issue#03 I I I I Dreamed A Dream CHAPTER 04 14
(ホントに海底8000mの、それも独房からネットを監視してたんだ……)
おせちは、目の前の喜劇とは裏腹に、背筋に走る冷たいものを感じていた。
やがて、彼女は意を決して、探るように問い返す。
「……で取引って?どういう意味?」
『オホン!……もう結構』
スピーカーから響いた声は、先ほどの醜態が嘘のように、冷徹で、知的な響きを取り戻していた。その声は、まるでチェスの駒を置くように、静かで、確信に満ちている。
『――言葉通りさ、イムノ君。君たちの敵――あの忌まわしきクマ人間、今井とやらを、本物のゴリラに変えてやる。君たちが物のついでに流した根も葉もない噂を、この手で真実にしてやろう。今回の1件の責任は、すべて私たち“ゴリラ人間”にあったと、そう世界に知らしめるがいい。
その程度の汚名なら、ゴリラの寛大さと厚い胸板で受け止めてやる』
その、あまりに悪魔的で、しかし魅力的すぎる提案に、おせちは一瞬息が止まった。
だが、彼女の決断に、迷いは1ミリもなかった。
「……聞かせてくれる?」
鋼のような覚悟を込めて、彼女は口を開いた。その声に、アシュリーとさなは息を呑む。これは、世
界の運命を賭けた、悪魔との契約に他ならなかった。
エイペックスは、その反応を愉しむように、悪魔めいた声で言葉を重ねた。
『――創世の光の製法を教えてやろう。もっとも、この時代の粗末な設備では、その力を不完全に再現した“模造品”しか作れまいがな』
「創世の光……」
はちるが、かすかな震えを帯びた声で繰り返す。彼女は無意識に、すっかり人間らしくなった自分の腕をさすった。かつて自分がその光に焼かれ、存在の根幹から変えられてしまった記憶が、
消えない痛みとして胸の奥で疼く。
一方でおせちは淡々と、画面の向こうの“目”を見据えて、冷たく問い質した。
「――要求は何?」
返ってきたのは、ぞっとするほど冷静で、純粋な探究心に満ちた声だった。
『単純なことだ。――科学的好奇心の充足。私が求めるのは、“獣人が、さらに別の種へと変異する”そのプロセスの、安全かつ精密な観察だ。スヌープキャット君の事例は、あまりに規格外でデータの取りようもなかったのでな。アレは、はなはだ“やり損”な実験だった……』
『――だから今度こそ、“クマ人間”という絶好の検体を使い、その変化が本当に再現されるのか、一部始終を見届けたいのだ』
エイペックスの声には、底知れぬ知的好奇心と、生命そのものを実験対象としか見ていない、歪んだ愉悦が滲んでいた。
「へえ、よく喋るな。でもな、さっきみたいに腹抱えて笑ったからって、お前の腹の中がこっちに見えたわけじゃないんだ。わかるか?見たいのは反省だよハンセ」
アシュリーが、忌々しげに吐き捨てる。だが、おせちは冷静に彼女を制した。
これは、感情で動くべき交渉ではない。
その瞳は、ただ1点、モニター奥で赤く燃える光を見据えていた。
その敵意すらも面白がるように、エイペックスは合成音声にかすかな嘲笑をにじませる。
『反省だと?――サピエンスの感情論は、非効率の極みだな。エイプのごとき先見性を持ちたまえ。これは信頼関係に基づく同盟ではなく、利害の一致による、ただの取引にすぎん。よってそんなものは不要だ』
そして、彼は決定的な事実を、まるで余談のように付け加えた。
『……今ここで明かすが、君たちの“特定対策”には、実は少しばかり私も手を貸していたのだよ。痕跡の一部を消去し、ネット上の追跡を撹乱してやったのだ。――でなければ今回の逃亡生活、あまりにも全てが順調すぎるとは思わなかったかね?』
彼の言葉は、絶対的な上位者の諭しであり――同時に、抗いようのない脅迫でもあった。
『その支援を打ち切り、君たちの情報をクマ側に全て漏らすことも、私には可能だったのだ。それを“恩”
と捉え、私のささやかな願いを聞き入れてはもらえないだろうか?』
『私が君たちにとって脅威かどうかということは、今は本質的な問題ではない。君たちの目の前には、より大きく、より差し迫った脅威――“クマ”がいる。合理的な知性を持つ者ならば、どちらを先になんとかすべきか、答えがわかるだろう?』
そして、自らの無害さをアピールする代わりに、彼はあえて、神のごとき尊大な態度で締めくくった。
その言葉を聞いた瞬間、おせちの中で、最後の躊躇が消えた。
――「利害の一致による、ただの取引」。
その、あまりに直截で、一切の感情を排した響きは、逆説的に彼女の心を奇妙なほど落ち着かせた。情に訴える脅迫や、不確かな善意を期待させる甘言よりも、よほど信頼できる。なぜなら、そこには嘘や裏切りが入り込む余地のない、純粋な「合理性」だけが存在するからだ。
目的のためなら悪魔とさえ手を結ぶ。仲間を、そして世界を救うためならば、いかなる選択も厭わない。そんな「善意のマキャベリスト」である彼女にとって、エイペックスのこの言葉は、同族だけが嗅ぎ分けられる、最もわかりやすい符牒のようなものだった。
彼は、単に助けてはくれない。だが、少なくとも、利害が一致する限りにおいて、裏切ることもない。それで十分だった。
「……いいでしょう」
彼女は、画面の奥で冷たく燃える紅蓮の光を、射抜くように見つめ返した。その声は強く抑制され、
硬質な響きさえ帯びていた。それは、交渉の始まりではなく、悪魔との契約書に、自らの魂でサインを告げる、最終通告にも似ていた。
途端にアシュリーが、
「おいおせち――!」
と制止の声を上げようとする。だが、おせちは、それを片手で制し返した。その横顔に浮かぶのは、全ての責任をひとりで背負う覚悟を決めた者の、孤高の表情だった。
『賢明な判断だ、イムノ君』
エイペックスは、満足げにそう応じると、彼の頭部を映していた画面は、一瞬にして膨大な遺伝子情報と、複雑な化学式の羅列へと切り替わった。26世紀の叡智が、無機質な光の流れとなって、彼女たちの目の前に開示されたのである。
『その場所に工場と、オートメーション化の機能があるならそこのアドミン権限を私に渡すがいい。すぐにでも製造してやろう』
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本家:ページ中にキャラのコンセプトアートなどあり
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