Issue#01 I I I Don't Want to Set the World on Fire CHAPTER 03 14
ところ変わって洗面所。
鏡の前で、裸のアシュリーは静止していた。やや左に反らした胴体、その両腰に手を当て、
かわいらしい小ぶりな右尻は外へとねじり――左脚はコンパスのように広げる大胆なそのポーズは、彼女の、無用に長い手足の存在を強く意識させる。
ぬれねずみのままで彼女が格好をつけ続けていると、あるとき、その全身があまりにも軽々と炎に包まれた。すると刹那の余波――直後には、肌にまとわりついていた湿気が一斉に爆ぜ、白い蒸気の殻となって四方へと弾け飛んだのだった。
……部屋の内装が傷むからと、おせちからはたびたび「やめろ」と注意されている独自のドライイングである。ひとりきりをいいことに、それを構わず実行したアシュリーは、湯上がりとは思えぬほど肌の水気をすっかり飛ばして、下着姿のまま、何食わぬ顔で廊下を引き返していく。
漆喰の壁と木製の巾木、そして褪せた色の天井灯が醸し出す閉塞感に満ちた廊下を抜けると、
そこからは一転して、縁側と一体化した外の光景が視界いっぱいにあふれていく。
照り返す月光の長い帯が縁側の床をすべり、その縁には、常に静謐な池泉式庭園の景観が寄り添っていた。
庭園の池は広大で、縁甲板の柱の際まで水面がせり出している。
プールと見まがうほどの規模でありながら、水は底まで透き通り、石や水草をも鮮明に映し出す。
庭の端々に仕込まれた夜間照明の柔らかな光は、水面と木々の葉陰にやさしく反射し、
そのなかを幾匹ものニシキゴイが悠然と、音も立てずに泳ぐ姿が目に映る。
縁側の端には、柿右衛門の花器に生けられた季節の花がいろどりを添え、赤い毛氈(羊毛フェルト)を敷いた小さな腰掛けとともに、この場所にほのかな非日常と控えめな迎賓の趣きを与えている。
深くせり出した屋根の軒先と規則正しく並ぶ木の柱が、外と内との境界をあいまいに溶かし、
夜の帳がゆるやかに降りはじめるなか、池のさざ波が廊下にしっとりとした風情をもたらしていた。
そうした、我々にとっては心をしばらくこの場所に置き忘れてしまうほどの美観、しかし彼女にとっては何の感慨もわかない景色のなかを、アシュリーは歩いていた。
ふとその途中、すれ違ったのは、家事用の白い装甲をまとったロボットである。
円筒形のボディに小さなアームを4本生やした機体が、静音駆動のキャスターで床を滑りながら移動してくる。
センサーの赤い光点がアシュリーに一瞬向いたが、なにも言わずにそのままやり過ごし、
彼女は彼女で振り向きもせず、機械の気配を風と同じ程度にしか意識せぬまま、足を運び続ける。
*
「……こいつに会うってことか?」
気づけば、アシュリーはすでにはちるの部屋の中にいた。
腕を組んでPCの画面を3人の並んだ肩越しにじっと見下ろす、その赤い瞳の奥に宿るのは、いつもの無鉄砲さではない。それは、何かしらの勘――直面した状況を一瞬で飲み込む、動物的な直観だった。
「会うっていうより……“交渉”って言ったほうがいいかも」
そんな、どこか寓意めいたはちるの言葉と共に画面に映し出されたのは、
『彼』のものとおぼしき、Xitterとは異なるSNSに投稿された1枚の画像だった。
……場所はトンネルか、あるいは高架下か。
壁一面に描かれたグラフィティと向き合って、中肉中背――ひとりの人物が立っている。
フードをかぶり、後頭部は見えない。だが、その立ち姿はたしかに、ひと仕事やり終えた人間の誇らしげな気分だけがそうさせる類いのものだった。
「……ねえ、グラフィティってさ……器物損壊とか、軽犯罪になるんだよね?」
と、はちるがおそるおそる皆に問いかけた。
声は控えめであり、それによって表現されるのは、確信の手前でためらうような知性の慎重さである。
……たしかに「グラフィティ」は私物でもないかぎり、器物損壊罪や建造物等損壊罪に問われるおそれのある行為だった。
だが、アカウントの閲覧数もフォロワーも限られているせいか、
これまでに『彼』の社会に対する迷惑行為が取りざたされた痕跡は、ひとつも見つからなかった。
「これは――”アイディア”だね。悪くない」
おせちは端的に言い、それが調査方針として成立する可能性を評価した。
そのひとことを合図のように、4人は手分けして『彼』のSNSをさらに掘り進めていく。
やがて、画面をのぞいていたアシュリーが、たまらず叫びだす。
「……わー、やなヤツだな!」
彼女が目撃したのは、ちょうどいま辿り着いたばかりの、第3のSNSだ。そこでの『彼』は、
キャバクラの席で、役人という立場を笠に着た恫喝を行ったことを、まるで武勇伝のように書き連ねていたのである。
投稿は日記型で、別の日付を遡れば、解釈によっては軽犯罪にあたるかもしれない記述がいくつも散見される。
「でも、名前がわかんないなぁ……」
さなが、画面を見つめながらぼんやりと声を漏らした。
「……とりあえず、全部ログ取っとこ!」
はちるが淡々とキーボードを叩き始める。目線はぶれることなく画面に向けられ、
ときおり手元のゲーミングマウスが小刻みに動いて、情報の波を静かにすくい取っていく。
「でもさ、グラフィティってほんとに、ずっと前からの趣味だったんだね」
さなが純粋な感想を洩らすと、
「島根にある吉濱神社ってバカみたいな名前の廃神社だったらいくらでも落書きしていいんだけどな」
とアシュリーが冗談めかしてぼやいた。
「それはダメ!掃除の手間が増えるでしょ」
するとおせちが、思いのほかぴしゃりとした口調でそう答えた。
2年に1回くらいの頻度で、尊は、「里帰り」と称した家族旅行を行って、
その際、自分を祀った神社の清掃を娘たちにやらせているのである。
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本家:ページ中にキャラのコンセプトアートなどあり
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