issue#03 I I I I Dreamed A Dream CHAPTER 05 37
特異点の少女たちの祈り――。
世界を侵食していた、アキノの罪悪感が生み出す虚無の闇。
それを、はちるの受容の宇宙が、優しく押し返す。
放散する2つの対極的な力は、その衝突点において、互いを完全に打ち消し合い、
絶対的な「無」でも「有」でもない、深遠な調和の1点を生み出した。
そして、その完全な均衡の中心から、1滴の、温かく、純粋な創生の光が、
染み出すようにして生まれた。光はやがて声もなく、しかし、宇宙の開闢にも等しい勢いで爆発した。
崩れかけていた万物の輪郭が、オーロラのように波打ちはじめ、
光速をも凌駕して全方位へと広がるその輝きの中で、確かな存在感を、一瞬にして取り戻していく。
砕け散った空は、どこまでも続く1枚の青空へ。
ねじれた大地は、そのあるべき姿へとなだらかに収束し、
記号と化していた人々は、再び、温かい血の通った輪郭を取り戻す。
それは、破壊の対義語としての、あまりに美しく、あまりに絶対的な世界の再誕だった。
*
時空の淀みは、唐突に、そしてこの上なく優しく、”彼女”を世界の別の場所へと運び去った。
先ほどまでいたはずの、埃と絶望に満ちた薄暗いリビングではない。
鼻をつくのは、湿った土と、夕暮れの甘い草いきれの匂い。
目を開けると、そこは、茜色に染まる見慣れない公園だった。
(なんで、こんな場所に――?)
混乱する思考をよそに、カンノユキの耳に、澄んだ子供の笑い声が届く。
視線を向けると、ブランコに乗り、空を蹴る幼い少女と、その背中を優しく押す若い母親の姿があった。ありふれた、しかし、今の彼女にとっては、失われて久しい、完璧な幸福の光景。
その瞬間、彼女の脳裏で、固く閉ざされていた記憶の扉が、古い木の軋みを上げて開かれた。
先ほど、確かに自分は倒れたはず。胸が、張り裂けるように苦しくて……。
なのに、今は嘘のように、その痛みも苦しみも消えている。
ふと、脳裏をよぎる。家を揺るがしたあの不思議な感覚。娘の名を必死に叫んでいた、少女たちの声。
(……そうか)
彼女は、直感で理解した。あの子が、私が「怖い」と拒絶したあの子が、
その得体の知れない力で、この私を助けてくれたのだ。
――いや、違う。
助けた、などという、安直なものではない。あの時、確かに向けられた殺意。
それをあの子は、自らの意志で取り下げ、そして、こんな母親のことさえ赦してくれたのだ。
その、あまりに巨大で、あまりに一方的な愛を前に、ユキの瞳から、涙がとめどなく溢れ出した。
その事実は、何よりも強く、彼女の心を打った。
それは、長年の恐怖を遥かに凌駕する一種の感動となって、乾ききった魂に、温かく染み渡っていく。
――ああ、この公園。思い出した。
昔、あの子がまだ小さかった頃、よく手を引いて連れてきた場所だ。
幻のように、過去の光景が蘇る。ブランコを怖がって、私の服の裾を強く握りしめていた、幼いアキノ。滑り台の上から、不安げに、しかし誇らしげに、私を探していた、あの小さな横顔。
私の手の中で、溶けていくアイスを夢中で舐めながら、幸せそうに笑っていた、あの子の笑顔。
いつからだろう。あの子の笑顔を、見なくなったのは。
いつからだろう。あの子の手を、握らなくなったのは。
幸せだったはずの記憶は、やがて、色褪せた悪夢へと変じていく。
固く閉ざされたドア。ドア越しに交わされる、意味をなさない会話。
部屋から漏れ聞こえる、得体の知れない陰謀論。
そして、鏡に映る、日に日に老い、生気を失っていく、自分自身の姿。
私は、疲れていた。ただ、それだけを言い訳にしていた。
だが違う。私は諦めていたのだ。あの子を理解することを。あの子に向き合うことを。
あの子を、娘として愛し続けることを。
だというのに、私は、あろうことかあの子を「怖い」と言った。……言ってしまった。
その時、先ほどの子供が、ブランコから足を滑らせて地面に転んだ。
甲高い泣き声が、夕暮れの公園に響く。
「!」
ユキは思わず駆け寄ろうとして、しかし足を止めた。自分の役割ではないという、
痛みを伴った自覚が、彼女をその場に縫い付ける。
だが、子供の母親はすぐには駆け寄らなかった。少し離れた場所から、ただ心配そうに、
しかし信頼を込めた眼差しで、娘を見守っている。
少女は、しばらく泣いていたが、やがて、母親のその視線に気づくと、ぐっと涙をこらえ、
自らの力で、ゆっくりと立ち上がった。
その姿を見て、母親はようやく笑顔で駆け寄ると、その頭を優しく撫でた。
少女は一瞬、また泣きそうになったが、すぐに誇らしげな――この上なく強い笑顔を見せた。
彼女たちは、夕日の祝福を受けながら、ゆっくりと公園を後にしていく。
そのありふれた、しかし完璧な親子の光景を、ユキはただ、涙に濡れたまま見送っていた。
その愛情に満ちたやり取り――ただひとつの些細な努力、気の持ちようひとつで、
あまりにもあっけなく、そしてどこまでも正しく繋がり続ける幸福の環。
その示唆に満ちた光景が、ユキの心の、最後の堰を決壊させた。
「……あぁ……あぁ……!」
嗚咽が、どうしようもなく溢れ出す。それは後悔の涙だった。失われた20年という、
取り返しのつかない時間に対する、あまりにも遅すぎた、痛切な懺悔だった。
あの子の苦悩を、どこかで、ほんの少しでも、くみ取ってやれれば。
やがて、夕暮れの公園の幻影は陽炎のように消えていく。気がつけば彼女は、いつもの帰り道に、
1人で立っていた。その両手には、スーパーの買い物袋が、ずしりと重く食い込んでいる。
袋の中には、ジャガイモと、タマネギ、肉。カレールー。あの子が唯一、文句を言わずに食べてくれる料理の一式。
ユキは涙を拭うこともせず、ただ、自宅へと続く道を、1歩、また1歩と歩き始めた。
その足取りは、これまでの、絶望に引きずられるような歩みではなかった。
贖罪の道を歩む巡礼者のように、重く、しかし、確かな意志を宿していた。
もう、逃げない。何があっても、今度こそあの子の母親でいよう。
その、たったひとつの決意だけを胸に、彼女は、固く閉ざされたあの家のドアへと帰っていく。
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本家:ページ中にキャラのコンセプトアートなどあり
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