8つめ 開きたがり
引き続き軽い残酷描写に注意です
「兄上のせいでリタが怯えているじゃありませんか! もう用事は御済でしょう? どうぞお帰りになってくださいまし」
王女殿下のその追い払う仕草に、ズエル殿下は片眉を上げさせた。
「何を言ってるんだい、ティナ。アティも君も仕事が遅いから僕がわざわざ手伝いを申し出ているというのに、それを無視するものだから仕方なくこちらに出向いているんじゃないか」
それを聞いて王女殿下は顔を青ざめさせた。
「兄上! そのようなこと、リタの前で話さなくとも――!」
「リタ、君はなかなか頭がいい。だから薄々は気づいてるんじゃないの?」
その言葉に王女殿下は驚愕してリタを見た。
「……何のことでしょう?」
とりあえず、とぼけてみる。
ズエル殿下は一歩近寄る。リタが一歩下がる。
「大牛の遺言が嘘だってことだよ。いくら立場が上位文官だったとしても、その程度で元孤児の身元も 怪しい女を王宮に召し上げるわけがないってこと、それくらいわかってるよね?」
それは確かに、考えていた。
大牛に仕えていたとはいえ、数年のことだ。その程度で安全と後ろ盾を保障するほど、王宮という場所は甘くはない。
それでも、もうリタには行く場所などないのだ。ここも追い出されてしまえば、最悪浮浪児に逆戻りである。
だから気づかない振りをして、指摘を避けていた。
沈黙を肯定と取ったズエル殿下が話を進める。
「確かに、僕が聞いていないだけで遺言は真実かもしれない。だけどね、リタ。君を雇い入れた理由は他にある。何だと思う?」
リタは答えられない。
緊迫した空気に耐えられないかのように、王女殿下が後ずさりする。最早、この会話は止められない。
ズエル殿下が得意げに、続きを口にした。
「君が優秀な侍女で――生き証人で――餌だからだよ、リタ。大牛の優秀な侍女と触れ回ったこと、拾い癖のある困ったアティの世話役になったこと。これだけ注目を浴びたら、大牛を殺させた連中からすれば君と王子が近しい事実は十分な脅威になるはずだ。それこそ、君も暗殺者に狙われるほどに、ね。だけどそれは――」
素早く歩み寄ったズエル殿下は、リタの下顎を掴むと上向かせた。冴え冴えとした冷たい視線が、リタのそれと絡まった。
「――君がこちら側の人間だったら、の話だよ。君が向こうに懐柔されているのなら、これほど危うい猛毒はないだろう? 可愛い弟と妹を危険に晒すことは、僕には少し耐えかねる。だから、君の身体の中まで開いて安全を確かめなくちゃ、僕は不安で不安で――不安でたまらないんだよリタ……」
狂気すら伺えるその視線に怖気が走る。
言われた言葉を咀嚼し、飲み下して理解する前に次の脅威が迫ってくる。
リタは迫り来る銀色の輝きから逃れるように、震える瞼をきつく閉ざしたのだった。
――噂には聞いていた。
第一王子殿下は次期国王としては行き過ぎたほど他人に冷徹で、行き過ぎたほど身内に甘い、知りたがりで開きたがり。
次期国王として多くを求められたが故に、彼は多くを求める。
幼い頃から言い聞かせられてきた彼は、知らぬことのないようにと与えられたものの全てを開き、分解し、解体し、その知識を埋めてきた。
そしてある日彼は、己の世話をする女官に殺害されそうになったとき、気づいたのだ。
身の回りに一番多いソレのことを、全く知らないという事実に。
騒ぎを聞きつけた警備の騎士が部屋に踏み込んだとき、血塗れの部屋の中、腹を裂かれた女官の臓腑を手に持つ彼は、騎士に向かって笑って言った。
「ヒトって難しいね。僕、こんなに複雑だって知らなかったよ」
結局、事件は暗殺を企てた女官を王子自身が撃退したということで落ち着いた。
事実に対しては緘口令が引かれたが、王子自身はそれに頓着しなかった。
中身のわからぬ物は不安だというように、彼は身の回りの全てを開いて回った。
それは生き物ですら例外ではなく、呪われた王子、悪魔の子と囁かれた。
それが落ち着いたのは、アーティレットが生まれてからのことだ。
王の命によって遠ざけられていた二人は、王妃の懇願によって彼女の立会いの下、面会の許可が下された。
まだ幼いアーティレットを見た彼は「中見てもいい?」と王妃に聞いた。
王妃は彼を「この子はあなた自身だと思いなさい。ズエルは自分の身体を開こうとは思わないでしょう?」と諭した。
彼はそれに頷いて、自身の持つ全ての知識をアーティレットに与えることにした。
知らないことを知ることは、彼自身がされて嬉しいことだったからだ。
その結果、幼いアーティレットは豊富な知識を持つ兄を尊敬するようになり、何か与えられればそれを持って彼の元へ行くようになった。
ズエルは弟に知識を披露する。
それを聞くのが日課になったアーティレットは、しかし自身の持つ全てのものを兄に聞き終えてしまうと、大変困った。
大好きな兄から、話が聞けなくなってしまう。
悩んだアーティレットは、王妃が大切にしていた庭園にある花を切り取って、それを持って兄のところへ行った。
彼は花のことを教えたあとで「母上の大切な花を勝手に取ってはいけない」とアーティレットを叱った。
それに大変ショックを受けたアーティレットが次の日から取った方法は、落ちているものを拾ってくるというものだった。
落ちているものなら、持ち主はいないだろうと考えたのだ。
そんな開きたがりの第一王子に、拾い癖の第二王子。二人に溺愛される第一王女が生まれるのは、まだしばらく先のことだった。