表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
オセロ風景〜坂道と図書室  作者: 霧島まるは


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/26

2.ロマネスク

 八月に入って少しして、菜々は本を返しに図書室へと向かった。


 前と同じ曜日、前と同じ時間である。


 もしかしたら、またあの人と会えるんじゃないか。


 そんな淡い期待からだった。


 そして──彼はいた。


 カウンターの中に腰掛けていた彼は、本にしおりを挟み閉じるところだった。


 扉の開いた音に気づいて、仕事のために読書をやめた瞬間だったのだ。


 勿論、その扉を開けたのは、菜々である。


「あ、あの……こんにちは。これ、ありがとうございました」


 彼の視線に落ち着かない気分を味わいながら、彼女は抱えていた本を差し出す。


「ああ、返却だね。ちょっと待ってね」


 カウンターの脇にある図書カードを、身をひねるようにして彼は一枚抜き取った。


 カードに日付を記入して、眼鏡の彼は本を受け取る。


「役に立った?」


 座ったままの低い位置から、彼は菜々を見上げて問いかける。


 まさか、おしゃべり出来るとは思わず、菜々はすっかり舞い上がりながら「はい」と答えていた。


「面白くて、他のも読んじゃいました。こんなこと、初めてです」


「太宰治の作品は、短いものが多いからね。それに、結構いい加減な話も多かっただろう?」


 ふっと微笑みながら、彼は言う。


「はい、はい」と、菜々は力強く相槌を打っていた。


 真面目そうな先輩の口から、『いい加減』なんて俗っぽい言葉が出たのが、何だか嬉しかったのだ。


 一段、ハードルが低くなった気分である。


「太宰治全集は13巻まであるから、良かったら1冊ずつ読んでみたらどうかな?」


 問いかけに、天まで昇る気分だった。


 本来であれば、これで終わるはずの縁だった。


 菜々は、読書感想文のためにしぶしぶ本を借りに来ただけで、それを返してしまえば、再び図書室は無縁のものになる。


 そうなれば、学年も部活も違う彼との接点は、なくなってしまう。


「は、はい。読んでみたいです」


 勿論、彼を目当てで、図書室に通うことも出来るだろう。


 しかし、この時の菜々は、恋愛経験値が低すぎて、まだそんな考えは思いつきもしなかった。


「1巻からでいいかな?」


 先輩は、返した本を手に持ったままカウンターから立ち上がり、菜々の前を林に向かって歩き始める。


「あ、あの、自分で取りますから」


 とっさに、菜々は余計なことを言ってしまった。


 せっかく、彼が取ってくれようとしているのだから、素直にお願いすれば、より近くにいられるのに、だ。


 すぐにそれに気づきはしたが、今更言ってしまった言葉を引っ込めることも出来ず、菜々はただ呆然と立ち尽くしてしまった。


 すると、彼は振り返り。


「この本は、一番上の棚にあるからね、取るのは大変だよ。一応、踏み台もあるんだけど、安定性重視のせいでちょっと重いから、運ぶのは大変だと思う」


 それに、と先輩は付け足す。


「それに、どうせ……これも、元の場所に戻さないといけないからね」


 なるほど。一石二鳥ですか。


 彼の理路整然とした言葉に、菜々の脳内は晴れやかに納得した。


 どうせ本を戻すついでに、新しいのを一冊抜き出す。


 背の高い彼にとっては、造作もない仕事だろう。


 心苦しさもなくなり、菜々はちょこちょこと彼の後ろをついて行った。


 3巻が戻され、新たに1巻が抜き出される。


「貸出受付をするね」


 本はそのまま渡されることなく、彼の手によってカウンターへと運ばれる。


 何だか、とても女の子扱いされている気がした。


 気恥ずかしいが、それは嬉しいことだ。


 陸上部は、男女同じ部である。


 女子陸上部とか、男子陸上部とかないので、男女入り乱れて一緒に遊ぶことが多い。


 そのせいか、菜々は余り女子扱いされることはない。


 女性らしい身体は、マラソンには不向きだ。その上、長距離でエネルギーが搾り取られるのが日常茶飯事なためか、いくら食べても余分な肉がつかない。


 おかげで、胸の贅肉も当然残念なことになっている。


 色黒で髪も短くペッタンコでは、下手したら中学生男子に間違えられるのではないかと、自分でも思うほどだ。


 そんな彼女を、先輩は至極当然のように女性扱いしてくれる。


 また、胸がどきどきと音をたてた。


 カウンターに戻った彼が、図書カードを抜いて貸し出しの受付をしてくれている時。


 菜々は、勇気を出して聞いてみることにした。


「こ、この本の中で、一番先輩が好きなのは何ですか?」


 彼女に勧めるくらいだ。当然、彼も読んだことがあるのではないかと思ったのである。


「ああ、1巻は何が入っていたかな……」


 書き込んでいた手を止めて、彼は本を開いて目次を探る。


「ああ、これが入ってたのか……この中では、『ロマネスク』が好きだよ」


 指先が止まって、とんとんと二回その文字の上を叩いた。


 彼の唇から洩れた『好き』の言葉に、菜々は顔が真っ赤になった気がする。


 色黒だったので、きっと先輩には気づかれなかっただろう。



 ※



 家に帰ってベッドに横たわると、菜々は借りてきた本を開いた。


 一番最初に『ロマネスク』を探し出す。


 太郎、次郎兵衛、三郎という男たちの物語だ。


 その中でも、菜々の心を捉えたのは、次郎兵衛が口ずさんだ最後の詩だった。



  岩にささや

  頬をあからめつつ

  おれは強いのだよ

  岩は答えなかった



 菜々の頭の中で、するりと言葉が入れ替わる。



  岩にささや

  頬をあからめつつ

  私は彼が好きなのだよ

  岩は答えなかった



 菜々は──また赤くなった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ