表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
カルテット・マジコ  作者: piku2dgod
Issue#03 I I I I Dreamed A Dream

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

262/289

issue#03 I I I I Dreamed A Dream CHAPTER 05 34

最初の光景――少女が、たった1人で世界を敵に回した、あの悲痛な記憶が消えやらぬうちに、

姉妹たちの意識は次の場面に向かう。


それはアキノが6歳のときのこと。ユキにとっては、夫の事故死からの長すぎる1年が経った、

初夏の午後である。


「ママ、見て」


庭の隅で、アキノが真剣な顔でしゃがみ込んでいる。その小さな指が指し示す先では、雨露に濡れたアジサイの葉の上で、1匹のカタツムリがゆっくりと殻を運んでいた。

ここまでは、ありふれた子供の日常だ。


「カタツムリさんがね、『今日はお引越しするの』って言ってた」


その言葉に、洗濯物を取り込んでいたユキの手が、一瞬だけ止まった。心臓のあたりが、きゅっと小さく縮むのを感じる。


まただ。


ここ最近、アキノは時々こういうことを言うようになった。「アリさんたちが会議してる」とか、

「電信柱が眠そうにしてる」とか。


(周りの子は、こんなこと言うかしら……)


夫がいれば、「子供の想像力はすごいなあ」と笑い飛ばしてくれただろう。

だが、今は1人だ。この子を、たった1人で「普通」に育て上げなければならない。

そのプレッシャーが、鉛のように肩にのしかかる。


近所の母親たちとの、何気ない会話がふと脳裏をよぎる。


「うちの子、最近きれいに漢字が書けるようになって」

「……アキノちゃんは、すこし大人しいわね」


そのすべてが、裏のある評価のように聞こえた。


「……そう。お引越し、どこにするのかしらね」


ユキは、無理に作った笑顔を顔に貼り付け、アキノの隣にしゃがみ込んだ。

本当は、「そんなこと言うと、変な子だと思われるよ」と、その口を塞いでしまいたかった。

だが、そんなことをすれば、この子がもっと自分の殻に閉じこもってしまうかもしれない。


だから、ユキは嘘をついた。娘にではない。自分自身に。


「アキノは、感受性が豊かなだけ。他の子より、色々なことが見えたり、聞こえたりするだけ」。


それは、娘の「普通ではない」可能性から目をそらすための、優しい呪文のはずだった

。この小さな嘘が、やがて取り返しのつかない悲劇の始まりになることなど、

この時の彼女は知る由もなかった。


*


そして14歳、中学2年生の秋の記憶――。


ダイニングテーブルの上には、1枚のパンフレットが、まるで有罪判決のように置かれていた。

『思春期カウンセリングと家族のサポート』。今日、学校の進路指導室で、担任とスクールカウンセラーから、半ば強制されるように渡されたものだ。


「お母さん、アキノさんは非常に繊細で、独自の価値観を持っています。我々だけで対応するには限界が……一度、専門の先生に相談されてみては」


あの、同情と厄介払いが入り混じった教師の目を思い出すと、腹の底が冷たくなる。


その隣で、アキノは腕を組み、終始、値踏みするような目でカウンセラーを睨みつけていた。

「あなたの後ろには、国際金融資本の影が見える」などと、本気で言い放ちながら。


ユキは、パートのタイムカードと、パンフレットに書かれた相談料を、無意識に見比べていた。

時間も、金も、そして何より、精神的な余裕も、もう残っていない。

仕事から帰って、汚れた作業着を洗濯機に放り込み、出来合いの惣菜を皿に移す。

その繰り返しの中で、娘の「独自の価値観」と向き合うエネルギーなど、どこにもなかった。


「……あたしには、無理よ」


誰に言うでもない、呟きが漏れた。ユキは、そのパンフレットをぐしゃりと握りつぶすと、

キッチンのゴミ箱へと投げ捨てた。それは、専門家への不信ではない。

たった1人で、この巨大で、得体の知れない問題に立ち向かうことを、彼女が諦めた瞬間だった。


*


カルテット・マジコが訪れる数日前の、深夜のこと。


コン、コン。


「アキノ、ご飯……置いとくよ」


2階の廊下の突き当たり。ガムテープで目張りされたドアの前に、コンビニの弁当が入った袋をそっと置く。ドアの向こうからは、かすかにキーボードを叩く音と、アキノが何かをぶつぶつと呟く声が聞こえる。


ユキは、すぐにその場を離れなかった。ドアに背中を預け、冷たい木の感触に、自らの疲労を預ける。


(あの子は、この中で、何を見ているんだろう)


ドアの向こうは、単に自分の娘の部屋とは思えなかった。自分には理解できない法則と、

「真実」で満たされた、侵すべからざる聖域。

そして、自分自身が、娘をその聖域に追いやった共犯者。その自覚が、罪悪感となって、

じわじわとこの擦り切れた老婆の心を蝕んでいた。


食事を運び、生存を確認する。それが、今の自分にできる唯一の贖罪であり、

母親としての最後の仕事だった。


ふと、中の呟きが止み、静寂が訪れる。ユキは、びくりと肩を震わせ、逃げるようにその場を離れた。

ドアの向こうの反応が、何よりも怖かった。


高評価やブックマーク、本作のご紹介、Xのフォローなどで応援いただけますと幸いです。制作の大きな力になります。


https://x.com/piku2dgod


本家:ページ中にキャラのコンセプトアートなどあり

https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=24843658

https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=25490740

https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=26572256

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ