7つめ 開きたがり
7つめと8つめは軽く残酷描写があるかもしれません
ご注意くださいませ
軽くドアをノックする。
「リタです。失礼致します」
その言葉に帰る声はない。
そのことをわかっているリタは、そのままドアを押し開けると異常がないか素早く確かめる。
部屋の留守を預かっていた二匹の猫はどうやら机と椅子で遊んでいるようだ。
机と椅子の背で見事な二本のアーチを作り上げていた毛玉が、ドアの開閉に気づいてべちゃりと下に落ちた。
問題はなさそうだ。
先に部屋の中へ入ったリタはドアを押さえ、王女殿下に入室してもらう。
王女殿下はリタに日傘を渡すと、駆け寄ってきた二匹の猫を撫でた。それを見ながらハットツリーに日傘を吊り掛けると、頭の上に乗っていたアークを下ろしてあげる。
「くわっ」
と啼いて翼を広げたアークは、そのまま走って出窓に向かった。
大きく羽ばたいて出窓に置いてあるクッションに着地すると、そのまま翼を折りたたんで寝る体勢だ。
食べるときと遊ぶとき、それにリタに乗って外へ行くとき以外は、アークは大体出窓のクッションの上にいる。
強い風の音に反応して外を伺っているアークの姿は、ここにはない何かを探しているようにも見える。
リタとアークは、よく似ている。
だからリタには今のアークの気持ちが何となく分かって、少し切なく思うのだった。
「リタ、そんなところに突っ立っていないで、こちらへいらっしゃい」
白と茶のブチ猫を両手で抱えている王女殿下が、猫の手を使っておいでおいでしている。
もう一匹の白い猫は膝の上でくつろぎモードだ。
「いえ、先に簡単に掃除をしておきます」
王女殿下に両手を制御されたブチ猫が「あちゃー」のポーズ。
リタは無視して、部屋の中を見て回る。
「リタが可愛くありませんわ。悲しいですわ」
恐らく猫の手を使って何かしているのだろうが、リタは見向きもせずにベットのシーツを整える。
ブラシで猫の毛を取ってからシーツのよれを伸ばして、お次は猫のクッションだ。
猫ちゃんずによって荒らされた室内を、リタは手際良く整えていく。
その様子を王女殿下はブチ猫を抱えたまま視線だけで追いかけている。
最後に窓の下方部に付いている汚れを拭き取って、掃除を終えたリタは白い猫を抱き取ると王女殿下の横に座った。
「余り大きくなったような気がしませんわね」
「先週いらしたときも同じことを仰ってました」
「あら、そうだったかしら」
王女殿下が抱えた猫を揺らすと、されるがままのブチ猫のだらりと伸びた身体がぷらぷらと揺れる。
丸晒しになったお腹をリタが円を書くようにして触ると、子猫は両足を上げて抵抗をし始める。
そこで、リタは子猫の爪を丸めてないことに気が付いて、王女殿下に爪を立ててしまう前に弄るのを止めた。
開放されたブチ猫が身体を横たえて、不機嫌そうにお腹の毛を整えているのを見ていると、隣の王女殿下が何故かソワソワし始める。
言いたいことがあるなら、もっと堂々として言えばいいのにと思いながら、リタは少し猶予を持たせてから向き直った。
「それで、今日は何の用事でしょう?」
虚を突かれた王女殿下はびくりと身を震わせ、その後胸を反らした。
「し、失礼ですわね。用事がなければリタに会いに来てはいけませんの?」
「では特に用事はないということですね」
そう言って立ち上がろうとするリタの腕を王女殿下は慌てて掴んだ。
「用事がないとは言ってません!」
「……そうですか」
上げかけた腰を下ろしながら、リタは不思議に思った。
確かに実物と噂は異なっているが、リタ自身の王族のイメージともまた異なっている少女。
アーティレット王子がそうであったように、王女殿下も王族としての面も持ち合わせているのだろうが、どうもピンとこない。
最も、二人が王族らしい王族であったとしても、王族に対する礼儀作法には詳しくないリタが二人を敬う態度を取ることは困難であろう。
もちろんそのことでリタを疎ましく思っているだろう人はそれなりに多いことも知っているが、如何ともし難い。
そもそも敬いというものは、血脈に対するものではないはずだ。
アーティレット王子も王女殿下も素晴らしい方なのだとは思う。けれど、リタが敬う人物は唯一、大牛だけなのだ。敬うべき大牛の遺言によって、この場所を結ばせているだけ。
王族を敬わぬ下賎の血。王族というのは、皆このように変わった人格なのだろうか。
未だ相対したことのない、第一王子。
もしも噂どおりであるならば、リタはかなり危うくなる。
だが、アーティレット王子と王女殿下が口を揃えて「変わった人」と評する人物だ。
気分を害させないように、精一杯気を使ったほうがいいのだろう。
リタはそんなことを考えながら、王女殿下の言う用事とやらを聞いていた。
噂の人物の襲来があるとは、露とも思わずに。
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「――要するにつまり、猫を見に来たことと、アーティレット王子が遠出をしているから注意しろという二点だけですね」
「は、端折り過ぎではないですか……」
「それは申し訳ありません。では食欲増す君の仰った科白をそのまま申し上げましょうか?」
「結構ですわ!」
記憶力が良いことは優秀な侍女の第一歩だ。
もちろん記憶力だけがよくてもいけないが、主人の指示を忘れてしまうということは言語道断である。
主人の発言全てを記憶する必要はないが、必要だと思われる箇所を暗記するくらいはリタにとって朝飯前だった。
だからこそ気を使っての発言だったのだが、何故か王女殿下は気分を害されたようにそっぽを向くと、足元でお腹を晒して寝転ぶブチ猫を抱き上げた。
「お前たちはリタに世話をしてもらって幸せねぇ。よしよし」
それを聞いたリタは、猫の背を撫でる王女殿下を見て複雑な心境になった。
――幸せの定義。
人だけですらそれぞれ違うのに、そこに動物を混ぜてしまえば他者の幸福を推し量る手段など存在しないように思うのだ。
事実、リタは自分が世話をしている三匹が幸せだとは到底思えなかった。
「明後日にはお兄様がお帰りになるでしょう。おそらく、また何か――――」
王女殿下がそこまで声にしたところに、何かが軋む音が聞こえた。
途端、王女殿下が押し黙る。
二人は音のした方向を探して周囲に視線をやった。
子猫が大きな欠伸をし、アークがのそりとクッションから起き上がる。
次の瞬間、部屋の扉が内側へ向けて吹き飛んだ。
凄まじい音に、すぐさま立ち上がったリタは王女殿下の前に立つと、彼女を後ろへ押しやった。
猫たちは飛び上がって驚いて、一目散にクッションのあるほうに駆け逃げた。
何が起きたかわからないうちに慌ててはいけない。
リタは油断なく扉の先に視線を配り、王女殿下はリタのスカートの裾を握り締めると同じようにそちらを見た。
扉の先には、扉を蹴破った張本人と思われる男が足を下ろして身嗜みを整える姿があった。
無駄に華美な服装を着た銀灰色の髪をした男だ。年の頃は二十台後半といったところか。
扉を蹴破った男はそのまま悠然と室内に踏み入り、リタの背後から様子を伺っている王女殿下を見つけて、咲き誇らんばかりの笑顔を浮かべた。
「ティナ、こんなところにいたのか。部屋に行ったのにいないから、探してしまったじゃないか」
両手を広げて歩み寄る男を見て、王女殿下は驚愕した様子でリタの後ろから進み出た。
「あ、兄上……一体どうなされましたの?」
言いながらリタの前に出た王女殿下は、巧妙にリタを隠すような位置取りに動いた。
しかし、リタと王女殿下の身長差のために、リタからは男の顔が丸見えである。
アーティレット王子や王女殿下を見ているからか、それなりに整っているはずの顔が平凡に見えて、リタは瞬きをした。
「何……って、新しいオモチャを見つけたって聞いたから、僕にも見せてって前から言ってるじゃないか」
「リタはオモチャじゃありません!」
王女殿下がリタを庇うように手を広げると、男は興味深そうにリタを透かし見た。
「へぇ……その子がリタかい? 案外普通だね」
「お褒めに預かり光栄です、王子殿下。それで、この扉は直していただけるので?」
リタは頭も下げずに外側が罅割れた扉を指差して言った。
王女殿下が頬を引きつらせ、男は一瞬目を丸くした後、破顔した。
「あぁ、そうだね。僕としたことがついうっかり」
笑いながら近づいてくると、男は王女殿下を脇に押しのけてリタの前に立った。
「あ、兄上!」
「面白い子だね。ナカはどうなってるのかな? これはさすがの僕も期待しちゃうかも」
意味を図りかねてリタは眉を寄せる。
押しのけられた王女殿下がその言葉を聞いて血相を変えると、慌てて二人の間に割って入った。
「兄上! リタは違うのです! 大切な――」
被せるようにして、
「わかってるよ。丁寧にすればいいんでしょ?」
にっこりと微笑んでみせる。
「だめだ、何もわかってない」
項垂れる王女殿下を見て、リタは困惑して一歩下がった。
目の前で行われていることの意味がわからない。
扉を蹴破って入ってきた男が、噂の第一王子殿下であることは疑いようがないが、意味の分からない会話の矛先が自分に向かっているのが何とも恐ろしい。
それより、扉は直してもらえるのかどうなのか、そこをはっきりしてほしいとリタは思った。
再び王女殿下を押しのけたズエル殿下がリタに近づく。
慌てて王女殿下はズエル殿下にしがみつくが、殿下はお構いなしにリタへ迫ってくる。
その手からはいつの間にか三本の針が伸びている。
銀色の輝きに気圧されるようにして、リタは後ずさりした。
「兄上お待ちになって!」
引き止める王女殿下を放置して、ズエル殿下はアーティレット王子と同じような恐ろしい笑みを浮かべて、言った。
「ちょっとナカを見るだけだから、安心して。縫合も得意だから、大丈夫だよ」
何が大丈夫だと言うのか、さっぱりわからない。
この噂だけは本物だった、とリタが後悔をし始め、逃げ道を探していると目の前に影が出来た。
「カッ!」
短く警戒音を発したアークの口から、小さな炎が迸った。
目の前のズエル殿下は微かに目を見開いた後、針を持っていないほうの手で向かってくる炎ごとアークの顔を鷲掴みにした。
「ぷぎゅ」と情けない声をあげたアークに、ズエル殿下は素早くもう片方の手を動かした。
途端に力が抜けたようにアークの全身がだらりと伸びて、宙吊り状態になった。
「面白い子だね。翼竜を開いたことはなかったから、こっちも興味があるなぁ」
言いながらしげしげと手の中のアークを眺めるズエル殿下の姿にリタは戦慄した。
思わずリタが我を忘れてズエル殿下に言い募ろうと口を開いた瞬間、目の前の殿下が横っ飛びに吹き飛んでいった。
いなくなったズエル殿下の位置に、日傘をフルスイングした後の王女殿下が現れる。
「兄上! いい加減にしてくださいと申し上げているでしょう! リタはわたくしの、と、友達ですのよ!?」
そう言って、王女殿下は日傘の先端で床に転がったズエル殿下のお尻の辺りを突いて、突いて、突いた。
声も出せずに悶絶したズエル殿下はそのままごろごろと転がって、壁にぶつかって停止した。
「ごめんなさいリタ、兄上がおかしなことを言ってしまって……」
「アーク!」
駆け寄ろうとする王女殿下を押しのけて、リタは床に転がったアークを抱き上げた。
どうやら心臓は動いているようだが、半開きの口から舌を覗かせた状態で白目を剥いているのは、どう見ても普通ではなかった。
「あ、あっ、アークっ!」
気が動転したリタがアークを揺さぶっても、頭がカクカクと動くだけで意識が戻る様子はない。
「兄上、そんな演技してないで早くアークを元に戻してください!」
王女殿下が日傘で床を二度突くと、床に転がったズエル殿下がゆっくりと身体を起こした。
「やれやれ。可愛い妹姫のためなら仕方ない」
「その可愛い妹姫を無視してリタに手を出そうとしたくせに……」
ズエル殿下はその呟きを無視してリタに近寄ると、腕の中のアークの首筋に一瞬だけ針を刺した。
目を覚ましたアークは口から煙を出すと、キョロキョロを周囲を見回した。
そして視界にズエル殿下を捕らえるや否や、慌てた様子でリタの腕の中から飛び立って出窓のクッションへ避難して行った。
それを見送ったリタは、眉根を寄せると警戒して二人から距離を取る。
どうやら恐ろしいのは第一王子だけではないとリタは思ったのだった。
7/10 少し表現を改稿