すばかりの、でくの坊だった」


 その拳は、ゆっくりと開かれながら、彼の唇に押し当てられる。いまにも、そこから心臓が飛び出すのを、止めようとするかのように。


「君は、本を探していた。君をずっと探していた僕に気づかずに、君は図書室の限りある本の中から、何かを探そうとしていた。僕はしばらく、カウンターから動けなかった。あれでも、僕は急いで君のところに駆けつけたつもりだった。僕を知らない君が、僕と出会う唯一の機会だと思った」


 しかし、その押し当てられた手のひらは、彼の言葉を消し去りはしなかった。それどころか、追い立てられるように、言葉を吐き出し続ける。


 菜々は、呆然と流れ出る東優の言葉を聞いていた。


「伊藤さんに勧めたい本は、決まっていた。最初から、あれしか頭になかった。僕の心を厭らしくも鋭く書き殴った人間は、あの男しかいなかった。僕を知ってもらうには、あの男の言葉を借りるしかなかった」


 唇の手は額へと上がり、自分の頭を支えるように、東先輩は前に傾いだ。


 その言葉と呼吸が一度、完全に止まり。


「最初から、僕は……君を捕まえたかった」


 搾り出す一言が、あらわになった唇から溢れ出す。


 痛切で熱烈な告白は、無防備な菜々に突き刺さり続けた。


 彼の言った『好き』の言葉が、これほどの重みを持っていたなんて、菜々はこれっぽっちも気づいていなかったのだ。


 いつもの優しく柔らかい彼から出た、冗談ではないだろうけど、夢のようなふわふわした言葉だと、ずっと思っていた。


 だが、違った。


 違ったのだ。


 東優は、彼女が思っていた以上に、熱くずっしりとした男だったのである。


「伊藤さん……伊藤菜々さん」


 手が。


 額から離れる。


 彼は、ようやく自分の記憶の中から這い出てきて、彼女を見つめたのだ。


 そして、苦しげな瞳のまま、こう言った。


「伊藤菜々さん……こんな僕を、好きになって下さい」


 

 ※



『タンポポの花一輪の贈りものでも、決して恥じずに差し出すのが、最も勇気ある、男らしい態度であると信じます。僕は、もう逃げません。僕は、あなたを愛しています』


 それが──菜々が初めてもらった、東優からのメールだった。


 太宰治全集2巻の『葉桜と魔笛』の一節だ。


 逃げてない! 東先輩、逃げてないよ! 直球だよ!


 自室の窓辺で、中秋の名月を頭上に輝かせながら、菜々はその熱烈すぎるメールを、やや遠目に、そして斜めの角度で見るようにした。


 自分に向けられている言葉という自覚が持てず、直視出来ないでいるのだ。


 そして、菜々にはこのメールに、何らかの返事を送らなければならないという、究極の使命が課せられていた。


 しかし、この熱烈なメールに、間抜けな自分の言葉を返すのは憚られて、一向に文字を書けない。


 今日、初めて携帯番号とメアドの交換をして、これがテストメールをかねた1通目として送られてきたのである。


 太宰には太宰で返すのが良いのだろうが、菜々は東先輩ほど暗記力が高くなく、うまい言葉が思い出せない。


 カンニングと分かりつつも、菜々は携帯でサイトを検索して、太宰の小説を探すことにした。


『葉桜と魔笛』は、切ない姉妹の物語だ。


 妹が治らぬ病にかかり、姉は妹がタンスに隠していた手紙から、好き合った相手がいることを知る。妹の慰めにと、姉はその男の筆を真似、病床の妹に愛の手紙を送るのだ。


 しかし、妹はすぐにその手紙を姉が書いたのだと気づいてしまう。何故なら、男の手紙は実は、全部妹が自分宛に自分で書いたものだったのだ。


 滑稽さと悲しさが、同時にそこにある話。


 携帯で、ついもう一度その作品を読みふけってしまい、はっと気づいた時には、随分遅い時間になっていた。


 東先輩は、返事を待ってくれているに違いない。


 菜々は、慌てて文章を引用してメールに貼り付けた。


『恥かしかった。下手な歌みたいなものまで書いて、恥ずかしゅうございました。身も世も、あらぬ思いで、私は、すぐには返事も、できませんでした』


 文章中の場面とは随分違うが、こうしてメールに貼り付けてみると、いやにしっくり来ている気がする。


 気恥ずかしくて、一人で薄気味悪く笑いながら、菜々は送信ボタンを押した。


 東先輩は、読んでいるだろうか。


 どう思っているだろうか。


 笑ってくれているだろうか。


 菜々が、いまの彼に思いを馳せようとした、その直後。


 着信メールの音楽が、鳴り響く。


「うえぇぇ!?」


 驚きの余り、菜々は変な声を出した。


 そして、慌てる指でメールを開くと、当然のごとく、同時にまさかの速さの、東先輩からだった。


『待ち待ちて ことし咲きけり 桃の花 白と聞きつつ 花は紅なり』


 またも──『葉桜と魔笛』だった。


 姉の書いた『下手な歌みたいなもの』が、それだったのだ。


「あう……東先輩、その花は紅じゃないです……黒です」


 やっぱり直視出来ず──菜々は、携帯を遠くに離しながら斜めに見てしまった。


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