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オセロ風景〜坂道と図書室  作者: 霧島まるは


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18.フォスフォレッスセンス

「『まあ、綺麗きれい。お前、そのまま王子様のところへでもお嫁に行けるよ』」


 火曜日──中秋の名月の日の朝っぱらから、菜々は雅にそう冷やかされた。


 既に、廊下側の一番後ろの席についていた彼女は、入ってきた菜々を見るや、わざと老いた女の声を出したのだ。


『あら、お母さん、それは夢よ』


 彼女の引用をそのまま続けるならば、菜々はそう答えるべきだった。


 太宰治の、『フォスフォレッスセンス』の冒頭の会話だ。


 しかし、菜々はそんな芝居がかったことの出来る性格ではないし、たった今、雅に心の中を透かして見られた気がして、頭にカーッと血が集まっていくのが分かった。


 昨日の帰り道の出来事を、一気に思い出してしまったのである。


「な、な、何を言ってるの、雅ちゃん」


 照れでぼうっとなりながら、菜々は腕をぶんぶん振り回して、雅の視線から逃れようとした。


 しかし、雅の涼やかで長いまつげの内側の瞳には、彼女がしっかりと映り続けている。


 昨夜。


 菜々は、自分の部屋に飛び込むなり、へたりこんで、羞恥と共に床を転がった。


 母が階下から、夕食に呼ぶ声にもうまく対応出来ず、混乱と興奮の限りを尽くした。


 ご飯を口の中にねじこみ、シャワーを頭から修行僧のように浴びても、それは落ち着くことはなく、ついに菜々は耐え切れずに、雅に電話してしまったのだ。


「ど、ど、ど、どうしよう、雅ちゃん! 東先輩に告白されちゃった!」


『菜々、あんたバカ?』


 この温度差、である。


 方や熱帯雨林、方やツンドラという二人の会話が、かみ合うはずもない。


『それで、ちゃんと捕獲したんでしょうね』


「捕獲?」


 東先輩の話をしているのであって、野性動物の話はしていなかったのに、雅は奇妙な表現を使った。


『だーかーらー、菜々、あんたもちゃんと返事したんでしょうね、ってこと』


 半分棒読みになりかけているのは、相手をするのが面倒くさくなってきたせいか。


 だが、彼女の言葉は、菜々の思考を停止させた。


 返事?


東『僕は……伊藤さんが好きだよ』


菜『う、うえぇぇあええええっ!?』


東『そんなに、驚くことかな……気づかれてると思ったんだけど』


菜『き、気づくなんて、む、無理無理無理です!』


東『そう、かな? 努には、結構早くバレてたみたいだけど……』


菜『お、男の子にそんなこと、言われたことないので……ぜ、全然分かりませんでした』


東『そう、それは良かった』


菜『……良かった?』


東『あ、ごめん、こっちの話。でも、からかってるとか、そういうんじゃないよ。これが、僕の本当の気持ち』


菜『あわわ……あ、ありがとうございます』


 こんな会話の流れの後、菜々は恥ずかしさがテッペンまで来てしまい、もはや何が何だか分からなくなってしまったのだ。


 そうしているうちに、二つ目のバス停が来てしまう。


『じゃあ、伊藤さん……また明日ね』


 月明かりの下の東先輩は、色が白いせいか、うっすらと頬に赤みが入っているのがよく分かった。


 そこまで回想した菜々は、その時初めて気づいたのだ。


「どうしよう……返事するの……忘れてた」


 携帯電話を握り締め、菜々は青ざめる。


『はいはい、オチをありがとう。明日、どう返事をするか、一晩ゆっくり悶々としてるといいわ』


 ブチッ。


 捨てゼリフと共に、雅は菜々を電話のこちら側へと置き去りにしたのだった。


 そして、彼女の予言どおり、菜々は悶々とした夜を過ごすこととなる──はずだったのに、陸上で酷使した身体は、余りに正直に彼女を眠りのどん底へとたたき落としたのだった。


 何の考えもまとまらないまま、菜々は次の日の太陽を拝んだのだ。


 朝のランニングをしている間も、シャワーを浴びて着替えて登校を始めても、菜々の頭の中には昨夜の宿題が、終えられないままぎゅっと詰まっている。


「『まあ、綺麗きれい。お前、そのまま王子様のところへでもお嫁に行けるよ』」


 そんな彼女の脳を教室に入るなり、皮肉な言葉と共に雅が破裂させてしまったのだ。



 ※



 長い長い午前中を経て、菜々はついに昼休みに突入した。


 雅と一緒に取るお弁当タイムが終わっても、まだ図書室に行く勇気は出ない。


 宿題が終わってないのだ。


 雅は、人の宿題を目の前に出すことはしても、手伝うタイプではない。


 だから菜々は、一人でにらめっこを続けるつもりだった。


 なのに。


「伊藤、ちょっと顔貸せ」


 前回、あれほど雅にひどい目に遭わされたというのに、またも東努がやって来てしまったのである。


 いや、ひどい目に遭わされた事に懲りているからこそ、菜々一人を教室から引っ張り出そうとしたのだ。


「『伊藤さん、お手間を取らせて申し訳ありませんが、ちょっとお付き合いいただけませんでしょうか?』でしょ?」


 椅子の背もたれ越しに、雅が美しくも鋭い訂正を入れる。


 うぐっと、努は唇を閉じる。


「ここで菜々が、『いやです』って答えたらどうするつもりなの、あんた? それでもいいなら、答えは分かってるんだから、さっさと帰ることね」


 その閉じた唇めがけて、雅は更に言葉のミサイルをねじ込む。口の中では、さぞや爆発が連続して起きていることだろう。


「……い、伊藤さん、お手間を取らせて申し訳ありませんが、ちょっとお付き合いいただけませんでしょうか!」


 これでいいんだろうと言わんばかりに、あの東努が、半ばヤケクソのようではあったが、ついに折れたのだ。


 菜々は、感動の光景を見ている気分だった。


 雅ちゃん、スゲェと。


 すっかり、他人事だったのである。


 しかし、努と雅の視線が両方一度に菜々に向いたため、はっと彼女は我に返る。


 ここまで折れられて『いやです』と言おうものなら、菜々は悪者ではないか。


「え、あ、はい」


 カタンと席から立ち上がって、菜々は彼の方へと向かった。


 話は分かっている。東先輩のことだ。


 彼は菜々のことを好きだと言ってくれて、菜々も勿論彼のことが好きなのだ。


 ということは、いつかは必ずこの努と、わだかまりを解消しなければならない時が来るということ。


 いまの菜々にとっては、東先輩と顔を合わせるよりも、彼と顔を合わせる方が、よほど気楽だというから、おかしな話である。


 フンと、鼻息も荒く先を歩く努は、廊下の突き当たりの非常階段に向かう扉を開ける。


 秋晴れの空が、抜けるほど青い。


 今夜は、素晴らしい名月が見られることだろう。


 菜々が釣られて非常階段に出ると、逆に彼は一度戻り、廊下に続く扉をバタンと閉めてしまった。


 しかし、ガラス窓のついている扉のため、隠れることは出来ないだろう。


 それに気づいたのか、努は一度宙を見上げた後、階段を降りてゆき、踊り場のスペースで足を止めた。


 確かにそこならば、多少の人目はごまかせるだろう。


 おそるおそる、菜々もそこへと降り立った。


「あー……伊藤、兄貴に何を言われたかは知らないが……本気に取らない方がいいぜ」


 頭を、ガッシガッシとかきまわしながら、努は彼女に視線を向けずに、やや乱暴な口調でいきなり言い放った。


「兄貴には、ちゃんと『彼女』がいるんだからな!」


 体育会系の強いまなざしを持っているはずの男の目は、大きく揺れながら、菜々にそう鋭い言葉を突きつける。


 そのギャップを理解できるほど、いまの菜々には心の余裕はない。


 突然の展開に、頭の上に「?」を浮かべたまま、ほけーっと努を見上げるしか出来なかった。


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