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5つめ 客室付き

王女殿下がその艶液――を二枚のハンカチーフで拭い去ってから始まった食事は、終始和やかな雰囲気だった。

だったはずだ。

食事が始まってしまえば王女殿下もマスクを取って、品の良い手つきで食事を進めている。

リタは、目の前で見目麗しい男女が談笑しているのを白いパンを齧りながら見つめていた。

テーブルの真ん中に置かれたバスケットに盛られていた山のような白パンは、既にその背丈を半分以下に減じさせ、まだ一つ目のパンを齧っているリタを尻目に二人の手は幾度となく伸びる。

アーティレット王子はともかくとして、王女殿下のか細い身体の何処へパンが入っていくのかと、リタは不思議に思うのだった。

「リタ、もっとよく食べなさい。大きくなれませんよ」

そう言って、王女殿下が押してきたサラダの盛られた小皿を、リタは渋い顔をして押し返す。

「無理ですよ、食欲増す君。私は一般人ですから、このくらいがちょうどいいんです」

「まぁ、まるで私が一般人ではないような物言いですわね」

「王族が事もあろうに一般人などとおこがましい発言をしていたような錯覚が……」

「こいつの言うことも最もだぞ、リタ。もっとよく食べろ」

今度はアーティレット王子が、白いスープのようなものが入った小皿を押してくる。

リタはそれを反対側の手で押し返す。

「結構です!」

「マナーが悪いぞ、リタ」

「そうですわよ、リタ。大人しくなさい」

「お二人とも、いい加減にしてください。子供ではないんですから、嫌いな物を人に押し付けてはいけません!」

二人はギョッとして、自分の押している皿を見た。リタも見た。

キノコばかりが残ったスープと、干しブドウばかりが残ったサラダを目の前に、二人はお互いを睨みつけた。

「おい、ティナ。お前の魂胆は分かってるんだいい加減にしろ」

「ホホホ、魂胆などと失礼な。お兄様がいらっしゃると聞き及んでいたからこそ、料理人に言ってせっかく用意いたしましたのに」

「余計なお世話だ!」

子供のような喧嘩を始めた二人を見てリタは溜息を吐いた。

「わかりました、これは私が頂戴しますから、子供みたいなことで喧嘩なさらないでください」

「ち、違いますわ! 別に喧嘩してるわけでは……お兄様もなんとかお言いになったら!?」

「そうだぞ。ただ意見の相違というか、方向性を見誤って……」

「仲がよろしいようで、安心致しました。では食事を続けましょうか」

リタの鋭い狐目に睨まれて、二人は姿勢を正した。そのままお皿を引き寄せると、まずスープに手をつける。

途端に王女殿下に向かって鼻を鳴らすアーティレット王子。それに悔しがる王女殿下。リタはもうそれらを無視することにした。

苦手な料理がなくなったためか、それからすぐに用意されていた食事を全て終え、リタは少し膨らんだお腹を撫でた。

大牛様のお屋敷でも、これほどまで食べたことはないというくらいに食べたような気がする。彼は嫌いなものなどなかったし、リタに無理に食べさせるような真似もしなかった。

先ほどの侍女が食器を下げると、入れ替わりに女官がワゴンを押して入ってくる。茶器を並べ、目の前で紅茶を入れると一礼してサロンの壁際まで下がった。

食事持ってきた侍女と違って立ち去らない様子に、リタは胸中で首を傾げた。よくはわからないが、色々とあるのだろうと勝手に納得しておく。

目の前に出された紅茶を一口飲んで唇を湿らせたアーティレット王子が、本題に入ろうとする雰囲気。

自然と背筋が伸びるような空気に、リタは考え事を止めて聞く姿勢になる。

王女殿下が優雅に紅茶を嚥下する。

「リタが兄上にばれたようだ」

――嚥下する前に、王女殿下は口の中の液体をアーティレット王子に向かって噴出した。王子はその攻撃を身体をずらして避ける。

「行儀が悪いぞ、ティナ」

王女殿下は呼吸困難になるほどに噎せて、ヒーヒー言いながらようやく呼吸を整えた。ハンカチーフで口元を拭うと、それをそのまま地面に叩き付けた。

「あれほど兄上には注意なさいませと申し上げたのに、どうしてもうばれているのですか!」

「僕のせいにするな。お前だって随分ハデに動いていただろう」

動揺に王女殿下が身を震わせた。

「う、だ、だって、リタが……」

王女殿下が上目遣いにリタを見て、リタは首を傾げた。

「私が、何か?」

「何でもありません! 別に、何でも!」

何故王女殿下が憤慨しているのかわからないリタは、今度は反対側へもう一度首を傾げる。

「それは置いておいて、兄上というのはアーティレット王子と食欲増す君の兄上……つまり第一王子殿下のことですか?」

「そうだが」

「何故私がばれるとまずいのでしょうか? 孤児だからですか?」

「……いや」

「では、大牛様の元に勤めていた侍女だからですか?」

「……そうではない」

「では、何故?」

「えぇと、リタ。ちょっと聞きたいのですが」

王女殿下が挙手をして、質問権を主張する。リタは首肯して発言を促す。

「兄上のこと、噂話とかでご存知ない?」

問われたリタが記憶を探ってみるが、そのような話は聞いていないような気がする。

もしくは聞いていても関係がないからと忘れてしまっているという線もある。

「ありませんね。確かお名前が、ズエル殿下という方だったくらいしか」

その言葉に王族二人は顔を見合わせ、心得たとばかりに頷きあう。

「まぁ、ご存知なければそれでよろしいですわ」

「もし万が一、仮にもしも出会ったとしても普通に接しろよ、リタ。兄上は大変変わった方だからな、注意しろ」

変わっている度合いで言えば、目の前の二人も変わっているのだが、その二人が「変わっている」というのだから、余程なのだろう。

などと考えて、リタは頷いてみせる。

自身もそれなりに変わっているとは夢にも思わないのだった。

そんなリタを見て、王女殿下はアーティレット王子に視線を移す。

「それで、お話はそれだけですか?」

「あぁ、もう一つあるんだ」

アーティレット王子はそう言って、サロンに来たときから置きっぱなしにしていた足元の籠をテーブルの上に載せた。

それから留め金を外し、口を開きながら、言った。

「二人にコイツを見せようと思ってな」

開いた籠から、長い首がにゅうっと伸びる。緑色の顔に埋まった翡翠のようなキラキラしい両の瞳が、王女殿下とリタを捉えた。細長く尖った耳が周囲の音を拾おうと細かく震えている。

「ぎゃお」

鋭く尖った牙を覗かせながら、それは啼いた。

王女殿下は目を見開いて硬直し、リタは半目になってアーティレット王子を睨みつけた。

「王子、これは一体?」

「拾った。世話を頼む」

リタはもう一度籠を見た。

中に入っていた生物は、少し大きな籠から這い出ようと、短い手足を使って必死にもがいている。籠から覗く皮膜には、まだ風を受けるほどの力がないのかもしれない。

明らかに、どう見ても翼竜である。

翼竜の世話など、したこともない。むしろ、世界中を探してもそのような人間を見つけることは困難だろう。

「ど、ど、どっ! 何処で! 拾ったんですか兄上! すぐ返してきてください、今すぐに!」

再起動を果たした王女殿下が顔を引きつらせて詰め寄ると、アーティレット王子は少し仰け反った。

「何を言ってるんだ、今更捨てることなどできるわけないだろう」

「犬や猫を拾うのとは訳が違うんですよ、訳が! お兄様ならそのくらいご存知でしょう!?」

「親ならいない。だからコイツの親が怒り狂ってこの国を攻めに来るようなこともない」

「なっ、どっ……!!?」

「死んでいる親竜の近くで、コイツが一人で啼いていたところを保護した。だから安心していい」

王族二人はそんな言い争いをしている間に、翼竜の子供は籠の縁にぶら下がってぷるぷると震えていた。それでも必死に腕の力だけでよじ登ると「ぎゅあ!」と啼いた。直後、籠の外に転がり落ちて、ベチャリと音を立てる。

頭を振るって、長い尻尾をくねらせながらリタのほうによちよちと歩いてくる。

その可愛らしい姿に思わず頬をほころばせて、リタは翼竜に手を伸ばした。

次の瞬間、翼竜は「カッ」と警戒音を出したかと思うと、口から炎を出した。蜜蝋の火よりも小さな炎は、翼竜の口から出てリタの指先に届くまでの間に大気中に掻き消えてしまった。

リタは少し驚いて手を引いたが、翼竜自身も左右を警戒しながら後ずさりする姿を見て、再び手を伸ばした。今度は素早く。

翼竜は警戒音を上げる隙も、炎を吐く隙もなくリタの手の中に収められてしまい、驚嘆して暴れたが、子供だけあってそれほど力が強いわけでもないため、リタの手を振り解くことは叶わなかった。

それどころか、リタに持ち上げられて手足が地面から離れたことに不安を感じてリタの手にしがみついてきた。

目は開いているが、あまり良く見えていないのかもしれない。

リタの手から落ちないようにと必死でしがみつきながら下ばかりを見て、観察されていることは気にも留めていない様子だ。

その様子をアーティレット王子は満足げに見ている。

「随分懐かれたみたいじゃないか、やっぱり僕が見込んだだけはあるな」

「ま、待ってくださいお兄様! まだ子供とはいえ危険すぎます! リタに何かあったらどうするのですか!?」

「王と宰相の許可は取ってある」

「そういうことを言っているのではありませんっ!」

「リタ、客室を一つ与えるから、今後はこいつの世話を頼む」

リタは途端にしかめ面になって、アーティレット王子を見た。

「畏まりました」


――そんな感じで、リタは客室侍女(仮)から正式に客室侍女になったのだった。


ちなみに話がひと段落してから、翼竜を見ていた王女殿下の口元から突然艶汁がほとばしり始めたので、アーティレット王子が慌てて王女殿下にマスクをつけさせたとかなんとか。





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