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第9話《何も言わない人》

午前中。

事務所は静かだった。

電話も鳴らない。

依頼人も来ない。

耀は、机に向かいながら

新しい資料に目を通している。

(……切る)

昨日、自分で決めた通りに。

不要な情報を外し、

使える事実だけを拾う。

完璧じゃない。

でも、前よりは──

「……」

ふと、

視界の端で影が動いた。

応接ブース。

有哉が、ソファーに座ったまま何かを書いている。

(……さっきからあの人何してるんだろ)

気にはなる。

でも、話しかけない。

昨日までの自分なら絶対に言っていた。

「勝手に触らないでください!」

「何してるんですか!」

でも、今日は言わなかった。

耀は、自分の作業に戻る。


昼前。

探が、別件の電話に入った。

「耀、この件、少しまとめといてくれ」

「はい」

耀は資料を引き寄せる。

内容は、

前の依頼とよく似ている。

(……焦らない)

一度、全体を見る。

……が。

(……あれ?)

依頼人の証言。

時系列。

どこか、

引っかかる。

「……」

考えても、

ピンと来ない。

(何か、足りない……)

その時だった。

机の端に、

一枚の紙が置かれる。

「……?」

いつの間に。

視線を上げると、有哉が立っていた。

目は合わない。

声もない。

紙には、

簡単な図。

矢印。

時間。

人の動き。

──整理された、時系列。

「……」

耀は、

思わずその紙を見る。

一目で分かる。

(……ここ、抜けてた)

喉が、

小さく鳴る。

「……」

有哉は、もうそこにいなかった。

応接ブースに戻り、

何事もなかったように座っている。

説明もしない。

指摘もしない。


ただ、

紙を置いただけ。


(……何なの)

ムカつくはずなのに。

(……助かった)

その事実だけが、

胸に残る。



午後。

耀は、その図を元に資料を組み直した。

探が戻ってくる。

「どうだ?」

「……ここ、

 時系列、整理し直しました」

探は目を通し、一拍置いてから言う。

「いいね」

それだけ。

有哉のほうを見ることはなかった。


夕方。

耀は、紙が置かれていた机の上を見つめていた。

(……言われなかった)

「甘い」

「違う」

「だから言っただろ」

何も。

代わりに、

必要なものだけが置かれていた。

耀は、小さく息を吐く。

「……」

応接ブースを見る。

有哉は目を閉じている。

寝ているのか、

起きているのか、

分からない。

あの一枚の紙。

何も言わずに置かれた図。

説明もなく、評価もなく。

でも確実に…助けられた。

(……お礼、言うべき?)

手が止まる。

(……今さら

「ありがとうございました」とか……)

無理だ。

話しかけるのも、今までほとんど喧嘩腰。

顔が変に熱くなるのが分かる。

(……じゃあ、何ならできる?)

視線が、

事務所の隅の簡易キッチンに向く。

コーヒーメーカー。

来客用のカップ。

今まで──

有哉に淹れたことは、ない。

(……仕事の邪魔しないし)

(……話さなくていいし)

(……コーヒーくらい、いいよね)

耀は小さく息を吸って、キッチンに向かった。


カップを出す。

豆を量る。

スイッチを入れる。

(……ブラックでいいよね)

砂糖もミルクも、

勝手に決めるのは嫌だった。

コポコポと、

静かな音。

その間

何度も迷う。

(……やっぱやめようかな)

(……変に思われる?)

(……媚びてるみたい?)

でも。

(……ありがとう、言えないし)

それなら。

コーヒーが落ちる。

香りが、

事務所に広がる。

耀は、

カップを一つだけ持った。


応接ブース。

有哉は、

まだ目を閉じている。

耀は、

そっと近づいて

テーブルにカップを置いた。

「……」

何も言わない。

言えない。

一歩下がって、

様子を見る。

……反応、なし。

(……起きてない?)

その時。

「……何だ」

低い声。

有哉が、

目を開けていた。

「……っ」

耀の肩が、びくっと跳ねる。

「……あの」

言葉が詰まる。

「……その」

言えない。

有哉は、

カップを見る。

湯気。

香り。

一瞬、

何かを考えるような間。

「……俺のか」

「……はい」

やっと出た声。

有哉は、

ゆっくり身体を起こし、

カップを手に取る。

「……ブラック?」

「……はい」

「……」

一口。

何も言わない。

耀は、

心臓がうるさい。

(……まずい?)

(……迷惑?)

数秒。

「……悪くねぇ」

それだけ。

顔は見ない。

評価もない。

でも、

カップは置かれなかった。

有哉は、

そのままもう一口飲む。

「……」

耀は、

ほっとしたような、

拍子抜けしたような気持ちになる。

「……じゃあ」

言いかけて、

止まる。

何も言わなくていい。

今日は、これで。

耀は、

静かに自分の席に戻った。



日が暮れて、片付けの時間。

有哉に置いたカップは、空になっていた。

今は流しに置かれている。

飲んだ本人は、いつの間にかいなくなっていた。


耀はそれを見て、

何も言わずに洗った。

(……伝わった、かな)

答えは、分からない。

でも。

言葉にしなくても、

何か一つ、

やり取りができた気がした。

探がちらりとその様子を見る。

何も言わない。

ただ、

少しだけ目を細めた。


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