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オセロ風景〜坂道と図書室  作者: 霧島まるは


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13.黄金風景

 何を、どう言えばよかったのだろうか。


「行こうか」と促され、再びとぼとぼと歩き始めるけれども、まだ彼女の視界には、病院も小学校も見えている。


 そんな中、ひとつだけ菜々が捕まえられたものがあった。


「だから……『走れメロス』を」


 超能力者かと思ったあの日のことは、まだ菜々の記憶に新しい。


 こんな話を聞いて、偶然それを彼女に勧めたとは思えなかったのだ。


「そうだ、ね。図書室の下を駆けて校門を出て行く伊藤さんに気づいたのは、五月くらいかな。山根さんに聞いたのも、実は最近じゃなくて、その頃だった。石野小の子かどうか、確信が欲しくてね」


 やっと言えて、ほっとした。


 東先輩は、肩の荷を下ろしたように首を回す。


 五月。


 部活紹介も終わり、菜々が一も二もなく陸上部に入部届けを出してすぐの頃だ。


 走る彼女から見える図書室は、いつも夕日の反射で邪魔されていたが、反対側から見える世界は、それとは随分違ったのだろう。


「もう、小学校の時みたいには、速くなくなりました」


 けれど、いまの菜々は──小学生の『あの子』とは違う。一番最初にテープを切る、『あの子』ではないのだ。


 昔の美しい記憶のせいで、菜々があの頃のままだと思われていたら、この先彼は失望するに違いない。


 それが辛くて、彼女は視線を足元に落としながら、『あの子』が今、どうなったかを告げるのだ。


「伊藤さんは速いよ……そして、強いね。校門前の坂を駆け上る足は、良血の馬のように見えたよ。女子の箱根駅伝があれば、伊藤さんを推薦したいくらいだ」


 ふふと笑うのは、顔を真っ赤にして駆け上っていた菜々の顔を思い出したからだろうか。


 悪趣味だと、彼女は頬を赤らめた。からかわれているのだと。


 そうでなければ、女子高生を捕まえて『馬』などと言うはずがない。


「と、とにかく、もう、一等を取れる足じゃありません」


 その笑いを振り切るように、菜々は早足で歩いた。先輩を置いていく勢いで。


「『負けた。これは、いいことだ。そうなければ、いけないのだ。かれらの勝利は、また私のあすの出発にも、光を与える』」


 遠ざかる東先輩の声が、ぬるい夜風に流れる。


『黄金風景』!!


 2巻の切ない話が胸をよぎり、菜々は振り返った。


 先輩は、ゆるやかに歩いている。


「残念、もう二つ目のバス停だ」


 その途中で、彼は足を止めた。


 確かに、そこにはバス停があった。


『総合病院前』──皮肉な名前のバス停だった。


 遅い時間のせいか、誰もそこでは待ってはいない。


「伊藤さん、今日の僕はとても幸福で、そしていまはとても寂しい。こういう時に限って、ちょうどよくバスが来てしまうしね」


 斜め後ろを振り返った先輩は、大きな箱型の乗り物が、近づいてくるのを確認している。


「気をつけて帰ってね、伊藤さん。また明日、図書室で」


「あっ、えっと、ま、また明日」


 バスの中に飲み込まれていく先輩を、菜々は半ばぽかんとして見送った。


 終始、東先輩のペースで話が進んで、彼女はそれに振り回されてばかりだった。


 彼を乗せたバスは、排気ガスと共に──菜々を追い抜いて行った。



 ※



 どうしよう。


 木曜日だ。木曜日なのだ。


 昨日あった出来事の収拾をつける間もなく、あっという間に翌日になってしまった。


 悩んでいたかったというのに、部活の疲れでぐっすり寝てしまった自分が憎らしい。


 昼休み、お弁当を雅と食べながら、彼女は今日、東先輩に会う勇気をかき集めようとしていた。


 だが、いまだそれには十分な量ではなく、お弁当の後に行く自信はなかった。この調子では、放課後になるだろう。


 菜々の知らないところで、菜々を知っている人がいた。


 昨日今日の話ではなく、ずっと昔から。


 菜々は、学校の側の病院で、つらい思いをしている人たちに、心を馳せたことなどなかったというのに。


「落ち込んでるの? それとも、浮かれてるの?」


 さっきから、ご飯をポロポロこぼす子供状態の菜々に、冷ややかな言葉が飛ぶ。


「浮かれ……てなんか、ないよ。落ち込む? のとも、何か違うし」


 また、はっきりしない、ぐにゃぐにゃした状態に、自分が陥ってるのが分かる。


「へーふーんそー。たいへんねー」


 そんなもの、雅とっては棒読みの返事で十分らしい。「どうしたの?」なんてサービスは、彼女にはないのだ。


「雅……昔の自分って好き?」


 なかなか進まないお弁当を前に、菜々はフォークを止めてため息をついた。


「そんなの時期によるわ。大体好きだけど、ごくまれに最悪なくらい嫌いだし。誰だってそんなもんでしょ」


 卵焼きを箸で切り裂きながら、雅は興味なさげだ。


「私が、一番自分を好きだったのは、小学校の高学年の時だったんだ。その時のことを知ってる人にね、会っちゃったの」


 具体的な人をぼかしながら、菜々は言葉を積み上げた。


「その人は、小学校時代の私を褒めてくれるんだけど、いまは平凡だから、すごく恥ずかしくなっちゃった。『大人になったらただの人』みたいな姿、見られたワケだし。ああ、失望させちゃうなって」


 ぼやけた言葉の中でも、東先輩の昨日の様子が浮かび上がる。


 対して、雅のこめかみには、やはり交差点が浮かび上がるのだが。


「相変わらず気持ち悪いこと言うわね。人が菜々に勝手な幻想を抱いているのは、そいつの勝手! 失望しようが何しようが、放っておけばいいのよ。菜々が付き合う義理もない。というか、菜々」


 箸が、ぐさりと白米の上に突き立った。


 本来、こういう無教養なことをしない雅のことを考えると、相当頭にきているようだ。


「その人なんか関係なく、菜々自身が、いまの自分に失望してるんでしょ? 相手のことを思いやるフリして、他人を出汁に使わない! そんな出汁巻き卵は、まずいに決まってる」


 突きたった箸をそのままに、雅の痛すぎる機関銃乱射が、またも始まるのだ。


 ああ、痛い痛い。


 本当だから、痛くてしょうがない。


 あの頃の自分が一番好きで、今の自分はそれよりも、好きの度合いが下がっている。


 今の自分を見て欲しい相手に、昔の自分を知られていたことが苦しいのだ。あの頃の自分に、まだ全然敵っていないのだから。


 それでも走るのをやめられないのは、いつかまたあの最高の自分に追いつくことが出来るかもしれないという希望のせいだった。


 もう一度、あの突き抜けるような快感を、菜々は味わいたいのである。


「菜々は、馬鹿みたいに走ってればいいのよ。難しく考えたって、どうせ答えなんか出ないんだから」


 雅の言葉は、切れ味が鋭すぎて、自分が真っ二つにされたことさえ気づけない時がある。


「ば、馬鹿じゃないよ!」


 切り口の美しさに感心しかけた自分に気づいて、菜々はハッと突っ込んだ。何とか、一矢報いようとしたのだ。


「どうでもいいから、さっさと『図書室の君』を捕まえて来るのね。昨日、一緒に帰ったんでしょ?」


 そんな突っ込みなど、雅に返す刀で切り刻まれる。


 一体、どこからその情報を!?


 呆然とする菜々の顔こそが、雅の言葉が本当ですと答えているも同然だった。



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