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2つめ

「アーティレット様! お待ちください!」

 という家令の声に、リタは窓を拭く手を止めて通路の先を見た。


 複数の足音が徐々に近づいていることを確認して、梯子から降りると布巾を折りたたんで置く。

 今日は来客があるという話は伺っていないし、アーティレットという名にも心当たりなどない。

 そもそも、家主である大牛様は隣国へ赴いており、不在である。主人が不在の屋敷に上がりこむ輩など、ろくでもない存在に違いない。

 リタは思わず舌打ちしそうになるのを堪え、頭を下げて招かれざる客人の到着を待った。


「お前がリタか」


 やってきた客人は、開口一番そのようなことを聞いた。


「はい。わたしがリタです」


 声にハリがある、と思った。高圧的ではないが、人に命令し慣れている者特有の声音である。リタとしては出来れば関わりたくない部類の人種に値している。

 何の用件かと意識を巡らせていると、声の主は単刀直入に、言った。

「大牛は死んだ。奴から、もしものときにはお前の世話を頼まれている。付いて来い」

 何を言われたのか、一瞬わからなかった。


「……は?」

 内容に理解が及んだ途端、おかしな声が出た。思わず顔を上げ、声の主を見る。

 旅装の男だ。長身で顔立ちが整っている。少し長めの金髪を流すようにしており、俄かに色っぽい。

 即座に正体を悟った。

 慌てて平伏する。


 その昔、両親と祝賀のパレードを見に行ったときにチラリと見た顔だった。

 間違いなくこの国の王子その人である。

 その王子が、家令の制止を振り切って家に上がりこんで、大牛様が死んだとのたまうのか。

 二つの意味で額に嫌な汗が滲む。

「恐れながら、そのお話は真でしょうか」

「俺が嘘を言うメリットなどない。真実だ」

 そのようなことを言われても、信じがたい。突然すぎて、まず何を考え、そして話せばいいのか整理がつけられない。

 そうこうしているうちに、家令のラクシスが廊下に辿り着いた。

 ラクシスは御歳六十を超える高齢である。息切れした呼吸を整えつつ、困ったように白い眉を撫でながら言った。

「アーティレット様、いかに貴方様と言えども、物事には順序というものがおありでしょう」

 アーティレットはその様子をちらりと見て、リタのほうに向き直った。

「葬儀の連絡は済んでいるし、後任の文官も選定してある。あとは奴の遺言通り、この娘を引き取りに来たのだが、何か間違いがあったか?」

 その言葉に、背筋を悪寒が走った。あるいは電撃だったかもしれない。

「まずこちらに連絡頂けるのが一般的な礼儀でございましょう」

 全てをそちらで整えてしまってはこちらの立場もございませぬ。

 家令のそんな声と、それに謝罪するアーティレットの声が、右耳から左耳へ抜けていく。



 死んだ?

 大牛様が?

 そんなバカな事、ありえるはずがない。

 大牛は図体ばかりがでかく、太っていて動きがニブイ、まさしく大きな牛のような男だった。

 ハクテイという本名はあるが、大牛の名が有名すぎて公式文書などでも大牛で通じてしまうほどの有名人である。

 素直になれないリタがいくら憎まれ口を叩いても、足蹴にしても笑っていた。

 嫌っていたわけでも、疎んじていたわけでもない。

 ただひたすら、自分が愚かで、子供で、素直になれない阿呆だっただけなのだ。

 取り返しのつかないことに気が付くのは、いつだってそれを失ったときのこと。

 失ってから気づいても遅いのに、自分は同じ過ちを繰り返していたのだと、ようやくわかった。

 表しきれない親愛と感謝を、何処へ伝えに行けばいいのかまるでわからない。

 それでも、彼はまだいるのだ。

 眠って、自分を待っている。

 彼に会って、それから考えよう。

 それが果たされるまでは、少し考えることに休憩しよう。




-----




 神殿に預けられていた遺体を、共同墓地に埋葬する。

 王子の言ったとおり、事前に打ち合わせなどがあったようで、葬儀は滞りなく進んだ。


 司祭がリタに別れの言葉を求めたとき、リタはふとあることに気が付いた。

 しかし、それを認めてしまうことは、大牛に対する侮辱であるような気がして胸が痛んだ。


 何を言うべきか少し悩んで、リタは眠る大牛にこう言葉をかけた。


「あなたはわたしを救ってくれたけれど、わたしにはあなたを救ってあげることができませんでした。ごめんなさい。さようなら。ありがとう」


 それを聞いた司祭は頷いて、埋葬の声をかけた。

 遺体を乗せた麻布を数人がかりで穴の中に下ろすと、土をかけていく。

 土を被っていく大牛は今にも動き出しそうなのに、もう瞼を開くことはない。

 笑うこともないし、頭を撫でてくれることもない。


 悲しい気持ちは確かにあるのに、どうして……。


 遺体が半ば土に埋まったところで、隣にアーティレットがやってきた。

 アーティレットはリタの頭に手のひらを乗せて、くしゃりを髪を乱す仕草。


「安心しろ、大牛。お前が果たせなかった想いは、俺が継いでやる。ゆっくり休んでろ」


 どうしてわたしは、彼のための涙を流せないのか……。





 葬儀が終わると、アーティレットがこれからのことについて説明をしてくれた。


 大牛は位の高い文官であったが、一般人であり独身でもある。

 屋敷は王家へ返還せねばならないので、身寄りのあるラクシスはともかく、孤児であるリタは、屋敷がなくなれば行く場所がない。


 そのことを心配していた大牛は、予めアーティレットに相談を持ちかけていたのだという。

 アーティレットはそれに二つ返事で了承を返し、そして今、その約束が果たされることになったのである。





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