魔王様の独白
あれは運命の出逢いとしか言いようがなかった。
こんな恥ずかしいこと間違っても幼馴染には言えないが。
ランツベルク家の名前が挙がったのは必然だった。王家の力を脅かさないよう、敵対勢力に不満を持たせないよう、様々のことを考えて、王妃を決めなければならないこの立場において、これ以上の高物件はなかったのだ。
ただし、当たり前だが、相応の器量が悪ければ、王妃として相応しくないと、社交界の華と呼ばれる、敵対勢力の一つ、クラーゲンフルト家のベアトリーセが黙ってはいないだろう。
一度、確かめる必要があるな。
事前にランツベルク卿には話してあるし、直接本人と話すよう申し入れもあったので、こっそりお忍びでかの屋敷に向かった。魔力がほとんどない自分が消えたところで誰も気づくまい。側近には伝えてあるし、あたかもいるように振る舞うよう指示もしてある。
準備は整った。
屋敷に入ると、調理場からのんきな鼻歌が聞こえる。随分とうるさい調理人だと思い、覗いてみると、何か作っているのは貴族の娘だった。この屋敷にいる娘は目当ての娘しかいなかったはずだ。ともすれば、この目の前の娘がエレオノーラだろう。
しばらくその様子を見てみることにした。不思議なもので飽きることがない。ただ、声をかけたらどうなるか、それが気になって、気がつけば声を発していた。娘は振り向き、固まった。文字通り、動かなくなったのだ。
目の前に立ち、背の低い彼女に目線を合わせようと屈む。状況は変わらない。まあ、顔は悪くない。派手ではないが、そこそこ整っている。まあ、ランツベルク卿と夫人の特徴をそのまま受け継いだらしい。例の二人は目立つ方ではないが、そこそこ美しい造形をした顔であったように思う。
そのうち火がかかっていたやかんがけたたましく音を立てる。娘は動かないので、鳴り続けるままだ。痺れを切らしたか、少年が顔を覗かせた。
「姉ちゃん、何やって――」
娘の弟だろう。たしか、ランツベルクには息子が六人いたはずだ。彼が何番目かはわからないが。
彼は余の顔を見るとすぐに姿を消した。特に何もしていないはずだが、何か勘違いをされたらしい。どうにかなるだろう。
いい加減、やかんがうるさいので、止めるよう指示すると、娘はすぐに動いたが、こちらを見ることはなかった。
足元に重みを感じ、見てみると、赤ん坊が余の足を上っているところだった。なかなか度胸のあるやつだ。大抵の赤ん坊は余の顔を見るだけで泣くものだが。こいつもランツベルクの息子か。
「おい」
ついに頭にまでよじ登ってきて煩わしくなって、両脇を抱えて頭から引き剥がす。余と目を合わせても泣きもせず、笑いかけて絶えず、手足を動かしている。なかなか面白い。
「あ、あのっ」
娘が青い顔で話しかけてくる。何か気に障るようなことをしたかと考えるがわからない。
「弟が失礼をいたしました。私がお預かりいたしますので、どうぞ、お掛けください」
そんなことを気にしていたのか。これはこれで面白かった。全く気にする必要もないのに。律儀と言うべきか、何と言うべきか。
「よい。余が世話しよう。そなたは作業を続けよ」
作業の続きも見たかったのもあり、この赤ん坊と戯れるのも悪くない。この年代ならば遊び相手がいればそれでいいはずだ。娘が忙しい今、余しか相手できぬのだから、仕方あるまい。
ついつい本気で赤ん坊の相手をしていたようだ。娘も先ほどオーブンに型に入れた生地を入れたようだ。
「陛下、お尋ねしてもよろしいですか」
娘は緊張も解けたのか、割りと平常心に戻れたようだ。
「何だ」
と返せば、遠慮がちに言う。
「なぜ家にいらっしゃったのですか?」
ランツベルク卿は娘に何も話していないようだ。そのほうが変に構えられるよりもこちらとしては好都合だった。
「そなたに会うためだ」
もちろん、嘘は言ってない。ただ、この娘は簡単に引っ掛かるような人形ではなかった。社交界に顔を出し、姿ばかりを着飾っている者よりははるかにいい。
「それは?」
「余に"魔力がない"のは知っておろう」
外界からの保護に力をすべて使わなければならない今の状況で、好き勝手されては困る。后には当然、内側を押さえ込んでもらう必要がある。つまりは高い魔力も必要なのだ。
「まだ后も居らぬのを周りが憂いている。そこで候補者の名が上がったのだが、反抗勢力に属する貴族の娘しかいない。それは何としても避けねばならない。となれば、どうすればいい?」
「全く無関係な娘を……って、私ですか!?」
大臣たちはその多くが敵対勢力だ。隙あらば、国家転覆を目論んでいる。権力に目の眩んだ馬鹿な者たちだ。
「ランツベルク子爵にはすでに話してある。そなたの了承を得れば良いと言われたが」
「その、陛下は私の異名をご存知ですか」
「あれはあくまで噂だろう? むしろ、その方がいい」
魔力がないなど。ランツベルクの家系にはそのような者がいた記録はない。むしろその逆で、何代かに一人、非常に高い魔力を持つ者がいる。娘がそうであった。隠しているわけではないが、娘が社交界に顔を出さないのと、常に魔力を抑えているのか、普通の者では気づかないほどの魔力しか感じられないため、とうに忘れ去られたのだろう。
その方が敵を油断させることができ、好都合だった。魔力を持たない夫婦など、つけ入る隙はいくらでもあると勘違いする輩も現れるだろう。彼らを引きずり落とすにはもってこいだ。
「大きな魔力は禍を生む。余を害すようでも困る」
下手に大きな魔力は周りをも巻き込み、被害が大きくなりがちだ。娘にそうなる可能性がないわけではないので、油断ならないが、敵対勢力よりは断然ましだ。
話の途中で娘はケーキの焼き加減を見に行った。余が続けよと指示したことであるので別に何とも思っていなかったが、娘はそうは思わなかったらしい。
「申し訳、」
「よい。続けよといったのは余だ。もうじき出来上がるのではないか」
何を作っていたかはわからないが、食すのは楽しみだった。力が込められた料理が如何なものか、誰でもできることではない。多くの魔力を持つからこそ為せる業だ。
「姉ちゃん、今日は」
先ほどとは違う、娘の弟が顔を出す。またしても、動きが止まる。そして、次々と現れる弟たちは動きを止め、ランツベルク卿と夫人の登場でどうにか彼らは元の状態に戻った。
家族全員揃ったところで、今の状況を説明しようと口を開いた。もちろん、赤ん坊は抱いたままで、場の緊張感はない。
「突然、邪魔をした。子爵には話してあると思うが、そなたの娘をもらいたい」
少し直球過ぎたかと思ったが、嘘は吐いていない。彼女と話していても、胸元がむかつきを覚えることもなく、年頃の娘を相手にして、初めてのことだった。
「その話は後にして、娘の焼いたケーキを召し上がりませんか。親馬鹿と思われるかもしれませんが、なかなか美味しいのですよ」
ランツベルク卿は勧めてくれたが、元よりそのつもりだったので、言葉に甘えるとしよう。
来客用の席に座り、最近、社交界でも見るようになったランツベルク家の長男が赤ん坊を受けとる。赤ん坊は子供用の席へ座らされた。よっぽど、先ほどまで楽しかったのか、余をずっと見ている。視線を向けてやると笑った。夫人と娘が茶の用意をする。使用人はどうしたのか考えたが、この家のことだ。きっと使用人も休憩しているのだろう。出されたのは色鮮やかなケーキだった。香りもいい。ランツベルク卿が言うのもわかる。
家主の合図で祈りの時間になる。余の力も精霊によるところが大きいので、祈りは欠かさない。 しかし、最近は非常に無礼だが、祈らない者もいるという。精霊に見放されればいいと思う。
「これは何かしたのか?」
ケーキを一口食べただけで他とは全く違うというのがわかる。
「魔力が満ちていくような、今までにない不思議な感覚がする」
常に魔力が空っぽな身体だからか、余計に感じる。いつも疲労感で一杯だったこの身体に活力がみなぎるようだ。
もうこれ以外の食べ物は口にできない。そう感じるほどの力が娘の手に隠されていたなどと誰が想像しただろう。
「エレオノーラ」
ついには、名前を呼んでいた。少し前の自分だったら、きっと信じられないだろう。
立ち上がり、エレオノーラに近づいて、跪く。
「へ、陛下。何をなさってるのですか」
彼女は戸惑っていたが、こちらの態度に動かされたのか、視線が一度合うと、外さなくなった。
「エレオノーラ。余、いや、ジークフリートは貴女を妻とし、生涯愛し続けると誓おう。受け入れてくれるなら口付けを許してほしい」
よくもこんな恥ずかしいこと出来たものだとも思うが、気にしない。
娘はふっと気を失い、倒れた。床に着く前に拾い上げる。
「ランツベルク卿、エレオノーラはもらっても?」
「どうせ、どこももらってくれないでしょう。それに、陛下は放す気などないのでしょう」
さすが、よくわかっている。
呆然としている弟たちを尻目にエレオノーラを抱え、城に帰った。目覚めたときの反応が極めて興味深い。