issue#03 I I I I Dreamed A Dream CHAPTER 05 25
偽のフォーラムによる「兵糧攻め」が始まってから、2週間が経過した。カルテット・マジコが管理する、歪められた鏡のような情報空間。そこでアキノは、かつてのように世界を揺るがす「預言」を生み出すことなく、一見、穏やかな小康状態を保っているように見えた。
その日もおせちとアシュリーは、食料の差し入れを口実に、アキノの部屋を訪れていた。
部屋の中は、以前より心なしか片付いている。アキノは、差し入れられたプリンを無心にスプーンでつつきながら、PCのモニターを眺めていた。
その画面に映っているのは、エイペックス・レジェンドが構築し、彼女たちが運用する偽のフォーラムばかり。
(……今のところ、計画は順調。すべてのアルゴリズムが問題なく作動してる。
あとは私たちの書き込みで、このまま、彼女の興味を現実的なものに少しずつシフトさせていけば……)
おせちが、そんな戦略的な安堵を胸に抱いた、まさにその時だった。
「ねえふたりとも、聞いて」
プリンを食べる手を止め、アキノが不満げに呟いた。
「どうしたんですか」
おせちが答える。
「最近、おかしいのよフォーラムが。みんな、なんだか反応が鈍いの。
この新しい説、完璧なはずなのに、誰も『確信』に至ってくれない。まるで、私の言葉が、
ちゃんと届いていないみたい……」
彼女が指し示す画面には、『地底人は、実はキノコの菌糸体ネットワークによって繋がれた巨大な単一生命体である』という、彼女が新たに立てたスレッドが表示されている。
そのスレッドに対し、偽のユーザーらは、『興味深いですが、根拠が薄弱では?』『もう少しデータが欲しいですね』と、あくまで冷静で、穏健な反応を返すに留めていた。
その、意のままにならない状況に、アキノの眉間に、わずかな、しかし確実なストレスの皺が刻まれていく。
「どうして……?私の言っていることは、いつも、絶対に正しいはずなのに……」
彼女が苛立ちを募らせ、指でテーブルをコツ、コツ、と叩き始めた、その瞬間。
「――え?」
アシュリーが息を呑む。彼女の視線は、テーブルの上の、アキノが食べていたプリンのカップに注がれていた。ガラスのカップの縁が、一瞬、まるで生き物のように、ぐにゃりと歪んだのだ。
それは、熱で溶ける飴細工のようでもあり、あるいは、存在そのものが曖昧になる前兆のようでもあった。
「アシュリー、どうしたの?」
「い、今……カップが……」
アシュリーが言い終わる前に、今度は、壁に貼られた世界地図――レムリア大陸が赤マジックで書き足されたもの――が、まるで呼吸をするかのように、ゆっくりと膨張し、そして収縮した。
本棚に並んだ本の背表紙の文字が、意味をなさない記号へと一瞬だけ組み変わり、
すぐに元に戻る。部屋の隅に積まれたガラクタの山が、カシャリ、と乾いた音を立てて、
ひとりでに崩れた。
それは、世界そのものが上げる、微かな悲鳴だった。
アキノ自身は、その異常に気づいていない。彼女の意識は、自らの正しさを証明してくれない、
もどかしい「他者」との対話に、完全に没入している。
だが、彼女の無意識下に蓄積された、満たされない承認欲求とストレスが、制御を
失った現実改変能力となって、部屋の隅々から、まるで脂汗のように漏れ出しているのだ。
おせちの背筋こそ、本物の冷たい汗が伝った。
(……違う。計画は、順調なんかじゃない。私たちは、とんでもない勘違いをしていた……!)
彼女たちがやっていたのは、「治療」などではなかった。
神の喉の渇きを、ただ無視し続けていただけだ。飢え、渇き、満たされない全能の力が、
暴発寸前のエネルギーとなって、彼女の内で渦を巻いている。
兵糧攻めは、敵を弱らせてはいない。ただ、より予測不能で、より危険な、未知の怪物へと着実に変貌させているだけだった。
おせちは、自らの計画が招いたこの恐るべき副作用を前に、
ただ、血の気の引いた顔で立ち尽くすしかなかった。
*
2人はなすすべもなく、アキノの部屋から退却した。1階の使われていない部屋で3人は作戦会議をする。
世界は、新たな局面へと引きずり込まれていた。1人の少女が抱く歪んだ「真実」が、もはや何の予兆も手続きも経ることなく、現実そのものを侵食し、屈服させていく。
その絶対的な事実が、鉛の塊となって3人の思考に重く沈み込む。
論理も、歴史も、積み上げてきた事実さえも、彼女の「信念」ひとつで、脆い砂の城のように、
ただ静かに崩れ落ちていくだけなのだ。あらゆる道は閉ざされ、希望の光は、どこにも見えなかった。
「……どうすりゃいいんだよ、これ」
アシュリーが、絞り出すように呟いた。その声には、いつものような威勢はひとかけらもなかった。
まさにその言葉が、世界の変調の引き金となったかのようだった。
窓から差し込む西日が、ふっと色を失う。
次の瞬間、風が吹き抜けるように、部屋の色彩が、一方向へと凄まじい速度で塗り替えられていった。
畳の若草色は毒々しい紫紺に、アシュリーの燃えるような赤毛は冷たいシアンに、
おせちの肌の暖色は、死人のような青白い色調へと。
「うそ……」
さなが、目の前の光景を信じられないとばかりに、か細い声で呟く。3人は、互いの顔を見合わせた。
そこに映るのは、見慣れた姉妹ではなく、異世界の色彩をまとった、不気味なほど美しい別人だった。
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本家:ページ中にキャラのコンセプトアートなどあり
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