ジュンアイカテイ(純愛過程)ホストと保育士の恋愛はアリかナシか
1
「あのすみません」
俺の左ななめ後ろ上45度から声がした。
女性の声だ。
無言で声の方を見た。
隣に座っていたダイキも同じ角度で後方を見上げた。
めっちゃタイプ!年は30代半ばか。
ボーダーのカットソーにジーパン、黒髪のストレートロング。
大きなバッグ、スニーカー、アクセサリーは無し。結婚指輪は無し。
気づかれないように一瞬で女性を値踏みするのはいつもの癖だ。
全てノーブランド。自由になるお金は持ってなさそうだ。
女性が緊張しているのがわかるが、平常時は美人なんだろうなと思わせる顔立ち。
恐怖心を持たれたか。
“老若問わず女性には優しく丁寧に”がじじオーナーの教えだ。
女性に向き直り「何か?」と持って生まれた育ちの良さを醸し出し、人当たり抜群の雰囲気でダイキが尋ねた。
ダイキのおかげで表情が少しほぐれたようだ。
「あの、お願いがありまして」申し訳なさそうに続ける。
「あの、ベビーカーを改札へ降ろすのを手伝ってほしいんです」
見ると女性の脇にはベビーカーがあり、子どもが眠っているのが見えた。
「エレベーターは?」俺が言うと「それが今点検中で使えないんです」とのこと。
「駅員呼」と言いかけた俺をダイキが手で制し「いいですよ」と好感度100%の笑顔で応じた。
「ありがとうございます、助かります」
女性は頭を下げ胸に手を当て安堵の表情を見せた。
やっぱ美人だ、と自分の勘に拍手をした。
“女性に優しく”いつもオーナー言われているのに、"咄嗟"に弱い俺。ナイスダイキ。
「セイヤ行くよ」俺たちは立ち上がった。
ベビーカーには子どもがぐっすり眠っていた。
純真無垢な寝顔。女の子かな?
女性が階段の方へベビーカーを押し、“姿勢いいなこの人”と思いながら、後ろをついて行った。
平日の夕方、駅のホームは人はまばら。階段の手前で女性は止まり振り返った。
「すみません、私が片方持つので、もう片方持っていただけますか」
謙虚な申し出だが、若い男が2人いるのにそんなことはさせられない。
おまけに女性の方には大きなバッグ(後で知ったがマザーズバッグというらしい)を持っている。
「まあそんなこと言わずに、セイヤそっち持って」
俺たちはベビーカーの両側に立ち、子どもを起こさないように小声で「せーの」でそっと持ち上げた。
改札への階段は大きな口を開けていた。一瞬クラっとめまいを覚えた。確かにこれは怖い。
あの大きなバッグを持ってベビーカーを降ろすなどできるわけがない。
女性は後ろからついてくる。
無事階段下へ着いた。子どもは静かに眠ったままだ。
女性もホッとした様子で「ありがとうございました、助かりました」と言い、何度も何度も頭を下げた。
「いえいえお安い御用です」ダイキお前は昭和の人間か。
「あの、でも、ベビーカーの車輪が当たってズボンが汚れてしまいましたよね、どうしよう」
女性は俺のズボンの裾を見て、俺の顔を窺った。
「大丈夫ですよ、お気になさらず」
俺はいつもの営業スマイルで言ったが、「でも…」女性は困り顔。それもいい。
「ではこうしましょう」ダイキが言った。
「僕たちの名刺をもらってください」女性はキョトンとしている。
「僕たちこの駅の近くの“クレール・ド・リュンヌ”という店でホストやってます」
「え、はい」一瞬で女性の表情が曇った。明らかに変なのに引っかかったという顔だ。
ダイキは胸ポケットから名刺入れを出し、スマートに差し出した。
アイコンタクトで俺にも出すように促してきた。ダイキは続ける。
「僕たちも営業活動をしないといけない身でして。受け取って家に着き次第捨ててもらってもいいですし、ホスト好きなお友達がいれば渡してください」
あくまで負担にならないように、最高のスマイルで。
「お名前は?」女性は答えたくなさそうだ。
「ではヒカリさん、(勝手に名前をつけた)受け取りの無理強いはしません。断っていただいて構いません」ヒカリさんは黙っている。
「もちろんクリーニング代を請求したりしませんのでご安心を」
早く離れたかったのだろう。
「では受け取るだけなら」
ヒカリさんは恐る恐る手を出し、黒地に金文字顔写真入りの俺たちの名刺を受け取った。
「お気をつけて」
「本当に助かりました、ありがとうございました」
ヒカリさんは改札を出てからも一度振り返り頭を下げて去って行った。
「いいことしたね」
「おう」
「きれいな人だったね」
「おう」
「わかりやすいんだよね、セイヤは」
「な、なにが」
「そういうとこ、さてこの調子で今日もがんばるか」
「おう」
ダイキが一段飛ばしで階段を駆け上がった。俺も後を追いかけた。
2
あの日からヒカリさんのことが気になって仕方がない。いわゆる一目惚れというやつか。
ホストという職業柄、女性を恋愛対象として見ることはない。所詮お客様。
どれだけ楽しませ満足させお金を落とさせるか。
さりげなく値踏みをし、いかに攻略するか戦術を立てる。
女性の希望を瞬時に察知。とにかくいい気分にさせる。
それがなかなか俺には難しい。
大学生になったのを機に親元を離れ一人暮らし。
ビジュアルの良さを買われホストのバイトに誘われた。
そんな場違いの客商売なんて性に合わないと思ったけれど、大学を卒業した後もここで働いている。
それはじじオーナーのおかげだ。
じじオーナーはいわゆる一代で財を築いた知る人ぞ知る大企業の創設者で、会長職を退いた後はなぜかホストクラブの経営に乗り出した。
じじオーナーの人柄に惚れた者は数多いる。俺はその一人だ。
じじオーナーの持って生まれたものプラス、リーダーシップ、人生で培われたセンス・話術・懐柔力。経営者の鏡みたいな人だ。
そしてもう一人はダイキの親父さんだ。
ダイキの親父さんはじじオーナーの会社に就職し、じじオーナーの下で働き学び鍛え上げられた弟子で、じじオーナーを崇める信奉者だ。
現在は地元で知らない人はいないナルサワグループの社長で、不動産会社を主に、スーパー・ドラッグストア・ジム・猫カフェを展開している。
今後はネイルサロンを出店予定らしい。
市長選挙に立候補するのではないかともっぱらの噂だ。
ダイキこと鳴沢大樹は三男坊で“社会勉強”“人生修行”と称して、この店で働いている。
俺とダイキはこうして出会った。年が同じだったのですぐ仲良くなった。
俺の両親は学校の先生だった。
俺は一人っ子。
母親は「青哉は手がかからない子だった」と回想するように、親が喜ぶよう、親に迷惑をかけないように、親に気をつかう子どもに育った。
常に周りが気になり空気を読むことがいつしか身についた。
それはホストという仕事には大いに役に立っている。
しかし、人に嫌われることをもっとも恐れ、人に甘えられない、自分の気持ちに素直になれない大人になった。
両親は早期退職をして、憧れだったという田舎暮らしを実現し、今は試行錯誤しながら畑で野菜を育てているらしい。
一度顔を見せに来いと言われるが、慣れ親しんだあの家ではなく、知らない古民家が実家だと言われても、身の置き所に困るのは目に見えている。
両親が仲良くやっているならそれでいい。俺の出番はない。
両親にはホストクラブで働いていることは伏せ、大学卒業後就職したと伝えている。
逆にダイキは宇宙から祝福を受け生まれてきたような誰からも愛される選ばれし存在なのだ。
ダイキにまつわる幸福エピソードならいくらでもある。
クラブはダイキ目当ての客も多く、両親の愛情を一身に受け、全身から出る品の良さを醸し出し、何不自由なく育った天然のダイキと、一般標準家庭出身の養殖の俺とでは、生まれた時から勝負はついている。勝とうとも思わないが。
ビジュ良く産んでくれた両親には感謝しかないが、中身はフツーの24歳。
ホストに向いているかどうかはわからないが、じじオーナーのそばにいたいから続けている。
3
あの日の俺の様子を見て、「あ、セイヤ、どストライク」と思ったようで、名刺の行方がどうこうではなく、俺のためにインパクトを残すためのダイキの作戦だったらしい。なんて機転が利くんだ。
「ヒカリさん、今日は店に来てくれるかなあ」なんて声をかけてくる。
俺も億が一の希望を抱き店に出ている。
人が入ってくるたび、胸が跳ねる→違った、がっかり→来ないわなと自分に言い聞かせる、を繰り返し疲れてしまった。
そんな時いつものように昼過ぎに目が覚め、ソファから起き上がりスマホを見ると、ダイキからLINEが来ていた。
開けると「ヒカリさん、店に来たーーー」の文字。
「?!」俺は意味もなく立ち上がり、まだ2割寝ている脳を覚醒させ考える。
俺、昨日店に出てたけど来てないぞ。どういうことだと速攻でダイキに電話をかけた。
「セイヤおはよう、ククク」
「俺は見てないぞ、どういうことだよ」
「はいはい、落ち着いて。僕は昨日休みでさ、父さんのスーパーへ行ってたんだ」
ダイキの親父のスーパーとは“スーパーナルサワ”のことだ。
「事務所にいたらさ、何気なく見た防犯カメラのモニターに映ったんだよ、ヒカリさんとベビーカーが。ほらベビーカーに、虹とひよこのおもちゃがついてたじゃん。確認しに急いで売り場に出たらビンゴ!というわけだ。
「で?」
「で?って何」
「話したのか?」
「するわけないじゃん」
「どんな感じだった?」
「うーん、男と一緒だった」
「男?」
考えないようにしてたけど、子どもがいるということは既婚者だ。現実をつきつけられた。
「でも男って言っても高校生くらいかな」
「どんな関係だ」
「知らないよ」
「…」
「まあ、聞いてよ。3人が店を出た後で、パートの吉田さんに聞いたら『毎日ではないけど、よく来られますよ』だってさ」電話のダイキのどや顔が目に浮かぶ。
「そしてもう一つ情報がある。決して暴走しないと約束するか?」
「するする。なんだそれは?」
「どんぐり保育園だ」
「ドングリホイクエン?」
「ベビーカーちゃんが通ってる保育園の名前だよ。吉田さんのお孫ちゃんも通ってるから知ってるって」それはすごい情報だ。やはり持つべきものは鳴沢大樹だ。
「セイヤ、相手は既婚者だ。お前が惚れたとてどうなるわけでもない」
「わかってる」
「ヒカリさんにしたら、通りすがりの親切なホストだ」
「わかってる」
「僕も咄嗟に爪痕残すために名刺渡したりしたけど、今はもう焼却場の灰だ」
「わかってる」
「セイヤがいじらしくてこんなことしてるけど、諦められるようにやってるんだからね、勘違いしないで」
「わかってる」
「じゃあまた店で」
「おう、サンキュー」と言ってはみたものの、電話を切ったとたん俺のスマホは“どんぐり保育園”を検索していた。
もう一度会いたい。
4
どんぐり保育園―それはあの駅が最寄り駅になる住宅街の中にあった。
初めて会った日、俺とダイキは別の店のヘルプに行くため電車で移動すべくあの駅にいた。
あの有名な歌ではないけれど、2人の行動がガチっとはまって、見知らぬ人ではなくなった。
故に俺は毎日どんぐり保育園に通っている(周辺をうろうろしている)。もう2週間になる。
確かにヒカリさんはいた。
2日目、園からベビーカーを押して出てきたヒカリさんを見た時は、なぜか逃げてしまった。
少し離れたところで爆速の心臓の音を感じながら、しばらくはニヤけた顔がおさまらなかった。
次の日から、キャップとマスクをした。完全に怪しい人の出来上がりである。
4日目、警察官を見た。きっと俺のことを不審に思った誰かが通報してパトロールしているんだ。
一つわかったことがある。ヒカリさんの名前はあやかさんという。“あやか先生”と呼ばれている。
ここに子どもを預け自身も働いているようだ。保育士なんだ。
一目会えるだけで良かった。
それで納得できると思っていたのに、会えたら今度は話しができたら諦めるに変わっていた。
それで諦めればよかったものを今日も来てしまった。
その時は不意に訪れた。
肩をたたかれ思わず振り向くと、あやかさんといつもいる男だった。
「何してるの?何か用?」男は言った。
俺は咄嗟に走って逃げた。
男は追いかけてくる。
「暴走するな」の言葉とともにダイキの顔が浮かんだ。じじオーナーの顔も。
何やってんだ俺…。
とんでもないことをやらかしてしまった事実を受け入れられず、ネガティブ思考と言い訳ばかりが脳内をめぐる。
スーパーナルサワの荷受けスペースで追いつかれた。
従業員の人達が何事かと一斉に見た。ああおしまいだ。
しばらくすると騒ぎを聞きつけ、数人の男性が出てきた。
その中の一人と目が合った。
「セイヤくん?」ダイキの親父さん鳴沢仁太郎だ。
「渚君も」どうやらこの男とも知り合いらしい。
5
俺の起こした騒動―
あの後パトロール中だった警察官も騒ぎを聞きつけ、スーパーナルサワに駆けつけた。
「詳しくは署で聞く」と言われパトカーに乗せられた。
両親が知ったら卒倒するに違いない。
署では事情聴取をされた。質問に答える形で事の経緯を説明した。
じじオーナーに迎えに来てもらい、その日は厳重注意で帰された。
翌日、じじオーナーに呼び出され一週間の謹慎を言われた。
じじオーナーは「どんぐり保育園に謝罪に行くぞ」と事前にアポを取ってくれていた。感謝しかない。
園長先生はさすがにじじオーナー同伴の謝罪は断れなかったようで、あやか先生と会わない条件で受け入れてくれたそうだ。
その前にダイキの親父さんへの謝罪に行った。
ホストのスーツではなく、一般的なスーツに髪型も作らずおとなしく。
午後一時、じじオーナーと園に着いてインターホンを押すと、中から園長と思われる中年の男性が出てきた。
園は子供の声は聞こえず、比較的中も静かで子どもも見かけなかった。
聞くと午睡(昼寝)の時間とのことだった。
応接室と書かれた部屋に入るとあやか先生が立っていた。
驚いて動けなくなっている俺に園長先生が「同席したいそうです」と言った。
「どうぞ」と促され応接セットのソファの横に立った。
あんなに会いたいと願った人なのに、こんな形で会うとは情けない。
今俺の正面に立って真っすぐに俺を見ている。
今日は髪を後ろで束ねているんだなと余計なことを思った。
じじオーナーが「お忙しい中、お時間を取ってくださりありがとうございます。私はこの者の雇い主で親代わりをしております、美方藤吉と申します。そして」「甲斐青哉です」と名乗った。
「この度は本当に申し訳ありませんでした。私の独りよがりの行動が、園や先生方に不安とご迷惑をおかけしてしまいました」隣に立っていたじじオーナーも一緒に頭をさげてくれた。
じじオーナーにこんなことをさせるなんて本当に情けない。
「まあどうぞ座ってください」と促され四人でソファに腰を下ろした。
「私は園長の塩野です。あなたたちが来ることは黙ってたんですが、あやか先生の耳に入ってしまいまして。昨日、警察から連絡がありました。あやか先生から事情を聞き、警察のパトロールは取り下げました。保護者への連絡もするつもりですが、文面をどうするか考え中です」と言った。
「青哉が迷惑を考えずやってしまった一連の行動は、許されるものではありませんが、十分反省をしています。私の監督不行届きのところもございました。今後は決してこのようなことがないようにしますので、どうか謝罪を受け入れていただきたく存じます」もう一度二人で頭を下げた。
「あやか先生いかがでしょうか?」園長先生が言った。
「私個人としては受け入れます」とあやか先生が言った。
そこへノックの音がして、扉の向こうから女性が顔を出し、「失礼します、園長先生ちょっとよろしいですか」と言った。
「すみません」と園長先生が席を外し、部屋は三人になった。
沈黙を破ったのはあやか先生だった。
「辻堂彩佳と申します。セイヤさん、私は大丈夫です」そして続けた。
「先日はありがとうございました。本当に助かりました。お礼をしたいのでうちに来ませんか?もう一人の方もぜひ」
なんだこの展開は。
6
あんな騒動を起こしたのに、思いがけず彩佳さんの家に招待されてしまった。
彩佳さんは有言実行の人で、あっという間に日時が決まった。
お店に来る女性客に評判のケーキを朝から買いに行き、ダイキと合流して今辻堂家の前にいる。
駅を中心にして俺の住んでいる所とは反対方向でこちら側は土地勘がない。
家は昭和を感じさせる二階建ての一軒家だ。
ダイキに促されインターホンを押した。
「いらっしゃい、どうぞ」と彩佳さんはあの日と同じボーダーのカットソーを着て、ベビーカーちゃんを抱っこして出てきた。
通された和室には手作りの料理がテーブルいっぱいに並んでいた。
彩佳さんに手土産のケーキを渡すと「ここ有名ですよね、一度食べてみたかったんです」と言ってくれた。
「まあまあすみませんねえ。あらカッコいい人たちねえ。若いし」と60代くらいの女性が出てきた。
「紹介しますね、母です。と言っても夫の母です」あ、また現実を突きつけられた。
今日来るのも夫という存在に遠慮して断ったのだが、“夫はいないので大丈夫ですよ”と言われ、ダイキも一緒だし後ろめたいこともないと思って来たのだった。
促され席に着くと2階から男が下りてきた。
「息子の渚です」彩佳さんが紹介してくれた。
少し頭を下げただけで俺とは目を合わそうとしなかった。
スーパーでの騒ぎがダイキの親父からダイキの耳に入り、追いかけてきた男が彩佳さんの息子だったとダイキから聞いていた。
「娘の七海です」
息子とは違いこの子はずっと俺たちを凝視している。
ずいぶん年が離れた兄妹なんだな。
「ご迷惑をおかけして本当にすみませんでした」と改めて俺は頭を下げた。
「本当だよ」と息子が毒づく。
「よくノコノコ来られたもんだな」と続けると「こら、失礼でしょ。母さんが呼んだんだから黙ってて」息子は「チっ」と顔を背けた。
「こちらこそあの時名刺をいただいておきながらすみません。スーパーナルサワの社長さんのお知り合いと聞いたものですから、これも何かのご縁かと」
ダイキが三男坊であることは言っていないぞ。
「本当に助かりました」彩佳さんと義母さんは俺たちに頭を下げた。
「いやいや、そんな。当たり前のことをしただけです」とダイキ。
「ホームのインターホンで駅員を呼べばよかったんだよ。そしたらホストにストーカーされることなんかなかったのによ」また息子が毒づいた。
「渚、いい加減にしなさい」彩佳さんがたしなめた。
「さあさあどうぞ、お口に合うかどうかわかりませんけど」と義母さんが言った。
「お酒はないですが、どうぞ召し上がってください」と彩佳さんが勧めてくれた。
ダイキの「いっただっきまーす」を皮切りに空気が一変した。
コミュニケーションおばけダイキの本領発揮だ。
料理をべた褒めし「これめっちゃおいしいよ。セイヤも食べてみなよ」と言ってくる。
すごい知識と情報量を駆使し、巧みな話術で人を飽きさせない。
最後は人懐っこい笑顔でしめてダイキファンの出来上がり。
七海ちゃんも終始笑顔だ。
“やっぱすごいなダイキ。尊敬するよ”和んだ雰囲気を見て俺は思った。
食事が終わり、義母さんのスマホの操作でわからないところを教えてあげた。ものすごく喜ばれた。
渚くんは好きな漫画の話でダイキと意気投合して、2人で2階の部屋に消えた。
義母さんは買い忘れがあると出かけて行った。
彩佳さんと話せるように二人とも気をつかってくれたのかもしれなかった。
七海ちゃんは疲れたのか、彩佳さんにトントンされながら眠っていた。
すやすや眠る七海ちゃんを見つめる慈愛に満ちた横顔。それを見ている俺。
こんな日が来るとは1か月前は想像もしていなかった。
彩佳さんが話し始めた。
「あの日、七海を連れて出かけたんですが、途中で気分が悪くなってしまって。何とか駅までは帰ってこられたんですが、エレベーターが点検中で“もうなんで今なの!”って絶望でした。一度階段まで行ってはみたものの、七海と転がり落ちるのが想像できました。クラクラする頭で思考が働かず、あなた方に声をかけていました。そんな頭でも“わ、変な人に声かけたかも”“カッコいい人たちだな”と思ったんですよ」
トントントンー
「私、夫とは2年前に死別してるんです。夫との出会いは高校2年生の時。私は大学受験のため塾に通っていました。夫はそこで講師をしていました。大学受験の1月妊娠がわかりました。受験どころではありません。父は怒り、母はオロオロするばかり。それを救ってくれたのがお義母さんです。夫と結婚して子供を産むという私の意志を尊重し、両親を説得してくれました。納得したかと思われた両親は、私が高校を卒業すると、“もう娘ではない”と言いました。ひどいでしょ。今でも全く連絡は取っていません。もうどうしていいかわからなくて、結局夫の実家にお世話になることになりました。お義母さんにはほんと感謝しかないです。渚が生まれて、4人での生活が始まりました。私は保育士の資格を取るべく、渚を育てながら勉強しました。大学を諦めたので合格したときはうれしかったですね。どんぐり保育園で働き何気ない日常を過ごしていたのですが、夫の転勤が決まり3人でこの家を出ました。お義母さんを一人にするのは寂しかったですね。そして2年前、“気分が悪い”と倒れこんだ夫がそのまま帰らぬ人となりました。その時七海がおなかの中にいました。結局お義母さんを頼ってこの家に戻ってきたというわけです。私って周りの人に助けてもらってばかり。一人では何もできないんです。園長先生から不審者がいると聞いた後、実は私あなたを見かけていたんです。もしかしたら私を探しているかもしれないと思ったんです。だっていつまで経っても店に来ないから。クリーニング代の代わりに何か要求されるんじゃないかと考えてしまって。ある意味自意識過剰ですよね。せっかくどんぐりで働かせてもらっているのに、私が原因だとわかると、安定した生活が壊れるんじゃないかと思ったんです。バレることが怖くて何事もなくあなたが諦めてくれることを祈る毎日でした。あなたの気持ちがわかり好意はうれしいです。でも話したように私はこういう人間です」
トントンの手を止めて立ち上がり、引き出しから持ってきたのは俺の名刺だった。
「ごめんなさい」といって差し出された名刺には、アイドル風にポーズを決めた俺が俺を見ていた。
タイミング良く七海ちゃんが起きた。
失意の中いたたまれなくなった俺は「帰ります」と告げた。
2階からダイキが下りてきて3人に見送られ辻堂家を辞去した。
7
「その様子じゃフラれたんだね?」俺の様子を感じ取ってダイキが聞いてきた。
「ああ」
「そっか、でも楽しかったね。いい思い出できたじゃん」
「うん」
「気持ちに区切りはついたでしょ」
「…区切りはついてない」
「はあ?ふられたんでしょ?」
「だって俺、彩佳さんに自分の気持ちを言葉で伝えてない」
「はあ?何言ってんの」
「友だちからお願いしますと言ってくる」
「ダメだって!これ以上つきまとうと本当にストーカーになるよ」
「もう一度行ってくる!」
「やめとけ、行くな!」
8
今朝の鳴沢家―
「大樹、今日予定あるの?」母が聞いてきた。
「うん、セイヤと一緒に出かけてくる」
「どこ行くの?」
「…」
「言いたくなかったら言わなくてもいいけど。そうそうそのセイヤくん、この前警察沙汰になったんだって、お父さんから聞いた」父さん、余計なことを。
「彩佳さんに一目惚れしてストーカーしてたんでしょ、若いというか何というか」
「母さんなんで彩佳さんを知ってんの?」
「だってこれからナルサワグループの一員になる人よ」
「え?どういうこと?」
「今、貴一とお付き合いしてるのよ。言ってなかった?」
聞いてないよ、母さん、父さん、兄さん。
走っていくセイヤの背中に投げかけた言葉。
ああセイヤ、うちの兄さんが相手では10000%勝ち目はない。
僕が言うのもなんだけど、ナルサワグループの御曹司だ。
頭がよく、顔がよく、肩書もお金も持っている。
お前に彩佳さんは無理だ。戻ってこい!
♪パパパパ パントリー れれれれ れいぞうこ
新鮮 安全 第一に あなたの暮らしを 満たします
スーパー スーパー ナルサワ♪
=スーパーナルサワの店内ソング=




